一話 転移者たち
長瀬 海龍は十七歳の少年である。どんよりとした垂れ目にぼさぼさの黒髪、体は細身だが筋肉が薄く存在している。
そんな彼は、ある日トラックに轢かれて、死んだ。
そして異世界に召喚された。
「さてと、今日も仕事に行くか」
だが、異世界製のジャージ(といっても地球のものとなんら変わりない)を身につけた彼の笑顔は、一度死ぬ前では当人が想像もできないほど輝いている。
自分の部屋を出て、中世風の石畳と石レンガの廊下を抜けて、次の部屋へ進む扉は――ガラス製の自動ドア。異世界には似合わない近代的な扉をくぐり抜けると、そこは近代的な真っ白いコンクリートで造られた広い通路だった。そこにいるのはミタツと同じジャージに身を包んだ老若男女達。
その中で、ミタツへ向かって手を振る長身でがたいのいい男の姿。
「おう、おはよう! ミタツ!」
「おはよう。コウタロウ」
コウタロウと呼ばれた男は、男らしい顔で爽やかな笑みを浮かべて人の波を器用にかき分けてミタツの元へ駆けてくる。
その様子に微笑みをこぼすミタツ。
「今日は一緒に行けるな!」
「そうだね。楽しい仕事になりそう」
「だな!」
今度は人の流れに沿って、駅のホームに設置されているようなゲートの方へ向かう。本来ならば電子マネーのカードをタッチするところに、二人は紫の水晶を近づける。すると、ピッという機械的な音とともにゲートが開いた。
そう、この世界は、転生者たちの知識と技術が総動員された、近未来異世界。魔法もオーバーテクノロジーも特別な能力だってある、そんな世界。
そこで転生者たちは、地球の知識をこの世界――否、自国のために再現をし、実用化させるというとても重要な仕事を行っていた。
二人は魔法で動くエスカレーターに身を任せながらなんともない会話をする。
「なあ、次は何を実用化させるよ。俺はそろそろVRゴーグルに手をつけてもいい頃だと思うんだが」
「そうだね……。でも、VRゴーグルで何をするの?」
「ほら、動けなくなったこの世界のじいさんばあさんに外の世界やらいろんなものを見せられるだろ? それってすげぇいいことだと思うんだよ」
そう真面目な顔で、本音でコウタロウは語る。一切自身の利益を鑑みない、人間性が完璧な男の口は止まることをしらない。
「なんなら、自動車椅子とかでもいいな! 今どっかの班が開発に取り組んでるんだっけ?」
「いや、今は上の人たちが戦闘と工業化のキーアイテムの開発をせかしてる。どこもそういう画期的なものに手を回す余裕はなさそうだよ」
「そうか……。ま、自国の安全が第一なのはわかるけどな」
その先は言わずにコウタロウは黙り込んだ。エスカレーターが目的のフロアにつくまで、ずっと先を見つめたまま微動だにしない。
コウタロウはただただ優しい男だ。その性格を知っているから、ミタツも何も言わずに今日の作業のことを考えていた。
二人は同じ班に所属している。必然的に足並みは揃い、そして目的の部屋の扉にあの水晶をかざしてロックを開ける。扉は真横にスライドするように開いた。
「あ、お二人とも、お疲れ様です」
中にいたのは、カールする桃色の髪とおっとりとした碧眼で柔らかな印象を与える少女。見た目は幼く見えるが、年に似合わない胸がジャージを膨らませていた。
「おう、ミクル、お疲れ」
「お疲れ様、ミクル」
「結構待ってたんですよ、もう」
そう頬を膨らませる彼女の手元には、びっしりと文字が書き込まれた何枚かのコピー用紙が存在感を放っている。二人は申し訳なく思いながら自分の定位置に座った。
ミタツ、コウタロウ、ミクルの三人。この三人は、一年ほど同じ班で活動をしている。そのため気の置けない相手としてみんなそれぞれに信頼をしていた。
