人生観はひとそれぞれ
十幾年ぶりに創はブランコに乗った。公園に来た自体、最近の記憶ではないのでそうだろうと変な所で納得した。
「ねーえ。三上さんや。あんたいつまでそうやっている気なの」
滑り台の降り口で足を投げ出す千代紙が訴える退屈は、これで何度目になるだろう。上っては滑り、上っては滑りを繰り返しため息にも唾液がべとりと粘り気がしてきた。
「いーよねぇ、ちよちゃんは。そうやって、上って滑って、また上ったら滑って。それでも怒られない快適な人生が送れちゃうんだから」
「砂風呂みたいな気温の下、鉄板を滑るだけの人生のどこに快適があるんだ」
今年の夏はまだまだ暑くなる。
快適と言えば。隣のブランコに乗ると熱した尻の熱がマシになった千代紙が言う。二本の鎖が吊ったゴム製の椅子は屋外でも溶けずに残っている。背後に感じてくる景観用の並木の影は、湿度はあれど爽やかさに唸れば悪くなかった。
「私以外に誰もいないんだし」
どうせ、退屈を凌ぐならこっちで正解だった。着いたばかりの時に千代紙は、とにかく高い場所に登りたい気持ちに駆られたから、つい血迷って。
童心に帰って嫌な記憶を清算するにしても、土に還ったら凄惨な結末しか待っていない。それに少女の干物が発見された遊具なんて、金輪際、誰も遊ばないに決まっている。
上下にブランコを漕がない創。左右に首だけふって生ぬるい湿気だけ覚えるのが自分にはお似合いと半眼に項垂れてみせた。
「て、ことによるってーとちよちゃんはこう言いたいの。部活動で足を引っ張るような『涼風ガール』はブランコ漕いで土くさい風でも感じてろ?」
駄目だこの女。鼓膜が沸騰して話が全然聞こえてない。
「相性悪いの気にしてんなら、無理してでも乗らなきゃいいじゃん――」
ブランコに限らず。
「部活が好きなんだから、しょうがないじゃない」
足場の砂を蹴り上げる創。心に詰まるこのもどかしさ。綿糸の玉に嗚咽するような。
口にしておいて。短慮なことをその場しのぎに嘯いたとなかなか。本当に後悔に苦しんでいるとすれば相当にかっこ悪い。
「みんなー、好きとか言ってるよこの子!」
「笑い物にするなんて。本当に酷い人」
「おやまあ。親友の正直さをどっかで伝染されたんでしょーね」
他人の好き嫌いを千代紙は平気で覗き込んでくる。一度庇ったのが偶に功を奏したくらいで、恩を着せるのを恥ずかしがる素振りもしない。それが創の親友なのだ。
「それで。か弱い私は重い病に罹りました。おやおやぁあ……そんな私に親友は、さっき庇ってくれたことを感謝しましたっけ?」
身を乗り出した鎖から両手に錆のにおいをつけて、はしゃぐ話題でもないだろうに。
千代紙の人生がやはり、誰よりもよほど快適だった。
「ちよちゃんが私を助けたことなんて、一回でもありましたっけ!?」
「すっとぼけるか。私ないじゃあ生きられない弱々な“聖母様”だったくせに!」
キィ。キィ。蹴り出した足を張る。背中で風を破れば創は重心を一つに丸め、前に向かって落ちると両足を揃えて伸ばす。地球が定義した引力と金属が囁く運動が、創を無重力の世界に連れては戻し、連れては戻し。
「ちよちゃんこそ――暑さで忘れちゃった!? 三上創は聖母様なんかじゃない」
風が涼しかった。まあそれも当たり前――三上創は今、ブランコに乗っているんだから。
創は立ち漕ぎに変えた。夏の空が一気に近くに。頭一つ高くなった程度で噴き出す汗の量が二倍に増した。
力んだ手の平はますます鉄臭くなるし。笑い叫んで喉は高温で滅茶苦茶に痛い。ブランコに乗ったって、大人になったらいいことなんて一つもなかった。
「ちよちゃんも漕ごうよ。滑り台なんて季節外れ、時代はブランコだよ!」
「言ったな……。私は今を生きる時代の女ってのを証明してやんよ!」
ゴムに両足を喰らいつかせた千代紙。創の背中を追い抜かすと息巻いて、空中に漕ぎ出した。
「勝負だ創!」
「望むところ!」
夏休みに入ったばかりの高校生が、実に年甲斐もない笑い声だけが公園のどこまでもに木霊する。すれ違い続くと、二人の間は時間の法則から隔絶されていって。
仲間から追い出され、反省も弁解もできないからこんな孤独な場所に逃げ込んだ。ずっと――ずっと退屈だった。救いのない人生がこれから待っていた創は、千代紙とブランコを乗っているだけで、なにもかも罪が許された。どんな罰も受けない楽園を二人で創ったら。
なんか。かみさまになった気分だった。
そういえば千代紙は、これは勝負だと言ったが。勝敗は果たしてどうつければいいのか。剣道は勝者と敗者が決まるから白黒がつくけれど。これはただ、漕いでいるだけだ。
