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Ever,september,She never


“一撃で(たお)さねば”――。


 五上涙子が決意した時には、すでに全て終わっていた。誰がどこから見ても一目瞭然に。


 寸裂された手足。寸断された胴体。


 脳漿が破裂した狼の首は三度にも亘って潰された。血球とヘモグロビンの化合する強烈な鉄分の生々しい匂いが鼻を突いた。


 獣臭さの残る巨躯を輪切りにし()()()()()毛むくじゃらの怪物、それを、白い肌に水が弾く年若い少女だと見間違える者はいまい。


 けれど。彼女を肉塊に変えた張本人は知っている。

 人狼は、間違いなく、可愛らしい女の子だ……。


()()()()()……ごめんなさい。助けてあげられずごめんなさい。死なせてしまってごめんなさい。間が抜けていて、ごめんなさい」


 少女は、謝っていた。

 開戦から一秒もかからず斃された千代紙に謝り倒した。

 

 瞳に滲む涙は、大切な人を想う証に他ならない。名を呼ぶごとに喉は()れ、現実を拒否し身体に染み出るように顕れる挙動。


 そんな少女は、千代紙の散らばった身体を、拾い集めていた。一つひとつ丁寧に。五上涙子の怪光線に焼き切られた肉片をその一摘みに至るまで。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 少女は、取り出した布で血の一滴まで拭き取り一ヶ所に集めた千代紙の一部分の上で絞った。


 千代紙の血でべっとり濡れた手で頬の涙を拭い去った。宵闇の直中(ただなか)でも星屑のような輝きを放つ産毛が美しい貌なのに、狼の毛の混じる血が擦れ輝きは失われた。


 千代紙の血になら、汚れても構わない。そう言わんとする勢いのよさだった。


 この少女が、ただの人でないのは、五上涙子はすぐ見て理解した。


 根拠その一。肉体的に言えば、少女は人だった。

 ヒト。哺乳綱霊長目ヒト科ヒト亜科ヒト族。学名をホモサピエンス。独自のコミュニケーション能力を有し、哺乳類の中でただ一種、直立で歩行する動物。


 皮に包まれた肉も。光の加減で濃翠に色めく()かれた髪も、内臓も――()()()。かつて五上涙子がそうであった存在だった。

 

 だが少女は――突然、目の前に『現れた』。

 経験者の談だ、妊娠してから子宮の中で何十週にもかけてつくられていくはずの身体を彼女は涙子が瞬きをした一瞬よりも短い間隔で、自ら、生み出した。


 根拠その二。

 少女には、尻尾が生えていたのだ。

 今あなたが想像した、あの“尻尾”だ。


 確かに人類に尾は生えているけれど、進化の過程で退化、いや進化して自分の意思で動かすことはできない。日常生活を送る上で意識されないまでに短くなった部位は“あった”と過去形で言っても差し支えない。


 だが、だが。もちもちと頬ずりすればさぞ心地よいであろう二つに割れた筋肉の塊のすき間のそれは隠すには些かに無理のある長さだった。逆立てば少女の後頭部を(かす)め――というかもう、すでに掠めていた。毛先も乱れ放題だった。


 少女は、服を着ていなかった。これは別に()(ぱだか)というのではなく。

 胸や、ほかにも目の行きがちな部分は、服の替わりに鎖を巻きつけていた。

 首に掛けるような黄銅色のチェーンなんて生易しいものではない。赤く錆びた太い輪を繋ぎ合わせた鎖に、尻尾と胴体、あとは、両手を――()()()()()()()()()()()()


 千代紙の血を拭き取った布は、少女の首に巻いていたマフラー。この季節には少し暑そうだが、編み目が太く()()()()なので冬本番にはさぞ暖かそうだった。


 そのマフラー、それに縛られた身体で自由の利く口から舌をべろりと巻きつけ地面の血を()き取り死体の上で絞って、頬の涙を抜いた。


 手のような運動を実現するほど、少女の舌は異様な長さを誇った。


 二股に分かれたその先端は。


 “二枚舌の蛇”――のようだった。


 正体も出現した理由も定かではない少女。明確な敵意を露わにした人狼の少女と毛色は真反対で、狼の形相と較べれば恐怖をそそられもしない。


 しかし五上涙子は警戒し、先手に打って出た。反撃したい意志と動作が逆転した――伝説級(レジェンドクラス)の怪物の力を掌握した彼女の精神では考えられない現象が起きた。


