前提
騙された、とは。これは少し違うのだろうと。
「なーにを笑っとんねん」
隣から友人に指摘を受ける表情を浮かべる程度には。つまり創はここに連れてきた張本人である式に怒りを覚えてはいない。
「いや、ね。『人生なにが起こるかわかんないね』」
「締めの言葉に入ろうとしてる? 起こるばかりでなにも解決していないこの状況にアンタはもうちょっと怒りなさいよね」
街を一望する遊園地の展望台。手を掬えばそこに収まるサイズにまで縮小した景色こそ、住み慣れた故郷であるはずなのに、サイズの違いである種の新鮮さというか。
自分の知っている景色ではないと創は堪らず叫びたくなる。
方位に従い太陽は今反対側にある。
きっとここからなら、昇る朝日もさぞ、目を焼くほど綺麗に観えるに違いない。
「どうしちゃったの創、昨日まで目立たず女子高生してきたってのに、世界の中心人物になったみたいなイベントがこんなにも立て続けに」
「立て続けって。ちよちゃんはまた大袈裟なこと。あ、さては式くんの説明、ちゃんと聴いていなかったでしょ? わたしは、人魚の肉を食べた……それだけ」
色々起きた風な言い回しに顔を険しくさせる千代紙だが。その実、創の身に降りかかった一度における関連した出来事の連続に過ぎない。
自分たちをここに連れてきた後輩曰く、人魚の肉を三上創は食べた。
結果、どんな致命傷でも治る身体となり。
その身体を巡って、殺し合いが起きている。殺し合っているのは自称『魔法使い』と、学校のクラスメイト。
誰に唆されるまでもない。噴き出した顔を手で覆い隠すまで含め創自身の衝動だった。
「そうね……! ちよちゃんの、いうとおり……こんなのなかなかないよっ」
笑っては駄目、笑っては……――全身から精も根も喉に集中してくる。
ただ声を出す、息を吐く。こんなのを必死に我慢している自分の姿が頭を埋め、これが可笑しくておかしくて。
なんとか耐えきった創は気合の残り粕を細々と吐いた。
「こんなにも一気に賑やかになっちゃうんだね」
「私たちのが単に短かっただけで。案外これが、人生って呼ばれてるどうしようもない現実なのかも」
我が親愛なる友はたまにいいことを言う。
「『それが玉に瑕』ってか?」
「偶に心を読まれるから傷つきます」
呪いと、呼ばれるものかどうかは有識者不在のため定かではないが。
心に影響しない人魚の治癒は、創が考えていたほど大した能力ではなかった。
「だったら私は創のことで、代わりに心配してやりますか。なにこれも、友情の証とやらですよ。といってもその本音、一緒に連れてこられた身であるので、創のこれからは私にとっても心配ごとなのですが。ご本人が全く気にしておられません」
『鉄血ガール』が溶けた面持ちで呆れてくる。千代紙を恐れる生徒が見たらどう思ってくれるだろうか。
「式くんが、ここにいた方が懸命だって言ったんだよ?」
危険に晒した身を攫い知識を開示しどれだけ近づけたとしても、どこまでいっても他人であり解決する立場でないと証明した式が、創に囁いた唯一のアドバイス。
「心配する素振りがあるから、そのまま創の身体を治そうとしないのを変に疑われるのよ」
面白くない千代紙のとばっちりで蹴られた展望台の柵が、カーンと悲痛を響かせた。
「それにわたしだって」
望めるあの街が今、どうなっているか。知るのはまだ先が創はよかった。
街を荒らしている部外者であるアリコトミユキなる『イイもんの魔法使い』を、式と空木は対処すると車で出掛けていった。
創たちを拉致した人員を全て引き連れてもいった、高校生に普通車は運転できない。
式には『遊園地は好き放題に使って構わない』と言われた。元から残骸で溢れている廃墟。これ以上壊したところで、元の状態と区別はつかない。
つまり式にとって、高台の遊園地は重要拠点ではなく潜伏場所の一つだった、創がいようがいまいが。
「伝言を頼むくらいだったら、一人くらいは護衛を貰う交渉をした方が」
そうしようと向かっていく千代紙を止め式に言伝を頼んだのは創で。そうである以上、引き離されなかった以上千代紙にも異存はない。
「なにも言うな、は伝言じゃあないし」
街中で両親が一人娘の後輩に、彼らからすれば偶然遭い、創にしたように話すとして。それで状況はどう変わるか。
大人を部下に持ち銃を乱射する高校生を従えている式だから、周囲の空気を読めずとも創の意図を無意識に汲んでみせる芸当くらいは、やってのけてしまうかもしれないという期待を創は抱いていた。だが希望的観測で送り出せる式も、その表向きは学校一の問題児で、教師も手を焼いている。
