人狼の父-3-
「……『人狼』って知ってますか?」
狼をトラックに押し込めると街を離れ揺られること一時間強、遊園地に車が着くなり、式は千代紙に尋ねた。
西区にある遊園地は、式家が所有する土地の一つに建っていた。だが、街の目玉である遊園地は大昔に廃業し、活気の失せたその場所は錆にまみれ、無音という形で禍々しい異色の存在感を放っていた。
街の外れに潰れた遊園地があるのは知っていた千代紙だったが……反社会組織に、やはり遊興施設の運営は荷が勝ち過ぎたという結果の表れが、これか。
千代紙の視線の先、メインストリート中央に配置されたデスクに足を組み跳び移り式はふんぞり返った。この城の主は自分だと見せ付けるようだった。
「人狼、ライカンスロープ……俗に、おとぎ話や映画の題材によく使われる狼男のことですよ、火原井先輩?」
そう式は、笑みを含め問う。狼と化した少女に。
千代紙は狼の頭を横に振りノーと意思を示した。
無論、狼男については千代紙も知っている。今しがた式が挙げたように、この国には神話や迷信といった西洋文化が容を変え数多く根付いている。根を張っている、と言い換えてもいいだろう。
だが、当然だが、そんなものは実在しない。
千代紙が否定したのは、式にというより、彼が挙げたそれらに対してのことだった。
どれだけ具体性を増そうと、着色を加えようと、空想や妄想が現実を上回ることはできないはずだった。
式も、そんな千代紙の意図を察した、が。
「いるじゃないですか。今ここに」
ああ、こればっかりは、言い逃れのしようがなかった。
すると、意外にも式は千代紙が思いもかけなかった一言を口にした。
「実は……あの満月の夜から、式は、人狼をずっとストーキングしてたんですよ」
混乱を促すように言われる。そして千代紙はその通りに動揺する。
話の前後がまるで掴めない。式が自分を疑っていたなら、果たして、この後輩はどこで人狼について知ったのか。千代紙自身、自分の正体を知ったのはつい一時間前というのに。
とそこまで考え、千代紙は解を導き出した。
あるではないか。式が人狼の正体について知れる、今ではこの街の誰もが知っている『イベント』を。
満月の浮かんだあの夜……腕がなくなったのが彼女だったのが、偶然ではなく必然だったなら。
ぐらり、と千代紙の体勢が崩れる。肉が捻じれ骨が砕ける食感が口いっぱいに拡がり、血の味に喉の奥が焼けそうだった。
「なにを考えたが顔を見れば判りますが、自分を見た目で判断しないでください」
式の言葉が千代紙の自我を支える柱となる。彼は、女子高生を襲ったのが千代紙ではないと暗に示したのだ。自分の思惑の外にまで彼女が行かないように。今は、心に留めておくだけで。
「そこで相談です。これから式は、先輩を狼から人の姿に戻しますが。先輩は、どうしたいですか?」
千代紙の理解を超え、式は話を次に次にへ進めていく。
予想外なことも起きた。
てっきり、自分は元の姿に……人間に戻りたいとばかり思っていた。
しかし肝心なことは、千代紙は、式の提案を受け入れる直前、躊躇っていた。
友を喰い殺そうとしたかもしれない姿だ。だがそれは違うと断言され、その否定が自分の心中で妙にしっくりきたのだ。
そして、この獣臭漂う姿でいることに、重要な使命を感じてしまう。
彼なら、なにか知っているだろうか。
だが、真実を知るのが怖い千代紙の気持ち以前に、今この状態では、彼女は人語を扱えなかった。
化物と化した今の自分に嫌悪したのも事実。
故に、千代紙は首を縦に振るしかない。そこに式のどのような企みが隠れていようとも。
「信じてくれて、ありがとうございます」
一転し席を飛び立ち深々と頭を下げる式の感謝は、本心のように感じた。
