San,Sun,Nearly get burned DOWN
全身を襲う激痛に涙子は黒い血を吐き下した。駆け、巡って、逆巻いて、迸って、遡って。
涙子の孤独な悲鳴は、屋上駐車場に吹きすさぶ秋の夜風に掻き消される。
肩で呼吸する涙子は、かくもと涙に霞んだ世界に問うた。
怪物というのは、こうも孤独なものなのか。人を糧として生きる身になった選択に今さら未練はない。生成りどころかこの身体に成熟してからもう相当の経験を獲得している。
これから死ねるかさえどうか不明なのに。この身で知った経験の速度は実に多い。
一秒の中に分子の融合から超新星爆発に匹敵する体感がつまっているといえば、なるほど腑に落ちる。といっても恒星がどう生まれ死んでいくのか深く考え込めるだけ天体の知識に聡くなかった涙子にそれを教えたのはあくまで魔眼だが。
すんなりと受け入れられた知識も、これだけは――なぜか時間を懸けた。胃の腑を炙られたような口辱。本能に直接訴えてくる抗いようのない感情。
もう一つ、これは――憧憬だった。魔眼もこの感情だけは奥深くに隠したがっていたようで。
決して、断じて手に入らないと判っているから、よほど羨ましいく…………
そして。
まあ涙子個人にそんな考えはなかった。
ふかしたようなほんのりとした匂いの光、そこに浮かぶ記憶はどれも輝かしく〈魅人〉の焦燥をほぐして陶酔させた。夜空とのコントラストもこれぞと唸らせ。
時間に追われるような怪物の感情を切り離せたのも、夢の中であの子の顔が見られたから。
「……ほんと、感謝しなくちゃね」
この目をくれた、あの『魔法使い』を自称した少年に。ちょっぴり不思議な雰囲気でこの街に引っ越して環境が多も少も変化しても悪態をついてはいたが、息子も内心では感謝でいっぱいだった。
息子と共に思い出したのは、あの時の恩を返せず今も後悔を抱えているからに他ならない。
無欲で、誠実で、血色の悪い顔で微笑うあの顔はどれだけ時が過ぎても忘れられそうになかった。
引っ越してからも彼は母子に対し甲斐甲斐しく世話を尽くしてくれた。転居先の用意から引っ越し業者の手配、引っ越し蕎麦が届いた時は母子揃って顔を見合わせた。
もっと他人を疑うべきと二言目には息子から注意される涙子。そんな彼女も今回ばかりは注意を受け入れた。
息子の転校に際し、なにかやましい事情や母子に伏せておきたい情報があるなら死屍類には遠慮なく答えてほしかった。無理にとは言わないが、そう前置きしつつ――子どもながらに危ない橋でも渡っていないだろうか。
息子もだが、彼が罰せられるような事態に陥っていないか心配で、しばらく夜も眠れなかった。この身体になってからは心配せずとも夜は眠れないのだけど。
ここまで親切にされ、彼だけが報われないなんておかしい。
彼には彼なりの望みがあって、魔眼の提供もその一環のように仄めかしていたが。
「無事、叶ったのかしら……でも」
くす――なんて。
身を案じる質問に対し浮かべた死屍類の苦笑を思い出した涙子は思わず吹き出してしまった。
結論から、転入について涙子が気を配ることはなかった。そもそも公立の高校の転入で血縁でもない赤の他人が介入する機会はやってこない。手続きに必要な書類を揃え、学校側が教義し、試験を受ける。最終的には転入する本人の実力次第だ。
彼ならきっと成し遂げると、死屍類は信じていた。
期待されるのは不本意だが、こんなこともあろうかと成績は積んでいたので転入試験もするりと通った。
これまで返却したテストも成績表も、母に発表するのだ。この口は悲しませるためではない、母の喜ぶ顔を見るために、母からもらった口だった。
今後目を通す以上、目に見えた結果を残していきたいと誓った。この程度、愛する人の願いの代償ですらないと。
「もう本当。灯真ちゃんったら、真剣な顔でそんな顔で言うんだもの。死屍類くんの目もあったしお母さん恥ずかしかったわ」
他人に“見られている”と自覚するだけでああも身体が熱るとは。初めての経験に戸惑いつつ、知らなかった世界を魅せてくれた少年には感謝の言葉もない。
一方、少年は涙子の羞恥には反応薄く、違うことを憂いていた。
あの時、彼の呟いた不安を一言一句、正確に唇でなぞる。
「――魔法使いにも、悩みがあるのね」
“累って、そんなに子どもに見えますか?”
