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七不思議七番目

 岡成見は、事実を明かした。過去を。汚点を。約一年もの期間、奥底で鬱屈した汚濁を吐き出した、後、安堵とも諦観とも取れるため息を深々とついた。それは、或いは、どちらともか。


 成見自身も驚いていた。己の恥部とも言うべき過去、そして現在進行形の罪を、場の流れからの、本当になし崩し的に公開しておきながらその心は、どこか、晴れ渡った空を見上げているような解放感さえあった。懺悔は、人の心を軽くする。教会で祈る人間の気持ちが今では少し理解出来る。


 そんな、なにもかも洗いざらい話しすっきりした成見に、式は問うた。


「――で、お話しは、いつになったらはじまるのですか?」


 成見はふり返った。小首を傾げる式に、驚愕を軽く超え嫌悪にも似た感情を抱く。


 こいつは、一体、なにを言っている。先ほどあれほど喋ったではないか、絡み合った糸を解すよりも丁寧に、呆れるほど懇切丁寧に説明してやったではないか。

 だというのに……成見は、()()()()()()()()()()……などと。どうして一体全体、そんな、平然と訊けるのだろう、と。


 と思われても。式折々は、そう、成見に質問するしかなかった。


 なぜならば。

 彼は、ずっと、ずっとずっと。一言も喋っていなかった。()()()()()()()を散見させて、そこに()()は一行も、一句も、一文字もなかった。


「隠しごとはなしにして、いい加減、腹を割って話しましょう?」

「べつに俺は、隠しごとなんて……」

「ふ~ん、では。どうして成見さんは呼び戻した田地寝音さんを恐れるようになったのですか? ここにいる誰よりも、成見さんは彼女に会いたがったのでしょう」

「それは……」


 苦し紛れに、成見は、引用した。


 学校の七不思議は、ある意味では正確な表現ではない。より詳細に言うなら、数字は正しい表記に非ず。百物語にしろ七不思議にしろ、数字が絡む怪談の最後の数字は、とかく不吉な因果関係が付与される。怪談を百回百個語れば霊が出る、七不思議を七つ全て知ろうとする者には、必ず、不幸が訪れる。


 学校という小さな共同体の中で、情報を完全にシャットアウトすることなど不可能だ。耳は、目ほど外部からのセキュリティ能力に長けてはいないのだから。村八分である成見にも母校に代々伝わる噂は届いていた。


 まして、己の勝手な都合で、死者を生き返らせた。この手で、……違う。口、足、全身を使って殺しておいて、家族と関係を築き、いっしょに街へ出かけ服までプレゼントした。天罰が下っても当然の行いを、この夏休みで成し遂げた。


「だから、俺は」

「死んで当然、と」


 成見の言葉を式が引き継いだ。


「安心してください、成見さん。あなたは死にません。七不思議七番目に、特定の人を殺すなんて、そんな大きな力はありませんから」


 成見の手を取る式の手。黒革の薄出の手袋には奇怪な文字が梳かした金箔を撫でたように写経されており、汗の代わりに乾燥した冷気が煙を噴いていた。セーラー服と相まって、魔法使い、というより、伝奇小説に登場する呪術師を連想させた。あるいは――なんて自信なさげに矯めなくても、そのルックスが彼の『魔法使い』のイメージ像を反映しているのは明白だった。


 待てと暮らせど成見は一貫して沈黙を貫くので、式の方から切り出した。


「七不思議、に限った話ではありませんが。噂というものは、それほど強力な存在じゃないんです。そもそもの“出自”が他と異なりますから」


 言わずもがな、成見はこの世にいる吸血鬼、人狼のことを知らない。式が、なにを例に挙げ噂話を比較しているのか皆目見当も付いていなかった。


 式の(こと)をより解りやすく解説するなら。


 吸血鬼(ヴァンパイア)人狼(ワーウルフ)は、外見も、その成り立ちも()を出発点としている。鬼に噛まれた者が鬼となり、月に魅入られれば、人は狼に変身する。


 一方で、七不思議は、人()出発点である。トイレの花子さん、こちらを睨む肖像画、上った時と下りた時では段数の違う階段。古今東西、今日に至るまで校舎に定着した噂は、未確定要素を残しつつも、その真偽もあやふやなまま、子ども達によって語り継がれてきた。


