マユの母と推理
雪菜の母、は、
聖の説明を黙って聞き、
聞き終わった後、最初に、こう言った。
「貴方のお話だと、ユキナは、ちゃんと病院で治療も受けて……23才まで、山本マユとして、生きていた。そういう事ですね?」
涙を滲ませて……微笑みを浮かべて、言った。
「あの子は生まれ付き心臓に障害を抱えていました。A大附属幼稚園に入れることに決めたのはA大医学部付属病院に通院していたからです。
成人までは望まないで下さいと、言われていました。……それが23才まで生きたんですね。
心臓の障害から、学校に人並みに行けなかったことは想定できます。障害が分かった時、辛い、寂しい人生を思い、涙が涸れるまで、泣きましたから
私は、貴方のお話を聞いて、雪菜が隣人の事件に興味を持ち、貴方に会いにいった事実が……奇跡のように、受け止めています
人並みに暮らせないのに、他人を思いやる心を持っていた、その事に驚いています
……おそらく、大切に育てられたのでしょう
山本さんへの恨みは、薄れます、ね。
だから、かえって謎です。……雪菜を誘拐して大切に育てた。どうしてでしょうね……」
母は、聖が話した全てに、疑いを持たなかった。
山本夫婦が、なぜ雪菜を誘拐したのか、動機に心当たりは無い、という。
聖は、山本夫婦が娘を殺し、身代わりに<雪菜>を誘拐したと、
友人の刑事は推理していると、
それも話してみた。
「我が子を殺して、身代わり?……必然性があるケースが思いつきません。我が子を殺したのを隠蔽したいなら、事故死を装うでしょう?」
尤もな答えだった。
「そうなんです。動機が全く分からない。……でも雪菜さんをマユさんとして育てたのが事実と仮定すると、マユさんは、どこへ消えたんでしょう? 死んだとしか考えられない」
「山本マユちゃんは、マンションの1階で、本家に行くときに時々見ました。顔は覚えていません。マンションの廊下は三輪車や遊具で遊ぶには充分の広さです。……ユキナと、時々一緒に遊んでいるのは見ていました。……側に行ったことは、」
そこまで、話して、後悔と怯えが混じった表情で、口をつぐんだ。
「貴女は、家の前から子供達が遊ぶのを見ていたんですね。……それは、マンションの敷地に、行きたくない場所があったからではないですか?」
聖は、この人は古井戸が怖かったのではないかと、見当が付いていた。
自分が感じたゾワゾワする感じを、
もっと強く感じていたなら、近づきたくも無いだろう。
「井戸のことをおっしゃっているのね。……貴方も、アレを、見たの?」
「(アレって何?)見て、ないです。正確には、まともに井戸を見てない。……怖くて」
「怖いでしょう。私、子供の時から、あの井戸が、とても怖いの」
「子供の時から?」
「ええ。近づかなかった。側を通るときはなるべく見ないようにしていました
本家にも、井戸があるんですよ。そちらは飲み水として使っていた井戸です。でもあの井戸は水を汲んだ跡がない」
「水を汲まない……何の為の井戸なんだろう」
「不思議に思うでしょう。別の事に使っていたようです。……昔、間引いた赤ん坊や、幼くして亡くなった子供を捨てていたのかもしれません」
「……惨い。埋葬しないで、ポイ、ですか」
おぞましく恐ろしい光景が浮かび、辛くなる。
井戸の下に、有り続ける幼子の遺体。
成仏できないだろう。
「ええ。成仏出来ないでしょう。それで良かったのです。成仏させないための風習です」
「……そう、なんですか。なんで?」
「成仏したら、その子は生まれ変われない。幼くして亡くなった子が生まれ変われるように……あの世に送るのではなく、生まれる前に戻すのです」
川に流した風習もあった。
この地は川が遠いので、井戸を作ったのではないかと。
「あの日、私は雪菜が本家に入るのを見たと思いました。……誘拐されたのは、なにかの事情で、あの子が一旦本家の門を入って、玄関には行かずに、外に出たとしか考えられません。そして、連れ去られたのだと……、警察も、そう判断したと思います」
「声を掛けられたのかな……山本に。計画的に連れ去るのは、可能だと思いますか? たとえば、本家に行くのは決まった時間だったとか」
「夕方に出かけたのは初めてです。……幼稚園の制服が届いたので、喜んで、早速着て、帽子も被って、見せに行ったのです。山本さんがマンションに住んでいたなら、窓から見張っていることは可能でしょう。でも引っ越した後です」
チャンスを狙ってマンションの敷地で見張っていたら、当然不審な行動として浮かび上がるだろう。
「偶然、車で通りかかって、さっと車に乗せたのかな……」
祖父母の家に入るのを見たとしたら、
その山本の姿は、見えた筈だ。
視界から雪菜が消えたとき、
誘拐犯は門の近くに居た筈だから。
「そうですね。本家の敷地内で待ち伏せしたとは思えませんものね。……誰も居なかった。車は停まっていなかったと記憶しているんですが」
母は考え込んでいる。
「あの……ユキナちゃんは、本家に入ったように見えたけど、実は手前のマンションの駐輪場に入ったという可能性は無いですか?」
聖は、駐輪場が、あの古井戸が、事件に関わっている気がするのだ。
「……無いとは言い切れません」
雪菜は小走りで本家へ向かい、さっと左へ入って視界から消えたので、
琴美は門をくぐったと思った。
でも、少し手前にある駐輪場に行ったのかもしれない。
……なぜ、寄り道した?
……もしも、そこに、駐輪場に<山本マユ>が居たとしたら、
……思いがけず、声を掛けられたとしたら、
暫く会えなかった懐かしさに、
喜んで、走り寄っただろう。
「神流さん。一緒にあの井戸を覗いてみますか?」
一人では近づくのも怖い。
似た力を持つ聖となら、覗いてみてもいい、と言う。
暗い井戸の中に、何かが見えるはずはない。
しかし、自分と聖が見れば、分かるかもしれない、と。
「あ、でも勝手に蓋開けてもいいんですか?」
「うちの土地にあるモノですから。良いでしょう。今からでもどうですか? 」
「あ、はい。行きます」
(小さいワーゲン)に同乗して、来た道を戻る。
ハンドルを握る横顔も、
マユにそっくり。
聖は、マユと居るような錯覚に戸惑った。