笑ったのはおかしいからではない。
一人の母として、見た目を気にする男の子は、見ていてとても可愛らしかった。
「あなたも、そう思わない?」
――同じ母として。
屋上で対峙する二つの人影。
雲を裂く月光に披露される金の髪の女。殺風景な屋上で金の髪を躍らせる姿は雑踏であろうが存在感が紛れることはなし。
一方で来訪者を歓迎した黒髪の女の印象は薄い。煽情的な肢体を包帯で際立たせた『十字架』の暴力をも伴う肉感はない。地味な服装は人混みに紛れれば同化し、見つけられないだろう。
「話をしましょう、五上涙子」
「そうね。私もあなたとはこうしてじっくりと話してみたかったわ」
淦、そして淦。
過ぎ去り交差し、絡まり合う怪物同士の視線は、だが交わらない。
「私のことはもう知っているんでしょう? あなたは、どうして――?」
魔眼で見通した情報ではなく、彼女自身の口から理由を訊いてみたいと涙子は常々思って、こうして待っていた。
「忘れました、昔の事なんて」
「ひどいのね――ずっとそうやって、いつまでも欺くつもり?」
自分が息子と過ごした数日に比べれば『十字架』が『吸血鬼殺し』と歩んできた数百年は、まさに、永遠と呼べる苦痛の日々だった。
報われるかどうかも判らない旅を、二人は今も進んでいる。
だが、彼女の答えはとうに決まっていた。
「――欺くわ。彼がそれを望んでいなくても」
「私はそんな事はしないわ? ――家族を騙すような真似。灯真ちゃんもわかってくれた」
母子の絆はそこまで固い。強く、離れがたく。
人喰いの化物になったところで――崩れたりなどしない。
「あなたも、もう少し信じてあげたら? 嘘をついたのは悪いことだけど」
『吸血鬼殺し』はこれまでの旅路の途中で諦めず、血を吐いても弱音を吐かなかった。
打たれ、古傷に生傷を重ね血で血を洗うような無間を超えても背に背負う十字架を放棄しなかったのは――。
口を噤もうとした涙子の口元の形は微笑に似た。本人でもないのに野暮な事を言われても彼女は嬉しくない。
「でも……きっと許してくれるわ? 家族でしょう、あなた達」
夜を後ろ盾に涙子は言った。
闇を歩く者同士、悩みを共有したいし力になりたいと。数少ない同じ境遇の“友”として彼女とはいい関係を今後も築いていきたかった。
――だというのに。
どうしてそのような目で、見てくるのか。
「薄情なのね、あなたは」
「“薄情”……私が?」
心当たりのない言いがかりに涙子ははてととぼけてみせたが、憐れむような瞳のまま金色の〈鬼〉は言う。
「家族だからって、なにもかも許してくれるわけじゃない」
一言では言い表せない憐憫は、やがて怒りに取って変わる。
「“視た”のなら判るでしょ。彼は私を許さない。世界中が私を憐れんでも、彼だけは」
涙子は仲間と評したが、自分が一番理解している。『十字架』になる前から自分に選択権などなかった。
それは、彼もまた同じだった。家族を殺され帰る場所を失くしたのは彼だけで、自分は助けられなかった。助けようともしなかった。
バケモノである事を受け入れ、運命に従い夜を許容した。
完全に止まった思考で、全てに心を開いてしまって。
その挙げ句――最後に遺された愛する人までこの手で殺しかけた。
「同類だと思われているなら、ふっ……過大評価されたものね」
一歩、呪われた身体を涙子に見せつけながら『十字架』は胸を叩いた。
「望んでこんな身体になったんじゃありません! 人で在ることに、充分満足していた。本当に幸せだった。私も、彼も――――」
老けた身体が好きだった。
家事に追われやつれた顔も遠い耳、霞んだ目、重い物を持ち上げれば腰を痛め脂っこいものが喉を通らなくなる。
そんなありふれた幸福を手放すように迫った吸血鬼もだが。
無抵抗に手放した過去を思い出し、怒りでどうにかなりそうだった。
「話せてよかった。やはり私は、五上涙子――」
あ
な
た
を
認
め
な
い
。
五上涙子に邂逅してから『十字架』は彼との別行動をずっと窺っていた。鬼に意味をかけるなら――虎視眈々と。
計画してやったのではない。自分はあくまで『吸血鬼殺し』に仕えており主人の危機に繋がる行為は断じて許されない。
橘千代紙と共闘すべく統率を離れる結果となるのは避けられなかったが、本音で語れて内心ではすっきりした。
五上涙子は、息子との絆を過分に称賛していた。
なるほど――それも家族の一つの在り様とも言える。バケモノになった母を慕う灯真に嘘も偽りもない。他者の犠牲に成り立つその絆は、ある意味では最も尊い、親子愛の究極だ。
