二話 第二ホールにて
書類の提出を済ませた三人は、そのままの足で第二ホールへと向かうためにエレベーターを待っていた。そもそも持って行って役に立つようなものはないのだ。
エレベーターがチンと鳴って、扉が開いた。中にはミタツたちのように、顔に暗い影を落とした人々が四人ほどいた。
降りる人がいないことを確認して乗り込もうとするミタツ。その肩をコウタロウが掴んで、中で開くのボタンを押している男に言った。
「止めておいて悪いが、先に行ってくれないか。忘れ物をとりに行ったやつがまだ戻ってないんだ」
それを聴いた男は何も言わずにうなずいて扉を閉める。その後で、ミタツはどういうことだとコウタロウに冷たい目線を向けた。
コウタロウは明るく笑ってそれをスルーして、階段を指さした。
「準備運動がてら、階段を使おうぜ」
「……まあ、僕はいいけど」
「私も大丈夫です。……いろいろ話しましょうか」
コウタロウの提案に二人ともうなずいて、三人は長く上へと続く階段へと向かった。
ここは地下二階の巨大地下施設。向かう第二ホールは五階のところにある。地下一階は技術班が近代的な道具を作り続ける工場、一階は受付やコンビニなど雑多な店が詰め込まれ、二階には飲食店。そこから上は全て事務的なオフィスになっている。
地球のビルとなんら変わりの無さそうなこの建物だが、規模だけはオリジナルを凌駕していた。
階段の途中にある社内案内の豆知識には、『面積:東京ドーム四個分』などと書かれている。それを見たミクルが皮肉を交えながら言った。
「東京ドームって……異界人ですらよくわからない基準なのに、この世界の人に伝わるんですかね?」
「あー、確かに。僕もずっと思ってた。この建物に勤めてる人だって、異界人の割合なんて大して多いわけでもないのに、不思議だよね」
「まったくだ。せいぜい二百人程度だろ? この国の異界人なんて」
地下を抜け一階から二階に続く階段にさしかかる。
「野球を見に行ったから東京ドームがでかいのは、俺は一応わかるけどな」
「そうなんだ。っていうことは、この建物はやっぱりすごいんだろうね」
「当たり前ですよ~。地球ではできないような建築ができる魔法のアイテムがいっぱいこの世界にあるんですから、必然的にこの世界のものはすごいってことになりますもん」
「魔法のアイテムっつうか、魔法だな」
三階の扉の前に来て、コウタロウが息を整えるために階段に腰掛ける。まだあと二階分もあるのかと、あとの二人も後から気づいたのか腰を下ろすのにためらいはなかった。
ちょうど自販機がある階だったようで、おもむろに立ち上がったミタツは黄色い魔石を取り出して、パネルにかざした。三列ある最上部のコーラを迷わずに選択した。そして振り返って二人にも訊く。
「何がいい?」
「俺はカフェオレの冷たいの」
「私はオレンジジュースで!」
注文通り、二本のボタンを押して取り出し口から取り、コウタロウには投げ渡してミクルには手渡した。三人ともキャップを勢いよくひねって冷たい液体で喉を潤す。
炭酸に涙を出しそうになりながら、ミタツは右腕の腕時計をちらりと見た。
「あと二十分だね」
「もう少しゆっくりしていきたいな」
「賛成です。……はぁ~ぁ。結構早かったなぁ」
そうこぼして虚ろな瞳で階段の裏を眺めた。
ミクルがそう言って落ち込むのも変なことではない。先ほどエレベーターに乗っていた四人組を頭に浮かべながら、ミタツは口を開く。
「恩恵の発現……。異世界から転生させられた人間が持つ、特殊な力、だったっけ」
「そうです。その通りです」
恩恵。
「恩恵を発現させるためには、適正な状況の下に転生者を置かなければならない。戦争中のだから戦闘系の恩恵を探すためには外に放り出すのが一番効率がいいわけだ」
コウタロウがポケットをかさごそと漁る。だがそこに目的のものが無かったことを思い出し、再びカフェオレを口に運んび、乾いた笑いを漏らす。
「煙草、置いてきてたみたいだ」
「残念、最後の一服は帰還後ですよ」
「そうだな」
カフェオレの残りを一気に飲み干して、自販機の隣のゴミ箱に投げ入れる。小さな円い穴に見事に入ったペットボトルは軽い音を立てた。
そして重い腰を上げるコウタロウに続いて、ミタツは飲みかけのコーラをゴミ箱に入れて後ろをついていく。ミクルはまだ残っているのを気にして、飲みながら階段を上った。
しばらくまた休憩したはずなのに、三人の足は心と同じで重たかった。
その重たい足で第二ホールへとたどり着いた時は、もうすでに予定の時間の五分前。しかしどうやら最後に来ているわけではないらしい。まだ空席がちらほらと見受けられる。
