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風格

「こういう場合を、なんて表現するか知ってる?」


 湖の畔に投棄された小岩に腰を落ち着かせた創は、水面に投影された千代紙の呆れ顔を見た。


「“みっともない”って言うのよ」


「そんなきっぱり言い切らなくても……」


 中庭の沁みへ創は拳を振るう。殴るには長さの足りない腕の先が開くと、投法とは逆の曲線を描き物体が落下。

 下から上へ投げ放つ投法――アンダースローだ。

 投下地点の外縁に深緑の泥を拡散させた高密度のその物体は、岩から欠け落ちた破片。


「イラついちゃってまー」


 創の繰り出した波動に水面はしばらく騒然としたが、秒が一分に満たない内に波紋は再び張りつめ千代紙が顕現。静寂に返れば鏡像も無傷だった。


「ちよちゃんが、からかうのを止めないのが悪いんだ」


 まやかしとはいえ暴力に訴えるのは気が咎めた創だった。


「美少女をからかうのがあたしの今年の抱負なもんでして」


 上辺ではいつも通り飄々(ひょうひょう)と努めつつ、岩の上でダンゴ虫のようにしている創に千代紙も平常心を装うのがやっとだった。


 創は聖母だ。聖母は暴力がなにより苦手だ。何故なら、聖母だからだ。ここで“嫌い”と『苦手』の定義について語り尽くせば彼女がどれだけ重症か理解しやすいが、結論に至る頃には伸びた尺が暴走し収拾がつかなくなり、なんの話をしていたのやら判らなくなるので、当初の予定から大幅に路線を変更せざるを得ない。


 とにかく創は、暴力に極端に耐性がない。自衛として人類は度々武力を行使する、だが創は、たとえ自分を守る行為であろうが悪を看過できない性格をしている。夏場、自分の血を吸いに飛んできた蚊を反射的に叩き殺してさえ、三日は学校を休みその間は食事も喉を通らない。


 だとすれば由々しき事態である。たとえ虫一匹だろうと、意志を持って命を簒奪する行為は創には殺人と同義の創が、精神を安定させる特例措置として暴力を認めたばかりか、正当化するよう他人に強要まで行った。千代紙としては見逃せない。なぜなら。


 創が親友と()()()()()、千代紙は千代紙なのだから。


「しかし新学期ボケなんて。聖母ともあろう御方が」

「いいじゃんべつに、聖母がボケたって」


 生徒に目撃されればたちまち伝染した不安で学級閉鎖し兼ねない顔をしたが、創が逃げ込んだここは、校内でも最も静かな中庭。小豆(あずき)を洗うような喧騒に包まれる今も生徒は足を立ち入れない。


 新三巫(しんさんかんなぎ)西高の中庭は、正確には()()()()()()。創立以前より古い――ここが街になるずっと前より存在する。ビオトープとはギリシャ由来の造語で、日本では都市の一部に人工的な自然空間を創造する試みに多用される。湛えた水に岩を転がし周囲に植物を植える、初めに目にする機会は学生の時分だが、多くは主旨を知らないまま卒業するあれだ。


 新三巫市の高校もその名の通り自然保護を一環としているが、他校と若干違う点は、池も岩も、木々も、全て全てが元からそこにあった。


 街の設立に関わった富豪という噂だが、自然を破壊し尽くす前に、一部のみでも保全できないかと私財を投げ打って切り拓いた森の一部保護に努めた。森を守るために、学校まで建てたというのだから驚きである。


 因みにこれは噂ではなく公式、学校のパンフレットにもホームページにも、入学式でも校長がしっかり説明する。戦時中でも燃えなかった敷地内の原生林は、並大抵の生徒では足を踏み入れられない。


 森の外からは一般の学校の中庭とそう大差なく見えるが、それは樹齢およそ一世紀の木が感覚を惑わせているからだ。


 まだ新しい制服に身を包んだ新入生がサボりたい目当てで迂闊に森に誘われ、春頃には必ず数人の遭難者を出す。行方不明者の亡骸が埋まっている、なんて突拍子もない噂まで信じられているくらい、学校の中庭は、魔境であった。


「こんな場所でくつろげる生徒なんて、後にも先にも創しかいないよ」


 早く戻らなければ、創を心配した教職員が捜索隊を組織する。そうなれば聖母の救出に志願した生徒の何人が森に()われるやら。


「誰も、私のことなんて探したりしないよ……」


 学生靴で踏破しておいて今さら森の気に当てられたわけでもなかろうに、創は深いため息をついた。


「家を出る前の想定より、はるかに重症ときたか。なに、そんなに応えたの?」


 休み明けともなれば、誰でも本調子は出ない。四十日も自由な時間が与えられた、宿題に部活、夏季講習やら補修やら拘束される瞬間があったにしろ、基本は好きに使えた時間だったのだ。


 特にブランクが特殊なものとなってしまった本年度の重圧は、昨年までの創には計り知れないものだった。


 創とて、家を出た辺りで覚悟を決めていた。朝食を食べ切る直前には踏ん切りをつけ、布団に入っても登校の瞬間ばかりを悶々と夢想し、口が羊を数え出した段階ではすでに諦めた。


