人狼の父-6-
※ハッピーエンドです。
※過去編と後日談の二部構成になってます。
小さい頃から、私は友達に恵まれていた。学校では一緒に勉強して、遊ぶ時も必ず三人以上で。
ほかの子より、私は言葉を憶えるのが早かった。それはきっと多忙だった母の影響だろう。
ある日、ある時。
いつもとなにも変わらない学校からの帰り道。
明日、お父さんがわたしとお母さんを動物園に連れていってくれる。
――Aちゃんが言った。
いいなあ。でも、あたしのお父さんは誕生日に水族館に連れてってくれたよ?
――教科書に詰まったランドセルを鳴らしBちゃんが自慢するように言った。
……おとうさん、とは、一体なんだろう?
――前を歩く二人の会話に、私は首を傾げていた。
今となっては、関係が途切れた友達の名前がなんなのか、男かも女だったのかも忘れてしまった。
ちよがみちゃんのお父さんは、どんな人?
――だが、私と肩を並べた中村千代子と言った言葉だけは、今でも鮮明に記憶に残っていた。
幼稚園から仲が良かった友達を憶えていない、なんてひどい話だと思うかもしれない。
だけど、今一度あなたに考えてほしい。中学をきっかけに離れ離れになってしまった友人を、一体、何人まで答えられる。
学校から帰った私は、お父さんとはどういう意味か、母に尋ねた。
深い意味なんてなかった。先日は時計の見方を訊いた。
仕事から帰ってきたお母さんは、私をとても可哀そうな目で見た。長針と短針について教えてくれた時よりも、ずっと悲しそうで、長い説明を受けた。
人が産まれる理由を知らなかった私は、お父さんの意味を知り……自分たち家族がほかの友達と比べ不幸であることを知った。
訂正する。不幸とは、私に謝った母が泣いているのを見てそう感じた。
私にとって、お父さんがいないことが当たり前で、そんな当たり前は幸せで満ちていた。
私がそれを伝えると、お母さんも泣き止んでいつもみたいにご飯の用意を始めた。
お母さんが男の人と帰ってきたのは、それから数ヶ月経った頃だった。
その日。私は友達の誕生会に招かれていた。
お父さんを連れてきたぞー!
――大笑いしながら帰ってきたお母さんからは、お化粧とお酒の臭いがした。
ちょっと、先輩……。
――お母さんを担いだ男の人は困った顔で笑っていた。
後でお母さんに聞いた。
あの男の人は、お母さんの後輩さん。大学という大きな学校で一緒に勉強して今も仲良しなんだとか。
そして、あの日。
私が出かけている時、一緒にご飯を食べた男の人に、プロポーズ……? されたらしい。
私にも、お父さんができた。
しばらくして、私は……あの時、どうしてお母さんが泣いていたのか、その理由が解ってしまった。
朝ご飯が、二人から三人になった。
家に帰ると、お父さんがいる。
河童や人魚と同じ空想上の存在だったお父さんが……。
友達が話していたように、私のお父さんも同じことをした。
休みの日には動物園に連れて行ってくれた。
八歳の誕生日にはケーキとプレゼントを買ってくれた。
嬉しかった。ほかの言葉なんてなにもいらない。
嬉しくて嬉しくて、友達にもこの嬉しさを分けてあげたかった。
お父さんを自慢したかった。
私のお父さんは、世界一なんだって。
気持ちを胸に登校したある日、Aちゃんのいるはずの席が空っぽになっていた。
HRで先生が、Aちゃんが転校したことを話した。
Aちゃんのお父さんとお母さん、別れちゃったらしいよ?
――遠くからそんなひそひそ話が聞こえてきた。
その日、学校から帰ってきた私が、どうして部屋に引きこもり枕を濡らしていたのか、お父さんもお母さんも知らない。
友達が転校してしまった悲しさよりも、友達の身になにが起きたのか……噂話が私を泣かせた。
Aちゃんのお父さんとお母さんが別れた。
お父さんのことを自慢していたAちゃんが。
自慢すると、私の前からも、お父さんがいなくなる……?
