傲慢
学校の七不思議編、これにて完結です。
――それから、岡成見の周辺で特にこれといった進展はなかった。
展開は進まずとも、時間は過ぎ去る。これが映画や漫画なら酷いお話だ。読み手の期待を堂々と裏切り、物語はエンドロールもすっとばして終わるのだから。
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通学路いっぱいに広がり登校する生徒の群れ。車の邪魔になって敵わない。といっても、この時間、走ってくる乗用車は前からも後ろからも滅多にない。期間限定でごった返す人だかりを想定し、通勤で多少混んでいても大通りに廻る。
だが、今日はなぜかこの迂回路を使おうとする車が多かった。制服姿の通行人と目が合う度、ドライバーはやってしまったと顔をしかめた。閑散とした盆明けが、彼らに新しい生活習慣を植え付けた結果であった。
夏休みが終わり、新学期。生徒の気持ちはどこか浮き沈みしていた。久々に友達に会える、けれど学校には行きたくない。これからまた、約四ヶ月。クリスマスまでこの道を何度も往復すると思うと、やってられなかった。
退屈、退屈、嗚呼。世界は、なんて退屈なのだろう。
クラスメイトとの再会に喜ぶその裏で、中学生は、この世の終焉を期待した。
新三巫市は、今日も平和だった。
今日も明日も、明後日も――平穏は続く。一万年経とうとが、この、尊く、かまびすしい、退屈を孕んだ日常が崩壊することはない。
鉄血な狼も、吸血鬼を救った男も――七不思議に縋った少年のことも、住人は知らなかった。退屈だと愚痴をこぼしながら、宿題や受験に日々追われていると、真実を見逃しがちになってしまう。本能という遺伝子によって代々受け継がれてきた危機感知能力は退化していき、形作られた理性が、枝葉のように蒼々と茂り、獣からニンゲンに進化する。
先生が来るまで、水が飛沫を上げるかのようにざわめく教室。お盆はどこに行ったか、宿題を写させてほしいとか――来年から受験だとか、わいわい和気藹々と騒がしい彼らの目に。
ぽつんと、一つだけ空席の机は入らない。
岡成見の時間は、再び、停止した。彼だけは、今もひとり夏休みを家で満喫している。
なにもかも、望み通りになった。
なるほどこれは、確かに魔法のなせる業だ。
この街で起きた事件の真相は、住人には決して観測されない。
観測者は皆無。
彼の存在も、彼が成就したかった願いも、最初から、なかったのだ。
……これでいい。これで、よかった。
「どうしたよ?」
「いや……」
ぱたぱた、と、足音のような物音が、旧校舎の方角へ走っていくような気がしたが――……きっと、朝早かったから、寝ぼけて聞こえた空耳だろう。
「なんでもない」
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錆にまみれた門をくぐり、中へ誘われる。雑木林から聞こえる蝉しぐれはやかましいことこの上なく、じゃわじゃわと、合唱するクマゼミは賓もなにもあったものではない。
停止したアトラクションをいくつか散見し――コーヒーカップに腰を預けた影を見つける。茶碗のようなおかっぱを被った色白、セーラー服の後ろ姿。
「この度は……ありがとう、ございました」
背中を見せるその人影に、頭を下げた。
相手は、やはり、ふり返ろうとしなかった。
当然だ。答えるはずない。
死んだ自分を、死の世界から召喚した少年の妄想の産物と断じた――張本人に、話しかけているのだから。
自分を好きだと言ってくれたあの少年には、もう逢えない。
なら、せめて、感謝くらいはしたくて、ここまで来た。自分なりに、けじめを果たしておきたかった。
「――よろしかったら、あなたも一杯いかがです?」
立ち去ろうとし、不意に、不意打ちに相手は微笑むように呟いた。おっかなびっくり見てみる。と、コーヒーカップの中で、紅茶を注いだコーヒーカップが二つ、湯気を立てていた。
