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死を殺す男-4-

残酷多めです。

『吸血鬼殺し』が『第二十の始祖(モア)』と再会を果たしたのは、新三巫市に上陸して三日後、午前二時丁度のことだった。


 四区でも、大型デパートや百貨店が点在する東は最も人の行き来が激しく、区民だけでなくほかの街からも訪れた買い物客で賑わうその活気は、バブル時代に栄華を極めたかつての西区を彷彿とさせるものだった。


 といっても。式家が最も権力を誇示できたあの頃とは到底及ばなかったが。


「……(あわ)れだな」


 地下鉄、駅ビルの真下。

 蛍光灯の鈍い明かりに照らされた地下街で吸血鬼と向き合う黒衣を(まと)う大男は、モアが最後に別れた頃となにも変わらぬ姿で目の前に立っていた。


「やはり、吸血鬼とは、(あわ)れだ。(オレサマ)との()()を忘れ、人間の血を吸うとは」


 無人となった回廊の向こうで、本能に負け血を吸ったモアを『吸血鬼殺し』は冷ややかに蔑んだ。


 それに関しては、モアは否定しなかった。

 奴の言う通り、自分は(たちばな)から血を吸ってしまったのだから。


「これでは……貴様を信じ(オレサマ)()われた〝奴〟も浮かばれぬ」


 ああ。全く(もつ)てその通りである。


 奴にこんなことを言わせる結果をつくった自分が、モアは恨めしくてたまらなかった。

 奴と〝彼〟の三人で交わした『約定』を守り、十年もの間、最期の瞬間まで、孤独でいようと(ちか)ったのに。


 約束を反故にした。ばかりか、関係のない人間まで巻き込んだ。

 これを、化物の所業といわずなんとする。


「しかし、決まりは決まりだ。『()()()()()』と結んだ『約定』に則り……貴様と、貴様にその身を奉げ呪いを受けた者の死は、この『吸血鬼殺し』のものだ」


 眼前の吸血鬼(ヴアンパイア)を指差し宣言する男は、モア同様、人ではない。


 億を超える〈(オニ)〉を(ほふ)り、()()()()()()』をその拳で殺し、最初のコウモリさえ喰い、人類の天敵である吸血鬼を絶滅に追いやった正真正銘の()()である。


『吸血鬼殺し』の手が握り潰そうとモアの顔に迫る。

 だが動きに反射に避けるのは男にも予想外だった。


 洞窟を飛ぶコウモリのように地下街を跳躍したモアはそのまま近くの看板の影に飛び込み追跡を(まぬが)れた。


 食物連鎖から見て、単純な力の差では『吸血鬼殺し』がモアより勝る。

 だが、いくら『始祖』より強いからといって、同じ力を使って影の中までモアを追えるわけではなかった。


 逃げた臆病者を引きずり出そうと、棺と背中を固定した鎖を解き、地下街の光源を『吸血鬼殺し』は(ことごと)く破壊した。


 景色を反射したガラス片が霧状に舞う。

 暴風のように鎖の先端に付いた十字の棺は明かりという明かりを粉砕し、暗闇が回廊に拡大していった。


『吸血鬼殺し』は、ここで二つの誤算を犯した。


 野生動物にとって、天敵の前に自ら現れるのは自殺行為だった。

 だが闇を味方に付けられるのは『吸血鬼殺し』だけではないこと。

 そして、勝ちの目がないと知っていてもなお自分の前に立った小鬼の覚悟を。


 現実から影の世界へ、それはまるで魚が陸を飛び越え池を目指すようにモアは危険を(おか)し男に肉薄した。


『吸血鬼殺し』は己の足許(あしもと)へ伸びる影へモアの侵入を許してしまったのだ。


 虚数の世界に潜入したモアは、まず()()()()()()()()()()()()とそれを(ひね)ってみせた。すると、大木のように太い『吸血鬼殺し』の腕が影の動きに合わせ、なにもないのにひとりでに捻じ切られ、空中を飛んだ。

 白い床が血で紅く染まり、筋肉の繊維や肉片が辺りに飛び散った。


 即死級の激痛が全身に襲いかかった。

 だが、何百年にも及ぶ吸血鬼との戦いで『吸血鬼殺し』の痛覚は麻痺、いや、死滅していた。


 開いた手でモアを捕まえようとする。だが指先は地面を(えぐ)るだけで。


 影の中を蠢きながらモアはさらに左腕も奪った。食い破られた肩から噴水の如き鮮血が炸裂する。両足の骨を砕き、地面に(ひざまづ)いた『吸血鬼殺し』の心臓(ハート)を腕だけ出して奪い取った。


