地獄の渡し人
善の栄えた試しなし
百鬼夜行の江戸の町
必殺必中闇稼業
晴らせぬ恨み晴らします
闇の帳が降りた江戸の街。
人々の寝静まったとある繁華街の飲み屋の一室で2人の男が談笑していた。
「ふむ、なかなか美味い酒ではないか。気に入ったぞ、越前屋」
「ははあ、恐縮にございまする、相田さま」
行燈の灯りが窓からの風に揺れ2人を薄く照らす。
美味そうにお猪口に注がれた酒を飲む太った身なりの良い男に商人風の男が作った笑顔と揉み手で応えた。
商人らしき男は太った男の機嫌が良いと見てとると恐る恐ると言った様子で本題を切り出す。
「……ところで如何ですか? 幕閣の皆さま方にはあの件はご納得頂けましたか?」
「ああ、なんとかねじ込んでやったわ。来月からワシが佐渡の金山奉行だ。運搬の方は頼んだぞ越前屋」
ガハハ、と笑いながら酒を飲み干す男に商人は膝を叩いて身を乗り出した。
「おお! それは祝着至極! 勿論にございますとも。この越前屋五郎、相田さまの為ならばしっかりとご奉公させて頂きます」
「くくく! この業突くめ! まあよい、お前には世話になった。儲けさせてやる」
商人が継ぎ足した酒に口をつけながら男は歪んだ笑みを浮かべる。
「はは、お恥ずかしい限りで。さても問題は隠し金山に派遣する労働者でございますな」
二人は佐渡の金山の幾つかを廃山として幕府に届け出た後で私有化し、莫大な富を築くという計画を立てていた。
相田は越前屋の酌を受けながら歪んだ笑みを浮かべる。
「心配せずとも抜かりはないわ。罪人の中から丈夫そうなのをワシ直々に選んでおいた。隠し金山の場所が知れてはならんからな、作業が終われば死んでもらおう」
「さすが、相田さま。あなたにしか出来ないことですな」
薄明かりの一室に男たちの下卑た笑い声が響き渡る。
男たちの名は権力欲が強く目端の利く官僚、相田康光に新鋭の豪商越前屋五郎。
彼らはこれまでに数々の悪事に手を染め、権力の階段を駆け上ってきた。
密かに政敵を暗殺するという手段をとったことさえある。
彼らの手は血に染まりきっていた。
幕府が開かれて数十年。
光の裏には影あり。
政治体制は安定してきたが、それとは比例するように富は一極に集中し、政治の腐敗も極まっていた。
「さあさあ、そろそろ仕事の話は終わろうぞ。芸者を呼んでこい。今宵は前祝いじゃ。呑み明かすぞ」
「かしこまりましてござります」
越前屋が手を叩き、階下に控えさせているはずの店の者たちを呼ぶ。
「おい! ……誰ぞおらぬか! 妙だな」
いつもならすぐに越前屋の合図に反応があるはずだが今日に限って何の物音も聞こえない。
越前屋は真っ暗で先の見えない階下を伺い、苛立ちよりも不気味さを感じた。
相田も異変を感じ取ったのか訝しみ呑む手を止める。
「どうした越前屋。なぜ誰も来ない。私の部下も幾人か控えさせておるはずだが」
「……私が様子を見て参ります」
越前屋が腰を上げ部屋を立とうとしたその時だった。
商人は驚いて思わず仰け反る。
「……ひっ! なんだ⁈」
小さな足音と共にいつの間にか、幾人かの黒い影が部屋の入り口に立っていたのだ。
相田も驚いて立ち上がり声をあげる。
どうやら影は見知った者ではないらしい。
「誰だ⁉︎ お前たち‼︎」
黒い影たちがゆっくりと部屋に入ってくると薄く行燈の光が彼らを照らした。
影の数は一、ニ、三、四……
その内の一人が嘲笑うように低い声で答えた。
「三途の川の渡し人、てところかな」
男は言い終えると持っていた何かを二人の足元に投げて転がした。
何だろうと訝しみながら越前屋は転がってきたものに手を伸ばすが部屋の薄い灯りがそれを照らすと腰を抜かして床に尻餅をつき後ずさる。
「ひぃっ‼︎ わわわっ‼︎」
相田は投げつけられた「それ」を見ると舌打ちをしてギロリと影たちを睨みつけた。
「くそっ! 私の部下の首か……!」
その生首は虚ろに闇を見つめていた。
そして生首を投げつけたのとは違う四名の影の一人が一歩前に出ると糾弾するように二人を指さす。
その男はまるで忍びのように黒い装束で全身を覆っていた。
「心配しなくても罪のないこの店の者たちは睡眠薬で眠ってるぜ。
殺したのは運悪く眠らなかったこいつだけ。
さて幕府御用取次相田康光、そして越前屋五郎。お前たちには死んでほしい奴らが山ほどいる。理由は言わなくてもわかるな?」
「黙れっ! 下郎が!」
相田が刀を引き寄せ抜刀する。
彼とても武士の端くれ。
幼少期からそれなりに武芸を叩き込まれてきた。
しかしそんな相田の様子に動じる事なく、影の1人である頭巾や黒装束で身を包んだ男は含み笑いで、ずいと相田の方へと迫る先ほど生首を投げた男に問いかけた。
「おっ、勢さんアンタがやるか?」
勢と呼ばれた男は何も答えず数歩前に出ると抜刀し脱力したように刀を顔の横に寝かせるように構えると相田を見るともなく凝視する。
……こんなどこの馬の骨とも分からぬ下郎に我が覇道を阻まれてたまるか!
