十五話 任務開始、潜入、会敵
三日後、異界時計で午前二時。
「よし、始めよう」
ミタツが初めてフェリを見た時のような、真っ黒のダボダボのローブを着たフェリの隣で、ミタツは緊張に体を強ばらせていた。
肩の力がどうしても抜けない。手は小刻みに震えているし、頭もモヤがかってどうにも本調子ではない。腰のダガーが鉛の塊のように重い感じがする。
そのミタツに気をかけてか、フェリが軽い調子で言う。
「ま、君はただ特攻するだけなんだから。そんな気張らなくてもいいんじゃない?」
「初めてのことって、勝手がわからないし、気づかないところでミスをしそうで怖いんだ」
それは地球での苦い思い出に裏付けられたものだ。何が父を怒らせるのか、わからないままわからないまま過ごす日々。
意図せず思い出してしまったミタツは、唇を切れるほどに強く噛む。
フェリはそんなミタツを一瞥してから、真剣な表情になって言った。
「この世界はどこに行っても甘くないんだ。弱音を吐く暇は無い。ーー行くよ」
「ーーうん」
ミタツは力強く返事をして、ローブを翻すフェリの後ろを追った。
場所は深夜、職人すらも寝静まった頃。石造りの道を駆け、石レンガの建物の角を曲がり、急に視界が開けたところにそれはあった。
目の前は大きく華美な黒い鉄の門。その向こうには、辺りのビル街に似合わない広大な芝生が広がり、さらにその奥には三階建ての豪華な屋敷が絵画の中のように悠々と佇んでいる。
しかし、門は固く閉ざされ、また門番も配置されている。
フェリは無言でミタツに頷き、人差し指を右へ。ミタツも頷くと同時にフェリは駆け出した。急いでミタツも追う。
ひとつ角を曲がると、あの広大な芝生と石畳の道の間を高く頑丈な塀が分けていた。その上には赤いセンサーがある。
フェリがこっそりと時間を確認する。センサーが切れるのはほんの三十秒。
フェリが三つ指を立てる。三、二、一。
センサーが切れた。
その瞬間、フェリは塀の内側に圧倒的な身体能力で空を滑るように降り立った。それから十五秒ぐらいしてミタツもなんとか塀を越える。
塀の中ではドローンがこれまた赤い目を光らせていたが、もちろんこの時間に二人が進む道にドローンが来ることは無い。
静かに全力で外庭を抜け、メイド用の現代的なカード式の裏口にたどり着く。
フェリが薄明かりの中、灰色のカードを取り出してスキャンさせる。ランプが青く点った。
横にスライドするドアを抜ける。ほっと二人が息をつくのもつかの間。
「……え?」
深夜二時。ブラック企業の社員も寝落ちするこの時間に、せっせこ皿洗いをするメイドが一人。
その口は、今にも絶叫を上げそうで、
「ひっーー」
「悪いね」
メイドの首に、黄色い針が突き刺さった。
紐の切れたあやつり人形のように、メイドは床に崩れ落ちる。その瞬間、割れて音を出しそうになった皿をフェリが受け止めた。
「……危なかったね」
「麻酔?」
「当たりさ。さ、行こう」
ミタツは、こんな時間に仕事をさせられていたメイドを不憫に思いながら台所兼メイドの憩いの場を抜ける。
さあ、ここからが本番だ。そう言わんばかりに装飾の鎧たちは二人の暗殺者を睨む。
二人は真っ先に階段へと向かう。その時、なぜかフェリがミタツの後ろに隠れた。それを訝しみながら、ミタツはその勢いのまま階段に繋がる廊下を右に曲がりーー
「催眠」
視界が階段を捉える前に声を聞いた。ミタツの意識は暗転。
「起きて」
「ーーっ!」
その次の瞬間にはうなじに刺さったナイフの痛みで意識を取り戻す。
そして、やけくそに腰からダガーを抜き放ち、目の前の顔も知らない誰かに向けて横に振る。
しかし今度はそのダガーが鉄に弾かれた。
否、弾いたのは一人の人間であった。
「ふー……」
腕が灰色になったプロレスラーのような男が、目を爛々と光らせてミタツを睨む。
プロレスラーの拳がミタツの頬を打つ。間違いなく骨は砕け、目の玉は飛び出した。もちろん瞬きの間に全ては元に戻る。
ここまでのミタツという一人の少年に起こった現象に、能力者の二人は動揺する。
一体、どんな化け物なんだーー
「お休み」
その二人のうなじに、紫色のナイフが突き刺さった。
鉄壁の能力者の男はミタツを睨んで立ったまま、もう一人の能力者ーーよく見れば小柄な少女ーーは、白目をむいて倒れた。
背後の階段に足をかけるフェリは、淡々と言う。
「行くよ」
「う、うん」
今の一瞬で、二人の命が失われたことをミタツは理解した。
これが殺しの世界か。僅かな隙、一分も満たない時間で生死が隔てられるような世界。
改めてこの職業の辛さを理解する。それと同時に、果たしてフェリはどう思っているのだろうかとも考えた。
二人は階段を三階まで駆け上がる。
きっとフェリは長く殺しをしている。だから、慣れているのではないかとミタツは考え、そこで一旦思考を止める。
なぜなら、目の前に人影が現れたからだ。
窓から差し込む僅かな月光は、男の灰色の肌を。いや、灰色の体毛を照らした。男は狼の顔を持った獣人で、手には片手剣を握っている。
恩恵『狼男』
「……我が主になんのようだ」
狼男は、鼻をひくひくとさせて警戒をしたまま二人に尋ねる。一本の廊下では、フェリも虚をつくような動きができない。
そこで、フェリはあえて応えた。
「我が国の裏切り者を処分しに来た。それまでさ」
「法にかければいいものを」
「娘を人質にしても出てこなかった引きこもりは、裏の仕事人が調教していいみたいでね」
話す途中。フェリのローブの袖からナイフが飛び出す。しかし狼男は一歩も動かず、ただ顔の横を通り過ぎる音速のナイフを見送った。
フェリは鼻を鳴らす。
「ふーん。そっか、そういうことなわけだ。君、獣人化したから五感と身体能力が発達したわけだ」
「……まあな」
狼男が片手剣を構える。そして叫んだ。
「そう易々と恩恵者に勝てると思うなよ! 能力者!」