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死を殺す男-6-

 それからのことは、橘はよく憶えていなかった。

 待ちくたびれていた式と地下で合流し、式が運転する列車に乗って彼が集めた護衛とモアの待つ場所へ。


『吸血鬼殺し』を撃退した後、(しき)折々(おりおり)は橘一誠と吸血鬼を所有地である遊園地跡まで車で送り届けた。


 予定もなく……嵐のような時間を過ごし今だ熱の残る橘は涼しい風に当たろうと展望台に向かった。

 両手に、童女の首を抱えながら。


『吸血鬼殺し』に()われた身体は、たとえ人から血を吸い尽くしても完全に元通りになるのに二日はかかる。普段と同じように吸っても『始祖』の再生速度で三日後には全快するので、それまで妙な気は起こさず絶対安静にするようにと式は橘に釘を刺した。


 その式も、今は橘たちとはまた別行動をとっていた。

 モアを助けるための準備期間が必要と言って消えた自称『魔法使いの末裔』に、ひとり残された橘の不安の種は大きくなる。


「少し、揺れるよ?」

「……うん」


 展望台のベンチに腰かける時も橘は気遣いを忘れなかった。吸血鬼が人と同じ感性を持つかは(わか)らぬけれど。

 だが橘の推理は正しかった。首だけの状態となっている無防備な今のモアは、自身を守ることはおろか身動き一つ取れず不安でおかしくなる寸前。道に転がる石ころにでもなった気分だった。


「……寒くないかい?」

「……うん」


 展望台から夜の街を(のぞ)む。丑三つ時というのに住宅地にはちらほらと明かりが灯っていた。

 日中のうだるような暑さはすでにそこにはない。

 涼しい風に揺れる草花から(にお)う秋の香り。蔭から聞こえる虫の音。

 新しい季節の到来を予感させる出来事に、思わず感傷的になってしまう橘だった。


「……あの」

「はい?」

「式くんに、ついていかなくてよかったんですか……?」


 橘が()り返った先、ベンチに座るメイド服の少女は俯きながら言った。


「今の(わたくし)の役目は、お二人の護衛です。ですがお気になさらず私は置物だとでも思って、どうぞ好きにくつろいでください。私も、なにかあるまでは普段通りに過ごさせてもらうので」


 そう言いちゃっかりと隣に座る空木(うつぎ)(すずめ)だった。


「あ、期待しているところ言いにくいんですが、護衛はしますが、溜まっている中年男性の面倒を見る技量は、私は持ってませんので」

「んなもん最初(はな)から期待してるか!!」


 挙手して制す少女に橘は全力で反論を返した。


「まあ今のは言い訳としては合格点です。花丸をあげましょう」

 

 漫談のようなやり取りの後、雀は開いた本に再び目を通し始めた。ブックカバーで橘からは表紙は見えないが、内容は明らかなギャグマンガだった。


 ……あ、これ。ちよちゃんも読んでるやつだ。


 なんというか……。

 魔法使いの末裔の侍女は、色々と自由だった。


「……タチバナ」

「えっ、ああごめん。うるさくして」


 モアは目を伏せた。今は首が振れないから。


「ううん、むしろ……元気なタチバナが見れて、嬉しい」

「そ、そう……?」


 笑みを浮かべるモアに、嬉しいのは橘の方だった。

 だが、その顔は、今も影があった。


「ぷっ、フフフ……」


 物音に驚いて隣を見るとマンガの展開に雀が肩を揺らし吹き出していた。

 気まずい。

 片や身体を失った吸血鬼。

 そしてギャグマンガに興じるメイドさん。面白がっているだけだが、朽ち果てた遊園地の展望台のベンチで声を殺して笑うその様はまるで幽鬼で、不気味でしかなかった。



 混沌(カオス)な空間に間は早くも持たなくなっていた。


 それはまた、モアもである。

 だが死を殺す男との『約定』については、橘に伝える義務が吸血鬼(モア)にはあった。


「……いつか、タチバナに話したよね? 吸血鬼(ボクら)について」

(いわ)く、吸血鬼(ヴァンパイア)は……だったね」

「シキからも聞いたんだろう? ボクには、人だった頃の記憶がないんだ」


 吸血鬼に()るということは、文字通り人でなくなるということ。


 天敵は獲物の記憶を持たず、また狙われる側も吸血鬼について憶えていることはなにもない。食物連鎖を守らせるため世界は残酷な呪い(ルール)を課す。

 最強で、最凶で、孤高で、孤独な生き物。

 全てを奪う死の相対――吸血鬼。


「そんなボクらが、記憶も知識もないのに、どうして獲物(ひと)の言葉を解すと思う? ……昔、ある変わり者から教わったのさ。必要以上に同族(なかま)と関わろうとする、一匹の吸血鬼(おとこ)が」


