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20人目の吸血鬼-1-

 全人類が、全裸になった。


 このたった十二文字の情報で、果たしてどれだけの人間が現在の状況を理解するのだろう。

 だが、こう形容するしかなかった。ほかに方法は思い付かなかった。


 仕事を終えた(たちばな)一誠(いっせい)にとって、これほど不愉快なことはなかった。営業で鍛え鍛え抜かれた話術をも駆使すればもう少しまともに説明できたらと、今にしてしまえば後悔してもしきれなかった。


 とにもかくにも、前置きはこれくらいでいいだろう。間延びした前置きほど読者を飽きさせるものはないのだから。


 順を追って説明しよう。


 橘一誠。今回の物語の主人公。とある企業のとある営業課に属するとある三十六歳のおっさん。安月給で妻と娘を養う、なんの特徴もない真っ当な人間。

 さらに紹介、もとい特徴を付与するなら、使い古されたスーツに剃られた無精髭ののっぺり顔。

以上、説明終わり。


 日常を絵に描いたような男は、その日、非日常の真っただ中にいた。


 外回りが一段落しそのまま家族の待つマンションに直帰しようとした時。陽も暮れかけた七月七時の頃だった。

 ハンカチで汗を拭いながら、駅に向かおうと横断歩道で信号が青になるのを待っている時だった。

 この時間、いつもすれ違う部活帰りの高校生がいた。近くの高校に通う野球部員だった。


 だが、今日は、いつもすれ違う彼らは、いつもとは違っていた。

 服を着ていなかった。引き締まった白肌の腹筋を剥き出しに、浅黒く焼けた太い(あし)を晒し、出るところを出した高校生の集団は、カバン片手に、バット片手に、楽しく談笑していた。


 いや、彼らだけではなかったし、ここだけではなかったのかもしれない。

 右を見ると、OLが電話していた。


 左を見ると、汗だくになりながらアルバイターがティッシュを配っていた。


 その誰も彼もの顔を、(たちばな)はよく知っていた。


 だが、今日はその誰も彼もが、服を着ていなかった。布一枚纏っていなかった。


「なんだ、これ……」


 冗談ぽく、一言そう呟くほかなかった橘は自身の姿を確認した。

 服を着ていた。ある『一点』が欠けているということ以外を除けば当たり前の日常に、服を着た自分こそがおかしいと思った。


 信号が青になるのを待ちきれず、(きびす)を返した橘は人気のない路地裏へ走り出した。目の前のこの理不尽極まる現実からの逃避か、あるいは自分がまともでありたいという認識の拒絶の表れからか。




 オフィス街を抜け住宅地で足を止めた橘は、久方ぶりに服をちゃんと着た人間と遭遇し安堵した。


 体育座りで街灯の下にうずくまるそれは、見た目十歳くらいの幼女=童女だった。夏らしい半袖白のパジャマ姿に、泥だらけの素足に、黒髪の三つ編み一つ結いの。


「大丈夫かい……?」


 咄嗟に(たちばな)がかけたそれは、ぴくりとも動かない童女を労わった言葉だった。

 触れた童女の華奢(きゃしゃ)な肩は、氷よりも氷のように冷たかった。


 理解できないが理解した橘はすぐさま救急車を手配した。


 駆け付けた、救急隊員服を着た救急隊は焦りながら懇切不丁寧に事情をまくし立てる橘に、口を揃えてこう言った。


()()()()()()()()()()()?』


 その瞬間、橘は理性を失った。冷静さを欠いてしまった。


「ここに童女がいるじゃないですか!?」


 何度街灯の下を指差しても、隊員は首を捻るばかりだった。


 童女が首を上げたのは、隊員の間で疑問が橘への疑惑に変わったのと同時だった。


 童女は、隊員を(にら)み付けた。責め立てるように、()め付けた。

 

人形のような、作り物のような整った(かお)をしていた。


 子どもとは思えない鋭い眼光を前に、救急車はサイレンを切って走り去っていった。


 直後。


 電話が鳴る。電話を取る。


「もしもし……?」

『あっ、タチバナさん? お久しぶりです』


 知らない番号からは、知らない声が聞こえた。


「誰……?」

『やだなあ。同じ屋根の下、共に雨をしのいだ仲じゃないですか』


 全然全く、自己紹介になっていなかった。


『そろそろ式の出番かと思いまして。勘だけは鋭いんですよ』

「……君なら、この状況を答えられるのか」


『君』と言った。声の感じから、年下、で合っているだろうか。


『残念ながら、知らないことには答えられません。ですが、あなたが本当にお悩みなら、式は力になってやらなくもありませんよ?』


 飄々(ひょうひょう)と、堂々とそう言い切った。


『それで、あなたがすっきりするなら』


 上から目線の生意気な態度に、橘は(いびつ)な安心感を覚えたのだった。

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