Head,meat,Too late
吸血鬼との闘い方を千代紙が自ら志願した動機。
それは師匠も彼女には打ち明けられなかった。
どうすれば不死身の怪物の頭を叩き割れるか、鋼鉄もビスケットみたいに嚙み砕く牙からどうやって身を守るか、翼を背負い死を運んでくる夜にも敗けない方法を。
弟子にしてください! 吸血鬼を殺したんです!
ノックもなしに校長室に押し入ってくる少女が一体なにに駆り立たてられたのか、隻腕の狼男は吸血鬼に喰われ今はもうない掌で興味深げに顎を撫でた。
しかし彼は、協力者である『魔法使いの末裔』からも聞かされていなかった。
彼女の携帯のアドレスには、この世でたった一匹だけ残った吸血鬼の〈始祖〉の名が登録されている事実を。
彼女が本当に殺したいのは吸血鬼――ではなく。吸血鬼と彼女を生かす男に死を宣告した『天敵』であることを。
新三巫市を離れ絶海の孤島に来ても“吸血鬼”とは連絡を取り合っていた。彼女は極度な夜型なので話せるのはいつも消灯前のベッドの中。ルームメイトはみん耳がいいから声を顰めるのに苦労する。まあ蚊の鳴くような声でも、電話の向こうからちゃんと返事が返ってくるだけ、あの子もいい耳をしているのだが。
電話に出る度に吸血鬼は千代紙に謝った。大切なものを奪ってしまった罪滅ぼしをしたいと。
千代紙自身は吸血鬼との和解は済んでるつもりだった。七月の廃遊園地で、式の計らいで互いに気持ちをぶつけ合えたし、あの夏があったから、胸の中で燻り続けていた想いも吐き出すことができた。
自分の気持ちに素直になれたのは、あの吸血鬼が――奪ってくれたお陰だとも今では思
っている。
『でもボクじゃあ彼を守れない。彼はボクを人に戻す方法を探してくれているのに、無力なボクは彼の寿命を一秒も伸ばせず奪い続けている』
生きるのを諦めたみたいに言うものだから。
つい、ムキになってしまった。
『見てな、今に強くなってモアモアも……あの馬鹿な親父もまとめてこの私が守ってやるよ! 吸血鬼は吸血鬼らしくパパの“お血々”でも飲んで気長に待ってな』
『吸血鬼殺し』の力の源は、彼が喰らったと云われている無数の吸血鬼。あの筋肉ダルマの上腕二頭筋は、総合筋は、大殿筋は“死”が糧となっている。
糧が奴の狩りのベースとなっていると仮定して、吸血鬼の天敵である人狼の牙は肉を削ぎ骨を溶かし爪は命を絶つ――。
冗談じゃない。
『鉄血ドール』は冗談が、飢え死にし掛ける鬼を同情心で助けてしまう会社帰りのサラリーマンよりも嫌いだった。
『ああ! うそうそ、やっぱりサラリーマンの方が嫌い!』
受話器の向こうで、鼻がすする音が聞こえた。その直後にため息をつく声。
『ちよたん、君は本当に、彼に似ているな。こんな吸血鬼を助けようとするなんて』
『当たり前でしょ、私達は――』
照れ隠しに通話を切る。
その直前の声は、鬼の聴覚でも“掠れているような”と言いたくなるほどに小さかった。
――父娘、なんだから…………。
+++
その『吸血鬼殺し』を殺そうとした術で、彼らの益になることを成そうとしているなんて。
吸血鬼との闘う術を伝授しようとした“校長先生”は千代紙には技の上達以外はなんの好印象も示さなかった。それも最初は、千代紙を油断させて情報を得ようとする作戦だと警戒したりもした。
だが『吸血鬼殺し』の存在をほのめかしても、ガハハ! と狼の遠吠えみたいに胸を反らせながら話し始めたのは自身と彼の武勇伝だけ。『第二の始祖』に腕を食い千切られた経緯にも一切の恐怖もなく、誇らしげに語り切った。
『俺様っていう一人称は、俺様があいつに譲ったからなんだぜぇ? 親友の俺様が、ナ☆』
百歳をとうに超えているのに年甲斐もなくウインクをかます老狼。
