死を殺す男-3-
ドオォン!!! ――と。
地下の座敷牢に一発の銃声が轟いた。
朝の光が、黒光りに輝く拳銃を握る手を照らし出す。
地下に掘られた牢に蛍光灯や電球などといった明かりはない。七畳ほどしかなく家具もない生活感の皆無な空間を照らす唯一の光源は、石とコンクリートで固められた壁に空いた小さな小窓から射す陽の光のみ。
「はあ……」
「……あと、五分……」
ため息の主は鍵で鉄格子を開け、弾倉を空砲から実弾入りに差し替えると牢内に敷かれた布団にくるまって呑気に寝息を立てる人影に銃口を構えた。
「……そんなに起きたくないのなら、望み通りにして差し上げます」
――おやすみなさい。
早々に別れを済ませちゃちゃっと起きない主人を永眠させようとした。
「式は『あと五分寝かせて』って言ったんです。『あと五分の命』って言いましたか……?」
布団からむくりと起き上がった寝間着姿の式折々の微睡む視界に映るのは、銃を手に今まさに自分を天に召そうと、だが途中で失敗し舌打ちをする給仕の姿だった。
起こした撃鉄を元に戻す少女の歳は高校生ほど。
落ち着いた白黒でフリルの付いた古風で典型的なメイド服で恰好を整え、カチューシャを載せた髪はシニヨンに纏められていた。
式と向き合う顔は切れ長の眼に端整な造形をしており。
が……前髪に隠された彼女の顔半分は、痛々しいケロイドの痕が残っていた。
「……あと少しだったのに。折々坊ちゃん」
物騒な殺意を込め、空木雀はスカートを摘み上げ朝を挨拶をすると、地下に備え付けられた黒電話でどこかに電話を取り始めた。
「なにやってるんですか」
「耳鼻科に予約の電話を。坊ちゃまはお耳が悪いようですので」
「……そういやあ、最近どーも耳が遠いんですよねぇ~」
こちらのノリに乗ってボケる。
そこが、またなんとも雀はムカついた。
あくびを噛み殺しながら小指で耳をほじる式を横目に受話器を戻した。
「朝食をご用意しております」
恒例のやり取りを済ませた式と雀は座敷牢から一階の大広間に向かった。
今日は土曜日。
学校は休みだった。
式折々の朝は意外と早い。
授業があろうとなかろうと、陽が昇ると同時に起床する。
そして、ここは新三巫市の西区にある式家の屋敷だった。
広大な土地を有する趣ある日本邸は、江戸時代末期に建てられた。
今は没落した武家の屋敷を移住してきた当時の式家の当主が買い取り、ここを拠点に焼け出された町民と戦後末期に興した街が、当時の三巫市。
名の由来は、昔その地域にあった古い伝承からで、初めは三つの区だった。
高度経済成長とバブルを経てその後街は東西南北の区に整理され、創設時から権力を振るっていた町民の血筋も今となっては絶えつつあった。
だが、力で街を創り上げ長きに亘って君臨し続けた西区の式家だけは、裏表の社会で今も絶大な権力を誇っている。
なので、たとえ高校生がいくら銃をぶっ放そうが……古くから付き合いのあるご近所は騒音については意に介さないわけで。
そんな邸宅の大広間で、次期当主はメイドを傍らに置いてトーストをかじっていた。
「お祖母様は?」
「朝食を済まされ、今はお休みになられています」
そう話す雀は式の横に正座し、なんと、焦げ目の付いたトーストを式に食べさせていた。
大広間に置かれた漆塗りの座卓にはほかにも目玉焼きや焼きウインナーといった色鮮やかな食べ物が並んでおり、これらは全て雀の手作りだった。
だが、式はどれも手を付けず。
正しくは、雀が食べさせる物しか口にしていなかった。
傍からは、式が横暴な性格に見えるだろう。