 まさに圧倒的。

 これぞ無敵。


 身体の修復も反撃する(すき)もなくバラバラになる天敵を影から見ながら、モアの口端は、優越感に自然と笑みを浮かべた。


「……いやはや、これは本当に驚いた」


 地面に顔を付ける『吸血鬼殺し』は、胸から上だけの状態になりながらも無感情だった。


「どうした? (オレサマ)はご覧の通り、貴様にやられこの有様だぞ。(とど)めを刺さないのか?」


 確かに、ここまではモアの優勢だった。完全勝利といってもいい。

 だが……モアは『吸血鬼殺し』を捨て置いて、その場から走り去ってしまう。


 時々、モアは背後をふり返った。

『吸血鬼殺し』が追ってこないか何度も確認した。


 地下鉄ホームから線路へ下り、次の駅との中間地点でモアは待ち伏せをすることにした。幸いトンネルには明かりも多く、影の量も十二分だった。

 それに、ここはとても(せま)い。奴には絶望的なほど狭すぎる。先ほどよりも良い戦闘(パフォーマンス)が期待できた。


 澱んだ空気が満ちるトンネルの壁にもたれたモアは、今しがたの戦いを思い出しながら、じっと手を見つめた。


「おお、おお……!」


『吸血鬼殺し』の手足を()いだ感触が今も残っている。


 ()()()()()は当たっていた。

 ……やはり、奴は弱体化している。


 長い間、吸血鬼を喰らわなかったせいだろう。


 勝てる。

 今の自分は、あの男よりも強い。


 だがなぜ、逃げたのか……。


 モアはこの時、『吸血鬼殺し』を殺せるとは思ってはいなかった。


 勝てるとは(わか)っても、どこまで傷付ければ死ぬかは知らない。

 それだけは、『()()()()()()()()()()()()知識にはなかった。

 誰も奴が死ぬところを見たことがないのだから、それも、当然といえばそうだったが。


 追ってくるのを牽制(けんせい)しつつ、奴を(たちばな)から少しでも遠ざけねば。


 だが。勝利からくる楽観は人だけでなく、人と限りなく近い心を持った吸血鬼でさえ油断させる。


 トンネルの暗闇に(まぎ)れモアに近付く影があった。

 その人影は、天井をまるで蜘蛛(くも)のように這い進み、無音で、吸血鬼に悟られることなく接近した。


 敵を知覚した時には、モアは心臓を(えぐ)り出されていた。


「…………HA?」


 間の抜けた声を出す。

 胸から生えた腕は、脈打つ心臓を摑んでいた。

 この時、自分の心臓がどんな形をしているか、モアは初めて見たのだった。


「ボクの心臓がぁあああああああ!?」


 仰天するモアの首から上が宙を舞う。


 天地が逆さまになるモアが見たのは、心を盗んだ相手。


 全裸に包帯を巻いた金髪の女。

 顔を包帯で隠した木乃伊(ミイラ)のような女。


 ……サーヴァント!?


 顔の見えないその相手の知識を、モアは貰っていた。


 十字架(サーヴァント)

『吸血鬼殺し』の使い魔。

 奴の棺に封印されている()()()

 モアとは違う、『吸血鬼殺し』に支配された人造の〈(オニ)〉。


「『第二十の始祖』を捕獲。命令(コマンド)……〝ぶち殺せ〟。これより実行シークエンスに移行します」


 冷淡ではない。温度のない、心のない、空っぽな一言だった。


 近付くまで気配を探知できなかった。

 油断のしすぎで野生の勘が鈍っていた? ――(いな)


 モアの五感は人間のそれとは比べるのが馬鹿馬鹿しいほどに鋭い。

 なのに今も、奴には蟻一匹にさえある気配というものを感じなかった。


 ……あの包帯!?


