えらぶときしん
一度は様子を見に来た道を引き返していった創が、壁に跳ね返るボールのように取って返してくるのが千代紙には見えたかと思えば。
なに喰わぬ顔で身体を横づけした創に、千代紙は彼女に離れた理由を思い出させる気で、創のまだ新しい足跡の残った遊歩道を見返る。
「結局さ、なにしに行ったの?」
「うーうー鳴ってた」
「あんたが?」
人目を避けて唸る。時に人は突飛な、他人には言えない秘密を抱えては奇行に走りがちになる。
そんな奇行に走る者は口にはしなくても、求めるは『聴こう』と寄り添ってくれる他人だ。幸いなことにその資格を持つ者がこんな寂びれた廃墟にも、一人いた。
「悩みがあるなら」
「それ以上言ったら、私はちよちゃんで悩むことになる」
それと、と。創は念を押して街がなにやら騒がしいことを千代紙に話した。
「どこかで火事かな」
複数台の消防車。後を追い掛けるような救急車のサイレンも一台や二台の騒ぎではなかった。
創が高台に臨んだところで赤ランプの行き先を床に横たわる糸のような国道からは量れないにしても、蛇行を繰り返しながら位置を変える音波には明確な目的地が設定されている。これは間違いなかった。
「……はははァ。わかったぞぅ」
解説につらつら。思考に耽っていた創に親友は口は曲げた。その鼻を明かしてやったような態度に創はもちろん眉間を絞る。
とはいえここで口を挟んで文句を言っているようでは彼女の親友は務まらなかった。
「今の自分なら、火事になってだれか巻き込まれても、簡単に助けに行けるって思ってるんだろ」
「ちよちゃん、なんかお腹とか喉とか渇かない?」
「話反らすの下手か、急ブレーキの掛け過ぎで脱線して横転までしてますが!?」
そして涼風を吹かせる聖母の異名も伊達ではない、見上げた奉仕の精神に一層箔さえついたみたいだと。千代紙はいいように誉めちぎった。
「これも、不死になった影響ってやつ――なのやら?」
こぶし大のコンクリートの破片を飲み込む想像でも。いや胆力と度胸、それこそ石材を嚙み砕けるだけ丈夫な身体の千代紙が吐いてでも忘れたいモノがあるのなら、より具体的な想像を膨らませたに決まっている。
心当たりに創は、止せと注意した。
「後輩達の顔に、ゲェ……はないでしょゲェは」
「後輩を合法的に殺す方法って、図書館に行ったら判らないかな」
「ないよちよちゃん。だって後輩も殺したら殺人罪が適用されるからね……私達、なにしてるんだっけ。なにしたいんだっけ」
愚痴に付き合うのも親友の責務と創は心得ている。だが自分にはもっとほかにやりたいことが、反れた話を修正しなければならない本題があってここまで来たのではなかったか。
「ここまで誘われた人を前にその言いぐさはないでしょーがよ。暇で暇で、涸れそうなくらい暇って言った私に創が、遊園地を見て回れば時間も潰れるって、私を誘ったの!」
掴んだ創の肩を上下に揺らした千代紙。揺らしてもいい答えはいつまでも顔に浮かんでこなかったから、さらに追い込んで追い込んで。
道を外れて雑木林の中の一本の木。幹に埋め込まれた創を千代紙は熱い目線で見上げた。
「……黙るの? 私、そういうの通じないから。なんとか言うまで逃がしてやんない……やんないよ。いいの?」
無邪気な小型犬みたいな千代紙の顔は、林の中だと陰って大人びる。
一度本気で熱くなった千代紙は手が付けられなかった。一人勝手にこんな顔になって、返事は一切受け付けない。
親友はそういうところが、ずるい。
「――それじゃあ遠慮なく、こちらもいかせてもらいますね」
千代紙の肩を掴み返した創は林を抜け月明かりの届く位置まで出ると。
いきなりのことに慌てた、そう見える子どもの顔に戻った千代紙に言い切った。
「そうだった。ちよちゃんが最初、暇って言ったんだった。なら結局、先に誘ったの、ちよちゃんでしょ」
青筋を立てた創に、泳ぐ千代紙の目。
泳いで泳いで――つぶらな瞳で創に許しを請うた。
瞳に気を取られた創の気を突く。
面食らった逆に張り出した胸に顔を突っ込んだ千代紙を創は反射で剥がしてしまった。
「のぉおおおおおおッ!」
「NOだって。たかが脂肪の塊しゃぶられて、なに変な声まで出してんだか!」
トランポリンに見立てた地面を跳ねた千代紙がふり返りざまに舌を出す。その無邪気さ全開に創はハンカチを噛むように唇を噛んだ。
「好きで叫んだんじゃないやい……!」
「それなら運動して引っ込めることね」
胸とは対照的に筋肉の固まりである尻。
これをペンペンと手で叩いて鳴らす千代紙は遊園地中を駆け回る気でいるかのような足取りで逃げた。
騒がしいことに心が疲れ、創は走る気にもなれなかった。
横を見れば、遊園地の廃墟。現実を保管するように形を維持しているが、動くことはもう決してない単なる残骸だ。