こわい。
小学生の少女の心はただそれだけの感情に支配された。
お母さんと二人で過ごした当たり前の七年間を、たった数週間で、私は、否定した。
お父さんとお母さん……三人で過ごした数週間が、私にとっての当たり前となっていた。
Aちゃんの転校はお父さんの浮気が原因だった。
だが。彼女の父親と私の父親が違うと知る機会は、永遠に訪れることはなかった。
学校開催のボランティアで、街の掃除をした私の班が賞をもらった。
ちよちゃんは真面目でえらいね。
そう言って、笑って、お父さんは私の頭を撫でてくれた。
先生に褒められるより、胸が張り裂け爆発しそうなほど嬉しかったのに。
私は笑顔を必死に殺し、背を向け立ち去った。
この時を最後に、私は、お父さんの顔も見なくなってしまった。
彼と私は、誕生日が同じだった。
およそ十年間、誕生日になると彼は私を何度も祝おうとしたけれど、私は、彼におめでとうの一言も言わなかった。
子どもの頃のトラウマなんて、時と共に色褪せ、たとえ事実を知らずとも下らないと一蹴できる。
なのに……幼い頃の誓いを守り続けた。
もういいだろう。十分だろう――二人の誕生日が近付き、プレゼントを用意しては、渡しそびれて捨てる日々。
『鉄血ドール』とは……なんて自分にお似合いの渾名なんだろう。
これを自分に付けた誰かはセンスの塊だ。
友達をつくらず、グループに馴染まず、学校の規律を正す。
真面目に。
冷酷に。
熱心に。
あの日……小学校のボランティアをたった一度褒めてもらっただけだというのに。
なのに。
そんな彼に対し自分は……
――好き……なんてたった二文字の気持ちすら言葉にできないのだ。
+++
火原井千代紙の物語は、彼女の過去と秘密の暴露によって締め括られた。
しかし。
それとは別に、もう一つ暴露されたものがある。
「……あなたは、本当に裸と縁がありますね?」
騒ぎが収まり展望台に駆け付けた式。
白い目で見つめる式の視線の先。
服を剥がれたJKを抱く中年男性の姿がそこにはあった。
「お二人とも、とても仲がよろしいようで」
「……ああそうさ! 二人はとても仲がいいんだ! 娘をあまりジロジロ見るな!」
茶化す式から千代紙を橘は庇う。最早、やけくそであった。
それのなにが悪い。爛れた視線から子を守るのに冷静でいられるか。
この場合、式は橘を見ていたのだが、それはさておいて。
「昔はいっしょにお風呂に入ったりしてたもんな、ちよちゃ……」
「それ以上しゃべったら……殺す」
なにやらパンドラの箱が開く気配がし、千代紙は、橘の頬を両端から引っ張ることでこれを回避した。
橘も、義理とはいえ娘の肌に欲情するほど歪んだ性癖を持ってはいない。
だが、腕の移動で無防備になった千代紙の胸は、あの頃と比べてたくましく成長し、どうにも夜空を眺めずにはいられなかった。
「ねえ、式くん。……私はこれから、どうなるの?」
変身で制服は弾け飛び病院に散乱してしまった。
式が回収してくれているかもと期待した。しかしどの道、この街にはいられない。
今は運よく人に戻れても、いつまた正気を失い他人に牙を剝くか。
教師か。友人か。家族か。
「……先輩。先輩は、いつだって正気でしたよ?」
「そんなっ。だって、私は……」
「たしかに、先輩は狼に変身する。ですが気の毒に、先輩は、最初から自分の意思で変身してました」
今回、式は、橘一誠がなぜ吸血鬼を認識できたのかを知るために彼の家族に近付いた。
人狼には、共通して本能が強く現れるという特性がある。人喰いと恐れられるのは、野生の感情が強く表に出た人狼が起こした事件を人々が垣間見たからだ。
だが、式の心配ごとはどうやら杞憂で終わる。
火原井千代紙は狼になる。
式折々から友を守るため。
吸血鬼から父を救うため。
彼女は、自分を完全に掌握していた。
そして、千代紙が人狼だったから、橘はモアを救うことができた。
孤独となった父と出逢えたのも、狼の血が呪いの影響を打ち消したから。
「ですが。先輩がこちら側の世界を理解したいというなら、知り合いが校長をやってるいい転校先を紹介します。あなたさえよければ、世界も気が付かれない程度に変わることでしょう」
「……前向きに検討するわ」
「狼に変身できるようになったくらいで、『鉄血ドール』の個性がそんな簡単になくなるわけないじゃないですか」
「……魔法みたいな言葉ね」
「式は魔法使いの末裔ですから」
下界との関わりを断ちたい自称魔法使いがここまで肩入れする理由。
それは、彼女の生い立ちが、自分と、少しだけ似ているから。
「……お互い、父親には苦労させられますね」
故に、彼は誇れと言う。
だれでもない、己を。
「……あの。吸血鬼さん」
千代紙は、式の足許で伸びている吸血鬼に視線を送った。
戦闘中に負った傷をモアは復元できてはいたものの、中身は損傷が激しく今だ立ち上がれずにいるらしい。
仰向けのまま、モアは首だけを動かし千代紙と見合った。
なにか恨み言でも言いたいのか。父に対することで憎しみがまだ消えていないのか。
それでもいいと思ったモアは、沈んだような面持ちで放った千代紙の一言に……
呆れてしまった。
「ありがとう。義父さんに救われて」
吸血鬼は救われない。救うことそのものが、世界に対する叛逆だ。
だというのに……この親子は本当に。
「ねえ、義父さん……?」
「ん? なんだい」
「…………ううん。やっぱりいいや」
「そうか。父さんは、ちよちゃんにやっと言えるよ。……誕生日、おめでとう。プレゼントは……ごめん、今年は、こんな言葉だけしか送れなくて」
「許さない」
「そこは許すのムーブでは!?」
「義父さんの都合なんて知らない。……だから、こっちも仕返し。……誕生日、おめでとう」
「ちよたん……!」
「その呼び方はだめ」
「そんなー……」
いつか、彼が自分の前からいなくなるのが不安だった。
その不安は、一度は的中した。
だが、彼は、吸血鬼の所有物となった。
不死の彼女が手放さない限り、未来永劫、彼がこの世界から消えることはない。
だから、もう焦る必要はないのだ。
先送りにしていた問題を、さらに先送りにして、曖昧で、希望に満ちた未来を想像しよう。
恥ずかしい気持ちは永遠に胸に仕舞い込んだままでも構わない。
言いたい時に、いつだって言えるのだから。
まずはこれを機会に、髪を伸ばしてみるのも、いいかもしれない。
……結局、想いは打ち明けられずじまい、と少々式は残念に感じてしまう。
彼らは今、巨大な因果の渦の直中にいる。
その終焉は、果たしてどのような結果を世界に産み出すのだろう。
式は、彼らと共に、その行く末を確かめたかった。
「では、火原井先輩」
「……式折々くん?」
血と、それよりも強い繋がりを信じ、人狼の少女は、二度と間違えないよう、強く、強く後輩に念を押したのだった。
「私の名前は、橘千代紙よ」
近日中にコメント掲載します。