そんな後輩を、不覚にも本当に信じるのも悪くないと思った自分の心は、弱い証拠か。
……ところで、人狼を人間に戻すその方法とは。架空のように大掛かりなまじないでも宣うのか。魔法使いの末裔なんて言っていたし。
「それでは、さっそく準備に取り掛かります。……その前に、先輩に会ってもらいたい方がいます」
言って式が手招きした先。
闇から浮き出るように千代紙の前に現れたのは、黒を湛えた長い髪を一本の三つ編みに結った童女だった。歳は十といったところ。パジャマ姿の幼い童女の肌は陽に小麦色に焼け、一輪の花のような儚さと愛くるしさを表現したかのような。
「紹介します。彼女はモア。名字ではありません。名前もありません。絶滅した吸血鬼、その、最後の生き残りです」
式が童女を千代紙に紹介する。
深々とお辞儀をし、再び千代紙と向き合った時……モアと呼ばれた童女の二つの瞳の色は、月下の許で、血を湛えたような果てしない紅梅色だった。
人狼に吸血鬼……この街は、一体、いつからトランシルヴァニアになってしまったのか。
「先に断っておきますが、この子を食べてもおいしくありません」
いや、食べない。一体なにを想像してそんなことを突然言い出したのか、式折々。
モアという吸血鬼も、そんな風にどうか肩を抱いて怯えないでほしい。
と、千代紙は、式に吸血鬼と呼ばれた童女に対して抱く感情に押し黙った。
童女が人間ではないことは、千代紙にも判った。式にはない臭いが彼女の周りに漂っていたからだ。
それは、死者の臭いだと漠然と千代紙は理解した。命のない、死の香り。
吸血鬼であるモアは、もしや『満月事件』を起こしたかもと疑ったが、千代紙のモアへの嫌疑は案外あっさりと晴れた。
吸血鬼が人の血を吸うのは知っている。だがモアからは、血の臭いはしなかった。全くといっていいほどに。
だというのに、人狼は吸血鬼に対し、親の敵のような怒りを覚えてしまっていた。
怒りははっきりくっきりしている。なのに、なぜそう感情に駆り立てられるのか、理由はおぼろげで。
そして……モアの周囲に微かに漂う、この違和感。
吸血鬼とは、今日、ここで初めて逢った。
「どうしたんですか、先輩。そんなにお鼻を鳴らして?」
式の言う通りだった。
モアの身体から漂う……特に、胸や口許からする柔らかな優しい香りに多幸感を感じ視界が微睡む。
「そんなに臭いますかー、この童女」
モアの頭上で式が鼻を鳴らした。
「しっ、失敬な! 吸血鬼は死んでるから、老廃物とか溜まらない! 腐りもしない、臭くもならないんだ!」
と口では言いつつ、式を押し退けたモアも自分の体臭を気にしているような素振りを見せた。
「でも、まだ嗅いでますよ? 狼になって鼻が利くようになってから、そっちの趣味にも目覚めましたか」
冗談で言った式の言葉に、だが危機感を覚えたモアは反射的に胸と太ももを手で隠し叫んだ。
「ボクには、もう、心に決めた人が……だから、そっ……ごめんなさい!」
気が付くと、変態のレッテルを貼られ、告白していないのに振られ、千代紙のHPを指す表示は赤になっていた。
「なんだなんだ、今日はまたずいぶんと賑やかで……って、ええ! なんで狼!?」
背後からそんな驚くような声がし、千代紙は振り返った。
「なあ、いつも近くにいてボクを知ってる君からも言ってくれ! 臭くないって!」
「帰ってきて早々どうした!? おいおい、式くん、これは一体……? おじさん全く今の状況が」
「だーかーらー、式でいいって何度も…………ああ、紹介します。こちら……」
状況が呑み込めず右往左往するその来訪者を、式は手で差し紹介した。
吸血鬼と戯れる『彼』に……心の奥のそのまた奥底で、こう呟いた。
…………義父さん…………