――思ったら。そんな廃墟を側に見ていると創は深く考える。
理解したいと千代紙の誘いに乗ったところも創にはあった。
人の手が離れ動くことはないというのに、いつまでも形を保っている遊園地と、三上創とは互いにどこか近い距離間だった。
夜が更けても、街の喧騒はここまでにさえ届く。
こんなに廃れてしまったのも、五月蠅くて気疲れてしまったからなのか。
「不死身だと、苦労しますね」
一応先輩にあたるため、深慮に倣い創は廃墟相手にも敬語になった。
かつてここにも、たくさんの客に愛され多くの想い出が生まれた場所だったのだろう。
それが、ただ時間が流れた――それだけでこうも。
「――変わってしまうなんて」
足音が近づく。千代紙が戻ってきた。
挑発した自分から気を替えた、その割に、歩幅が広くなっている。
今夜は比較的月が明るいとはいえ、廃墟は暗かった。
横柄だが、怖さを誤魔化していると思えば可愛げがあって、笑ってしまう。
「――ちよちゃんったら。怖いんなら初めから離れなきゃいいのに」
向きを変えた創の目の前に。
影は差した。
「人を見るなり、笑うとは。十三点」
なら怯えるあまり手を合わせてしまった、祈りを聴き届かせるのには立ちはだかっている障害は近過ぎる――見下された脳天をこじ開け考えを全て悟られたような創の気分に、点数をつけるのは、笑うより失礼にあたる行為ではないのか。
ないのだろう、指摘はあくまで肺の奥に止め創は口には出さない。
創が言いたかったのは、ニンゲンの社会で流通する道理であり。
『魔法使い』を自称しているような相手には通用しない。
どうしてここに? ――そんな常套句を、まさに如何にもな展開の中で閃く自分は大概滑稽、戦えるような武器ならまだしも逃げるような足すら持たない肉だった。
道化師は三上創を追う獲物と認識し、最初から創がどこにいてもそこに現れたのだから、隠れ処の遊園地にこうして、創の前に立っている――ごくごく自然な光景に違和感など。
あるから、創はそれを敢えて口に出す。
血を吐く有言実行は、問われたことにハッと簡潔に答えたのだった。
「私たち逢ってまだ、二回目よね。なんで最終決戦に突入した感じに、あなた仕上がってるの?」
質問は引き金となり、創は視界の端に置かれた拳に吹っ飛ばされた。拳を飛ばして地面に転がした創が紙細工のように軽いのを確かめた実行だったが、今の状態では殴った方もある程度のダメージを負う。
一生喋れなくなるまで、あと数分余っていれば運がいい。早いところ訂正を。
三上創は酷い勘違いをしていた。
「――こうなるじゃなかったんだ! あいつさえ、あいつさえ、いると、わかっていなければ……、ごぼッ」
実行の裂けた喉から噴き出した血に肺を圧迫される。
自分の血に溺れながら実行は膝を突き、手を突き、額を突き。
それに対し創は呆気ないくらいに立ち上がる。殴られた辺りを診ても傷はどこにもない。かなりの運動量のようにも感じたがその実、大した力で殴られなかったのかそれとも、倒れている間に修復されたのかもしれない。
どんな傷でも塞がる身体になったと言われた創にはどちらの判断もつかない。
最初から、そんなの、どちらでもどうでもよかった。
「……くるしそう。よかったら診てあげようか?」
歩く影を伸ばしてきた創に実行は手を差し伸ばした。殺すことだけ考えて。
――【ゼロゼロビーム!】
――――【ゼロゼロビーム!】
――、――【ゼロゼロ……ビーム……!】
創の腕を木乃伊のように枯らしたあの攻撃をまた受けたという実感はある。あっても、潮に濡れた浜の貝殻のように、月明かりを受けた創は瑞々しく輝いていた。
「【ゼロゼロ ――【ゼロ、ゼろ ……【ぜ
……ro」
生きる上で最低限の呼吸をするのにさえ苦しそうな道化師の手首は取られた。続けて触れてきた顔の化粧を爪で柔く創は擦った。
死にそうなくらいの血を吐いて、創に未知の殺人方法を何度も試してきたピエロの素顔は一部分だけ見えた、だが。
想像以上にニンゲンらしい素顔だったから、顔を上げさせた創はペタリと足をつけ、表情には余裕も生まれた。
「ミユキにさわるな……ワルもんめ」
不思議な瞬間というものは、時も場所も問わずどこにも転がっている。
死なない身体は、触れれば、それが自分を殺そうとした者であっても愛着が湧くとは。
「私には、私を殺そうとするあなたこそが悪に見えるわ。私を殺して、あなたにいいことが起こるとは思えないのだけど」
澄んだ目同士で善悪について議論する。
創の次は実行の番だった。
「いいこと、なんてミユキにはないよ……。お前はこのセカイにとってワルもんだ。『イイもんの魔法使い』のミユキに殺されるのに、それ以上、理由はいらない」
ということは、だ。
世界は三上創を悪と断じた。