「まあ、そんなのゆっくり考えればいいか。ちよちゃんも私も。私たち二人を」
邪魔するモノは。
「ちよちゃん。今度は二人で、滑り台を滑っちゃおうか」
つるべ落としにはのんべんだらり下る太陽も、そろそろ熟れてくる頃合いだ。だからそう髭を触られた猫のように渋らないでと創は汗ばんだ千代紙の腕を引っ張る。風を浴び、準備運動は十分。茹でガエルみたくいきなり倒れる心配もこれなら安心。
交互に滑る。これもいい。と錆びっ気のあるペンキ塗りの遊具に千代紙と近づくごとに、気温に反して身体が冷めてきた。他人の滑り落ちる瞬間を呆けて眺めている、想像したそんな自分に、なんとなくで、面白くないと鼻で笑った。
ブランコの余韻が残っている分、興奮したスリルをせっかく欠くというのは。
「二人いっぺんに滑んの、あぶなくない!?」
内股が後込む千代紙。二人羽織、これを滑り台に取り入れればスリルが高まって面白いとはあくまで創一人で興奮していることだった。
「公共の遊具の遣い方を間違えるなんて悪い子! 駄目だって、風紀委員が優しく言っている間にやめさない!?」
眉の上が波打ち、凄む口だけが立派な千代紙。創の抱き締める腕の力は止まるところを知らない。
不真面目となじられ、いろいろ吹っ切れた。頭の固い千代紙にもぜひ解放感に酔い痴れてほしい。
楽しいんだ。ルールを破るって。
「童心に帰るっていいことだわ。人生観が変わるのを感じたわ。七十四点をつけましょう!」
階段を駆けようとした創は、滑り台の頂上に後ろ姿が視えた先客言われて千代紙と踏み止まった。
「ひゅー! すとん! ――やだ。ヒューストンって言っちゃった。ミユキったら恥ずかしい」
尻の摩擦音を打ち消した渾身のギャグセンスに声が裏返るくらいなら、もっと簡単な誤魔化しを利かせた方が、相手も無難な接し方を考えた。
「二人とも宇宙飛行士希望じゃないので。気にしません」
滑り台を回り込んできた先客に千代紙は親指を立ててはにかんだ。
「地に足のついた生き方が、なんだかんだ言って一番です」
「なんて凡庸で魅力の欠片もない答え! ミユキはあなたの生き方を支持するわ」
理想。これ堕落。文明の栄えは知的生命から思考する能力を奪う。考えなくても成立する世界。
ボタン一つ押せば宇宙の真理が知れ、画面では叡智がものの数分で読み切れる。
無謀な挑戦の結果で繁栄した地球には快楽物質が蔓延する。借り物の知識を懸けて手に入れたと勘違いした――脳が退化した文明人が病原菌のように繁殖するのだ。
この世は腐っている。そうハンバーガー片手に嘆く。
「空を飛び出したばかりに。海の底を見て、遠く離れ言葉も解らない同士が繋がったせいで。そこのあなたも、進化はニンゲンを不幸にするって、言いたいのよね」
「わ、私ですか……?」
期待する目は夏の日射しより眩しかった。
「……ちよちゃんの答えはなんでも無条件に素敵だけど。進化するのは、私は悪いことだと思いたくありません」
遊具を共有したいい大人同士がする会話でないのは創は百も承知だった。
「世界の平和が乱れるのよ。一人が優れているせいで、なんの取柄も展望もなかった凡人まで賢くなって」
「誰かが世界を、そんな風に変えてしまったなら」
創はその誰かに感謝したい。過ぎた知識を持て余し、孤独で生きるには世界が広くなり過ぎたから、千代紙と出逢えた。
「あなたが今滑って、ちよちゃんと私が滑ろうとした滑り台も、賢い人がいたからできたんですよ? 堕落――こんな世界……どこまで堕落すればいいじゃない」
親友に肩を殴られるような可笑しなことは言っていない。
「痛いって」
「さすが私の創!」
だいたいと創は苦笑する。
自分達と同じか、違うのか。いきなり現れて遊具を占領し高説を叫ぶ彼女が、進歩的な恰好だった。帽子の下に道化師の厚化粧はゾッと冷や汗が噴く。
「お前。ミユキのこの正義の顔を馬鹿にしたな」
情動に忙しないのが初対面から印象だった創は千代紙と後退った。今の瞬間まで剥製と会話していたとさえ思わせる雰囲気の転調。
とりあえず謝っておく。隙を見て公園から全速力で退散したくても開いた瞳孔が追ってきた。
「ア……あまりにも、芸術的な化粧だったのでつい」
「お世辞だ。騙されないぞ。ワルもんに芸術なんてわかるか」
「ワルもんなんて。そんなに目くじら立てることないじゃかいですかー!」
目くじらどころか瞼がずる剥け血走った眼球が睨んできた。それでも千代紙はよく相手を立てて言えたものだった。
「アリコトミユキに、ミカミソウはワルもんだ。ミユキを反対する奴はワルもん――ミユキの顔を五秒以上見た奴はミユキを馬鹿にしたからワルもん。二十四点。赤点だ」
