薫の質問
「驚いた、なんてモンやない。分けが分からなくて、母親に聞く。母親は、そこで初めて間違いに気が付くんや」
「瞬間、発狂したかも」
「父親は、車を停めて事情を聞く。受け入れがたい事実を知る。ショックやな」
「娘が井戸の中に居るワケだ。救急車呼ぶんじゃないか」
「いや、井戸の深さを知っていたら、助かるとは、思わんで」
通報したらどうなる?
瞬速で、その先を想像する。
妻の行為は、殺人だ……。
どうあがいても、免れようが無い。
目撃者が居る。
この、不測の事態に、無抵抗で、一言も発せず震えている、雪菜が。
真新しい紺色の有名幼稚園の制服。
名札が付いている。
何気に裏を見る。
緊急連絡先と血液型が書いてある。
娘のマユと同じ血液型だった。(これは調べて事実)
可愛らしい白い顔の子。
この子がマユで、このまま新居に帰れたら、どれだけいいだろう。
かなわぬ事を思って嘆く。
ふと、頭の端に、悪巧みが浮かぶ。
この子を連れて帰って……。
マユの身代わりに出来るかも。
問題は、案外少ない、と気がつく。
入園予定の幼稚園、だけじゃないか。
新しい生活に、マユの顔を知っている人は他に無い。
入園を取り消せばいい。
別の幼稚園に途中から行かせたらいい。
「どうせ地獄。ここで人生終わらせるくらいなら、何でも出来るんじゃないか、と誘拐を閃いた」
「成る程。その後、身代金誘拐を臭わせるメモを投函したのか」
「当時、防犯カメラは、まだ普及していなかった。カメラに怯える必要は無い。それに自分たちが疑われる理由が無い」
「しかし、雪菜ちゃんが抵抗するだろう。そこで無理だと思わなかったのかな」
「その時点で無抵抗やった。泣くとか、家へ帰ると言うとか、無かった」
「ショックで硬直していたんだ。可哀想に。幼いから状況に疑問はあっても大人に質問できないし」
「まだ三才やからな。何とでも出来ると考えたんや」
雪菜にとって、山本夫婦は、<知らない人>ではなかった。
故に、拉致に抵抗しなかったのかも知れない。
いや、拉致された事すら理解出来ない。
「友達のマユが井戸に落とされたのを見てたんや。怖くて黙って震えていたやろ」
「あ、それは違うかも」
聖は、雪菜は井戸に近づかなかった、と思う。
「雪菜ちゃんの母親は、古井戸を避けていた。霊がみえる人だから。雪菜も同じ理由で側には行かなかった」
「確かに、仲良しなら二人一緒に井戸を覗くやろうからな……待てよ。では雪菜はマユが突然、居なくなったと思っていた。すると、『マユ、居なくなってかわいそう』、に頷いていたという、説明が付くな」
捜査官が事件発生後に山本家を訪れたとき
(マユ、いなくなって可哀想だね)と父親。
それに娘が(かわいそうだね)と答えたと、
記録が残っている。
「セイ、どうや。俺の推理は完璧やろ?」
「うん。事件の発端も誘拐の動機も矛盾は無いと思う。……マユちゃんが雪菜ちゃんの帽子を被って、自分で井戸に落ちたとしたら、母親はすぐに助けを呼んだ筈。でも、何故マユちゃんは、井戸を覗き込んでいたのかな」
井戸がある事は知っていただろう。
危ないから蓋を開けないように言われていなかったのか?
禁止されていたが、気になっていた。
母親の目を盗んで、ちょっと覗いてみたかったのか。
「俺はな。帽子を被った自分の姿を見たかったと、考えた。近くに鏡は無い。池も水たまりもない。単純に井戸の底には水があって、写ると思った」
「成る程。水鏡か。絵本やアニメに出てきそうな絵だな」
「カオル。推理が正しいか、捜査できるの?」
「さあな。死人に口なしやからな。……俺が一目惚れした山本マユちゃん、誘拐犯に育てられたと知らないままに死んだんかな」
「うん。俺は、知らなかったと思うよ。惨いな。……間違えて殺された、本当のマユちゃんはもっと惨い目に遭ったんだけど」
「……うん」
聖は、<マユ>は、自分が事件の被害者と知らなかったと思う。
本人に確かめる手立ては無いが。
魂は墓に入り<成仏>し、二度と会えないのが、また悲しくなる。
「話は、戻るけどな。セイに聞きたい事がある。質問してもいいかな?」
薫が、妙に優しい声で言う。
「話が戻る? どこへ戻るの?」
「セイが、初めてマユちゃんに会った日の事を、聞かせて欲しい」
と、薫は言う。