 吸血鬼(モア)に、姿以外に人だった名残はない。『ボク』という人称も彼女のものではなかった。

 吸血鬼のアイデンティティは、全てある一匹から受け継がれた()のものだ。


「『第一の始祖』……ボクらに知を授けた最初の吸血鬼だ」


+++


 第一の始祖。それは原初の〈(オニ)〉を示す言葉。

『真祖』……処刑された救世主の血を戴き不死となったコウモリに噛まれ呪われた一人目の男。二千年もの遥か神話の時代から生き(死に)続けた死王(ノーライフキング)


 童女が彼と出逢ったのは、1999年7月の夏だった。

 動乱の時代が終わる間近。世界全土で滅亡説が騒がれ、恐怖の混乱と予言が実現する興奮で民衆が熱狂する二十世紀最後の一年。


 だが、人々の期待は裏切られ、劇的な変化は訪れない。

 所詮は都市伝説。人類は滅びず、平和な日々が続くことに誰も彼もが(よろこ)び、安堵の裏で落胆した。


 しかし、予言は確かに当たった。


 その日……誰も知らない世界の片隅で、一人の世界が終わった。




「そこから『第二十の始祖(ボク)』の記憶は始まった。気が付くと月明かりの下にボクはひとりぼっちで立っていて……目の前には、彼がいた」

「それが、『第一の始祖』」


 最初の吸血鬼を呼ぶモアの声には迫力があった。その時の情景が(たちばな)にはまるで見てきたようにはっきりと想像することができるほど。


「それで、その彼は、君になにをしたんだい?」


 橘の問いモアは、思い出したかつての日々に思わず鬼灯(ほおずき)のように頬を赤らめた。


「血を……吸われたよ」

「吸血鬼が、吸血鬼の血を吸うの?」

「そうやって、吸血鬼に自分の知能を分け与えるんだ」

「吸血行為ってそんなこともできるんだ」


 にしても、と橘は(うなず)いた。


「モアの話を聴いてると、そんなに怖くないね」


 最初の吸血鬼ともなれば、もっと死と破壊の権化のような怪物だと思っていたのに。モアも同じ吸血鬼なので、イメージのちがいは今さらな話題なのだが。


 だがもっと、モアの口振りはまるで、懐かしい旧友(とも)を自慢するような。


「……そうだね、うん。君とよく似て、いっしょにいてぜんぜん怖くなかったな」

「なんか今、橘一誠に対する君の正直な感想が聞けた気がしたよ!?」


 両者を見たモアにとって、橘は彼と本当に似た者同士だった。

 なんの利益をもたらさない赤の他人を助けることに全力で、反面、自分には大雑把(おおざつぱ)で犠牲を簡単に払ってしまう。


 優しく、そして。

 とても自分勝手だった。


+++


 吸血鬼(ヴァンパイア)の吸血衝動は空腹や(のど)の渇きとはちがう。また記憶のない吸血鬼にとっても、人の覚える欲求を理解することはできない。

 二つの欲求は完全な別物なのだ。


 血への渇望は、生まれた(死んだ)ばかりの吸血鬼が最初に獲得する感覚だった。


 始めのうちは、吸血鬼は人から血を吸うことに抵抗する。自分と姿形が全く同じ生物を捕食したい本能を嫌悪するからだ。


 だが結局は、共喰いの衝動に屈してしまう。己のため、仕方ないことだと言い訳を繰り返しながら、百年二百年と途方もない年月をかけ多くの命を奪う。

 やがて、時は吸血鬼から微かに残った人間の部分を少しずつ消していき、自我が崩壊し、残忍な性格と不死の肉体を兼ね備えた怪物へと(つく)り変えていく。

 本能には誰も抗えない。


 二十人目の吸血鬼も、()()()()()()だった。


『第一の始祖』は、新しい吸血鬼の前に現われる。


 彼は、血を求め苦しむ彼女に言った。

 ……諦めろ、人を殺せと。


 だが、彼女は(かたく)なに牙を見せるのを拒んだ。

 そんなやせ我慢をする彼女の精神(ココロ)も、ほかの吸血鬼と同じように狂気に呑まれていった。


 人の血をあと一歩という場面で吸おうとしたその時。

