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人狼の父-1-

 火原井千代紙(ひばらいちよがみ)は人間である。化物にあらず、怪物にあらず、妖怪変化の類ではない。

 とはいえ、男かも女かも知らないもあなたにとって、突然こんなことを前置きされ驚かれただろう。


 故に、理解しておいてほしい。これだけは忘れないでいてほしい。

 これを読むにあたり、これからあなたがなにを思おうとも……それだけは変わらない。

 重要な前置きは、語り手や読者の意図とは関係なく、不変の真実なのだから。


+++


 その日、火原井千代紙は怒っていた。

 道行く者のほとんどがそう思ったが、それが正しい表現なのかは怪しいところ。

 なぜなら、表情豊かな彼女を見るのは、彼らは初めてだった。


 火原井千代紙は、人の名である。

 彼女は、女だった。


 彼女は高校生だ。

 清楚な女学生を想像した者もいよう、あるいは名前の響きから活発で盛んな少女を思い浮かべたかもしれない。

 火原井千代紙は、その特徴のどれもに当てはまらない。


 十七歳になりたての千代紙は、新三巫西高校しんさんかんなぎにしこうこうではちょっとした、いや知らない者はいないほどの有名人だった。


 風紀委員長とクラスの学級委員を兼任する千代紙は、剣のように鋭くまっすぐ強靭な信念で、学校全体の規律を厳しく取り締まっていた。

 新三巫市西区にある高校は、他の都市からも受験生が集まる進学校として名高い。中でも委員会に属する生徒は、高校生には有り余るほどの権力を学校側から与えられる。


 千代紙は、飾り気のない生徒だった。

 生徒達の風紀の規範(スタンダード)となるべく、瑞々(みずみず)しい肌には一度も化粧をしたことがなかった。髪は肩に届くあたりで綺麗に切り揃え、茶である地毛はわざわざ黒に染めていた。


 風紀を乱した者は、生徒、教師差別なく罰し、更生させる。弁明や弁解は言い訳と切り捨て、本来ある高校生の正しい枠組みに押し込める。


 その実直さとプログラムされた機械のような冷酷さから、正反対の意味を指す揶揄(やゆ)を組み合わせ『鉄血ドール』の異名で(おそ)れられていた。


 そんな彼女が、岩肌のような鬼気迫る面持ちで廊下を歩いている。

 今は放課後で、廊下にはたくさんの人間で溢れていた。

 触らぬ神に祟りなし……モーゼが海を割ったように、生徒が、教師が彼女の行く手を開けた。


 階段を上り、上り、千代紙(ちよがみ)は屋上の入口の引き戸を開けた。ここは普段、立ち入り禁止になっている。安全の確保から、当然、入口にも鍵がかかっていた。


 街を一望できる屋上は、燃え上がるような茜色の光に包まれ、そこにいる人間の言葉を奪う。


「屋上からの眺めはいかがかしら、式折々くん?」


 声をかけると、屋上のペントハウスに頭が一つ現れた。


「……これはこれは。我が校が誇る橘千代紙(たちばなちよがみ)風紀委員長じゃないですか」

火原井(・・・)よ。人の名前はちゃんと憶えなさい?」


 式折々(しきおりおり)。千代紙とは一つ下の後輩にあたる一年生。

 難攻不落、対策殺しと名高い西高の入学試験に合格したにもかかわらず、初日から授業には全く参加せず、一日をこの屋上に寝転がり、空を見て過ごす。部活は帰宅部。


「今度はまた、どうやって忍び込んだの」

「ああ、この南京錠。やっぱり橘先輩でしたか。式は魔法使いの血を引く末裔ですから、あんな錠じゃ防げません」

「火原井。頭の悪い冗談はやめて、返してくれないかしら、それ。風紀委員の経費で買った大事なものなの」


 屋上に下りた式から開錠された南京錠を受け取ると、あと、と千代紙は付け足した。


「転校してきたばかりのあなたは知らないでしょうけど、ここではスカートは女子が履いて、男子はブレザーを着るの」


 式は今、西校の女子生徒用の制服を着ていた。

 だが彼は、周囲には、外側も内側も男であると豪語していた。千代紙には、制服は入学前、書類の性別欄を間違えて今は仕方なく着ていると釈明するのが屋上でのお決まりの会話になっていた。