「雀さんの淹れたお茶は絶品ですよ。美味し過ぎて、死んじゃうほど」
「死んじゃったらだめじゃないですか」
「問題ありません、とうに死んでいるあなたなら」
テーブル越しに向き合いながら、洒落でも言うように笑ってカップを傾けた。細めるその瞳には、なにも、映らない。
「お友達を不登校にした感想はどうです?」
「意地の悪い質問ですね」
掴めないカップをわざわざ用意しておくといい、人の心はないのか。
「もちろん、式は『魔法使いの末裔』ですから。やだなあ、人を見た目で決め付けちゃ」
「じゃあどうして、制服なんか。学校には行ってるんでしょ」
「今年の夏休みは色々とありましたから、延長したんです。休みはきちんと、計画的に取らないと、ね」
「不良だなぁ、もう」
「驚きました。いやはや、これは本当に。まさか、年下に一本取られるとは」
意外、という風に目を見開く式折々。
……はて。思ったことを率直に述べただけだが、心に響いたものがどこにあったのやら。
「お別れする前に、一つだけ、訊いてもいいですか」
「“不良品”の式にお応えできることならなんなりと」
その言い方だと、式が欠陥品みたいに捉えてしまえるのだが、それでいいのか。
気を取り直し、尋ねる。
「魔法使いさん、どうして……火原井先生の依頼を、受けたんですか」
「動機を求められても説明に困るのですが、そうですねぇ、強いて言うなら――」
これまでの態度、言動から、赤の他人のために尽す――そんな性格では、少なくとも違うのは推察できた。
空に上がる湯気を目で追いながら、うう、と、唸った後、式は。
「プライバシーに係わるので詳しくは伏せますが、式なりのけじめ、ですかねぇ。あの人
のご家族には、このひと夏で苦労を掛けましたから」
これ以上の踏み込みは、自称とはいえ魔法使い、あと担任を敵に回すと直感し、黙る代わりに話題を反らした。
「人が悪いのはわたしも同じかー。岡くんは、わたしのためにやってくれたのに」
「死んだ人をこの世に戻す――いなくなった人にためもなにもありません。彼は、自分のためだけにあなたを生き返らせ、側で独占したんです」
「そんな言い方!?」
「違う、そう言いたいなら、どうして彼の許から離れようとしたんですか。――センセまで使い式に依頼してまで」
依頼書には、彼女は、生徒のことばかり気に掛けていた。死者を甦らせた重責に苦しむ男子、と、少女。側らにいながら、なにもしてやれない。
彼にとって、クラスメイトがここにいるという事実が、田地寝音を殺したという、罪そのものの証明だったから。
火原井教諭は、一貫していた。体質のせいで死者が視える恐れなんて、手紙には一文も、一行も、一文字たりとも書いていなかった。
流石はあの先輩を産んだ方だ。
黒幕は、納得いっていない様子だけれど。
「……あの日から、判らなくなってしまったんです。式さんが言ったあれから。わたしは、本当に存在しているのか、これは、わたしが今、見ているこの世界は」
そこから先は、現実になってしまいそうで、恐怖のあまり口を噤んだ。
……全部。
岡成見の頭の中で起こっていることなのではないか。
「ここは現実ですし、あなたから彼を解放しようと、式はうそをつきました。正真正銘、あなたは田地寝音さんです。……残念ながら」
感謝の文字が、泥々と怨みに染まる。最後の望みは絶たれた。
「うそつき」
「そうですとも、式折々はウソつきもウソつき、大ウソつきです。ニンゲンですから。こんなにもかわいいから正直者かと思いました? だめですよ、人を見た目で決め付けちゃ」
サラサラの髪をぐしゃぐしゃにする。貌を、粘土みたいにこねくり回した。引きつり、笑顔は醜悪に変形をきたす。くすくすと笑みを浮かべたまま。だがまた、すっと、元の式に、三日美人も月下美人も嫉妬に狂い死にしそうな貌に戻る。これだから、男だと言われても寝音には信じられなかった。