 彼女を止めたのは、ほかでもない()だった。


「君は、強い。吸血鬼(ボクら)の誰よりも」


 そう知識を与えた彼が、なぜそのようなことを言ったのかモアには今も判らない。

 何千年も生きた自分より、言葉も(しゃべ)れない生まれたての吸血鬼が強いのか……。


 そして最初の吸血鬼は、自分たちを滅ぼさんとする天敵から童女を守るため、その最期を散らした。

 彼女は絶対に、本能に負けないと信じて。


「奴との『約定』に従おう。貴様は見逃してやる」


『第一の始祖』の首を掲げ……『吸血鬼殺し』はモアに言った。


「だが忘れるな。一滴でも血を吸えば……(オレサマ)はどこにいようと貴様を殺す」


 ……こうして。

 吸血鬼が絶滅して十年間。モアは一滴も血を吸わなかった。




 これは敗者の歴史。

 橘と出逢い、モアは『吸血鬼殺し』との約束を果たせなかった。


 自分は今もこうして、ここにいる。

 それは信じてくれた相手を裏切ったという証明にほかならなかった。


「……モア?」


 (たちばな)は、モアの涙の意味が(わか)らなかった。


「なんで。タチバナ……どうしよう、ボク……」


 命を持たない吸血鬼が、冷たい涙を流しながら訴えた。


「彼が、彼の顔が……思い出せない……!!」


 死を殺す男と最初の吸血鬼との真実を打ち明けたモア。

 だが、彼の顔だけは、なにをどうしても思い出すことができない。


 時は命を奪う。

 しかしすでに死んでいる吸血鬼から消えるのは、記憶であり……思い出だ。

 ()()()()()()()()()()()彼女はこれからも、多くを忘れ、なにも思い出せなくなる。


「ボクのせいだ。ぜんぶ……ボクが……」


 どうして、自分は今もここにいるのだろう。

 血を吸わぬまま地獄に堕ちていれば、あるいは陽に晒して焼かれていれば、こんな思いをせずに済んだのに。機会はいくらでもあった。


「ボクが、橘に救われたりなんかしたから……!」

「……モア」


「モアになにを言われても、僕は何度だって君を救う」

「……君は、どうしてそこまで……」

「あの日、モアと出逢って、僕は知ったんだ。この世界の闇を。君らのような存在に、僕は、なにもできないんだって」


「式くんの言う通りだな。僕は、やっぱり見た目で判断してしまう。ごめん、理屈じゃないんだ。君を見て、単純に、助けてあげたいと思った。けれど、千代紙(ちよがみ)に言われて気付いた。僕も償えない罪を犯したんだったって」


「僕らはこれからも罪を犯し続ける。罰せられながら、起きてしまったこと、これから起こることを後悔するんだ。けれどね、吸血鬼(モア)……」


「モアは、ここにいてもいいんだ! 足搔いて足搔いて、足搔き続けて……自分はこの世に必要だと、君の方から世界に証明してやるんだ! ……でも、ひとりじゃできない」


「僕も考えを改めるから、君も改めてくれないか? ……助けるでも、助けられるでもなく、互いに助け合いながら、今よりもマシな未来を、君といっしょに考えたい」


「だから、これからも(たちばな)一誠(いつせい)を、吸血鬼の()()()でいさせてはくれないだろうか」


 はっ、とモアは思い出す。

 別れ際に彼が……『第一の始祖』が最期になんと言い残したか。


「やがて、君はボクのことを忘れてしまう日がくるかもしれない。でも、それでいいんだ。過去よりも、今そばにいる人を大切にしてほしい。それは、君を本当の意味で救う人だ」


 ああ、と心底いやになる。

 どうして自分は、こうも大事にされるのだろう。


 ……そんなこと言われれば、少しだけ、ほんのもう少しだけ、頑張ってもいいと思えてしまうじゃないか。


「タチバナ」

「なんだい?」


「今日は……とても月が綺麗だな」

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