事実
「殺した、とはまたずいぶんと唐突な言い回しですね」
旧校舎の窓から望む黄昏時の街を背に、式折々は開け放った窓から吹く温い風を受けていた。
岡家、田地寝音の実家、西区の繁華街へと。成見がこれまで辿ってきた都市伝説の残滓を追った一行は再び始まりの場所に戻ってきた。
相も変わらず、成見の表情は暗い。傾いた夕陽に濃くなる影は、彼の内面の顕れであった。
式には調査の一環、尤も、事実確認の裏付けとしての意味合いであったが。
しかし当の本人にしてみれば、これまで犯してきた罪の自白に他ならなかった。
なにより彼が最もが応えたのは、二度目となる寝音の生家を訪問した時であった。娘の死について重要なお話がある。見知らぬ番号からの着信に出た寝音の父は仕事も放り出し帰宅した。
待っていたのは、以前訪れた娘のクラスメイトと、彼の親友を自称するセーラー服を着た少女。この暑い日差しの中、ぞっと怖気が走るほど白い肌をした。メイド姿の少女はそんな同行者の姉を自称した。少女の後を追随するその立ち居振る舞いから、身内ではないとすぐに見抜いた。
田地父に対し、魔法使いの末裔は、包み隠さず、真摯に、誠実に、懇切丁寧、事情を説明した。
両親は、真実を打ち明けた一行を、激しく拒絶した。大慌てで帰ってきてみれば、娘の死を弄び、囃し立て、噂の元にされた。
なによりショックだったのは、愛娘に手を合わせてくれた少年が、娘さんは、ここにいると――なにもない虚空を手で差し、まっすぐな目で言ったことだった。
――「どうか。私たちの前から消えてくれ」――
人目も憚らず泣き崩れる妻を介抱しながら、夫は、一行にそう懇願するのが精いっぱいだった。
「あなたは、正直に話しました。それに関して言えば――十分誇っていい功績だと、式は思います」
「なにが言いたい……?」
含みのある物言いに成見は式に詰め寄った。
「これでも、式はあなたを気遣っているんですよ。〝保健体育〟と聞いて頬をピンク色にさせる多感な時期の少年には些か苦ですからね」
「俺は星の国の住人じゃない。敵を吸い込んでその特性を得て戦うゲームキャラといっしょにするな!」
「――まあ。あなたの場合、吸い込めた方が気は楽だってでしょうねぇ」
ぎょろりと一瞥する式の目に映る成見は、全てを悟っていた。
「……いつから」
「最初から。火原井先生の手紙を読んだ時です」
今しがた言った。
これは、単なる事実確認の裏付けだと。
「高校生ってのは探偵の真似事もすんのか……」
「いえいえ。式は探偵ではありません……高校生でも。ずっと言っているじゃないですか。『魔法使いの末裔』、と」
「じゃあ次は、魔法を使って七不思議の謎を暴くって?」
「暴くのは七不思議について、ではありません。あなたの秘密ですよ、岡成見さん。七不思議なんかより、あなたの方がここではとても有名人ではありませんか」
心底愉快そうに、肩を揺らす式。
一年前。ある中学生が放課後、クラスメイトの女子に告白した。その女子は、明るくて頭もよく、表裏のない性格から誰からも好かれていた。一方、告白した男子の方は過去のトラウマから他人との接触を避け、目立たないよう存在を殺し、前髪で隠れた片目から常に周囲の目を気にするような視線は生徒だけでなく教師からも不気味がられていた。
そんな男子にも優しく声をかけようとする女子を、周囲は止めた。関わると碌な目に遭わない、と。
……同じクラスの友達じゃない。仲間外れにしちゃ駄目だよ。
どれだけ冷たくあしらっても、少女は男子に面倒をかけ続けた。
当然、そんな二人をクラスは快く思わなかった。認識を改めるどころか、女子が絡んでくる間だけは人らしい顔になる男子に教室全体は一致団結し嫌がらせをした。
女子を攻撃しなかったのは、一方を敵と設定することで、自分達の正当性を認識したかったからであった。団結しようとする意志が無意識下で働いたのも、一重に女子の貢献によるものだった。
皮肉というか。その当人はクラスの影響を受けなかった。
教科書を失くした。なら学園が変わるまで私のを貸してあげよう。消しゴムがなくなった、じゃあ私の消しゴムを貰ってほしい。
学生生活を人並みに送るためには、嫌でも、男子は親切な女子を頼るほかになかった。
気づけば、男子は女子のことが、好きになっていた。
「付き合いたいとか、別に、そんなつもりはなかった。ただ……貰いっぱなしは嫌だったから、俺からも、こいつに返してやりたかった。一言、礼を言いたかった」
愛ではなく、感謝を。
父との別離で人という生き物の醜悪さを知り送っていた絶望の日々に、寝音は、自分を好きなるきっかけを与えてくれた。だからあの日、旧校舎に彼女を呼び出した。
――“俺は、岡が好きだ。優しいところ、明るいところ。身も心も、なにもかも”――
しばらく俯いて、やがて息を荒くさせると、寝音は成見を、見た。
恐ろしい怪物にでも遭遇したかのように、瞳の奥の光景は揺れ、ふり返りざまになびいた髪から油汗の甘い匂いが舞った。
拒絶された。
拒否された。
否定された。
遠くに遠のく背中を、成見は追いかけた。
そんなつもりで言ったんじゃない。お礼が言いたかっただけなんだ。
――ちゃんと言い直す、だから、どうか弁解させてほしい!!
息を切らしながら喉を奥を絞り上げて出した言葉は、トラックの急ブレーキの音にかき消された。
この目で見た。この目が見た。
友達だと思っていた人が、友達と言ってくれた人が校門から大通りに飛び出し、夕陽に染まった空に紙屑みたいに飛んで行くのを。
オカルトには否定的な姿勢だったが、こうも見透かされていては白旗を挙げるしかない。
「成見さんの感じておられている罪は、クラスの人気者に、自分のような不人気者が関わってしまったことですか? 向けられた善意に対し報いようと行動したことでしょうか?」
多分、いや絶対どちらでもなかった。
あの日、あの場所に呼び出したりしなければ、田地寝音が死ぬ必要はなかった。当時の状態で保存されている彼女の部屋は散らかり、あの家には線香ではなく仲睦まじい家族の匂いに溢れていたことだ。
成見は唇を噛んだ。鉄の味がほんのりと下に広がる。
この口が、寝音を中心とした世界を、破壊した。
血は水より濃いとは言うけれど、まさに自分のためにこそ作られた言葉だと成見は己の運命を嘲り嗤った。
トラックを運転していたドライバーはその後逮捕され、葬儀に出席することなく、執行猶予期間中に、罪を悔いて何処かに消えた。
葬儀には成見を含めたクラスメイトも呼ばれたが、当日、寝音の写真の向かい側には三十の空席ができていた。あれだけ慕われていた寝音に最後に会おうとする者は、誰一人としてやってこなかった。
事故直前、岡成見から逃げる寝音が学校中で目撃されていた。
彼ら彼女らも、とどのつまり、岡成見を恐れた。寝音を死に追いやった罪を断罪する勇気がなかった。
葬式以来、以前にも増して成見に関わろうとする者は消え、これまで薄ぼんやりと視えていた成見は、完全な無味無臭、無色透明となった。