吸血鬼の味方をし、自分の友人を殺そうとする相手に闘い方を教えている。扉を蹴破られても、『いい蹴りっぷりだ、どうだい、俺様と吸血鬼を刈りに行かないか?』なんて口説かれた。
あの頭には、吸血鬼の頭を刈り取ることしかない。
さすがあの『吸血鬼殺し』も〈始祖〉以上に手を焼いたと恐れられるものだ。
『首刈王』――絶望に歪んだ吸血鬼の首で築いた玉座でふんぞり返る狼族の頭目。だが日増しに高くなるそこはいつも空席で、腰を落ち着かせ己の武功を認識すると、またすぐに出掛けてしまう。月が浮かぶ――夜の深淵へ。
けれど。吸血鬼が幅を利かせる夜に出歩く人狼は、夜に恋し首を愛した血気盛んな男ではなく。こんな夜更けに出歩こうとする生徒がいればぴしゃりと注意する、血の繋がりも
ない男に首ったけな少女というのだからお笑いだ。
光の絶えたショッピングモール、タイル張りの通路は進む度に靴裏のゴムが擦れる音が響く。
避難通路を差す誘導灯の光は闇に喰われ消えていた。案内板が濃紺だと視認できたのは狼の目が人より光を吸収しやすい構造をしているからに他ならない。
女物の服に装飾品――流行のファッションに身を包んだプラスチックの肌のマネキンが胸を張りポーズを取っていた、しかし表情の窺えない彼女の立ち姿は雑多な客と証明のない店内だと実に物悲しく、たった一人しかいない客の購買欲は失せる。
今は金欠で、とても新しい服を買う余裕なんて千代紙にはないのだけど。
館内は、閉店時間を迎えていた。客も店員もいない。年中を通し人がいる場所から途端に人がいなくなると不思議な解放感が漂っていた。
「でも……まだ営業中みたいね」
なんの変哲もないショッピングモール。人食い鬼が陣とっているには血の|一滴も見当たらない。
だが上にも、下にも、右にも左にも、千代紙の正面にも無数の気配が渦巻いていた。
言葉に表すには千代紙には難しかったが――人が生きたまま溶かされるような。弾力のある肉壁にすり潰され、皮が削げ落ち筋肉が剥き出しになった腕に掴まれたような感覚。
退行した声が発音する苦痛が耳を打つ。
さしづめ、千代紙がいるこの位置は、五上涙子の『胃袋』といった所か。
「“お母さんの子宮に包まれて”は確か、気持ちいい時に使うんだったかしら」
圧迫感にため息を洩らし、恐らく今この場で最悪となる比喩を千代紙は持ち出し、ひとりごちた。
“……あの。すいません”
――それが。
人の声と千代紙は理解するのに数秒を要した。
“かあちゃ……俺のお母さん、みませんでしたか?”
「お母さん?」
声をすぼませ訊ねた少年は千代紙の年齢から七つか八つほど引いたくらいの背丈だった。
首には使い古しのバインダーを提げていた。端のところどころは劣化してプラスチックが欠けている。千代紙の目線から丁度見下げる位置にいる少年の頭は学校指定の帽子を被っていた。記
生地からほんのりする地肌の蒸れた匂い。
少年はどうやら坊主頭のようだった。
「一緒にいて、はぐれちゃった?」
“そうだけど……そうじゃなくて”
口ごもる少年。その恰好は社会見学中の小学生だった。
大方、学校行事の一環で近所のショッピングモールに来た際、買い物途中の親とばったり再会、クラスメイトの前で恥をかいた、といった感じだろう。
“みて、ませんか”
「ごめんなさい、今来たばかりなの。よかったら、お姉さんが代わりに捜しましょうか」
千代紙は少年を出口まで案内しようとした。結果として引き返す形となってしまうが。
この中で、彼の言うお母さんが奇跡的に生きていれば。
彼と逢わせるわけにはいかない。
「なんだってのよ、もう……!」
“おねえさん、だいじょうぶ!?”