人並みの家庭を築いた両親に、今街を騒がせている面子は些かなんて優にぶち超えるレベルで刺激が強かった。
遊園地、式が真実を話すのに場所が関係しているとも限らない。
「式折々が三上家全員に人魚がどうとか話すのは、私もそりゃ反対だけど、いや訂正、断じて嫌。けど捜索願い出されると警察も動かざるを得ない。創だってわかってるでしょそれくらいのことは」
「少なくとも、だけど。今日明日、当分一週間は見つからないかと」
「あいつに警察を封じ込めるだけの権力が……!?」
式の名を使えば夏休み中だって、創の存在は街から消える。現に街中で白昼堂々、衆人の環視も警戒せず攫われた創は誰にも見つからず展望台で暢気に友人と談じていた。
これの逆に真実を欠片でも知っていれば、危険の方から近づいてくる。
創を探す目的が互いに一致している両親とアリコトミユキは鉢合わせする。どこかで、それは断定できないが。必ず。
「なんか。敵の敵に頼ってしまった、って感じね」
敵の敵は味方。
早くも千代紙は敵がいなくなった彼らと争う構えだ。
「その時が本当に来ても大丈夫か。私の傍には」
「人魚の肉を食べて、不死身になった最強の友達がいるんだもんね」
身体を預けた創は背中合わせになる千代紙に、溜飲を下げる表情で答える。
伝わった震え。きっとばつの悪そうな顔をしたのだろうが。意地悪のつもりで口を開いたのではない。
「ごめんって。別に私は」
「知ってるよ、わたしはなんでも知っている。火原井千代紙が、三上創からは、絶対に離れられないってこと」
胸に渦巻くこの不安も、終業式で視た白昼夢、悪夢のせいだ。
だが今は創を、創を『別のなにか』のようにさせていたそんな恐怖心も感じづらくなってきている。
千代紙が傍にいる。すぐ後ろにいて自分に声を掛け続けている。
「人質を取るみたいな言い方しないでよ、まだ判らない?」
盛夏の空に日射しはまだ高かった。
それでも夜は必ず訪れる。深く冷たく、孤独だけが拡がり続ける絶望は何度も。
確信している創は自分が生まれ変わったような気分に、想いは尽きなかった。
初めは得体の知れなさが恐ろしいと喉に冷や汗をかくだけだったにも関わらず。今ではまるで自分の身体のように馴染んでいる。
髪の先、指の端、足裏まで魂が満ちているのを感じて、それに高揚してしまっていた。
夏休みは始まったばかり。この暑さもまだ続き新学期まで暇があるのだから、のんびり落ち着いていくとしよう。
今日から生まれ変わった気分で。
「判っているよ、だから改めて」
ふり返り、親友と繋いだ手はなにがあっても離さない。
「どこにも行かないでねちよちゃん、わたしのこと……裏切らないでね?」
+++
『ご機嫌だな、式のボンボン』
携帯から尋ねてきた相手の声。そちらの方が式には弾んで聞こえたのだが。
「指摘されると恥ずかしいものを覚えますね。式はそんなにでしたか?」
『この暑さにこの世の春みたいでございましたよ。まあボンボンも年頃の男の子だ、俺にもそんな時分があった手前、よしみというか。声聴いただけでピンとくるんだよ』
「百合って」
だから会話では気をつけるに越したことはないと。年長者と同姓のよしみから助言を授けようとしたのを遮った式。
『百合?』
「百合って丁度この時期が見頃じゃないですか。かくいう式の近くでも、綺麗な百合が一輪咲いたなぁって」
車窓から見えた花屋の店先を飾る百合の生け花。
あれとは違うから、式が言う『百合』にそもそも開花時期があるのかさえ、それは本人にも判らないのだけど。
「造園業でも始める気か? おいおいボンボン、花は扱っていないけど、こっちはこっちでそれなりに客はいるんだ。電話一本で呼び出した商売屋をからかうのはよくないなぁ」
そうですよ、と。
主人の耳に携帯を当てた雀が噛み締めるように首を何度も縦に振った。
うちにある薔薇は棘が多く、蕾が熟す時期も予想できない。
「坊ちゃんが失礼なことを考えましたので、一旦掛け直してよろしいですか?」
「携帯の代わりに銃を突きつけないで。電話どころか誰とも話せなくなります。まだ用件済ませてないのに」
撃鉄を戻した雀が代わって当てた携帯から同情の気配がした。
『ボンボンも大変だな、それで。用って? 本当に花をお求めで――一応、普通じゃない花だったら品揃えがありますが』