 あれが、奴の吸血鬼としての気配を遮断している。


 モアは恨んだ。

 その知識を与えてくれなかった『第一の始祖』を。


 ここから、モアはやることが山積みだった。

 身体を操作する。

 首を取り戻す。

 逃げる。


 位置を特定された。

『吸血鬼殺し』が来る前に、一刻もここから離れなければ。


 悩んだ末、モアは、首を諦めることにした。頭のない胴体だけが、ひょこひょこと、時おり線路に足を取られながらトンネルを逃げていく。

 遠隔で動かす自分の身体は、脳で動かすというよりは、人形をリモコンで操作する感覚に似ていた。



「…………」


 首なしの童女の滑稽(こつけい)な光景に、十字架(サーヴァント)は固まったまま動かない。首を落とせば死ぬと思ったのか。『吸血鬼殺し』の命令が足りなかったのか。


 だが、すでに死んでいる吸血鬼にとって、首と胴体、どちらが本体でどちらが貴重という区別はない。意識をどちらか一方に移せば、もう一方は生やすことができる。意識の移動は、死にはしないが死ぬほど疲れるので、できれば控えたかった。


 身体の方が次の駅のホームに到着した。


 胸に手を当ててみる。首と一緒に失くした心臓は、すでにほぼ全ての組織が再生していた。

 後は、首から意識を移すだけ。


 手探りでホームに上がる胴体。


 その時。

 モアは奇妙な感覚を覚えた。


 痛みではない。

 (かゆ)みではない。苦しみでも、悲しみでさえ。


 温かい。

 お(なか)が温かい。


 その、今まで感じたことのない、表現も曖昧な()()()様子に。

 ……モアは、愛おしさに腹部をそっと()でた。


 だが。

 だが。

 だが。


「……へぐッ……!?」


 腹を押さえたままモアは(ひざ)を突いた。


「んいqfへえいhfsdfhぴえfぐhdきsy!!!!!!!」


 十字架(サーヴアント)(いだ)かれた首は悲鳴を上げた。

 激痛が内側からモアを引き裂く。手が、足が激しく痙攣(けいれん)し首のない蛇のようにモアの胴体はのたうち回った。


 身体の中で、なにかが腹を食い破ろうとしている。


 損傷した細胞が再生し傷が塞がる。

 腹が破れる。

 また再生。

 破れる。


 身体の中で(うごめ)く〝それ〟は(あきら)めず、懸命に外に出ようとしていた。


 そして。

 子宮の膜を引き千切(ちぎ)り、モアの()()()()()()()()()〝それ〟は、両手を腹から伸ばした。

 小さな、小さな赤ん坊の手だった。


 破られた胴体が爆発する。

 ホームの床がほとばしる血で紅々(あかあか)と染まる。

 飛び散る血は、誕生を祝福する花火のようだった。


 ……しん……。

 血溜まりの中で、モアの胴体はぴくぴくと、そして、こと切れる。



「うー?」


 動かないモアの胴体の(かたわ)らで天井を仰ぐのは、そこから出てきた〝それ〟。

 

 血と羊水にまみれた、産まれたての赤ん坊だった。


「きゃっきゃっ!」


 男の子は寝返りを打つと、ぺたぺたと手をついて産まれた場所に引き返した。はいはいである。


「……むしゃ」


 へその緒をつけたまま、伸びた腕に、男の子はかぶりついた。

 開けた口には、すでにずらりと乳歯が生えそろっていた。


「ぱくぱく、ぱくぱく」


 爪をはぐ。指を折る。

 全部残さず口の中に放り込んだ。

 血を舐め、肉を頬張(ほおば)り、飛び出した腸は引っぱって分けるとパスタのようにすすった。


 赤ん坊は、ずたずたにしたモアの身体を、よく噛んで食べた。


「げっぷぅ」


 満腹になった男の子は、ごろんと横になり、指をしゃぶりながら寝息を立て始めた。


 その様子を見守りながら、首を抱えた十字架(サーヴァント)は赤ん坊が覚醒する(おきる)のを待った。

 この時、泡を()くモアの精神(こころ)は活動を停止していた。だが吸血鬼であるモアは、出血と激痛のショック状態で廃人になりながらも、意識だけははっきりと健康な状態を保っていた。


 チクタク。チクタク。

 一分、二分と時間が経過する。


 ぐっすり寝た赤ん坊は、モアの見る前で、二本足で立ち上がった。


 手が伸び、足は太く、歯は乳歯から永久歯へ生え変わる。幼児から小学生、少年から第二次成長期に。

 急速に……急激に赤ん坊は、筋肉のたくましい禿頭の大男へと成長した。


「……な、ん……で……?」


 大男は腹から垂れたへその緒を引き千切った。

 虚ろな眼でモアは成熟した『吸血鬼殺し』を見ながら、なぜ奴がここにいるのか理由を考える。

 一体、いつから身体の中に。近くに奴の気配はなかった。()()()()()()()()