千代紙が突然頭を抱え出し、少年はどこかに助けがいないか人影を探した。
『!?』が語尾についてもなお、少年の声は小さかった。幽かに消え掛け霞よりも透けて実体が掴み取れない。
それは――慌てふためいた少年の姿も、また同じだった。
涙子が巣食ったショッピングモールは、外観からは想像もできないほどに広く複雑化された。
百の夜を歩き果てても踏破が不可能な内部は、吸血鬼の力で想像が創造された結界。内部におよそ変化が見られないのは、出口があると“獲物”に思わせるため。
絶望で抵抗する余力を残すよりも、希望を見せて弱らせる方がいい。
彼の女が一晩も足らず完成させた――息子との“愛の巣”。捕えた獲物を閉じ込め、じわじわと弱らせてから消化する、まさに生き地獄。
吸血鬼、それも上位種である〈始祖〉の中でも最初の七人は、天地をも創り出す能力を持っていると言われていた。
物語に登場する吸血鬼が棲む“城”――だが事実は、小説より奇なり。現実の〈鬼〉は城はおろか宇宙に惑星を浮かべる――。
『第二の始祖』の魔眼から獲得した力で、彼女は自分が棲息しやすい環境を創った。その中では命は生きない。
それどころか。肉体を失くした魂はかつての姿で闊歩する。生前の記憶から言葉を話し未練を生者に打ち明ける。
そんな非常識を、世間一般の常識でどう言うか。
千代紙は――五上涙子がつくった“地獄”で、彼女に殺された幽霊に遭った。
「こんばんは。いい夜ね、狼さん」
その“地獄”の王が千代紙の前に降臨した。
「最低な夜よ、吸血鬼もうろつかないくらいね」
少年を庇いつつ吐き捨てた千代紙の声は重々しい。
束ねた髪に地味な服。
けれど、微笑に細めた二つの目玉はこの世に在っていいモノではなかった。
「ねえ、ボク、かくれてないで出てらっしゃい? おばちゃんはボクのお母さんの友達よ?」
「出てきちゃだめ!」
千代紙は懸命に訴えた。
だが霊体である少年は、千代紙の腹部をすり抜け彼女と位置を交替してしまう。
「あらあら、なにをそんなに驚いているのかしら」
少年を制止しようとした千代紙の手は空を切った。
さらりと仄かに伝わる感触。魂がこのような触り心地だとは。
当惑する千代紙に涙子は囁く。
「“人が透ける”なんて、ここじゃあ当たり前じゃない?」
母を求め前に出た少年は千代紙を怪訝そうな面持ちでふり返った。
少年に、自分が死んだ、などという実感はなかった。
霊魂が一度肉体を外れれば、絶命を認識した記憶、感覚は失われる。死を実感する、脳を始めとした器官も肉体の一部である。
魂で自覚した事象は、脳で現実を捉える千代紙とは一線を画している。手ずから練り上げた魔界の主も同様に。彼女の眼は、死と夜の体現者が所有していたものだ。
この冥界で、命を湛えた千代紙は異分子であり、彼女の常識は逆転する。
“かあちゃんはどこ?”
不安そうに尋ねてくる少年に、涙子は笑って。
「――“ボクの後ろにいる”じゃない?」
ベタ――ベタベタで厭な粘りのある口調で後ろを示した涙子。ホラー映画なら誰一人と脅かせないし驚けない。この手の展開には失笑確定の禁句だった。
「かあちゃん」
少年にそう呼ばれた“ソレ”は――『ずるり』なんて擬音で天井から重力に従って零れ落ち、千代紙の身体を絞め上げた。
太ったナメクジのような見た目をしておいて、赤紫色の肉の塊は蛇のように敏捷だった。
肉塊は溶解した一部で触手を構成する。収縮する触腕の先端部。ひくひくと開閉した部分には人の犬歯でできた原始的な『口』がついていた。
ぐるぐると頸に巻きついて、肉を頸動脈ごと咬み取った。筋線維を抉られた千代紙から鮮血が舞い散った。
「先輩ったら、子どもの見ている前で」
涙子は呆れて苦笑した。
近づいてくる息子には目も暮れず獲物に一心不乱に喰らいつく。
目など――元よりなかったけれど。
『ピンポンパンポーン! ご来店のお客様にお報せします。
