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イマジナリー・トーク

「あれ。君は……」

「初めまして。岡成見と申します。その、……寝音(ねね)さんのクラスの」

「ああ! 寝音のクラスの子か。さあ、どうぞ上がってくれ」

「お邪魔します」


 玄関から居間に通された成見は、田地寝音の親に対し、これといった好印象は、正直抱けなかった。

 いきなり押しかけておいた自分が言うのもあれだが――娘と同世代に見える男子だとしても、それが自分の子のクラスメイトを名乗ったとしても、突然やってきた見知らぬ人間をほいほいと家に招くのはどうかと思う。


 もちろん、嘘は言っていない。

 母親の時とは違って、この場合は、嘘をつく必要はなかった。


 しかし、一体全体、学校にいた成見が、どうして田地家に訪問したのかというと。


 本音をさらに打ち明けるなら、成見は。

 ここにだけは、どうしても来たくはなかった。


 それが、なぜ……。


 嘘をついて家を出た成見は、家に帰れなくなってしまった。仮に今戻ったとして、母は、息子が帰ってきたことに、喜び以外の感情を抱く。


 叔父から、鶏が盗まれたことはすでに電話か、あるいは人づてで知っているのは明確。もしかしたら、一連の騒動について疑いを向けられるかも。今日の成見の行動は、あまりにも不自然な点が目立った。目立ち過ぎていた。


 アリバイ工作を完璧なものにするためにも、成見は今夜、ほんの一晩だけでいいから、友人の家で厄介にならなければいけなかった。


 厄介に巻き込まれているのは、実は成見の方だったが。


「暑かっただろう。もうすぐで家内も帰ってくるから、うちでぜひご飯を食べに行ってくれないか。成見君がよければ、でいいから」

「いただきます」


 差し出された麦茶を飲みながら成見は頷いた。


「親御さんに電話しなくても大丈夫かい?」

「後でします」


 もうすでに伝えてあるので、不要なのだが。


「……よかったら、寝音に、手を合わせてやってはくれないか」


 はあ、と、曖昧な返事を返す成見。


 寝音の父は、成見に選択の余地を与えたつもりだが、家に入れてくれた、夕飯までご馳走になる。

 まして、クラスメイトを名乗った成見に、断る権利は最初からなかった。


 居間の隅に置かれた漆の仏間は立派な分、白のカーペットとは不釣り合いに感じた。


 身内を一人も亡くしていない成見には、宗教の違いや合掌の違いなど知らず、とりあえず手を合わせ、目を閉じた。


 三階建て一軒家の一階リビングというだけあって、チンと鳴らした(りん)の音もよく響く。近隣から苦情が来るのでは、と、不安に思うくらい。


 仏壇には、スーパーで買ってきた果物と今朝入れたであろう澄んだ水道水がコップに入れられた状態で供えられてあり、線香に交じって柑橘系の匂いがした。


 その奥。

 こちらにうっすらと微笑(ほほえ)む寝音と、覆いに包まれた、鉢か、壺か二十センチくらいの大きさのものが。


「まだ、納骨できないんだ。今でも、信じられなくて……」

「…………そう、ですか」


 遺影は、家族写真を引き伸ばしたものだった。端に切れた大人の肩がそれを証明していた。


「インターホンが鳴った時、娘が、学校から帰ってきたと、本気でそう思ったよ」


 背景は河原。キャンプか、それともBBQか。

 とても仲がよかったことが伺える。


 そんな、遺された家族に、なんと言ってあげるべきなのだろう。悲しみなんて、そんな薄っぺらい一言で表せるような感情ではない。心臓が抉られた想いで、それでも娘のためにと、必死に、数ある写真の中から、この一枚を選び取った両親に。


 できることなら、共に泣いてやりたかった。気持ちを理解したかった。


 向けられた感情は、あまりにも空虚で、同情が罪に思えるほど空っぽで。

 成見にはどうしてやることもできなかった。困惑するしかなかった――。


「……あの! 本当、迷惑じゃなければ、でいいんですけど」


“娘さんの部屋を見せてほしい”


 いきなりなにを言い出すのかと、これはさすがに疑われると成見は思った。

 ここに来てから、自分ではなに一つも自分で決断していない。

 