世界なんて自分には見向きもしないかと。それが評価したのだ。
「なんだか、照れちゃう。こんななんの取り柄もない私に。見てわかる通り、私はこんなんだよ」
三上創なんかのことより、世界にはもっとほかに考えることが山ほどある。
「私、世界がどうなるかなんてどうでもいい――本当、どうでもいいと本気で思って今日まで生きてきた。だから頭はよくないし、他人に優しくはできるけど、それがどうして生きていくのに必要かはわからない」
同じ塾に通っている子の両親が離婚したと、泣いていたから慰めた。その子には感謝され、周りには聖女のようにもてはやされたが。
「別に離婚を止めたわけじゃないのに。こんな私のどこを仮名霧先生は好きになった? 単に顔が好みだったのかな。それなら私の腕なんか食べないし。あれ?」
昨日視た夢でも思い出したのかと、創。
「誰? ――カナキリって」
赤の他人が知るわけがないのに。だが聞かれたピエロは本人の記憶にもなかった創について答えを述べた。
「誰でもお前にはどうでもいいだろう……食われた腕は取り戻せた、ん……だから――」
続けようとしたお喋りなピエロを突き倒し。
仰ぐように向けてこられた喉元に創は唇をするりと入り込ませた。
「あ……ぁ」
小さく開けた穴に歯の先を差し入れ。唾液が一滴、一滴と血管に注入された。
酔い痴れたように実行はしばらくのこと泣いて。
突拍子もなく、被さる創に目を剥いてきた。
「優しいことをしてあげましたね。自分を殺そうとまでした相手に」
思慮を軽薄に語る声はピエロからではなかった。
もう一人の魔法使いでもある――セーラー服を着て常にメイドを連れている創の後輩。
「式くん……?」
「はい、式折々、三上先輩がこの世界で頼らないと生きてはいけないと証明させた式折々とは、式のことです」
また調子のいいことを言い切る式。手を挙げる彼には前の通りメイドでもある先輩がいると思ったが。
探すように自分の周囲を見渡してきた創に式は釘を刺した。
「先輩には、もっとほかに気にされることがあるのではないですか?」
式がなにを忠告したいのか、まるで。
足に痺れを感じた創。
そうして立ち上がった身体から重く湿った音を立てながら、足元に転がった大きな人型の影。
創はしばらくの間はその様子を見て、揺さぶって、叩いて、声を掛けた。
見開いた目と創は合わせたまま、今触れているものが、果たしてなんなのか式に訊いた。
「式くん、この人ぜんぜん動かないけど、死んじゃったの?」
かなりの出血量だった。創は医者ではないため詳しい容態は説明できないしろ、血を吐き続ければやがては『そういうこと』も起こるだろう。
「先輩が殺しておいてなにを言ってるんですか? 式も殺されかけましたけど。いくらなんでもその人に失礼だと思います」
「――殺した?」
これは新しくギャグを創で試している――。
「へんなこと言わないでよ。びっくりするじゃない。私は、この人が余計なことを言い出しそうだったから」
だから押し倒し喉に咬みついて。
「傷口をぺろぺろした“だけ”だよ――なんでそれで私がこの人を殺したことになるのさ」
むずかしいが冗談を言われたため創は笑いで答えた。
「人魚を食べたのは、傷が治ったのを実際この目で信じれたけど。それは」
「ああ、それ。すみません、ふざけるつもりはなかったんです。勘違いしちゃいました」
許しをねだる子どもの真似事のようではないか。手をすり合わせる式後輩の軽薄さに創は覚える。
吐き気を。
胃がはち切れそうで口と腹に手を回した。
「……勘違い?」
笑うんだ。どれだけ苦しくても。式はそのつもりで冗談を言ってきているのだから。
「もしかして怒ってます? ――まあ怒りますよね。式の話に先輩は真面目に取り合ってくれたのに。本当に冗談じゃないですよね」
「……これも、人魚の肉を食べてしまった影響ってことなのかな、教えて」
内側から創り変えられでもされるかのような熱が、肩を抱く創を襲った。
「もうそんな芝居、いい加減やめましょうよ。いつまでも先輩がそんな調子じゃあこっちまで調子が狂います」
とはいえ本人にその自覚がないのも事実のようだ。知りたがってもいたので『魔法使いの末裔』はご要望にお応えした。
「では最初から説明しますね」
この三上創という存在に狂わされた世界において、最初に正気に戻った式にだけ与えられた役目。因果なものだった。
端も端、脇役中の脇役。組み込んだ彼女にしてみれば役名さえなかった唯の『魔法使い』が書き換えられてしまった筋書きを正す。だが先にズルをしたのは創の方だ。
指した式の指は踊るように走った。
一頁目に戻った彼女の物語の、書き出しは。
「先輩が食べた肉は、人魚じゃありません。海蛇の肉でした」
エラブトキシン:コブラの仲間のウミヘビ科のヘビが持つ神経毒。