 人から生まれるのが化物譚であり、人が生むのが怪談。


 ニュアンスからすれば、全く同じにも感じられる。だが、両者の間には、とても変えられない、覆えようのない決定的な差が――現実と非現実の(さが)が横たわっていた。


 一人の人間が吸血鬼、あるいは人狼に変身したとしよう。本人がどれだけ合理的な理屈を並べても、鏡の前に立てば、手を見れば、この世界に怪物がいるという真実を納得せざるを得ない。自分がそうなのだから。


 しかし、噂はそう単純ではなかった。七不思議一つを例に取っても、百人が一人の話を聞けば、捉え方、感じ方も百の通りが生じてしまう。


「大抵の場合、七不思議がその存在を維持出来るのは高校までです。成長に伴い、子ども達の行動範囲が社会へと広がる内に、彼らの心から恐怖心は消えていきます。それはそうでしょう。元から存在しないモノに、恐怖もなにもあったものじゃありませんからね。大人になるに連れ、それにようやっと気付くんです」


 ならば学年の数だけ、地域の数だけ、学校の数だけある七不思議を、どうして高校まで頑なに信じ、興味を、恐怖を煽り立てられるのか。進学や転校によって環境が変われば、七不思議同士に整合性がないことに気付く、絶対に。そしてそれは――学校の七不思議なんて最初から存在しない、という真実の帰着になる。

 枯れ尾花は、そう、何度も見間違いられては、怖くもなければ妖しくもなくなる。


「だからこそ、不思議は、七つ――()()()()()()()()()()


 指折り数え、式は成見に説明する。

 無意識に受け入れ、作為的に捏造した真実を。


「七つ全部知ってしまうと、知った者には不幸が起きる。裏を返せば、六つまでなら……知るだけなら大丈夫。なーんて、言い訳していても、本当は七つ全部知りたい。でも、いくら調べても考えても、最後の最後にはどうしても辿り着けない。一人じゃなく、二人、三人……大勢なら。――ねっ。誰も彼もが知っている。噂はそうやって強度を増し、怪談は、完成度を高めていくんです」


 知らないものが末尾にあるだけで、関連する情報はなんとしても把握しようと人は努力する。既存の知識に、固執する。執着する。しがみ付く。


 人間の本能、向上心を逆手に取って、七不思議は存在意義を保ったまま成長を続ける。


「『七』という数字を設定しておけば、新しい怪談は生まれなくなりますからね。いやはや、無邪気というのは、時に賢いシステムを生むものです」


 無邪気。邪気がないからこそ、不条理で理不尽な法則(ルール)と別系統の、純粋で無垢な、大人では論じるのもあくびが出てしまう発想。

 自然現象、五感の錯覚、あれもこれも“よくわからないもの”にでっち上げることを可能にする、実体も実態もない装置。


「それが、七不思議七番目――成見さんが今、恐れている、恐れようとしているモノの正体です」

「それが、なんだよ。『おかえりさん』がそんなに怖くないってのは、今の説明でなんとなくわかった。それで一体――」

「そうなのです。成見さんの言う通り、七不思議は、学校での退屈を紛らわせるために、なんでもないことを怪談に仕立て上げただけの、子どもの遊びでしかありません。七番目はそんな、なんでもないものに恐怖感を与える概念。なら、成見さん。あなたは、どうやって概念をお呼びし、なかよくお話し、服をプレゼントしたんですか?」

「どうやって、って……それは」


 ふてぶてしささえ感じる式の微笑。瞬きの度、怖じ気付く自分の姿が目に映った。


 七不思議七番目に――特定の名称は、ない。内容はおろか概要も与えられては、ない。ないなづくしの概念に唯一あるもの。それは、七不思議七番目という番号だけ。


「名は体を表す。実に的を射た表現です」


 七番目が概念ではなく現象として確立してしまうと、他の噂話と同様に、合理的な解釈ができてしまう。自然現象、錯覚。


 のみならず、七不思議を網羅するということは、七不思議を理解するということは、知った者には()()不幸が起こらないといけない。内容があるからといって、大元の概念が消えていい理由にはならないからだ。


「さっきから、なに言ってんだよ! 俺は()()()()()()()()()()()()()()()()だけだ」

「そんなに怒らなくても」

「怒るだろ! こっちは困ってるんだよ! なのにこっちを疑うような発言ばかり並べ立てやがって。おい、お前もなんとか言えよ! お前の主だろ」


 一貫して、雀の表情は会った時のまま。顔に神経が通っていないのかと思うくらいに、無口で無表情の女だった。


「――田地、お前も、いい加減黙ってないで」

「その田地さんですが。……どちらに行かれましたか」

「はあ、なに言ってんだよ? ()()()()()()()()()()()。さっきからずっとここに…………」


 ふり返れば、そこにいた。背中を伝う汗、染み付いた服から匂う匂いは生々しく――背後には死者がいるという、この一ヶ月近くで日常となった尋常ではない状況を物語っていた。