あるい、は。あの醜い顔が、式の本性なのか。
綺麗に整頓されていく式は、一度ついたうそは、どうあっても取り返しがつかない、この世の真理にも思えた。もしくは、これが、彼の魔法なのか。
式の言った言葉にも、魔法がかかっていればよかったのに。この身体も、今抱えている虚しさも、岡成見の妄想だったら。
期待、していたのに。
噓から出た実、なんて言うけれど。うそは、真実からしか生まれない。
「……写真、見てもいい?」
式がテーブルに置いたのは、成見が撮った、式がなにもないと言ったあのポラロイド写真だった。
「よく撮れているではありませんか」
「……うそばっかり」
「よろしければ、このまま式が預かっておきますが」
「いえ、燃やしてください。もちろん岡くんには、黙ったまま」
肩を竦める式。
だって、ここに映っている、突然の写真にふり返って戸惑っている、クラスメイトに買ってもらったワンピースを着替えもせずに着たままの不細工な少女は――いない。
「成見さんに憑依して、ワンピース姿で街をうろついた件も?」
「やっぱり気付いてた!? あんなタイミングで目撃情報なんか出すからまさかと思ってたけど!!」
写真と一緒に服も式が回収済みだった。成見を見たという店員も、真実は知らない。
「でもなんで、わたし、この恰好でいるんだろう」
「幽霊なんですから、細かいことは気にせず、気楽にいきましょう」
まあ、裸で街を徘徊するよりはずっとましだった。
「田地寝音さん、あなたは、学校の七不思議、七番目としてこの世に現界しました。成見さんにも言いましたけど、今のあなたに、なんの力も価値もありません。ただ、いるだけ。空気みたいな存在のあなたが、どうして、成見さんをあそこまで追い詰めたんですか。望めば、ずっと一緒にいることだってできたものを」
「……式さんだって、さっき言ったじゃない。田地寝音は、どこにもいないって。目の前で死んだクラスメイトが視えていたら、気持ち悪いでしょ、怖いでしょう」
やっぱり、当然、涙は出ない。泣けるのは、生きている人にしか許されない。
それは――愛をもらうということもまた。
いつか、それが果たしていつになるか判らない。けれど、岡成見は、立ち直る。なぜ塞ぎ込んでいたのかも忘れ、友達ができて、彼女をつくって、家族をつくる。
「それまで、わたしは、彼にとって、苦いトラウマじゃなきゃ駄目なんです」
それから、新学期を迎えたとある中学校の間で、しばらくこんな噂が流行った。誰もいない旧校舎で、走る足音を聞いたと。
ぱたぱたとせわしのない足音は、死んだ人が帰ってくる音、なんだとか。
夜の帳が下りた屋敷で、魔法使いの末裔は、従者の帰還を待っていた。
「ただいま帰りました」
「お疲れ様でした。――それで」
「例の紙に付着していた成分を分析したところ、坊ちゃんの推測通りでした」
七不思議七番目『おかえりさん』の儀式の内容を記した紙と共に空木雀が見せたのは、ある‶薬剤〟に関する構造式を表した分析結果だった。
ホルムアルデヒド水溶液。刺激臭を放ち、人体に入ると発がん性を始めとした様々な健康被害を引き起こす、厳格な法律によってその取扱いを定めている毒物。
防腐、組織の腐敗を防ぐその性質から、代表的な使用方法がある。
ホルマリン漬け、という単語を、一度は耳にしたことがあるだろう。
「これで一体、誰が七不思議を広めたのか、はっきりしました。……強敵です。目的が判らない以上――彼への対処は、慎重に行わねば」
「誰が立ち塞がろうと、あなたは死にません。私が殺すまで」
満月が雲に隠れ、夜は深まっていく。
問題には、いつかは向き合わねばならない。一度は別れた成見と寝音、吸血鬼を救うと嘯いた男。
かくて、彼の物語は、ここから再び始まったのだった。
『魔法使いの弟子』の、七つの証明が。