空いた席があることにちょっとだけ安堵して、自分たちの席を見つけて、ミタツを真ん中に横並びにそこに腰掛ける。簡易の机の上には書類が置いてあった。
右側からコウタロウはそっとミタツに耳打ちする。
「こういう書類っていうの、大抵ちゃんと読んでも役立たなくないか?」
「ちゃんと読まないと痛い目に遭うよ」
「冗談だよ。俺だって毎回ちゃんと会社で読んでたんだからな」
そう言って慣れたように紙を手に取って、大きく息を吐いて読むことを始めた。ミタツもそれに習って読み始める。
しかし、二枚と読み進めるうちに時間になったのか、スピーカーの反響が聞こえてきた。
『えー、今から二日後に行われる今回の作戦について解説を始めます……。まずはお手元の資料をご確認ください。今回は結界の外側での任務となります』
室内でざわめきが起こる。
「結界の外側って……超危険区域じゃないですか」
ミクルが怯えをはらんだ声で呟き、口元に手を当てた。呟きが耳に入ってきたミタツも同じ心境だった。
ざわめきを無視してなおも説明は続く。
『えー、皆さんもご存じの通り、今現在我らがウルリア民主国家は、遙か先、ベル平原の先の盆地に存在するベリル帝国と敵対状態にあります。しかし、平原の中央のリブ湖を中心に大きな結界。すなわち『魔封じの超結界』を展開することで魔法の使用を制限し、そこまで巨大な戦争に発展することを抑えています。だからといって、兵力が足りているわけでもない。そこで今回の作戦となります。五ページをお開きください』
ざわめきと紙のこすれる音が響く。どうみてもこの室内の大半の人々は、説明どころではないほどに焦り、恐怖し怯えている。だがスピーカーからの声は続く。
『えー、皆さんが落ち着きを失うのはわかりますが、まあ、安心してもらって。えー、今回の作戦は別に襲撃とか、殲滅とか偵察とかそういうものではございません。今回はあくまで“キャンプ”です』
「舐めてる」
「ああ、まったくだ」
あまりの阿呆さに、二人は笑いを抑えられなかった。口をなんとか手で塞ぐ。しかし二人が笑いを抑えたところでなんの意味もない。
「くっはっは! 馬鹿だろ! どんだけ無能なんだぁこの国は! うちの世界の政治家のほうが三倍ぐらいマシじゃねえか!」
それはミタツの前でふんぞり返って座る金髪の男の笑い声だった。騒がしかった室内が途端に静まる。
その違和感にさすがに気づいたのか、男は不機嫌そうに辺りを睨んだ。スピーカーから声が聞こえてくる。
『口を慎め異界人。我らが国家は偉大であり至高だ。それを踏みにじるような言動はやめてもらおう』
「へいへい。じゃーそんなこと言われねー偉大な決断を頼むぜウルリアの政治家」
男が資料を後ろに放り投げると、それが見事にミタツの額に当たって、ミタツは「うっ」と声を漏らす。それに気づいた男が頭をのけぞらせてミタツへ言った。
全てを見通すかのような青い眼がミタツを覗き込む。
「悪ぃ、当てちまった」
「当たる前提なんだね……」
「後ろの席に人がいるのは常識だろ~?」
悪びれもなくけっけっけと愉快そうに笑って、男は頭を戻した。
男が静かになったことを確認すると、説明がまた続けられる。
『……えー、あとは、皆様の安全のために恩恵者と能力者を随伴させます。あとはお手元の資料に明記されておりますので、あとは各々で確認していただくよう、よろしくお願いします。では』
機嫌を損ねられた説明の声はそれだけ言ってぷつりとスピーカーを切る。もちろん、終わった後は説明中とは比べものにならないほどの喧騒に包まれる。辺りから愚痴、不満、抗議の声が絶えない。
それはミタツたちも同じだった。
「はぁ~。ウルリア民主国家ねぇ。一回“民主”の意味を調べてきてくれねぇかな」
「本当ですよね……。もう少し政治の制度、特に異界人に対する政権認めてくれませんかね」
「異界人に力を持たせたくないご老人がいるかぎり、僕たち異界人はこうなる運命ですよ。現に、異界の知識がいらなくなってきているらしいですし、だからこそこうやって兵力に異界人をつぎ込む余裕があるんですから」
「なるほど納得だぜ畜生」
滅多に苛立ちを見せないコウタロウも今回ばかりは舌打ちを隠さない。腹立たしげに資料を丸めて、空席になった前の背もたれを叩き続ける。
ミタツの前に座っていたあの金髪ももういなくなっていた。
三人も、諦めて席を立つ。
「じゃ、何か美味しいものでも食べに行きましょうか?」
「いいね。寿司にでも行こうよ」
「おう! 俺の酒を止めてくれるなよ?」
そう笑ってこのビルを出るのだった。