コウタロウは目線だけでミクルに「どうだ?」と尋ねる。それにうなずいてミクルは手元の紙を二人に配る。ホチキスで留められた紙は三枚の厚さだ。
「待ってる間に完成させましたよ、携帯型通信機に必須の魔石の種類のリスト」
「おっ! さすがだな、ミクルは」
「すっごい大変だったんですからね? 図書館に行って魔石の種類から調べて、効果も調べて、それから近くに配置すると別反応が起こっちゃう魔石を調べて……」
「わ、わかったよ。ごめんね、無理させちゃって。今度何か買ってあげるよ、報酬みたいな感じで」
「なら許してあげます♪」
ミタツが折衷案として物による報酬を提案すると、あっさりとミクルは笑って許してくれた。
それを見て、ふとコウタロウがこぼす。
「同じ班の上下関係だよな……」
「私が頑張り屋さんなんですね!」
「間違っちゃいないが俺たちはおかげで尻に敷かれてる現状な」
「じゃあもう少し頑張らないと」
「ミタツまで辛辣なところでどーん!」
そう言って、コウタロウが満面の笑みで机の下から紙の束を引っ張り出して、セルフ効果音とともに机にそっと置く。二人はそれを上から覗き込む。
二人がまじまじと自分の成果を見る様子を満足げに眺めて、コウタロウは腕を組んでうんうんとうなずいている。
ミタツはミクルに断りを入れてその書類を手に取り、パラパラと速読をする。そして最後まで読み切ってから驚きとともに口を開いた。
「コウタロウ……あなたはまだ僕と同じ位置にいると思っていたのに……」
「はっはっは! 残念だったな! お前らがいなくなった後にこっそりとここで作業を続けていたのだ! 仕事のついでに自分の作りたいものの設計図をな!」
「本当にすごいですね……これ、もうあとは技術班に投げちゃえばすぐに完成しますよ?」
その書類に書いてあったのは、『バーチャル空間を利用した反射神経のテストアイテム』の設計図。さらには『VRゴーグルつくってよ! そしたら新しい訓練できるよ!』という画期的でさらに応用のしやすいことを伝える完璧なスピーチ原稿だった。
ミタツはその書類をミクルに手渡してから、呆れを隠せずに自分の仕事のための書類とパソコンを取り出した。
「僕だけ置いてきぼり……」
「手伝ってやるぞ?」
「いいや、甘く見られても困るよ」
見るからに肩を落とすミタツは、だが背筋をただしてパソコンに向かい合った。勢いよく電源のボタンを押す。
「一時間の作業を十分で終わらせてやる」
「頑張れよ」
ミタツは長年の読書により得た集中力を限界まで引き出して、キーボードに手を置いた。
そして十分後。
「――はあぁ~……。はい、こっちも終わり、っと」
「毎回思うんですけど、ミタツさんもなかなかすごいですよね」
「集中力だけが取り柄だからね」
ふふん、と得意げに胸を張るミタツ。その隣で本当に感心しているコウタロウが拍手をしていた。
さあ、あとはこれを提出するだけだと、みんな暗黙の理解により各々の書類とデータを持って椅子を立つ。そして扉を開けると、ちょうどインターホンを押そうとしていた役員の姿があった。
三人は突然の訪問に顔を見合わせて、訝しげな表情でコウタロウがまず尋ねる。
「何か緊急の用事が?」
「ええ、そうです」
紺色の制服に身を纏った役員は、三枚の紙をそれぞれに手渡した。
紙面の見出しはこうだ。
『転生者に求む、恩恵の発現を』
その見出しに三人が三人、苦虫をかみつぶしたような表情をせずにはいられない。
「あと一時間後に説明がある。支度をして第二ホールへと向かうよう」
それだけ言い残して、役員は去って行った。
三人とも何も言わずに、手にしたデータを提出しに行くのだった。
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