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Sister,ambassador,get in deeper

 手遅れだ。

それがショッピングモールに到着した千代紙が呟いた最初の言葉である。


 夜の帳を背景に佇む黒い影が見上げる者を威嚇する。うっかり手を伸ばせば肩から先が食い千切られそうな威圧感。しかしなぜか、どこか引きつけられる。景色にのっぺりと張りついた存在感の迫力に虚栄心を掻き立てられ――惹きつけられる。


 だから、彼らもきっと、魅せられたのだ。


 これから多くの血が流れるであろう現場には大勢の野次裏が集結していた。


〝集結〟というニュアンスからは人類の智的さが顕れて正確ではない。

カメラを向けたり自分の居場所を携帯で友達に伝えたり、もっと別の行為を行っている者が群衆にいるように千代紙には見えたが、口々に噂を(うそぶ)くのは全員が共通している。一つ一つ意味を持つ言語が混ざれば、最早確固たる意味をなしてはおらず、狼の聴覚で聞くそれは飛び交う蝿の羽音で知能の欠片も感じられなかった。


「狼の耳がどこまで良いか知らないけど。鼻には自信があるけど」


 死んでも腐らないと、そう自ら豪語する吸血鬼の幽かな嗅覚も嗅ぎ分ける鼻を千代紙は掻いた。


 動員された警官隊によりショッピングモールの敷地周辺は立入を禁止されているため幸い野次馬から犠牲者はまだ出ていなかった。情報を入手した報道陣が光の失せた建物にカメラを向けるが、肉の壁に隔たれた位置からの撮影では真実もつまびらかにはされない。


上空がやけに静かだが、報道のヘリが飛ばないよう、何者かが働きかけたのか。


式家にそこまでの力がないことを千代紙は祈った。なにせ全てが終わった後で、あの魔

法使いに重い“肉球パンチ”をお見舞いするつもりだった。


「そこの君達、どこから来た!?」


 中に入ろうとする野次馬と押し合いへし合いしていた警官の一人が千代紙とその“同伴者”を指して呼んだ。淡い制服の下からでも判る鍛錬された肉つきに生気溢れる若々しい顔。


 あの母親が好みそうな顔だった。


「私達、あの中に入りたいんです」

「……どこの病院から抜け出してきたの?」


“同伴者”の張りつけたような笑顔に若い警官はたじろきながらも身元の確認を急いだ。ことは一刻を争う状況で勘弁願いたい――と。だがこればかりは千代紙は警察官――市民の味方の、味方だった。


 こんな夜更けに女二人。どちらも入院服で、一方は薄着の一枚の下にぐるぐる巻きの包帯。怪しむなという方が土台無理な話だった。


「救急車を呼びましょうか。ご家族の方と連絡は取れますか?」


 不審者扱いから1ランク昇格――身体の心配をされる『十字架(サーヴァント)』は、大丈夫です、へっちゃらです……何度も連呼するが見た目の迫力のせいで全く信じてもらえなかった。


「そっちの君は、妹さん?」

「だれがッ!? ――――…………そ、そうです、わたしたち近所でも有名なおしどり姉妹なんですよー! ね…………。……っ、っ……」


 かなり勇気をふり絞ったが、子持(コブツキ)の吸血鬼をどうしても“お姉ちゃん”

と呼べない狼少女だった。


「あまり似てないね。そっちのお姉さんは、顔が見えないから判らないけど」

「異母姉妹なんです。姉の私が元モデルで妹の母親が現役陸上選手なんですよ?」


 頬に手を添え腰をくねくねくねらせ笑う『十字架(サーヴァント)』。姉というか“お母さん感”に溢れていた。


 それと、胸を見て言った吸血鬼とは後でたっぷり――()()()()もらおうと舌で八重歯を舐めながら千代紙は口端を歪めた。


 ――気づかないと思うてか。

 女にはね、頭の他に胸部にも眼がついてんのよ?


「ね? ――“パピー”ちゃん?」


 どこの次元にお腹を痛めて産んだ子に“子犬(puppy)”と名づける親がいるのか。英単語を嫌でも勉強する高校生の時分、つまり今に知っていたなら確実にグレていた。


「あの、お怪我はいいんですか」


 他人の怪我の具合など質問するのはいかないのは百も承知の公務員だったが。これだけの外傷で歩いて、世間話でもされれば聞かずにはいられない。


「リンゴの皮を剥いていたら、うっかり()()()しまいまして。この子が『どうしても入院しろって』いうものですから、ほんと大袈裟ね」

「ブレイクダンスしながらリンゴ剥いたんですか」

 