 悩んでいても、始まるものは始まる。否が応でも。


『満月事件』の被害者については、徹底された緘口令が関係者の間で敷かれた。入院先の病院にも自宅にも、学校にもマスコミはおろか、事件を担当している警察も事情聴取に(たず)ねてこなかった。


 おかげで創は退院でき、無事新学期参加に間に合ったのだが。

 

 綿密に隠密に策が完遂されなければ、計画に創が気づくこともなかっただろう。夏休み目前に音沙汰もなく学校を休んだ同級生が、新学期、腕を無惨に食い千切られた状態で登校してきた。


 加えて、事件そのものについては連日連夜、街の至る所で電波や周波数を変え報道されている。奇々怪々な噂に生えた尾鰭からはとうとう足も生え、本来の領域から公共の場へ飛び越える始末だった。


 これだけの情報量に住民の目が奪われた後で、創の周囲だけが、終業式と同じように演出されている。学校、警察――街に実在する全ての権力機関がグルとなって。創が事件に関わっていると暴露している行為とどこが違うのか。


「後ろから声を掛けようとした連中で、廊下にすごい行列ができてたね」


 創の背後からついてくるあの大名行列を思い出した千代紙は、犬みたいに噴き出した。


「もっと前向きに考えな!? 最初の一日はズッコケるって読みは正解したんだよ」

「物理的に倒れちゃえばもう不正解だよ……」


 それも退場ものの失態を犯した。


「聖母を倒したんだ」

「捨ててきてよ、ちよちゃん」

「なにを!? これは歴史的遺産さ」 


 後ろに引いた膝に森を感じる跪いた千代紙が掲げた遺産とは、実芭蕉の皮だった。主に熱帯地域を原産地としたトロピカルフルーツ。黄色い皮に熟れた実がぎっしり詰まった子どものおやつの代表選手。遠足に持って行けるかは、運次第。


 バナナの皮。

 これで判っただろう――創になにが起きたかのか。


「マンガかよ」


 千代紙の止めの一刺しが『涼風ガール』の鉄壁な表情にヒビを入れた。


「なんであんなところにバナナの皮が――!?」


 千代紙(ちよがみ)に投下するはずだった拳で顔を拭う創。撒き散らされる涙を池に浮かんでいた蓮の葉でやり過ごしながら千代紙は推理に唸る。


 始業式は午前で終わる。夏休み中に校内を自由に行き来できるのは部活、あるいは補習の生徒、担当科目の教員くらいが思い当たる節だが。創がバナナの皮を踏んだ地点は廊下のど真ん中。ゴミがそんな長時間放置されれば休み明けにさすがに気づかれる。ただでさえバナナの皮は、人目を引く色をしているというのに。


「これは、短期間のうちに起きた出来事。恐らく、始業式が終わった直後」


 隔絶された森の奥深くで『鉄血ガール』の推理が光る。


「あのバナナは、誰かが意図した置いたものだってこと? ……そんな」


 馬鹿な話があってたまるか。あったとしても許される行為ではない。


 リニアモーターカーの走行音を漫画ではなくニュースで聴いたことがあり、コンビニで売られた駄菓子の値段に財布の紐を固く締める今の若者にとって今一つ呑み込みに時間の掛かる現場である。だが最近でも再放送で時々放送されているのを創も目にして知っていた。


 今日、実際に遭遇するまではテレビ上の演出だと。完全に侮っていたからこそ避けるという動作に身体が反射しなかった。バナナの皮にあれほど摩擦を奪う作用があったとは。抵抗を零にする化学物質が分泌されているのではないかと疑ったくらいだ。


 外敵から身を護るために、動物の行動をそこまで予測し、植物は進化できるのか。


 だからこそ悪戯半分で手を出していい行為ではない。転んだ時の学校の殺傷力を侮るな。


 ギャグに命を賭けるなんて、昭和の笑いは厳しく残酷だ。それにこんな危険な建物を学び舎に子どもを押し込むとは、教育委員会は大人になる前の子どもが不死身の無敵超合金でできていると太古の時代から信じているらしい。