 それが、どうして快諾してくれたのか。




 父親に案内されてやってきた田地寝音の部屋。


 開け放たれた扉と廊下の境界。


 ここが分水嶺。実数と虚数の。


「部屋も、あの日から片付けてないんだ。一周忌も過ぎたし、しようとしようとは、妻と何度も話し合っているんだけど、なかなか決心が付かなくて」


 手に取ったベッドのぬいぐるみを、静止した部屋に残った娘の気配を確かめるように父親は顔に近付けた。


「この部屋に来たのは、成見君が初めてなんだ」

「えっ、だって……」


 自分と違って、田地寝音には友達がたくさんいた。


 ……そう言おうとし、しかし口を噤む。


 長い間閉め切れていたせいで空気は重苦しく、質量を持って成見の背後に圧しかかってきた。微かに交じる、甘露を想わせる匂い。少女独特の匂い。


 事故の惨状は、彼らの友情さえも、引き裂いた。

 親も、もうずいぶんここには足を踏みいれていない様子。

 

 そんな中、進んでやってきた唯一人のクラスメイトを邪険にすることもできず、むしろ、いつまでも娘を忘れないでいてくれた、勇気ある成見に父は感謝を述べたかった。


「ゆっくりしていてくれ。夕飯ができたら、下階(した)から声をかけるから」


 ばたん、と。


 扉が閉まるのを確認し――ふり返った成見は、溜め息をついた。


「……いい加減、いつまで泣いてるんだよ」

『ひぐッ……うぅ……だ、……だって……!!』


 大粒の涙を手で拭う田地寝音の姿が、そこにはあった。


 一階にいる間も、寝音は懸命に父に話しかけていた。何度も何度も、成見が飽きるまで呼びかけ、自分の声が父に届かないと判ると、声を上げながら泣き出した。


「気の毒なのは判るけど、隣でいつまでも泣かれていると、こっちが混乱するんだよ」

『そう、だよね。ううん、ごめんなさい、岡くん』

「ほらティッシュ」


 ちり紙を差し出したところで、成見は、自身の失念に気付いた。


 確かに傍から見れば――成見にしか見えないのだが。


 今の寝音には、質量がなかった。足は地面に接しているように見える。涙だって頬を伝い床を濡らしていた。が実際、幽霊である彼女の背後には一切の重力がかかっていなかった。


 当然、ちり紙一枚、持つことだってできない。


「……わるい……」

『くすっ。優しいね、岡くんは。ぜんぜん変わってない』


 揶揄うみたいに笑う。

 それを言うなら、寝音だって、一年前から変化していなかった。


『そう、そうだよね。……わたし、本当に、死んじゃったんだ』


 涙にまみれた両の手を開いたり閉じたりしながら、寝音は言った。


『幽霊って、ちゃんと足もあるし、身体も透けないんだ』


 成見には、それが、必死に強がっているようにも見えた。


「感覚があるのか?」

『なんでかなぁ。心臓は止まってるのに、神経だけは生きてる。死んでて()()()()っていうのも、なんだか変な感じ』


 換気で成見が明けた窓から、月明かりが射す。


 白金の光に照らされた寝音は、とても幻想的で、それでいて、生々しく。艶めかしく。


 彼女が、実はこの世に存在しないとは、知覚できる成見にはどうしても信じられなかった。


 姿形が人と変わらない分、本人は一階にいる間、終始ずっと無視されている風に感じていた。


「だいたいなんで、お前の部屋なんだ? 一階でも話は可能だろう」


 泣きながら部屋に行きたいなんて頼み込むものだがら、成見は断ろうにも断れなった。


『久しぶりに、部屋の様子を見て見たかったの。岡くんがいないと、わたし一人じゃなにもできないし』


 勝手に見てくればいいじゃん、と、成見は心の中で思った。


『――座ろ。一応、ここわたしの部屋だし』


 好意に甘え、成見はベッドに腰かけ、寝音は机の椅子に向かい合う恰好で座った。


『それで……ねえどう?』

「どう。……って、なにが?」

『鈍感だなぁ。それとも鈍いフリ? ――人生初めて、女の子の部屋に来た感想は』

「やっぱり揶揄うつもりで部屋に呼んだのかよ」


 と、感想を求められても。


 机の棚の整頓された教科書やノート類。木製のシングルベッド。布団のシーツは、白。

 窓を開けたからか、甘ったるい香りが部屋中に充満していた。


「この、部屋中の匂いって、田地の体臭?」

『怒りを通り越して、その質問には変態的な恐ろしさを感じるよ』


 ――幽霊が恐ろしさを感じるのも、如何なものと思うが。


『でも、……ありがとう』


 また、寝音は笑った。


 こんなに笑う奴だったか、と、成見は記憶を辿ってみる。


「なにゆえ、いきなり感謝?」

『岡くんが、呼び戻してくれたんでしょ。わたしにとっては、命の恩人だよ。……やっぱり、もう死んでるから、なんか変な感じ。違う言い方、考えておかないとね』


 死んでからジョークを勉強するとは。


 さすがは優等生。気概が違う。


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