 橘千代紙のような、ただの怪物であったなら起きはしなかった。


 五上涙子の瞳に映る少女は人である。吸血鬼に喰われるべくして地上に誕生した獲物。

 抵抗する腕力も逃げられる脚力もない。これから命を悪戯(いたずら)に貪れることに憎悪し、せめてと――睨み返す。それすらできず。


「なのに……あなた」


〈始祖〉の眼が訴える。この少女は――人だと。

 

 人のまま、少女は五上涙子にも真似できない行動を取った。

『吸血鬼殺し』は肉体を復元する際、吸血鬼の肉体を宿主とする。その始終は赤子の誕生にとても酷似していた。


 吸血鬼を喰い殺す天敵も、元をただせば人だ。天敵に対抗すべく獲物が進化した。再生するには誕生から成長までの手順を踏まねばならない。


 少女はそのプロセスを経なかった。肉の身体に人の魂を包んでいるのに、その法則はオカルティズムというか――。


 神がかっていた。


 彼女をここに召喚した橘千代紙の生存を、城主であり女王である涙子は許さなかった。


 だがそれは――この鎖で自由を奪われとても戦えない少女には勝てないと敗北を宣言したのと同じだった。


「ゆるして、謝るから……ちよちゃん、私を許して……きいてるの、ちよちゃん……? 無視しないでよ」


 琥珀に屈折する両の宝玉を濡らし少女は(あつ)めた死体に縋った。無視もなにも千代紙は死んでいた。これでもかという有様で。彼女のパーツを回収した少女自身が最も痛感しているはずだった。


「あーもう、うるさいな。耳元で叫ばれて休めやしない。こっちは手足をわけわかんない光線で斬られた上、頭まで潰されるんだからね」


 気怠い感じに唸った。


「ちよちゃん!」


 目に涙を溜めたまま笑顔になる少女。その髪に、大きく開いた狼の肉球が乗った。


「私がこうして生きていられるのは――創が(そば)にいてくれるおかげだよ」

「…………」

「“ありえない”って言いたい顔だね。うん、気持ちわかる。そりゃ目の前で自分が盛大に殺した奴がべしゃり出したら怖いよねぇ? ――不死身のバケモノでも」

「……どうやって……」


 魔眼で観測した現象を神経の直結した脳で地球を三周する速度で思考を巡らせたが、思い当たる方法は〈始祖〉の知識にもなかった。


 少女の出現と(どう)の間隔で再生した千代紙の身体、魂。大脳と脳幹をマッシュされたのに言語能力に齟齬も見られない。平衡感覚も正常で。なんだったら三回周って『ワン』と鳴いてやろうかと涙子は言われた。


「ちよちゃん、このひと」

「五上灯真君のお母さん。私達の後輩の」

「そんな子、いたっけ」

「いたんだよ、もう大昔に。涙子さんにも紹介するよ、この街に住んでいるなら」


 少女の名は、三上創(みかみそう)というらしい。灯真(むすこ)の先輩で千代紙の幼馴染み。一番の親友で。


「橘千代紙が大好きな――……」


……この街の“かみさま”に()()()()()()()


「詳しいことは、あなたの息子の新しい友達の魔法使いか『吸血鬼殺し』に聞いてね」

「あら、一番の親友なのに教えてはくれないの?」

「私はラストしか知らないから」


 あの夏の終わりに千代紙の関われた時間は、橘一誠、モア、『吸血鬼殺し』、式折々と比べればあまりにも短かった。


 ふり返れば、九月の物語に、千代紙は登場人物ですらなかった。三上創が神を目指した原因(きっかけ)は確かに火原井千代紙(ひばらいちよがみ)である。それを見抜いた――見透かした式は、千代紙を“神(くだ)し”の最終兵器に使った。


 あの、どこにいるかもはっきりしないのにどこにでもいるような少年が、わざわざ自分から表に姿を出し、自分を含めた多くを犠牲に払い、橘一誠だけは無傷で済ませようと尽力したのに、最終的に千代紙を利用しても、事態をうやむやにするのが関の山だった。