「……田地……おい?」

「どうしました、そんなに慌てて」

「田地が、田地寝音が、いない」


 さっきまで横に立っていたクラスメイトの姿が、どこにもなかった。成見と式の問答に思うことがあり、それで席を外したのか。すでに死んだ後なのだが、なにか用事を思い出したのか。


 どれも、成見には違うと、この時はなぜか、そう確信した。

 気配も痕跡もなく、田地寝音は、忽然と消えて、なくなっていた。


「おい、式、式折々。お前なら、なにか知っているんだろ、田地はどこに行ったんだよ!?」


 あれだけの口上を説いた魔法使いの末裔なら、田地寝音の所在を知る由もない、なんてことがあるはずもなかった。


 だが、壁際まで追い詰められた式の返答は、成見はおろか、全世界の誰しもが知っていた。


「いやいや、なにを仰っているんですか、成見さん。()()()()()()()()じゃありませんか。一年前、トラックに()ねられて。あなたの目の前で」


 これに見覚えは、と、式が懐から出して見せたのは、一枚の写真だった。


「ここに来る前、成見さんの部屋で成見さんが撮ったポラロイド写真です。ここに『おかえりさん』、田地寝音さんが写っている」


 寝音の容姿を要望した式が成見に頼んだ写真。


「あなたは()()を見て、これを田地寝音だと言った、断言した」


 式が成見に改めた写真。セピア色の画像は、カーテンから射す陽に照らされた部屋、壁と向き合いフレームを構える、()()()()だった。


「あなたはずっと、この影を指差し、彼女の名を呼んでいたんです」

「そんな、いや! 俺が見た時は――」


 言いかけて、思い起こした記憶に、はっとした。

 写真が変化したのではない。切り取り、抽出した記録はよしんば大魔法でも書き換えはできない。

 捏造されていたのは、成見の認識の方だった。


「ああ、あなたが田地さんといっしょに行った街ですが、目撃されていた方がいましたよ」

「! そ、そうだろ! 田地は確かに、俺といただろ!?」


 この時、この瞬間、今の今まで、あれだけ恐れ慄いていた田地寝音の存在が証明されたことに、成見は、喜びを隠せなかった。


「ええ、成見さんが田地さんにプレゼントしたというワンピースを買ったお店の店員さんが、ばっちり」


 成見が甦らせた田地寝音は幽霊なのだから、霊感があれば視覚でも認知出来る。


「ええ、ええ。ばっちりしっかり見ました。女もののワンピ―スを買って、着て帰ったあなたの姿を」


 服を持ってきた成見のレジを担当した店員は、始めこそは、恋人か兄妹か姉弟に贈ると思った。だが、会計を終えると、着て帰ってもいいですか、などと言って成見は試着室から出てきた。どのような恰好をするのかは個人の自由、けれど、街で女子高生が襲われて日も浅く、ショーウィンドウの自分と向かい合いながら、ぶつぶつ、と、ひとりごとを呟く成見を、雀が聞き込みをする今日の今日まで忘れることができなかった。


「そもそも、魔法使いでもないあなたが、子どもが考えたような呪文で、死んだ人を生き帰らせるなんて偉業、出来るはずもありません。死者を呼ぶ方法を知ったあなたは、より信憑性、信頼性が欲しくて、空白の七不思議、その最後に組み込んだのです。それが、なにを証明しているのか――」


 追い詰められた式が、今度は、成見を追い詰める。


「『おかえりさん』なんて存在しない。あなたの空想、妄想の産物なんです」


 どうしました、大丈夫ですか、と、式はへたれ込む成見に声をかけつつ、ああと閃くように、青ざめる少年に息をかけた。


 学校の七不思議。それを全て暴いた者には、不幸が降りかかる。


 真実を突き付けられた成見に、式は、一点だけ、お詫びしなければならなかった。


「おめでとうございます。あなたは、学校の七不思議を解き明かした、最初の一人目です。その証拠に……ほら、不幸になったでしょう?」


 色々と遠回りしたが。

 これまで囚われていた魔法から、岡成見は、ようやくと解放されたのだった。


次回で終われたいと思います。

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