しかし……式は雀にこうしてもらわなければ食べ物も碌に食べられないのだった。
これが、式家における給仕の役割だった。
寝床の世話。食べ物の世話。
あとは着替え、風呂、そしてトイレの世話。
この世界での干渉を制限されている式の世話をするのが、空木雀が『魔法使いの末裔』と交わした『約定』の条件だった。
「坊ちゃんに、これを渡しておくようにと」
卓の向かいに置かれたA4サイズの茶封筒。
促され式が取り出したその中身は、先月に起きた『満月事件』に関する報告書だった。
「橘千代紙の友人、三上創を襲った予備校講師ですが。坊ちゃんの見立て通り、警察病院に移されたそうです」
先日解決した千代紙の秘密を喋られたらどうなるかと危惧していたが。
片想いした教え子の片腕を奪っておいて、『狼に襲われた』なんて供述をすれば、こうなるのは誰でも予想できた。
「三上先輩には、引き続き護衛を」
「病院には人を回してすでに監視させています。三上の方は、私が直接」
「雀さんが? ……ああ、それで剣道部」
つい先週のことである。
屋敷に隣接する道場に胴着やら竹刀やらが届いたのでなんだと思っていたが。
合点がいって式はぽんと手を叩いた。
「入部試合ということで、部長と手合わせをしました」
食後のプリンを式の口に運びながら言う雀。これも彼女の手作りだった。
「顔色が優れませんが。まさか、相手に怪我でもさせちゃいました?」
「タイミングを見つけて適当に転んで負けたら、全国大会が近いとかで、みっちり稽古を付けられる羽目になりました」
ああ……と苦笑する式。
わざと負けたのは雀なりの気遣いだったのだろうが、狙いが裏目に出てしまったようで。
本来は、式家の構成員三人で挑んでも、三人が三人とも同時に失神させてしまうほど鍛えている雀本人からすれば、高校生の剣道なんてままごとより退屈するだろうに。
「まあ、その部長が三上創だったので、結果オーライなんですが」
あと……と思い出したように、プリンの欠片を載せたスプーンを置いた。
懐から取り出したそれは、先ほどの封筒より小さな白い封筒だった。
「昨日坊ちゃんから頼まれていた『例の件』ですが……申し訳ありません」
「正体は?」
「待ち構えていた私に、『彼』は直接名乗りました。やはり……吸血鬼を殺すつもりです」
+++
海に面した市の北区。
港に停泊するそのほとんどが、昔から式家と所縁のある漁師の船だった。
「ようこそ、新三巫市へ」
上陸した埠頭にて。
十字の棺から出した服を着替えていた男を迎えたのは、場に似合わないメイド姿の女だった。
「……貴様が、『第二十の始祖』に呪いを受けたという人間か?」
海水に濡れたシャツを着。
べた付いた黒のズボンに黒の靴下、黒のブーツを履き。
金具が赤く錆び付いた黒革のレザーベストを羽織り。
水の溜まった黒の革手袋をはめ。
鼻が曲がるほど潮の臭いが染み付いた黒のコートに身を包み。
隠せない肌……顔には、海を渡る前に海外で買った日焼け止めクリームを、それはまるでケーキの生クリームの如く塗りたくり。
禿頭には黒のハットを被った。
最後に……満月のように蒼い三白眼をサングラスで隠した。
黒、黒、黒……。
一切の隙間を見せず、一切の妥協も許さず全身に降り注ぐ日光を男は夜明け前に遮断した。
「いえ、私は使いで伺いました。この街の門番だとでも思っていただきたい」
着替えるのを待って、雀は簡単に自己紹介をした。
すると、男の身体からなにやら蒸気のようなものが噴き出し雀は警戒心を強くした。
気のせい?