 ……()()()


 ああ、なんということだ。

 胸を貫かれた時、十字架(サーヴアント)は飛び散った肉片を手に仕込んでいたのだ。心臓以外を傷付けなかったのは、再生した心臓から血液を伝って全身を巡るため。

 子宮に到達した『吸血鬼殺し』は、モアを使って成長した。


『吸血鬼殺し』は吸血鬼ではない。

 共通なのは再生能力は高いということ。

 だが、死んでいるということではない。


 獲物の体内を宿主に、赤子から大人の姿になることができる。

 そして、モアの身体を()い、『吸血鬼殺し』は全快した。出し切れなかったかつての力を、吸血鬼を滅ぼす力を存分に使うことが()()()()可能となった。


 なんということだ。

 奴を押し負かしたとすっかり油断し、逆に奴を育てていたなんて。


 ()は失敗に終わった。


 使い魔から首を受け取る『吸血鬼殺し』。

 力では勝っていたはずが、圧倒的な知略と残忍さを前に、()()()()手も足も出なかった。


「これで、吸血鬼(ヴァンパイア)は全て滅び、夜を支配する者はいなくなる。……だが、貴様は天敵を前に懸命に戦った。だが、貴様が(オレサマ)に向けた感情。復讐とは……人だけに許される感情である。化物は、意志を持った種の前では、無力なのだ」


「では、シメを召し上がるとしよう。……いただきます」


 唾液の(したた)る八重歯が迫る。


 ここで、吸血鬼(ボク)は喰われる。最期には骨も残らない。自分がここにいた痕跡は一切奪われる。


 結局、なにもかも無駄だった。

 吸血鬼が助けられることに、なにも良いことなどなかった。

 橘と出逢ったあの日……違う。


 あの日、彼と逢わずひとりで消えればよかった。


「い、いっ……いやぁああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 ()いた。

 (のど)が潰れ、再生するのもお構いなしに〈(オニ)〉は泣いた。


「やめて! 殺さないで! 謝る! さっきのことは謝りますから! どうか食べないでください!!」


「ごめんなさい、もう……もうしませんから! いい子にするから!! もっといい子になるから! 助けて、助けて、たすけて!!」


「たすけて! たちばなぁあああああああああああ!!!!」


『吸血鬼殺し』は、童女の命乞いを聞かなかった。


 そこに、地下鉄が到着した。


「確か、あなたの心情は、関係ない人間(ニンゲン)は傷付けない、でしたか?」


 白い肌。

 三つ編みに編んだもみあげ。

 人差し指を立てながら、不敵に笑う。


 運転席から登場した駅員に、三匹の怪物の視線は惹き付けられた。


 秒を刻むことなく、音もなく『吸血鬼殺し』は乱入者の前に接近した。


「……貴様、何者だ?」


 これだけの殺気、普通なら意識を失う。

 だが、この学生……瞬きさえしない。

 只者ではなかった。

 制服のネームプレートには、〝式折々〟と。


「やだなあ、人を見た目で判断しちゃ。その子を助けに来た魔法使いの末裔ですよ」


第二十の始祖(モア)』の仲間。

こいつが、『血の呪い(エサ)』……。


「……殺す……」


()()!」


 車両の扉が開き、名前を呼んだ男を見つけた吸血鬼からは、気が付けば恐怖は消えていた。

 (たちばな)一誠(いつせい)は、モアの涙を止め、一瞬で恐怖を吹き飛ばした。


「その子から離れろ!」


 メイド服の少女を連れ駅に降りた男。

 その一人は、『吸血鬼殺し』には見覚えがあった。


 地下鉄からぞろぞろと人が降車する。終電が終わったのにも関わらず。


 人が。人が。人が、『吸血鬼殺し』を取り囲んだ。

 ……一体全体、なにがどうなっている。


「なんです? さっきあなた、式を殺すって言いました?」


 挑発するように人だかりの中央で耳をそば立てる駅員。


「なら、ここにいるこの街の住人も。もちろん、吸血鬼とはなんの関係もありませんが?」


 言葉が足りなかった、てへぺろっと反省し……。


 ぱん! と手を合わせた式折々は、侵入者に命じた。


「見逃してやるから、とっとと消え失せろ……ってあのおじさんが式に言えって」

「「ウソつけ!!」」


 土壇場で逃げた式に、橘とモアの声がはもった。

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