急展開
「何が、見えているのですか?」
聖は聞いた。
マユの母は古井戸の周りの、<何か>を目で追っている。
「カタチが歪でヒトか何か分かりません。黒い影が井戸の周りに群がっている……、所々が生々しい。悲しげな目、部分的に肌色。真っ赤な血が眉間から噴き出して……そんな有様です」
「……そんなモノが見えているんですね(怖い)。僕は何も見えない。でも、怖い、です」
聖は、ブロックの囲みを乗り越え、井戸の蓋を外そうとした。
しかし、蓋に手をかけたとたん、身体に妙な感触。
見えない小さな柔らかい手が、
足にすがり、背中を叩き、腕を掴んでいる、
そんな感じ。
(ヤバイかも)
躊躇していると、
ポケットのスマホが鳴る。
着信。
薫からだった。
側にいる<マユの母>にも、聞いて欲しくてスピーカーにした。
「急展開や。新宿の身元不明遺体、身元が割れた。山本マユではない、とバレたで」
と、言う。
「キャパクラのボーイから、たれ込みがあった。客が店の子を、筋弛緩剤と酒を飲ませ、意識不明状態で路上に放置したんやと。同じ手口で貢がせていた風俗嬢を殺して捕まった。暴力団関係者や」
ボーイは<怖い客>が捕まったと知って、警察に話に来たという。
殺されたキャパ嬢とは親しい関係だった。
画像、動画も提示した。
遺棄された日のもあった。
服装が、<山本マユ>として引き取られた身元不明と一致していた。
「ガイシャはうなじに大きめのホクロが2つあった。親が自分の娘と間違うとは考えられない。山本に、聴取する理由が出来た」
だから、古井戸は触るなと、
早口で言って電話は切れた。
「聞こえていましたよね?」
「はい。ここも再び捜査の対象になるかも知れない、そういう事ですね」
20年前は誘拐された雪菜の捜索だった。
今度は<山本マユ>の捜索だ。
「雪菜がマユちゃんとして育てられていた……警察が調べれば事実はすぐに判りますね」
娘がどこの学校に通っていたか、通っていた病院も、知りたいと話す。
「病院……、あの、どうして入れ替わりは病院ですぐバレなかったのかな」
3才で、突然、<生まれ付きの心臓の障害>が、出現したら、おかしい、と思われないか?
「薬を飲まないで普通の生活をさせていたら、発作が起きたと思います。山本さんは驚いて病院に連れて行った。そこで初めて障害を知った。……初めて知ったと医師に話しても疑われなかったと思います」
障害のレベルと現れる症状のレベルは必ずしも一致しない。
出生時に見過ごされて幼児期に見つかる障 害や病気もある。
「神流さん、井戸を見るのは、今は止めましょうね」
「はい。出来るなら見たくないですよね。……では、」
聖は、(では)の次に(また)とは言えなかった。
<マユの母>は
軽く頭を下げ、井戸から離れ、そのまま家の方へ。
振り向きもせず、行ってしまった。
後ろ姿が、老いて、悲しげに見えた。
マユに似た優しい顔は、綺麗で五十代には見えないのに……。
後ろ姿に、過酷な人生が、深い影を落としていた。