まさか。五秒顔を見られたのが激昂の原因か。化粧するのに鏡を見ない、そもそもそんな便利なものもないのか。知的文明は嫌いと唾を吐き捨てたしあり得る話だ。
「創ちゃん、もう謝る言葉、思いつかない」
「それ、最初から無駄だったかも。この人創のこと知ってた」
名は体を表す。今回の場合に限っては創の名が、初対面の相手がなぜ固執するのかその敵意を暴いた。
「『イイもんの魔法使い』だからね。知ってるよ。ワルもんのミカミソウが世界を“侵した”罪を」
「警察じゃないとは見ていて判っていたけど。魔法使いとはね……」
「謝っても許してあげないんだから」
「無視かい」
魔法使い(自称)の関心は結局の所、創ひとりにある。
容貌をけなしたのに変わりはない。
創にはなにか、千代紙とは明確な基準がされているように感じてならなかった。
「私が、あなたに、なにをしたっていうんですか。さっきから罪とか、許すとか」
世界まで取り沙汰された。創には全く身に覚えのないことでミユキというこの奇抜な人物は断罪を訴える。
せいぜい、部活の空気を悪くするだけの自分が、世界になんて影響を及ぼせるわけがない。当然の事実もこの人物には全く見えてなくて。
創は頭痛がした。
「嘘は泥棒のはじまり。イイもんにワルもんは嘘をつきました。さあさ、悪あがきの時間をあげる。イイもんは当然の権利をワルもんにも命じるの。ワルもんなんだから、ちゃんと真面目に無様にあがいて、具体性を持って敗れて頂戴」
手を翳すだけでいいから、そのまま始まるのを待つ。
飽きさせると許さない。最後まで抵抗した後でも、当然許さない。悪は正義の退屈を癒すのみ存在する害。罪が雪がれるまでいてくれないと、世界全体の損害になる。
「それでは。お言葉に甘えて全力で抵抗します。こちらも三上先輩は必ず保護するよう、うちの坊ちゃんから指示を受けていますので。これで死んでくれると、私としても大変助かります」
新緑の枝葉から飛び降りた黒い影に取り憑かれた有言実行は、抵抗する間もなく倒れた。脳天から破裂した鮮やかさが地面を華やかせる。
「部活動を勝手に早退するなんて。予定にないことをされると困ります。先輩のスケジュール次第で、私はどうとでもされるんですからね」
まさかと創は思った。
「ずっと木の上から私達を見張ってたの……空木さん」
「見張ってましたが、なにか? そんなことよりいい加減ここを出ますよ。何時間遊ぶつもりなんですか」
後輩は瞼の下にこびりついた葉を吐息で飛ばしたが。そんなことでは片づけてはいけない惨殺死体が転がっているのは目に入らないのか。
全国大会を控えた部活にサボってなにに時間を割いていたかと思ったら。創をつけ回していた。そして因縁をつけた怪しい人物に飛び掛かって、頭に軍用ナイフを突き立てた。
「ちよちゃん」
「こればっかりは、私も夢と思いたいさ」
待っていても創は目が醒めなかった。覚めるには一度、開いた目を完全に閉じねばならない。
それができるたった一人はあくびを一つ。頭の帽子から生やしたナイフが何故か、やけに似合っていた。
「殺されるなんて久しぶりだなー。こんな感じだったっけ。君はだれ? ミカミソウの仲間?」
スカートに仕込んだサブマシンガンを乱射。弾が尽きると二丁目も追加で心臓に撃ちまくる。
「これぞ悪を倒す正義の技、くらえ――【ゼロゼロビーム!】――」
弾速の不規則だった鉛は翳した実行の掌に立ち尽くし、あろうことか逆向きに雀の方に戻ってきた。身軽にと両手を空かすが賭けだった。
それが図らずも功を奏した。銃を追尾した弾は銃口に吸い込まれていったと創が思うと、中空で銃身は腐り果てて落ちた。
特徴も、報告書にあった現場にいたという目が痛い外見と一致。標的には時間へ意図的に干渉する能力があると思っていい。銃弾の時間まで逆行されたあの特性が現状、目だけで類推できた。今の雀にはこれがやっと。
即効性が強みだと嬉しいが。奇襲する時に全身であれに触れた。創達を主の元に回収するにももっと情報が集めておきたい。
支度は万端。自分は死なない身体を持っている。
――主を殺すまで。
「どう見たって、あれは人じゃないよな。今日は創の厄日だよ」
「ご安心を。最近、バズーカでも死なない大男とミイラ女と戦いましたから。不死身は見慣れています」
大筒の安全ピンを抜いた雀に『そんな高校生がいてたまるか』と泣き顔になる千代紙だった。一方で創も雀を見つつ、実は全く別のことを考えていた。
似合うけど。どうしてメイド服。学校の裏庭で迷った時といい。
着飾るのが趣味なのだろうか。




