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当事者意識

「みなさんが、知識として知っているほど、人魚というのは言うほど珍しい話じゃないんです。どれくらい普通かと言いますと」


 遊園地のメインストリート。そのど真ん中にあったデスクは置かれたよりも、投げ捨てられたと言い表せる不釣り合いさだった。


「吸血鬼より数が多いんです」


 ダンっと仕事机に飛び移り。

 スタリと目線を低くさせた式に千代紙のツッコみが炸裂した。


「なにをどさくさ紛れに創のパンツのぞこうとしとるか」

「いやお二人とも、まだ式のことを疑っておいでな様子で。健全な高校生男子の生態を見せることで、信頼を得られればなと」


 それは小学生男子特有の不健全な行為ではないか。


「年齢逆行してるだろ! 高校生でもいくらそんな頭の悪いことするか」


 同じ考えに至ったのは創ひとりではない。


「他でもない、あなたについての話をしているんですよ。聞く気あります?」

「そ、それは……まあ」


 曖昧な返事になる創。


「それとも、信じる気あります?」


 中腰で歩み寄ってきた後輩の視線が横へ傾き、先輩としても創は沈黙に喉を詰まらせてしまった。

 信じろ――脅迫するか疑ったことを非難された方がまだ気が楽だった。その態度に反し式はかなり手厳しい。


 荒唐無稽な話を信じる、信じないはあくまで聞き手の自由。会話の主導権を奪い取ることさえしない。


「式にはどちらでもいいですが」


 この話の中心人物に式は全てを委ねた。創にはこれが最も重い選択。それを重々理解したうえで。軽々しい言葉遊びの一句一句が地球にも匹敵した。


「ふざけたことばっかり。吸血鬼とか、そんなのいるわけないじゃん」


 千代紙は鼻で笑う。代わって否定してくれる気遣いは創にとっても素直に嬉しいが。

 声に喜びを謳えるような気持ちは燃えなかった。


「ちよちゃんが失礼なことを言いました。謝ります」

「いきなりの裏切り!? それはないよ創!」

「だ、だって……」


 泣きつく千代紙に創は苦笑で本心を誤魔化す。

 式をどこまで否定して、自分の身に起こっている現象。自分の存在そのものの否定に繋がるかどうか。

それが判明するまで、湿った笑みはそう簡単に顔からは取れそうにない。


「いえいえ。火原井先輩の考えもあながち的外れではありません。吸血鬼――人狼、その存在やそれに付随した現象は、そう滅多に視れるものじゃあ、ありませんから」


 もつれ合う女子高生二人に事実を冷静に解きほぐしてきた式。顔の毛先一本も逆立たない。


 嘘をついて下着を覗かれそうになったと、思っただけで創の方が熱くなる思いだった。


「話は替わります」


 演技に感情を使い切ってしまったか。


「人魚という名称は、式たちのような組織では主に二つの意味に使い分けています。人魚、異形の存在自体。もう一つは――人魚が原因で引き起こされる怪現象について」


 式折々の示す二本の指に、式から見えた創。千代紙の姿が挟み込まれた。


「先輩方はディズニー作品をご覧になられた経験は」

「なぜに唐突と映画のアンケート調査、双子の弟から下請け料でも貰ってんの?」


 昨今、右を向いても左を見ても不景気の風が吹いてくる。高校生も懐事情を気にしアルバイトに手を染めたくもなろうと、これが創の感想だ。染める、というと犯罪に加担しているような。手を出す。身を置く。


 しっくりくるような言葉の持ち合わせが乏しい。

 竹刀に染みた汗のにおいばかりつけてきた手。給料袋の茶封筒が香る労働のにおいとは縁がなかった。金で手を臭くしたらマシな考え方も開花しただろうに。


「若い間に眉間に皺が寄っちゃうと、老けてから目立ってきます」

「ああ。話と関係ないことで悩んでた。…………ごめんなさい」

「先輩が小さい頃に、どんなディズニー作品を観ていたかです」

「そうだった、でも式くんには謝る。やっぱり期待に応えるような答えは、できそうにないから」


 私に言われても。苦笑を浮かべてきた創に呻いた千代紙は、こちらにも忘れなかった。


「人魚の話どこ行った」

「リトルマーメイドと、今回、私達が遭った事件と関係があるかもしれないじゃない。駄目よちよちゃん、議論は最後まで重ねなくちゃ!」


「ディズニー作品にそこまでの万能性はない」

「ちよちゃんアニメ観る方じゃないくせに」


 それは知ったかぶると友人を揶揄した創にこそに言えた。

 人魚姫を題材にしたファンタジー物語。以上の知識を知っていると仮に自慢したところで、創は予告編も確認したことがなかった。


 中学生に進級してからというもの、それ以降の映画は昔話題になった作品以上にタイトルも禄に把握していなかった。ちゃんと観たものといえばライオンキングくらいだが、あれもスピンオフがかなり出ておりそれも含めた世界観を鑑みるなら未見も同然。とは逆にラマになった王様は、ラマの要素が一切ない2まで観た。