故に全国の親子を代弁するつもりは毛頭ない。
「この怒りは、私だけのもの。正誤など欠片もない。身勝手な言いがかりだ」
選択肢のなかった自分達と、彼女達は違うから。
この母子は――選べたのだ。人でありたいと望めば魔法使いの誘いを拒絶できた、強要も強行も受けていない。
こと魔法使いとは、そういう類の『災害』だ。社会への参加を畏れ、責任を担うのを虞れ、最終的な判断を委ねてくる。
我ながら、これはひどい。
八つ当たりにしても、もうちょっと上品にできないものか。
「私は、あなたが……あなた達が――うらやましい」
己の由来を棄てても家族に愛される五上涙子が。
羨ましくてたまらなかった。
嘘をつき続けているのは家族を悲しませないためだと考えた時期もあったが、外にある他人の心と違って、いつまでも自分を誤魔化す事などできやしない。
欺かねばならない――のではない。
『十字架』は、欺いていたかった。
怖いのだ――罪を認め、彼に責められるのが…………。
「他人様のお宅の教育に口出すつもりはない。でも、私は“あなた”という母親を否定する。怒らないけど、許さない」
親だって、ただの人だ。正しかったり間違えたりする事もある。笑えば怒る、泣きたい日もあれば。他人を羨めば妬みもする。
嘘も、つきたがる。
「あなた、息子と一緒に地獄に堕ちる覚悟はあるかしら」
「……もちろん。灯真ちゃんといっしょなら、どこへだって行くわ? 私はあの子の、お母さんですもの」
「そう……私にはできないわ」
母として『十字架』の言葉は頂けないと涙子は彼女に初めて怒りを覚えた。
最後まで、その最後が過ぎても側にいようとするのが家族というものだ。
「はなればなれになってもいいというの?」
「いいわ。彼には、私とは違う場所に行ってほしい」
「薄情なのはどっちよ。あなたの言った通り、私達は判り合えそうにないわね」
――口が裂けても言えないわ!!
顔を隠す『十字架』の手が涙に染まる。
夜を制すはずの死の化身が、闇を怖がる幼子のような声で泣いていた。
「言えるわけないじゃない。お腹を痛めて産んだ子に……『地獄に落ちろ』だなんて」
この夜が明けても、彼には正しい事をやってほしい。
吸血鬼を倒して、苦しめられている人をたくさん助けて、感謝されて、天国に行ってほしい。
その手助けができるなら。
母親なんて肩書き――喜んで捨てる覚悟だった。
「じゃあ、これでお話はおしまいね。話せてよかったわ」
――泣かせてしまって、ごめんなさい。
頭を下げる涙子に涙を拭う『十字架』は結実した覚悟を宣言した。
「私は謝らない。なにがあっても」
ここに来た時に見た五上涙子の反応で、彼女の分裂体が橘千代紙に斃されたのは視認できた。
だが落ちていた体力も経過した時間で全快した。ショッピングモールにはまだ大量の生餌が蓄えられている。
「でも、あなたじゃ私を狩れないのは百も承知でしょう?」
そうだ。どれだけ弱っても〈始祖〉の魔眼を持つ存在を一介の使い魔如きに対抗する能も術も持ち合わせていない。
そもそもの前提として。食物連鎖に抗おうとする『吸血鬼殺し』、獣の力を具えた橘千代紙にどれだけ超常的な力があろうと。
二人は、人だ。
怪物に――怪物は殺せない。
「私はあなたを狩りにきたんじゃない。“完全に滅ぼすため”にここにきたのよ」
どういう事か訊こうとした涙子に。
ショッピングモールの屋上から臨む水平線を指差した『十字架』は言った。
「あなたを倒すのは私じゃない。“あれ”よ」
夜空を焼きながら光が昇る。新たな世界の到来に鳥は謳い冷え切った風は暖められる。
そう言えば――挨拶がまだだった。
「おはよう」
五上涙子の肉体が吸血鬼に意識を完全に乗っ取られていれば回避に徹しただろう。夜を代表する吸血鬼は、この世の法則に最も実直なのだ。
光が消えて認識が曖昧になる。偽りのモノもこの時だけは真実と同じ価値となって認識される。
だからこそ、怪物は、夜の中での生存を許されるのだ。
怪物を斃すのは怪物ではない。
我々の生活にずっと身近にあり、分け隔てなく平等にもたらされる“当たり前”なもの。それは世界をあまねく照らし、存在しないものの真実を暴く。
だが、吸血鬼でなくなった涙子は忘れていた。
当たり前。
それこそが、天敵なのだと。
「太陽、太陽、太陽……太陽太陽……太陽太陽、太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽――――――――――――――!!!!!!!!!!」