“切”ったというより“()”ったという表現の方がしっくりくる自称・モデルの娘でドジっ()お姉ちゃんの発言に警官は白目を剥いた。


「と、とにかくここは危ないですから早く離れて!」


 この外見に加え――()()()()()発言の数々。病院から脱走した入院患者だと完全に確信した警官は怪しい姉妹をパトカーに乗せようとした。


「……離れるのは、あなた、いや……あなた達の方じゃないかしら?」


 車の扉の(へり)にしがみつき、栗毛の少女は踵を返した。


 ばれちまっちゃあ仕方ねえ――なんて枕詞(まくらことば)まで豪語しながら。


「は?」


 別段、特に、なにも明るみになどなってない。むしろ少女のその発言でさらに疑問が増えたような警官はした。


「私達は、公安が直々に派遣した国家直属の精鋭部隊なの」


 腰に手をやり胸を張る千代紙。張って張り仰け反り、後頭部が地面に接触しそうだった。


「大人をからかうんじゃありません」

「からかってないもん、ほんとに精鋭なんだもん!」


 抗議した。腕をふり足をふり千代紙は猛抗議した。もう、これでもかと言うくらい。信用してもらうには“それらしく”振る舞われねばならないというのに。地団駄を踏みしめ駄々をこねては国家直属の精鋭などという意外な嘘も映えない。見た目の通りの――子どもだ。聞き分けのない、聞く耳を持たない質の悪い子どもだ。


それっぽい言葉をそれっぽくのべつ幕無しに並べればそれっぽく信じてもらえると思ったのに。世間には『魔法使いの末裔』と名乗りふんぞり返る高校生だっているのに。


()()()()騙してごめんなさい。でも、本当なの」


 失言を撤回しようとする『十字架(サーヴァント)』。場を()き|廻すだけしておいて努力を無にするような発言に、千代紙はむくれた。頬を膨らませ、衣服の下に忍ばせた尻尾で背骨を撫でる――犬が腰よりも高い位置に前向きに尻尾を立てるのは不満や怒りを覚えているサインだ。


 (ひと)尻尾(けもの)、感情を別々の仕草で(あらわ)すとは、実に人狼らしかった。


 けれど風紀委員として実績を残した千代紙は、元より他人の機微に(さと)い。血筋による特性ではあるが。


 はて――と見つめる先にいるのは、金髪の女。


 包帯で表情の読めないあの〈鬼〉は、警官に“さっきは”と言った。千代紙のバレバレの嘘は――“さっき”と言うほどの時間は経過していない。


 思い当たるのは一つしかなかった。

 もう一つあった、明らかにあからさまな『嘘』――血を吸う吸血鬼がついた“まっかなうそ”。


「私達、この建物に立て籠もっている奴を逮捕しなくちゃいけないの。人間じゃない――そいつはバケモノなの。あなた達の手には負えない…………ねえ、中に入れてくれない?」

「は い お お せ の ま ま に」


 警官は呟く。感情も熱もない、機械が計算を弾き出すよりも無機質で無機物な音階。


 瞬きの方法も忘れ乾き切った瞳の警官を光が抱擁する。闇の中で金に瞬く長い光の筋が放心状態の警官に巻きつき、絡め取り、掌握する。制服に滑り腰の拳銃の銃口を舐め男の

顔に纏わる。愛のある抱擁とはかけ離れた――毒の触手で魚を窒息させんとする刺胞動物(イソギンチャク)のよう。


 男は、完全に見た。魅入られて――包帯のすき間から覗く人ならざる美しさを湛えた女の瞳から目が離せなかった。


 千代紙と『十字架』が警官にこれから通される道行をパトカーのサイレンが照らす。最凶の母が巣食う建物と、それを、なにも知らずに見上げる野次馬を。明滅する光は血のようで、生きているようにも千代紙には見えた。


 いや、生きているのだ。この建物は。


 引き寄せられた獲物の血を吸って。




 魅了(チャーム)


 それは鏡に写らない、人の血を吸うと並んで代表される吸血鬼(ヴァンパイア)の特徴。紅く血塗られた瞳に魅入られれば、人は恋に落ちてしまう。目の間にいる相手がこれから自分の血を吸おうとする人喰い鬼と判っていようが。自死こそが産まれてきた理由だと悟り、喜んで首を掻き切られにゆく。


「あの人は元に戻るんでしょうね」


 暗転したショッピングモールの廊下を進む千代紙は『十字架』を睨んで呟いた。


 その点は彼女はしっかりと保証した。距離が空けば警官は正気になる。後遺症で前後の記憶は曖昧になるらしいが日常生活に支障が出ない範囲で。


「私は、まっとうな吸血鬼とは原典が些か異なるので」


 冷たく言い切る。姉の役はもう飽きたらしい。


 だが、これまで見せていた、正確には『吸血鬼殺し』の前で振る舞っていた無機質な態度はない。

 首肯したその様子は――自虐めくようにも千代紙には感じた。


『十字架』が並行し歩く狼の娘を見る。


「“彼”が、教えたの?」


 これだけ自己を批判しておきながら、性懲りもなく再び魅了を発動させていた。吸血鬼の力を封じる呪詛が込められていると聞いている包帯を今度は解き、開眼した瞳で千代紙の心を掌握しようとしてきた。