「創こそ、映画好きなタイプでもないじゃん」

「まあまあ、そこまで白熱することでもないですよ」


 掴み合いが(おこ)りそうな。鼻頭の当たる距離で歯を剥いた創と千代紙は、そんな式に息を合わせ向いた。


「人魚姫をモチーフした映画は、知っていたら式は話が入りやすいなーって思っただけで。どんな内容なんです? 式、ディズニー映画はラマになった王様の一作目くらいしか知らなくて」


 (いさか)いを仲裁する口調で苦しい言い訳をしながら、まるで一番の被害者のように気疲れしていた。


「坊ちゃんがその竦めた肩、弾みで脱臼とかしませんか」

「おや辛辣」


 殺意を抱かれたメイドに言われても、雨粒一つが鼻をくすぐった程度の驚きしか見せない。


 式は日頃から罵倒されるのに慣れている。創ひとり、千代紙と二人掛かりでも動じさせることはできなかったに違いない。


「「人魚姫は知ってます。人魚姫はね」」

「じゃあ話が早い」


 当初よりダイヤはかなり乱れていると思うのは式以外の総意である。振替運転であっても遅れは取り戻せないだろう。


「半人半漁がまつわった怪奇的な現象は、その代表とされるような他の魔性が知名度を上げるに繋がってきた談と比べれば。まあインパクトに欠けると言わざるを得ないでしょう」

「本当にいたら……仮にでも注釈は忘れないよう心掛けるのね」


 自分の前でこの後輩を嫌っていたい。十分伝わったから創は千代紙には穏当なやり方を望んだ。


「ていうか。人魚だって知名度はあるじゃない。実際、本とか映画にもなってるし」

「どんなお話を連想しますか、人魚――と聞いて。三上先輩?」


 咬みついてくる千代紙の代理に指名するような式に尋ねられても。


「怪我を治すとか、そんな展開はなかった憶えだけど」


 創は聞き(かじ)ったような話題を咀嚼するのに精いっぱいだった。


「いつまでディズニー映画の話をするつもりですか。いい加減大人になりましょうよ」

「大人だってキッズ作品でぼろ泣きする権利くらい、あってもいいんじゃないかな……?」


 子どもの頃にピンとこなかった展開こそ、年齢を重ね人生を深く生きた後で心打たれる経験は誰だってあるだろう。


 加えて式が呆れた創の言ったのは元となった童話に限って、である。アンデルセン氏の代表作はどれも子どもが読むには刺激が強いようにも思うし、時代ごとの『子ども向け』については余地を遥かに超えた議論の義務があるのではないか。


「坊ちゃんの話は真剣に取り合えば損をしますよ」

「そ、そうなの」


 苦労を知れたか、そう雀は同情を込めてぼやいた。


「聞き手が嫌になったタイミングでエクスタシーを覚える人ですから。(わたくし)のようなメイドがいないととっくに殺されています」


 どうして呼び出した人間の前で司会進行みたいなことをしているのか、これでいよいよわからなくなる創だった。


「お給仕でお金を貰うのって、大変なんだ」

「坊ちゃんのお屋敷に住まわせて貰っているので給金は発生しません。私が坊ちゃんを殺すまでの、あくまで一時的な契約です」


 複雑な関係性の告白は詮索する余地も創には与えない。


 だが雀の口から『仕事辞めました』の一言は耳に入れたくないとは心が痛むくらい願った。


「転職の相談は学校としてくださいね……!?」

「先輩が私のなにを心配しているか知りませんが。それに坊ちゃんもああ言っていますが、人魚と一括りにされた怪奇現象は童話に限らず世界で人気ですよ」


 こちらはメイドが否定しても嫌そうな顔一つしない。一息に口元を緩めて済ませた。


「この主人にしてメイドありね?」

「名高い『鉄血ガール』のお墨付きをいただけると面映ゆくなりますね。ですが雀さんの言う通りです。怪奇現象の知名度の秘訣、それこそ、人魚なんて名の劣る怪物譚の最たる魅力、世界中で『愛されている』理由と言えるでしょう」