一目対面した、それだけで魔眼は蒸発し瞼から火柱が立ち昇った。視神経を貫いた紫外線は脳にまで達し言語能力と記憶領域を犯される。
絢爛とした視界を押さえつつその場から離れようとした涙子の背後に体重がかかった。
本来、日中の間食料を調達する役割を担う〈支族〉は陽光には多少の耐性がある。
それを原典とした『十字架』だったがツーサイドマスターの心臓を長らく保管し、〈始祖〉の力の『鞘』として機能していた肉体は強化された反面、朝日の光にも燃え、日除けの包帯を解いた今となっては、彼女と燃え尽きる運命にあった。
五上涙子の絶叫。
『十字架』の微笑。
互いが互いの最も愛する人の名を口にしながら、世界は。
いつもと変わらぬ朝を迎えたのだった。
+++
自分にできる最後のことは、五上涙子をここに繋ぎ止めること。
結果としてそれすら成し得なかったと思うと、情けない。
最後の力をふり絞った涙子は『十字架』の手を払い日陰を目指して匍匐前進する。夜明けを迎えたばかりで、さながら夜の残りのように影は点在していた。
捕らえようにも、陽の下に身体を晒す時間が長過ぎた。
〈始祖〉の核を取り出した影響でただでさえ再生能力が衰えているというのに。
腕は両方とも肘から先が炭化し、起き上がろうとした途端に砂みたいに崩れた。足は涙子に跳びかかった拍子に腕と同じように割れてもうなかった。
五上涙子も残った力は『十字架』を払い除ける際に全て使い切ったようだった。
瞼の端に炭をつけ転倒した彼女に吸血鬼の力は魔眼と共に消失した。
伝説の吸血鬼の最期にしてはひどく呆気ないようにも思う。だが怪物の末路は得てしてそういうものだ。
「いやあ、いい朝ですね」
遠くから清々しい朝を賞賛する声がした。
現場の野次馬と警察を帰らせた後、式折々は屋上に残った怪物二体を回収しに参上した。
「こんなに気持ちのいい朝に、太陽を見ないのはもったいないですよ?」
青空に向かって背伸びをする。魔法使いを自称する者は、忌々しさに時間は関係なかった。
だが、まあ――そうかもしれない。
そういえば、しばらく太陽を見ていなかったのを『十字架』は思い出した。夜を生きる存在にとって朝は自身の存在を否定される始まりであり最も縁遠い。
「…………いつからだ」
ふいに陰ったかと思うと。
黒髪の少年が、不快に満ちた形相で地面に転がる女を見下していた。
「いつから我を騙していた?」
顔を伏せようとした『十字架』に少年は質問を繰り返した。
どうやら、きちんと説明するまで責めるのを止めてはくれないらしい。
「……お前が、連れてきたのか……」
「式が? いいえ、彼とはたまたま道がいっしょになっただけですよ」
飄々と笑う式が『吸血鬼殺し』の背後に一歩下がる。
家庭の問題に首を突っ込むほど無粋ではないのを示すつもりだ。
「…………」
固い沈黙をいつまでも貫く『十字架』。
数百年――人の一生も何倍も嘘をついてきた相手に、今さらどう言い訳すればよいのか。
おまけに勝手に動いて千代紙を半ば囮に使って、標的と相打ちになったとはいえむざむざ死のうとしていた。
「ハァ……戻ったらじっくり話を聞く。覚悟しておくのだな」
背中から下ろした棺に頭と胴だけになった使い魔を『吸血鬼殺し』は放り込んだ。
「!? ……どうして!」
五上涙子の抹殺を確認するのが目的なら。
荷物は、不要だった。
「使い魔であるのに主人の命令を違えたか。我は、まだ諦めてはいないぞ」
不敵な笑みで叛旗を翻そうとする主。
相手は、今、頭上でふんぞり返っている――世界。
そうだった。
彼の度の終着点には、自分が必要だった。
「必ず見つけてやる」
お前を――人に戻す方法を。
だから、見ていない場所で勝手にくたばろうとするな。
棘のある言い方をする『吸血鬼殺し』は、まだ――昔みたいに呼んではくれない。
「――命令を、受理しました」
どうやら、もうしばらく主と従僕の関係は続きそうだ。
彼に説明することは山とある。嘘をついた罰に対しどう釈明すればよいか判らぬが。今はこの胸の喜びを蓋の閉まった棺の中でひっそりと噛み締めよう。
久方振りに見た太陽は目を焼くほど美しく、勝利の後に見るのは格別だった。だが最も
嬉しいのは――――
“あの子が、助けにきてくれた”。
これにて『〈魅人編』終了です。気が付くと一年連載していました。
次回、後日談ちょっとだけやります!