ただいま一階におきまして、オオカミ少女の試食会を開催しております。早い者勝ちですので、まだの方はなくなる前におはやく!』
ピンポンパンポーンと、おどけた涙子の放送はショッピングモール中に鳴り響き。
カフェの席に呉服屋の試着室、おもちゃ売り場に設置されたアーケードゲームから〈魅人〉の眷属と成り果てた人間が千代紙の血の臭いを目指してきた。
その中にパウンドケーキのように膨れ上がった肉の塊を先頭に一回り小さな肉塊の群れが随伴し。
うちの一体が少年をすり抜けると、同化するように霊体は消えた。
「この前に食べた子は、もっとやわらかくておいしかったのに……」
やっぱり灯真ちゃんのお友達じゃないからかしら。
「お口に合わなくて悪かったわね」
残念を吐露した涙子に掻き分けた肉塊から脱出した千代紙は嘆息した。
「なにすんのよ、痛いじゃない」
「ずいぶん頑丈なのね、意地が」
穴という穴から血を噴き出し片目を失くした満身創痍の千代紙に涙子は苦笑。
「今にも死にそうじゃない。でもおかしいわね、人狼って、血が出れば死ぬんじゃなかった?」
「魔眼で“師匠”と戦った記憶でも思い出したのかしら。たくさんのものを見ている割に言うことは退屈なのね。そんなの、簡単じゃない――」
――私が、普通じゃないの。
「さっき言ったでしょう? “神様に愛されている”って。私に許してくれるまで……守護天使は、私を死なせてくれないの」
吸血鬼の眼を以てしても要領を得ない内容を自虐気味に吐露する千代紙に、涙子の首ははたと傾いだ。
まあその反応も無理もないと思うし、彼女には同情する。
なにせこれから――嫌というほどの奇跡に遭遇するのだから。
はてさて、これからなにが始まるのか。涙子の興味は尽きない。
以前吸い尽くし、涙子が不味くて吐き出した血液量より多い血を内側から浴びる千代紙は、始まるというより――終わったという言い回しの方がしっくりくるような気もするが。
この魔界は、いわば涙子の肉体である。消化された人々は〈魅人〉の一部として涙子の意のままに動く。
意識を支配されたという点で、吸血鬼の〈支族〉と共通するが、固有名詞のない不死の吸血鬼と違い、五上涙子という特定の命を持つ彼女の命令に従うのは、消化を手助けする善玉菌――体内で生成され、外敵を廃そうと攻撃する点では異物を排除する白血球がより近い。
故にこの状況を見守る涙子に敵意はなく、肉塊に意識は伝達されず千代紙に止めを刺そうしなかった。
初めに生じた変化は、千代紙の喉だった。
元のソプラノ調だった声は、アルト、テノール、そして。
「う、う、う…………う」
最後の瞬間に呻いた――バス。
少女が吐いてはならない声で唸りながら、千代紙は涙子を威嚇した。
半円状を描いた唇は円錐にせり出した顎に伸びた。黒ずんだ鼻は口の先頭までやってきて髭を“ぴん”と生やした。
もちろん人の髭は“ぴん”なんて音を立てるほど硬くない。
針金のように白い毛は、犬の髭だった。
傷口の中から骨を圧迫しながら膨張する筋肉の音がした。薄い入院服が裂けて、毛に覆われた胸部が覗いた。底の抜けたスリッパから密度の高い爪と桃色でぷにぷにの肉球が飛び出す。
よく見なくても、強く握り締められた両手にも栗色の犬の毛と肉球は侵食していた。
元から生まれつきだった勝気な目は、“勝気”なんて曖昧な比喩が不必要なくらい刃の如く吊り上がり。垂れ下がっていた耳は頭頂部で二等辺三角形の形に張った。
ぐるるるるるるるるるッ!!
鼻と眉間の間に皺を寄せた、二足歩行の狼。外見はどこからどう見ても獣と見間違えたりしないのに、骨格は人。
“人であり狼”――発展途上で、半端。
それが今の千代紙の戦闘形態だった。
けれど、これはあくまで肉体の強化であって治癒能力までは開花しない。
千代紙を癒すのは――また別の存在だった。
――おいで。
創?
さすがは人狼から直々に手解きを受けただけあって。
大きく裂けた口で、千代紙の発音は完璧だった。




