20人目の吸血鬼-4-
※残酷描写あります。
吸血鬼には人間だった頃の記憶がない。
家族や友人については忘れ、彼らもボクを憶えていない。
呪いにより帰る場所、名前といった人である証明を剥奪され、化物として彷徨う。
噂話や怪談話、怪異譚で吸血鬼はメジャーだが、どれも着色され広まっている。
人間は餌で、喰う喰われるの関係で、人間社会には、どのような形でも順応できない。
〈鬼〉は……最強で、最凶で、孤高で、孤独な存在なのだ。
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雲を裂き、東の空から夜明けが到来する。
橘と式は、今この場この時に人類の天敵、その最後の生き残りを殺す。鎖で縛り上げ、太陽の下に晒して焼き殺す。
「ずいぶん手が込んでるんだな」
橘に連れられやってきた吸血鬼が、展望台に設けられた簡易的な神殿を見て言った。
「願いを叶えるためですから。これで、安らかに死ねますよ?」
笑みを浮かべ、式は吸血鬼の手を取った。
セールスに必要なのは、人当たりと信頼を証明する証拠である。式はそれを見事に実践してみせた。
「手を、放してくれないか?」
そう言われ、吸血鬼の手を握る橘にさらに力が入る。
「君は人を殺すんじゃない。怪物を退治するんだ」
子どもの姿をした人喰いの怪物が感謝の意を表明する。
「これは……とても、とても名誉なことなんだ。これでやっと解放される。これで誰も傷付かない」
手を揃え、深々と頭を下げる。
「このまま化物としてひとり朽ちるくらいなら……誰かに見守られたまま、大好きな太陽に焼かれて終わりたい」
吸血鬼は、橘の手を振りほどいだ。
他愛のない話をした。馬鹿げた話題で盛り上がり意味もなく騒いだ。
あれは、遺言だったのだ。
彼女は死を覚悟できていた。誰も傷付けずひとりで死にたくないという願いを、この吸血鬼は、とっくに叶えていたのだ。
橘を前に吸血衝動に耐え、死を間近に控え、己がどのような結末を迎えるか知っていてもなお。
一度も、ただ一言も、助けを求めていなかった。
彼女は、誇り高い最期を、尊い死を望んでいる。
――なら、大人は子どもの願いを尊重するのが仕事ではないだろうか。
鎖に繋がれた吸血鬼は、振り向きながら昇る太陽を見つめる。青い炎に包まれ、変化した赤の火焔が肉と骨をじっくり焼く。
バーベキューのような匂いがした。
肉の焼ける匂いだ。命が終わる匂いだ。
手足が崩れ、童女の形を取っていた化物は炭化する。
「吸血鬼を救う、それがどういう意味か、解りますか?」
展望台に上がる火柱を眺め、式が橘に問う。
「捕食者に獲物が進んで身を捧げる。食物連鎖の理に反した行為です。それは吸血鬼化した人間同様、人間社会からの脱退を意味します。あなたがこの世界で築いたものは、文字通り全て失います。それを、もう一度よ~く考えて、質問に答えてください」
吸血鬼の側に立ち、人ならざるものを指差した。
「この、人間の天敵を、あなたは助けたいですか?」
式の問いに、橘は答えなかった。
人間の文化である会話を拒否し、丸焦げになった吸血鬼の頭を拾い上げた。こんな状態になってさえ、口許からは微かな呼吸の音が漏れていた。
だがこうなってはもう、自分から血を吸うことはできない。
橘は唇を噛んだ。
鉄の味を確かめると、息を吹き返させるように……吸血鬼の口に自身の血を流し入れた。
火だるまになった頭と、燃えるようなキスをした。
「……おえ……」
朝っぱらからおじさんと吸血鬼のディープキスを見せ付けされた式が感嘆の声を洩らした。
たった一滴。一雫で、吸血鬼は本来の姿を取り戻す。
頸から胴が生え、新しい手足が再生され髪が生え変わる。
黒髪を湛えた、小麦に輝く肌の、幼くも美しい血吸い鬼。
死にかけだった最弱の童女は、男の血の一滴で、夜を司る不死身の化物に返り咲く。
「……どうして……?」
復活した吸血鬼が男に抱いたのは、純粋な疑問だった。死ねなかった憾みよりも血を無理やり与えられた怒りよりも。
「なぜって、そんなの決まってるだろ」
男は、混乱する吸血鬼の紅梅色に潤う瞳を見つめ言った。年甲斐もなく恰好を付け。
「大人は、子どもの夢を壊すのが仕事なんだ」
それを聞いた吸血鬼は、笑うしかなかった。
子どもような笑いではなく、人間として生き、吸血鬼として彷徨い続け経過した苦い大人の笑みで。
「君は、キスがとても下手なんだな……」
「初めて妻として、以来それきりだからね」
無邪気に笑う吸血鬼は、全裸だった。
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かくて、橘は吸血鬼を救った代償に、社会から追放された。
妻からはメールで一方的に離婚を切り出され、親権も妻が持つことになった。
会社もクビになり、携帯の電池も切れてしまった。役所に行っていないので確かめてはいないが、戸籍も……だろう。
これが呪いだ、と橘は受け入れるしかない。
『血の呪い』……モアはそう言った。
『モア』というのは、あの吸血鬼の名だ。
名前がないとこれから先不便なので、便宜上の呼び名を考え付けた。
由来は、彼女が吸血鬼になった年に流行っていた都市伝説からだ。
「街へ行こう」
モアが橘の手を引きながら言った。
「街?」
「ねえ、行こう! 行こう!」
キラキラとした目で橘を急かす。
橘の血を飲んだモアは〈始祖〉としての力を完全に取り戻した。力を使えばこれまで着ていた服を再現することもできる。姿だって、橘や式以外にも見せられる。
「式はどうするんだ?」
「こっそりぬけ出して帰ってくればいいさ」
あれから一日を費やし式と議論して、二人はこの遊園地跡に匿われることになった。
吸血鬼を街に野放しいできないという式の判断だった。
そして、橘も。
あの日、なぜ吸血鬼の魅了が効かなかったのか、どうしてモアの姿が視えたのか答えは未だに出ていない。
仮説のひとつに、モアが‟助けてくれそうな人間を無意識に求めたからではないか”と式は挙げた。
死にたいと生きたいは、必ずしも一致しない。
そう思えば、吸血鬼を助けてよかったと、橘は考えてしまうのだった。
「わかったわかった。どこに行きたい?」
人喰いの化物は、まだまだ遊びたい盛りなのだ。
「タチバナが案内してくれ。ボクはどこでも嬉しいよ……」
……それで、君が元気になるのなら。
とは、モアは口に出せず今日も危険を冒す。
愚かにも吸血鬼を救ってしまった男に、最早訪れない幸福を求め。
吸血鬼編、これにて完結です!