 創は腹を括った。いかに権力が強大だろうと、誰かが立ち上がり先陣を切らねば。


「被害を受けた私が、今こそ未来を切り拓くのよ!」

「ご立派な決意であります、感服致しました。感服を通り越して感激の嵐にございます」

「そ、そこまでおだてる? 逆に嫌味に聞こえ…………ちよちゃん?」

「おいおいその顔はさては、失礼なことを考えているなお嬢さん。でも敢えて……あたしはなにも言ってませんよ」


 特に己の名誉を挽回する気はない千代紙は肩を竦めた。


「人違い……はぁ。なんと、見込み違いの方に感動を強いられるとは。痛恨、悔恨……もう、なんでもいいです」

「いきなり湧いて出たと思えば失礼な奴だな! 誰だか知らんがあたしと勝負しろ!?」


 怒りの拳を突き出す千代紙の決闘を完全無視。虚ろな眼中には虚無感、というか、純度百パーセントの虚無が漂っていた。


 清楚な動作の機微、首を(かし)ぐ投げやりな動作にも作法があった。水銀を顔に浴びる――その表現が一番当たっていた。正体は毒を吐いていようが仕草は上品だった。


 やはり、快闊の一本刀で他人を凌いでいる千代紙にはない魅力。創には心当たりがあった。


「ひょっとして……間違えていたらごめんなさい。空木雀(うつぎすずめ)さん? 転入生の」

(わたくし)如き木端者など、掃除用具入れの隅で掃かれることもないまま皆様から忘れ去られるというのに。さすがは聖母。…………うッ!?」


 霹靂に裂かれたように目を剥いた次は、声帯を絞り出す勢いで咽る空木に創は仰天した。


「自虐じゃなくて自壊か、機械仕掛けじゃあるまいし?」

「これは、失礼。身目麗しい聖母に直視され名を呼ばれたショックで、心臓が自らの機能を忘れてしまったようです。先刻の無礼と重ね、お見苦しい姿を。どうかご容赦ください」


 青緑にくすんだ顔を下げる。早急に病院で処置をしなければならない深刻な顔色だが、あいにくと中庭は圏外。


「創、なんかあたし、コイツとなかよくできそうかも。見てて飽きないし」

「面白がらないで、墓地から這い出したゾンビだってもっと血の通った顔をしてるよ!」


 下手な心遣いはダメージを負った空木に止めを刺す。

「ちよちゃん」

「あたしは助けないから。困るといつも泣きついてほんと都合いいんだから、調子がいい時は説教するくせに」

「はくじょうもん~!」


 慎重な言葉を選ばなければ人が死ぬというのに。創の本心では空木の息の根が止まる、彼女にとって創の存在感は強過ぎてほかの相手は視野の外。団結しなければならないのに意固地な千代紙はなんとも非協力的。


「……なにやらお困りのご様子。微力でよろしければ私にご相談を。とはいえ、本日はもう遅いですのでまた後日」

「なに言ってんのさ、まだこんなに明るいのに?」

「ちよちゃんは静かに……でも本当、今何時くらいなんだろう?」


 千代紙と見上げた森の木漏れ日は来た当初と変わらずまだ足元を照らす。


「学校に残っている生徒は、もう三上さんおひとりだけです。私は先生方に頼まれ、いなくなった貴方を捜しにここまで(うかが)ったのです」

「もうそんなに経ったなんて……!?」

「だからそんな装備で来たんだ」


 森に挑むため制服を脱ぎ捨てた空木。上下厚手の迷彩服に豪壮なブーツ。グローブまで嵌め肌の露出を徹底的に抑えていた。


 古い森には毒草に毒虫、病原体を媒介する原生生物が多数生息する。行方不明者の捜索に、学校は備品として探索用の装備を保管する許可を特別に得ていた。


「食糧と水、テントも。遭難しても五日は持ちます」


 ジャングルナイフを地面に突き立てた空木は背中の鞄を開いて中身を創に改めてもらった。


「この量、人二人分の重量はあるぞ」

「す、すごく力持ちだね……?」

「体力だけが私の取り得です。そのせいで、言いように使われておりますが」


 ここまで来るのに消費した水分、エネルギーを補給すべくミネラルウォーターの入ったペットボトル、軽食を取り出し若干軽くなった鞄を空木は背負い直した。喉の渇きが癒えると、滑りのよく効くようになった空木の舌は回り出す。


「大変でした。死を厭わず、皆様、三上さんの捜索に志願するんですもの。手加減するのに苦労しました」

「なにに苦労したか、たいへん気になるな」


 ナイフの柄をまじまじ見つめ憂う空木に千代紙は近づき、食糧を受け取った創は距離を取った。


「三上さんこそ、こんな危険な秘境をそのような軽装で無傷に踏破するなんて」

「たまたまだよ……」 


 夏休み前に、軽くなった肩に気を集中した。


「――私、運がないと、生きていけないから」

(わたくし)がここに来たのは、三上さんを案じた故の行動……私自身の意志です。噂の有名人とお近づきになろうと、少々手荒な真似をした(よこしま)な心は認めます。ですが、偶然でも運でもないというのは、理解してくださいませ」


 空木の目は、嘘をついていなかった。打算があったと認めておきながら謙虚さに欠けた懇願に千代紙は不服と腕を組む。


 一方、フリーズした創の口をペットボトルから漏れ出た水が垂れた。


 他人への共感を強要されるなんて。そんな生まれて初めての経験に、戸惑いを偽る余裕もなかった。


 なんの取り留めもないのに崇められ、窮屈を感じていた。新鮮な感覚は前向きな刺激をくれると。

 だがいきなり千代紙と自分の前に現れた他人に言いように言われたと実感した創は。


 大して、気持ちよくならなかった。


「これからは良好な関係を築いていければと。どうか、これからもよろしくお願いします」


 一通り言えてすっきりした空木は。黄色く熟れた皮を剥いたバナナを、もっきゅもっきゅと、美味しそうに頬張った。


 幸せそうな咀嚼音に膨らむその顔の火傷の痕が、陽の光に創には(むご)いモノに見えた。

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