 人狼に吸血鬼の能力は通用しない。少女の体内を循環する畜生の血は夜と死がもたらす呪いを退け生きている実感を強制的にもたらしてくれる。


 まあ。と苦笑し千代紙は自分に呆れる。掛かるかどうかまるっきり自信が湧いてこなかった。


 狼に変身するずっと前に、千代紙は魅了されていた。憧れ、絆され、想いを伝える間もなく失った。

しかも吸血鬼じゃない、どこにでもいそうな、冴えない男に。


「それで? なにを(うたぐ)ってるか知らないけど、私はあなた達親子についてはなんの情報も得ていない。隠し切れなかったあなたの落ち度よ」

「――狼というのは」


 感情を込めて、人形になり損ねた女は言う。

 

狼というのは――どうしてこうも、鼻が利くのか……と。


「どゆこと?」

「あなたとは馬が合わないってことです。ここからは二手に分かれて五上涙子を探しましょう」

「ちょ……いやいや!? アンタが私に助けてほしいって言ったんでしょうがッ。なに土壇場で縁切ろうとしてんのよ!」

「私は一度も、一度たりともあなたに助けを乞うてはいませんが? 万策尽きたあなたに私が、この私が――渋々力を貸したと記憶しています。人形である私の記憶は正確です」

「ふっっざけんじゃないわよ! だいたい記憶力に自信のある奴は末尾にそんなこと言わないって。思い切り責任放棄しようとしてんじゃない!!」


 口論している間にも異種族の距離はどんどんと遠のいた。天敵同士の関係を体現するかのように。吸血鬼も人狼も、こうして殺し、喰らい合う関係になったのか。


「それとも、え、なに? ――“さっき”の。気にしているの?」

「…………後は任せましたよ」


 背中を向けたままの『十字架(サーヴァ)ント』は、千代紙の見立て通り、怒っていた。人狼を本気で毛嫌いしている。千代紙を本心で遠ざけている。


 別に、不快にしたなら謝った。事情も聞かず勢いに任せて家庭の事情に首を突っ込んでしまい申し訳なかった。


 だが、そうもはっきり()()()()()()()()()()()()ば最早なにも言えない。反論も謝罪も等しく無駄となった。


 天敵同士の短い同盟は――本当に短く終わりを迎えた。


 けれど千代紙は『十字架』に背中を見せる訳にはいかない。

今からするのは仕事の話だが、落ち着いてもいられない。

 

何故ならこれから彼女にする質問には、人類の未来が懸かっていた。


「二手に分かれて、勝算はあるの?」


 遠ざかっていくその背に千代紙は問うた。


 千代紙と『十字架(サーヴァント)』、五上涙子。


 この三人の中で最後まで生きていられる可能性が最も高いのは、吸血鬼発祥の怪物である『十字架(サーヴァント)』だ。

 持てる力を全て使い果たして殺し合いを演じたところで生き残るのは五上涙子と、千代紙も思ってはいなかった。彼女が〈始祖〉の力に目覚めて実はまだ数ヶ月と経ってもいない。対して、涙子同様に純粋な吸血鬼でないにしろ『十字架(サーヴァント)』には『吸血鬼殺し』――息子とこれまで築いてきた圧倒的な経験値がある。


 そんな彼女が協力を仰いできたのだ。


 ならば、いの一番に死ぬのは――怪物になった経験もまだ浅く実戦経験の乏しい最後の一人。


 などと……『()()()()()()()()()のだろう。


「勝てます。私なら」


 そう断言してみせるからには前向きに捉えるだけの根拠があった。


 まあ、と千代紙は肩を竦める。

 なにせ彼女は『吸血鬼殺し』と一度、あの女に勝っている。涙子に精神を支配された吸

血鬼を。


 そしてその二人の勝利に尽力し人類を絶滅から救ったのは、代償として片腕を失い今はとある南の島で学校を設立、教師に甘んじ獣耳に尻尾を生やした子ども達と戯れている、『|十字架《サーヴァント』があの“男”と苦言を呈した――千代紙の師匠その人だった。


 かつて自分を引退にまで追い込んだ女の魔眼が盗まれたことを知り、鍛えたばかりの弟子を死地に追いやるような男だ、むしろ尖っていた時期を『十字架(サーヴァント)』は知っている。そんな自分の前にまた、正体を知る人狼が現れたのだ――冷たい態度も取りたくなる。


「あなたこそ足を引っ張らないでくださいよ」

「――ぬかせ。あいにく私は神様に愛されまくってんのよ」


 はっと笑い飛ばし、千代紙は――真っ先に死ぬのはお前達と嘯く。


 なにがあっても、と己が運命を自嘲する。

 

 なにがあっても、自分は死ねない。“死にたくても死ねない女”。


 それが橘千代紙だった。


一週間以上遅れてしまい失礼しましたー!!(土下座)



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