……いや。濡れていたはずの男の衣服が、先ほどよりも乾いている。それはもう、アイロンをかけたようにぱりっと。
「そうだったか。歓迎痛み入る」
……だろうな、と悟られないよう身構える雀を前に男は思った。
いや、この娘がどこの誰だかは知らないが。
とにかく奴は、あの吸血鬼とは無関係だ。
気配で解る。
あの『裏切り者』は、まだ誰かと共にいる。
そして……相手もそろそろこちらの存在に気付いた頃だ。
「悪いが急いでいる。そこを退いてくれないか?」
気配から位置を特定できるからといっても、それはあくまで双方向にだった。
奴は、必ず逃げる。吸血鬼なのだから、天敵から逃げるのは自然の摂理。
だが下手に動かれでもして、街の外で人と接触されでもされたら面倒だ。
「これから、大事な用を済ませなければならなくてな」
「たとえば……吸血鬼を殺すとか?」
摘み上げたスカートの端から取り出した軍用ナイフを手に雀は男に肉薄した。
正体など知らない。
だがこの男が式折々の脅威になることは知っている。
男は攻撃を避けず、雀が来るのを待っていた。
二十センチを超える刃が男に深々と突き刺さっていた。
しかしナイフを離して退いたのは雀の方だった。
男は胸にナイフを受けたのにもかかわらず、一歩も動かず今も立っている。
命まで取るつもりはない。急所はあらかじめ外しておいた。
がそれでも、意識を保てるはずが。
手応えは確かにあった。
ならこれは、と雀は今度はサブマシンガン二丁、数を数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの鉛玉を浴びせた。
「……後で縫うのが面倒だ」
穴の開いたコートに億劫そうに呟いてもなお、男は倒れなかった。
ばかりか、最後の弾丸を指で捕まえ、目の前でごりごりとすり潰してみせた。
どうやらこの男、同じ形をしていても自分とは別の生き物のようらしい。
空になった銃を放棄し雀が向かったのは、陸地で青いビニールシートを被せられた小型ボートだった。
あれだけ攻撃してきた相手が背を向けても、男は雀に全くの反応を見せなかった。
「見下されているようで……なんだかムカつきますね」
近くの海域を航行していた海保の巡視船に潜入させていた式家の人間は自分の見た光景に驚いてはいたものの、式折々に連絡を取ったのは正解だった。
彼のおかげで、奴が来る前にいろいろと仕込むことができたのだから。
雀が船に隠しておいたスイッチを押すと、男の足許に仕掛けておいたプラスチック爆弾が爆発した。
閃光に続いて橙の煙に男の姿が視認できなくなる。
構わず、間髪入れず続けてグレネードランチャーを撃ち込んだ。爆炎が周囲に轟き振動がびりびりと大気を震わせる。
港周辺の住宅にはあらかじめ警告を出しておいた。大砲だろうが、雀は遠慮なく使うことができる。
あるいは……この場合はむしろ戦車でも持ってくるべきだったか。
「……気は済んだかな、お嬢さん。なにか足許に細工がしてあるのは気付いてはいたが……」
これは、悪夢か?
この男、一体なにでできている。
「……?」
見ると、煙が晴れた雀の視線の先。
男の側に置かれた棺が、大きく開かれていた。
「がッ……!?」
頸筋に激痛が走り、雀の身が地球の引力に従って仰向けに倒れる。
振り返る背後には、女が立っていた。
顔を含めた全身――木乃伊のように包帯に巻かれた金髪の女が、口だけを出し、そこから覗く八重歯から血を滴らせながら。
――「殺すんじゃないぞ。穏便に済ませたい」――
「……命令を再受託。Yes,マスター……」
雀を丁重に扱うと、女は棺に戻っていった。
「ああ。そういやまだ名乗っていなかったね」
冷気を発しながら、男は冷淡に、冷酷に、己が名を告げた。
「我は『吸血鬼殺し』……吸血鬼共の天敵だ」
「気が付くと、男はいなくなっていました」
「取り逃がした……の間違いじゃなくて?」
言い訳の余地なく、式から嫌味を言われてしまう。
「それで、これは?」
「先の戦闘で破壊した港の修理と、『備品』の請求書です」
雀から貰った明細書に目を通す式。
「マシンガン二丁にC4が十二個。グレネードランチャーに弾が合計六発。未来から殺人ロボットと戦ったりしたんですか?」
ある意味、それに近い物を見た。
「いい加減、教えてくれませんか。あの化物の正体」
「……そろそろ、来る頃だと思っていましたよ。死を殺す男」
さて。橘一誠とモアを、どうやって守ろうか……。
「……すみません。もう一つ、お使いをお願いします」
「今、坊ちゃんは私の主です。お願いなどせずとも、命令すればいいのです」
「そんなに、式が憎いですか」
「憎いです。……あなたにこの傷を付けられたあの日から、恨みを、怨みを、憾みを、片時も忘れたことはありません」
火傷に触れながら式を見る空木雀の瞳には、式折々への凄まじい殺意が渦巻いていた。
「それで、坊ちゃんはこれからなにを?」
「……『彼』と話をつけます。殺されなければいいのですが」
「なにを馬鹿なことを。坊ちゃんは私がお守りします」
白い式の顔に触れ、雀は想いを改めて主に告げるのだった。
「あなたは死にません。私が殺すまで」