相田は刀を構えながら薄明かりに揺れる刺客の男を観察する。
身の丈5尺余り……中肉中背の男……
江戸期男性のほぼ平均的な体格である。
また男の見たこともない構えは田舎の庶流であることが推察できる。
恐らく大した使い手ではないだろう。
敵の人数は少ない。
色々と知っているようだがこの場で消してしまえば後はどうとでもなる。
相田は静かな殺気に満ちた影たちを見渡し、近頃金次第で何者でも斬ると言われている噂の暗殺集団の存在に思い当たると、吠えるように威嚇し足早に斬りかかった。
「舐めるなよ! 貴様ら最近噂に聞く渡し人という奴か? 腕に覚えはあるようだがワシみたいな悪党がみんな雑魚だと思ったら大間ちが……」
「うっせえよ雑魚」
勢と呼ばれた男が一足飛びに迫りくる相田とすれ違い、闇に光る鈍い剣閃が奔るとザブッと何かが抉れるような音が重く室内に響く。
間を置いて相田の身体が床にくず折れるように倒れ込んだ。
ーー刺客の名は山厳一刀流の雨野勢二郎
故国のとある藩にいた頃は「鬼さえ斬る」と恐れられた手練れの剣士であった。
……腐敗官僚の真似事剣法では敵となるはずも無く
驚いて越前屋が倒れた相田を見ると、薄明かりに照らされたその顔は白目をむき喉から勢いよく鮮血を飛ばしていた。
「ひぃぃぃぃ‼︎」
越前屋はすっかり腰を抜かし床に手をつきながら悲鳴を上げ這って逃げようとした。
そんな越前屋の虚をつくように場に似つかわしくない朗らかな女声が部屋に響く。
「あーあ、勢さんこういうのに容赦ないよねー」
(……お、女⁈ 女もいるのか?)
越前屋はさりげに振り返るが闇に隠れて女の辺りは見えない。
「はぁ…… そこの残ったのは任せたぜ」
「よし、わかった。誰がやる?」
どうやら奴らはこの自分も消すつもりのようだ……
越前屋は床を這いながら涙声で命乞いを始めた。
「ひぃ……! 頼む! 命は助けてくれ! 私はそこの人にたぶらかされただけなんだ!」
しかし、懇願虚しく呆れたような男の声が越前屋に返ってくる。
「よくいうぜ。お前がそいつに入れ知恵をして様々な悪事に加担してたことは調べがついてるぞ。観念しろや悪党」
少しの間があり、影の1人が這い回る越前屋の前を塞ぐように立ち尽くし見下ろした。
先ほど相田を斬った男とは違う者のようだ。
越前屋は床に這ったまま情けない悲鳴を上げる。
「ひいいっ‼︎」
町人風の身なりのその男は塵芥を見るような目で暫く越前屋を見つめるとやがてその首に腕を回し力を込め始めた。
普段肉体労働などしてこなかった越前屋が一見細身でも筋の籠った力強いその腕から逃れる術は無かった。
「あぁぁぁぁぁぁ‼︎ 誰ぞ! 助けてくれぇ! ……ぐぅぅぅ!」
越前屋はものの数秒でその息を止め、やがてごきり、と首の骨の折れる音が部屋に響いた。
「死に際くらい潔くしな……」
男は越前屋から手を離し身を起こすと、ポンポンと肩を払った。
身体を離された越前屋の死体はがくり、と首を直角に垂れ白目を剥き泡を吹いて床へと倒れ込む。
ーーこちらの刺客の名は壬午郎
やや小柄な中年のこの男はしかし、よく見ると体幹のしっかりとした均整のとれた体格とどこで身につけたのか恐るべき体術を持つ。
二つの死体の脈を確認すると忍び装束風の男が両手を叩き朗らかに宣言した。
「勢さん、壬さん、見事なお手際だね。ささ、帰ろうかみんな」
「はいはい、お疲れお疲れー」
女らしき影は朗らかに勢という男の腰に手を回そうとして跳ね除けられる。
「お駒、いつものことだが仕事場ではしゃいでんじゃねえよ」
頭巾の男が笑いながら顔を顰める勢と言う男を取りなす。
「まあそんな固いこと言うなよ勢さん。俺の妹をそんな邪険にしてくれんなよ」
表情を殆ど動かさない壬と呼ばれた中年の男は頭巾の男の調子の良さにため息を吐いた。
「白石、今日はお前しんどい事は何もしてないな……」
「お、お、そんなこと言う? 睡眠薬作って仕込んだの俺だろ? ま、いいや。じゃ解散ってことで」
そして白石という男の合図と共に影たちは音も無く現場を後にした。