「――つまり」


 創が切り出し。


「地域を越えて、いろいろな場所で有名?」

「魔性の怪物や神の一種とすることもあります。日本にも人魚伝説はありますよ。有名どころを挙げれば」


 式は補足した。


「不老長寿、この国で魚の足を持つ生物は不死の象徴とされてきました。人魚の肉を食べて八世紀も生きる羽目になってしまった女の子もいるそうです」

「八世紀って……いやいやそんな」


 いつの時代の御伽噺(おとぎばなし)かは言わなかったが。この現代について記述された物語でないことは明白。創作ではなく、目撃談として扱おうとすれば如何わしい――背表紙に宝石の広告を載せるような雑誌の編集者でも鼻で笑う。


「いつの時代の誰の話よ」

「今年で八百何歳になった式の知り合いの話です。会ったばかりの頃は二百歳とか言っていましたし、正確にどれくらい生きたかは本人も憶えてないようです」

「とんだホラ吹きが知り合いにいるじゃないか!?」


 悲鳴のようにツッコむ千代紙に式はまだボケまくる。


「本物の法螺貝を吹く武士は見たって言っていましたね」

「自分が何歳か忘れてまで、憶えてないといけないそんな重要なことかね!」

「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、私も…………」


 生え変わった手で額を押さえ、創は足をふらつかせた。


「創、……私たちを呼んだのはアンタでしょ、なんか方法があって」

「そっ、そうだよね。希望を捨てるにはまだ早い。この力を失くす方法ならなんでもする。私だって嫌だもん、ちよちゃんに『ホラ吹き』って言われるのは!」

「心配するのはそこじゃないでしょが!?」


 勘違いを来たしていた創の頬を(つま)む千代紙。痛いと涙を浮かべつつまんざらでもない創の表情の変化にお手上げとふり返った千代紙、それに創にも式は教えた。


「三上先輩、心配することはありません」

「え、本当? よかったぁ。たとえ世界中に笑われても、ちよちゃんに馬鹿にされるのだけは」

「誰も先輩を笑ったりしませんよ。先輩より先にみんな死んでいくんですから」


 笑われる経験もするかもしれない。苛むような辛い記憶、楽しい日々を思い出し、余計に惨めな気持ちに襲われることもあろう。


「なにもかも、みーんな忘れていきますよ。知り合いも式に愚痴ってました。どうでもいいような、誰かも知らない法螺貝の音だけ憶えているって。おや、どうしたんです? 驚いたような顔を二人揃ってして」

「式くんが、私を呼んだのは」

「先輩。先輩を呼んだ坊ちゃんは、なんと仰られましたか?」


 他でもない、三上創についての話をしている。


「当事者の先輩が知らないのに、式が、まして雀さんがどうにかする方法を知るわけがないでしょう。先輩の身の安全と、先輩のお身体については全く別の話です」


 街の均衡を崩す魔法使いの来訪。これを除去するのが式の役目。


「あの魔法使いを倒しやすくする……アンタは自分の目的を果たすため、それだけのために創を騙したのか」

「騙す? 式が? 先輩方を? ――『それ』が街の安全を確保することになるならそうします。()()()()ね」

 

 吐いた唾は吞めぬ。

『逆』も然り。


「食べちゃったものは仕方がないですよ。長生きすればいいことだってあります」

「……どんな……?」


 参考までに創は訊いた。


「たとえば子供向けアニメで、感動するようになったり」


 そう式に創が言っていたのは人生経験に基づいた話であって。


「感動なんてしないよ。心なんて踊らない」

「この短期間ですこぶるネガティヴになりましたねぇ。式に反論したのは先輩ではありませんでしたか」

「だって」


 千代紙の胸に顔を埋め。誰の表情も視界に入らなくなった状態を見据えた創が改めて式に言った。


「忘れるんでしょう……? それじゃあ意味ないよ」


 やっと自覚に目覚めた当事者がそう言った。

 すでに横槍を入れた身である、言葉すら一言であっても余計だ。


 現実の式が言う言葉。それは物語にある一文より、さらに軽かった。それこそこのように、喩えるなら。


「そうでしたね」


 乾ききった魚の鱗、一枚分。

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