 三上創は、千代紙以外には――それほどまでに強い。神性を封じられ人と認識されるまで堕とされても〈始祖〉の力を持つ五上涙子は彼女を攻撃しようともしない。


「ねえちよちゃん、今度またちよちゃんが死んじゃったら、私が生き返らせるから。その時は、ちよちゃんにしたこと……許してくれる?」

「……さあ、どうかな」


 裂けた口を僅かににやつかせた千代紙に(そう)も前向きな笑みを湛えた。


 口ではそう言うし、千代紙はこれからじゃんじゃん死ぬ予定だった。五上涙子に隙が顕れるまで。その都度手足はもげ、胴と泣き別れた狼の首は宙を舞うだろう。


 だが、彼女は創を決して許さない。それが式折々(しきおりおり)との契りでなくと

も。


 やはり今でも、彼には“騙された”と思う。三上創の存在に不利益を被るのは式折々、彼ただ一人しかいない。あの時どちらを選択しても、創は、千代紙を手に入れた。


「神様に生き返らせてもらえるなんて、とても幸せ者なのね」

「そんなんじゃないわ……これは、呪いよ。私と、この子のね」


 羨ましがっているのも今のうち。すぐに彼女にも判る。


 神様に愛されるなんて(ろく)なものではない。


 標的に接近するためにまず、なるべく低い体勢を取る。肉体を変形させ攻撃力を上げるなら、初動は原始的にするのが人狼の基本的な構えだ。


 両手をつき、腰を突き上げる。全身の神経を脚部に送るようなイメージだ。目線は鼻の先まで直線に伸ばす感じだと師匠は言った。

 脳の指令を脊髄から全神経に伝達しやすくする、そのために人の形態を維持しては獣のような動きはできない。けれど現在の千代紙には二種の異系列の生物の本能が同居しているような状態。両方に沿ったフォームこそ理想。


 眼前に敵目がけ突撃するのに、言うならば、クラウチングスタートは最適なフォームだった。


 畳みかけた千代紙、構えた手刀の先で鈍く黒い爪で涙子の脊柱を(えぐ)ろうとした。涙子はそれを左右から両手で難なく掴むと踵を返し背負い投げ、きゃいんと子犬の鳴くような悲鳴が上がった。


 吸血鬼の力を手に入れたといっても、いきなり怪力になったわけではない。

 千代紙の体重――ここでの暴露は読者への彼女に対するイメージに影響を及ぼしかねないので具体的な数字は避けるが、コンクリートを拳で粉砕は可能だ。

 一方、魔眼と直結した影響で涙子は脳のリミッターを外すことができた。片手で灯真を足元から持ち上げることだって。人の課した保健など吸血鬼の魔眼には簡単に開錠可能だ。


 しかし、力いっぱい――それも学生の時分にかじった程度の柔道技を使った反動で腕の筋肉は幾ヶ所で断裂した。再生できるといっても吸血鬼のように一瞬とまではいかない。燃えるように腕は痛むし血も出る。


 今後は肉体に頼った攻撃は避けなければならなかった。灯真に心配される。


 呉服店のショーウィンドウに盛大に突っ込んだ千代紙。全身のあらゆる箇所にガラスは刺さり珪砂(けいさ)でできた透明なクナイは実に痛そうに喰い込んでいた。片目も傷つけたらしく激痛に血の涙を流す。


「あらまあ、いたそう」

「ええ、おかげさまで……。ここ数日で、なんリットル分血を見てんのよ」


 初めての廃団地から量ればそろそろ血の池地獄も夢ではない。


「でもまあ、いっか……生きてるだけ!」


 今度は左右の腕部で臓腑を辱め頭を頭で胡桃(くるみ)みたいに割ろうとした。


 だがあと一歩のところで邪魔される。片隅から飛んできた肉塊にこめかみを打たれた。二度(ふたたび)挽肉の大群に群がられた千代紙。今度は脱出できないよう一斉に噛みついた。延髄から噴き出した血を辿って修復した脳汁を啜る。


 涙子の聴覚は、千代紙の脳が完全に停止したのを聴き取った。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」


 ばりぼりと貪る音と共に沁み出してくる血に創はひたすら謝り倒した。


 謝るくらいなら、助けに行けばいいのに。千代紙の言う通り神様なら蘇生させるより傷を癒す方が簡単だと思うが。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――!」

「……ああなるほど。あなた」


 千代紙に加勢しようともせず傷を癒しもせず、ただただ謝り倒す創。それで涙子の合点がいった。


 この少女に、千代紙に協力する気など最初からないのだ。目の前で親友が殺されたところで遜色はない。

 死ねば――生き返らせればいいだけの話。


 そうやって彼女を苦しめ、何度も死を経験させ、許してもらう。最後にはそういう腹つもりらしい。


「あなた、一体――()()()()()?」


 そこまでして、千代紙に許しを乞うこの神様の罪を涙子はぜひ知りたかった。神様なのだから、然る手順をしないと教えてくれないのか。お参りとか。


        ――――()()が、答えよ――――!