「そんなことを教えるためだけに、わざわざここに来たんですか?」

「不健全な恰好で立ち入り禁止である屋上にいる不良生徒を正すのも、風紀委員の務めです」

「こんな恰好でここにいる式は不良ですか。やだなあ、風紀委員長ともあろうお人が、見た目で判断しちゃ」


 見た目もなにも、式を見れば一目瞭然だ。決め付けられ当然の結果を、彼自身が産んでいる。


 こんな調子で千代紙(ちよがみ)に目を付けられ、式はすっかり学校一の問題児として千代紙とは正反対の評価を受けるようになっていた。


 だが、注目されたのは式ではなく、彼の家族についてだった。

 式という物珍しい名字は、元は西区にある、俗に言うヤのつく一族のもので、折々はその跡取り、と本人自らそう名乗るようにしていた。

 式の行動を一人を除いて(・・・・・・)誰も咎めなかったのは、これが理由だった。


 普通なら冗談と笑われるようなことも、なんの躊躇(ためら)いもなくあの『式』の後継者の名を胸を張って(かた)る人間に近付こうとする者はいない。


 だが、()()()()()()()()()()()()で『鉄血ドール』は退かなかった。式は、そこにいるだけで学校全体の風紀を乱す害で、これを正すのが風紀委員長の責務だからだ。


 三つ編みに編まれたもみあげを弄りながら、式は、夕暮れに染まる街を見下ろし言う。


「もう遅いから、今日は帰りましょう。最近は街も騒がしいですし」


 丁度その時、部活動中止と下校を促す放送が流れる。


「……そうね」

「校門までいっしょに行きましょうよ?」

「……意外ね。あなたから、そんな申し入れをされるなんて」

「敵が多い風紀委員長は式が守ります。それとも、式のような男が騎士(ナイト)じゃ不服ですか?」

「……そんなことないわよ。感謝するわ」


 軽く微笑(わら)う千代紙は、提案を受け入れ式を共に校門へ向かった。

 ()()()()()()()()()()()しようと決めていた申し出をされた時は、動揺を隠そうとするあまり、苦手な笑顔を繕ってしまった。


「聞いた聞いた? (うわさ)の『満月事件』?」

「聞いた聞いた。うちの女子生徒が襲われた事件でしょ?」

「そうそう。こわいよね。それで、どこを食べられたんだっけ?」

「知らないの? ……腕。バケツをひっくり返したみたいな血の量だったらしいよ」

「犯人、まだ捕まってないんでしょ」

「ねえねえ…‥ほんとうにいると思う? 狼男って」


 校門前で立ち話に花を咲かせる女子生徒がいた。持ち物を見る限り、今日は中止となったテニス部の部員である。


「あなたたち。下校時刻はとうに過ぎているわよ。早く帰りなさい」


 千代紙の顔を見ると、女子生徒達は光の速さで逃げ出した。『鉄血ドール』様様だった。


「もう、事件から三日も経ちますか」


 式だった。


「風紀委員長は信じないですか? 狼男の噂」

「信じないわ。起こってまだ日の浅い事件をそんな風に(はや)し立てるなんて、不愉快しか感じません」


 本当に、不愉快極まりない。


「しかし。あの人達の気持ちも(わか)ります。一体、どこの誰でしょう。部活を中止になんてした人は」

「式くん」


 腕を組む式は、そう言いつつ、目線は千代紙の方を向いていた。


「ああ、そうでした。橘先輩が校長先生に直談判して、部活の中止を訴えたんでした。部活動よりも大切なのは命です。生徒の安全を守る風紀委員長らしい懸命な判断だと思いますよ。いやー失敬失敬。てへぺろ」

「……式折々(しきおりおり)くん」


 あざとく舌を出しながら頭を掻く後輩に、千代紙は。


「何度も言わせないで頂戴。私の名前は、火原井千代紙(ひばらいちよがみ)よ」


 強く、二度と間違えないよう強く強く、念を押したのだった。

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