「花もいいですが。魚は、最近ではどんなのを扱っています?」
確かめたところで式に買うつもりはない。
祖母である式静の古い伝手で知った彼とも、孫である折々は電話以上の付き合いは避け、顔も合わせたこともない。
不干渉の協定は最初に締結された。彼が街の外で扱っている『商品』の情報は、街に持ち込まれた際に備え収集しておかねばならない。
「ここ最近、誰かに売ったとか心当たりは?」
これは事前の確認であり。買い手の見当がついていた式は車で当人のいる場所へ向かっている途中だった。
電話の向こうからは、その式を意外にさせる反応が返ってきた。
『首を長くして待っていたところ、いざ出てみれば質問ばかりじゃないですかい』
期待で上擦っていたのを落胆で落とす、そんな声で。
『こっちが頼んだ探し物の手掛かりは、どうなったんで?』
「――ほう。式はあなたに頼まれて、なにかを探すことになっていたんですね」
『勘弁してくれよ……。あれは売り物じゃなくて俺が方々を巡って自力で手に入れた貴重なものなんだ。本当に忘れちまってたのかい!?』
「……冗談が過ぎました。ちゃんと探しましたし、見つけましたよ」
特徴の確認がしたい。持ち主から訊き出せた品。
それは実に興味深い逸品だった。
『盗んだ奴に心当たりがあるかもしれないって、言い出したのはボンボンだぜ、それを全く。まあ見つかったんならあとは自由に処分してくれ。悔しいが……そういう取り決めだしな』
「……これは」
携帯を仕舞った雀に式も同意見。
「ええ。なにがなんだか。式には全くわかりませんでした」
商売人。蒐集家。
式に話す彼に表れていた一面は後者、これは判明された。だがその根拠となった訴えには悪いけれど、咎められたように忘れていたというよりかは。
「携帯の通話履歴も、彼に電話を最後に掛けたのは――」
「不干渉契約の締結日。あれが彼との二度目の会話だと、これで完全に証明されました」
存在しない事実は、式には負えない。
ニンゲンでいる以上は制約を課される。
街外の売人にとっても、式の名前は深い意味を持つ。電話だからといって誰かと誤認などしない。
「式が二人存在するのか、ありえなくもない話ですけど。彼が頼ったのは『この式』なのは確実です」
一連の騒動、その元凶となった品も元々は彼の手許にあった。
だが『あれ』を食べた創の身体に治癒、人魚の力が宿ったとすると。
方針転換を余儀なくされた式は拒んでも思考の深みにはまる。
根底を支える前提は今なお崩れてはいない、揺らいでいるだけ。それは問題ではない。
大問題だった。そして基底が微かにでも曖昧となるだけで、塔の頂上は崩落を起す。
「でも。坊ちゃん、坊ちゃんの指示なしで“私”が動くことはありえない」
雀は式の微塵な動揺に最も影響を受ける立場にいる。言葉の節々に目立つ自信は珍しく誇張されていた。
強調のあまり、本来の素に戻っているほど。
「雀さんは式の判断で三上先輩を監視していたからこそ、不死を得て命を狙われていることを知った。人魚の肉を食べる前でないと、当然式は、先輩のことを知れない」
前提、理由があって、初めて調定人の式折々は起動する。
人魚の肉を食べる前――事実では三上創にはなにもなかったことになっている。
事故。事件。なにもだ。
「……目的地を変更します。先輩のご実家には行きません」
指示を受けた運転手は創の家に辿る道の上でハンドルを切った。
信号無視まで余さず命じた主に鼻声が返ってきた。
「さすがに捕まってしまいますって!!」
「警察には後で事情を話しますから、とにかく急いで新三巫市役所へ」
隠蔽等の組織間の口裏を合わせる手間を面倒がっている余暇はなくなった。
「私は準備を?」
すでに有効な銃火器を脳裏で選定しているであろう顔で答える雀。実に心強い限りで、式も緊張から一歩引けた。
雀の式に対する忠義、執着、復讐の根は欺けなかった。その価値がなかったのだろう。
世界を欺いたかもしれない彼女には。
「ですが本当に。人魚の肉を食べていない先輩に、そんな力が」
「それも先輩とどんな関係があるのか調べればわかることなんですが、へんですね……式は答えを知っている気がさっきからビンビンしています。前に調べたんでしょうかね」
『前の世界線』とでも便宜上は呼称しておこうか。
らしくなかったと雀は思っていた。
まさかあの式が、神頼みなんて。
「三上、未神……どうか、偶然の一致でありますように」