 獣種の威嚇にも似た低い声にふり返った先に、剛毛に覆われた拳が飛んできた。


 咄嗟に射出した破壊光線で涙子は軌道を反らすのには成功したが、千代紙の腕を蒸発するには威力が不足し毛と皮膚組織を焼いただけだった。


「あなた、死んだわよね」

「ええばっちり」

 その割にはぴんぴんしていた。


「……っ」


 喉の奥を焼くような満腹感が上がってきた。逆流した胃酸に胸を締めつけられる思いだった。


 千代紙を喰い殺したはずの肉片は、横たわるように腹を向け死んでいた。口の先から人狼と思しき硬い筋肉(すじにく)を零し。

 最初こそ犬の芳醇な肉汁に舌鼓(したつづみ)を打っていた。それが徐々に()せ返る満腹感になり、胃に収まり切らなくなった肉が胃ではなく気管に詰まった。


 対し、残らず食べられた千代紙は咬み傷の一つさえなく背後に回り込んでパンチまで繰り出してきた。


 生き返った千代紙は不敵な笑みを浮かべた。

 側らに置くのは、手も触れずに、親友を甦らせる――“かみさま”。


「ほらね。“神様に好かれる”なんて……(ろく)なもんじゃないでしょう?」


 あ。


 嘆息するみたいに呟いた声。五上涙子は完全に戦意を消失させたのを確信した千代紙の攻撃は始まった。


 右、左フック。下顎からのアッパー。エルボー、からの頭突き。怒涛とも呼べる格闘術は流派も基本的な型もなく、一部柔道や空手技も入れ込んだがそれも全くの出鱈目だった。


 人狼の強みは、狼の特性を活かした長期的な戦闘を実現させること。持久力に特化した肉体なら何日でもこうやって暴れ続けられた。


 涙子は後天的な反射神経で躱すがそれも長くは持てまい。魔眼が人狼の動きを捉えても避けるのは彼女の運動力。狼と人の持久力では戦況は砂の城が潮騒に呑まれるように簡単に瓦解する。


「そうまでして、どうして」


 絶え絶えになった息で、涙子はすぐそこまで迫った狼の頭の少女に尋ねた。


 確かに――我ながらなにをやっているんだろうとつくづく呆れる。


 あの時、創の提案を呑んで――九月にモアを人に戻していれば。創はこの街の神様として覚醒していた。


 創は、暴れるだけの親友とは違い、賢く思慮深い。成長すれば良き神として絶大な信仰を集め平和をもたらしてくれた。街で〈魅人(グール)〉が人を襲ったりなんかしなかった。


 この街で死んだ人は、千代紙に殺されたようなものだ。創に殺されるはずだった〈吸血鬼殺し〉は今も約束を果たそうとモアをつけ狙い、モアも姿をくらませた。


 魔法使いの口車に乗せられ、三上創の成長を止めてしまったばっかりに。


「でもね……のめるわけないじゃん、()()()()鹿()()()()()


 心の底に溜め込んだ慟哭を、ここで吐き出す。九月まで必死に押し殺してきたのに、創の顔を久しぶりに見て――思い出してしまった。


 親友と一緒にいたい。新しい友達を救いたい。二人とも神様になろうとするような子で、もう一人は伝説の吸血鬼の最後の生き残り。それでも、大切な友人だ。


 けれど、そんな二人を差し置いてでも手放したくない関係が少女にはあった。醜い(けだもの)となり数え切れない死を経験しても消えない、それは千代紙の根の深くにあった。


 だからもう――うじうじ悩むのは、今日で最後だ。


 長く届かなかった拳が、ついに敵を打ち倒した。渾身の一撃で踏み込まれ飛ばした千代紙の想いはとうとう涙子の首を獲った。


「あなた――一体」


 宙を舞いながら問うてくる涙子に。


「ただの女子高生よ。親友の幼馴染みと歳の離れた友達、あと血の繋がってないパパを心から愛している――欲張りなんて、言わないでね」


 (ささや)かな狼の咆哮は、ショッピングモールの屋上駐車場まで轟いたそうだ。

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