火原井毬里の憂鬱
その中学生、ぼっちである――。
岡成見という人物を表すなら、句読点含めその十三文字で十分だった。
身長155cm。体重41kg。高身長でなければ、細すぎず太すぎず。人混みでは消えてしまいそうな存在感。
およそ好青年というには髪はボサボサ。不良と呼ぶには突出した洒落っ気もなく。雑木林に生えた松のようで、話すべき学友も甘酸っぱい妄想を抱かせる幼馴染みも皆無。
それが、岡成見という男子中学生だった。
紹介もこれくらい。というか、ほかに書くことがなくなったので次に進めていきたい。
中学教師の火原井毬里が『魔法使いの末裔』に依頼を出すまでの経緯である。
……以下。送られてきた手紙から要約。
夏休みも終盤に差し掛かった晩夏の午昼下がり。
書類作業を終え、一服のつもりで、残暑で蒸した風でも吸おうと職員室前の廊下に出た時。
本来、そこにいない……いてはならない人物の影があった。
「なにやってんだー?」
肩を叩かれふり返った人物は、火原井にとっては意外な人物だった。
「成見じゃない? なにしてるの?」
夏休み期間中、許可のない生徒は立ち入り禁止。
作業中、職員室のインターホンが鳴らなかったということは、つまり、忍び込んだ証拠だった。
「始業式の日をまちがえるなんて、君もおっちょこちょいだなぁ」
生徒にそこそこ評判、というか空気を読んで笑ってくれるバライジョークも、成見には夏に吹く冷たい風となった。
成見は、手になぜか市販の塩の入った瓶を持っていた。
塩は持っているのに、西瓜は忘れてきたのか……という文句が喉仏の辺りまで昇ってきたが呑み込んで我慢。
「ちょっと、ねえ……大丈夫?」
脂汗を額に垂らす成見。
暑がった顔ではない様子を見、ふざけている場合ではないとようやく理解する火原井。
決して優等生とは言えない。だが、校則を破る不良生徒ではないと担任は生徒を信頼していた。
「火原井せんせ。……俺、死ぬの……!?」
唐突になにを言い出すのか。
いくら教師は生徒の質問に答えるとはいえ、死期まで言い当てるわけがなかろう。
困惑している……その間にも、成見は暑い中ブレザーを頭から羽織ったり、だれかの視線に怯えるように周囲を警戒していた。
このままでは熱中症の危険もあり、一旦、職員室に持ち帰って事情を聴くことにした。
応接用のソファに腰掛け向かい合った担任と生徒。
「ほんとはこういうの駄目なんだけど。特別」
紙コップに注いだ麦茶を成見に差し出した火原井の前で、肩を抱いて震えていた成見は紙コップを持ち上げると、中空にぶちまけた。
まるで、だれかに浴びせるみたいに。
「なにやってるの!?」
当然、火原井は怒った。傍から見れば出した飲み物を棄てたように見えた。
「なんで……ほっといてくれないんだよ!!」
「成見!」
売り言葉に買い言葉。
一瞬だが、教師であることを忘れた火原井は摑みかかろうとし、理性が成見の袖に伸ばした腕を引っ込めた。
「殺さないでくれ! 田地!」
席を立った成見は明後日の方向に怒鳴った。
田地。
成見の放った怒号を聞いた火原井教諭は、その『名』に胸を殴られたような衝撃によろめいた。
その名を、忘れることができようか。
成見が見つめる空間には……一年前に事故で死んだ彼のクラスメイトが立っているとでもいうのか。
冗談を言うのは嫌いではないが。これは、さすがに笑えない。笑って済ませていい話ではなかった。
「七不思議……七番目だ」
火原井が自分が飲むはずだった麦茶を一気飲みし、やっと冷静になった成見は固唾を呑みぼそりと呟いた。
七不思議。
それは、あの、学校の七不思議だろうか。夜中に動く人体模型や血の涙を流す音楽室の肖像。上った時と下った時に段数のちがう階段なんかのもあった。
しかし……七番目。
その番数に当てはまる怪奇譚は、火原井も知らなかった。
確か確か。七不思議は六番までがメジャーで、最後の一つはだれも把握していないのではなかっただろうか。
名だたる噂の真相を全て知った者には、不幸が訪れる。
学校の数だけある噂で、七番目の空席だけは共通のルールだったはず。
しかし今時、学校の七不思議を信じる純粋な子なんて……スマホと動画チャンネルにご執心な子なんていない。手紙とポケベルが主流だった自分たちの世代が絶頂期だった。
噂好きな思春期真っただ中の中学生でも、岡成見は現実主義で、こんなこと通知表には書けないが――面白みのない生徒だった。目立たず騒がず、色彩豊かな少年時代にいる同世代を無色な眼で見つめる、そんな印象を担任は抱いていた。
その成見が、口に出すのも恥ずかしい噂話を捏造し、本気で怖がっている。虎の巣穴に誤って入った兎のように。
「先生には、なにも見えないけど」
安心させるつもりで笑ったはずが、却って成見の神経を逆撫でしてしまったらしく。
「ちゃんと見ろよ、そこにいるじゃないか……死んだはずの田地寝音が!」
普段、授業で当てられても顔を伏せ置物みたいに席に座っている成見が、荒々しく騒ぎ、教師にタメ口を利いた。
「どうかしましたか?」
近くで書類整理をしていた主任教諭に、なんでもないと丁重に帰らせた。
これは、教師生活始まって以来の大事件だった。
熱中症を理由に病院に連れていこうにも、こんな話、正直に話したらPTAを巻き込んでの清須会議が開かれかねない。
こういった事案に慣れ、学校沙汰にもならず穏便に解決できるような、そんな……魔法使いのような人材に解決の依頼を申し込むしか。
「――なに考えてんだ、私は」
そういえばと、火原井は、心当たりを思いついてしまった。
……突然、離れて暮らしたいと言い出した娘の、留学の理由を問い質した時だった。
自分は、魔法使いの末裔に助けられたと、言っていたのを。




