思想自慢
2019 5 18
BGMが10曲までしか使えないという制約のために(フリー版なので……)もどかしい思いもしたけど、曲を効果音として登録することによって解決。
さらに立ち絵キャラを左右反転表示してごまかすという手も思いつく。これで枚数を稼ぐことができる。ただ、それやるとデッサンの狂いが浮き彫りになるんだが……別にいいか。こっちはフリーなんだし、素人だし、シナリオ重視なんだし。デッサンにまでこだわっていてはキリがあるまい。
シナリオ重視だからといってキャラ絵をないがしろにするつもりは毛頭ない。できれば自分のゲームに自分の好きな絵描きさんに絵を描いてもらいたい。意中の人だっているくらいだ。が、自分が作ってるしょっぱいエロゲーのために何十枚も描いてもらえるわけがない。素人絵でも自分で描くほかないのである。
素人絵で妥協してるとなんだかものすごくキャラグラに無頓着な人と思われそうだがそんなこともない。これはハガキ職人時代に身に付けた、開き直りというスキルなんである。
ハガキ職人時代はパロネタついでに修行としてイラストも描いてたけど、これがもうホントに酷いデキ。あまりにも酷いので掲載誌全て買い占めて封印したくなるほど恥ずかしかった。まあ、それは今も大して変わんないんだが。
見栄っ張りなのである。ガラスのハートなのである。そこで身に付けたのが、絵は下手でもネタでカバーすればいい、という開き直りである。このスキルのおかげで自分はデキはともかくゲームを作るという夢が叶えられてる。
つくづくハガキ職人やってた自分に感謝である。
ま、そんな痛々しい自分史はさておき、どうにかセカンドヒロインの立ち絵だけはそれなりに枚数も揃い、なんとかゲームの形っぽくはなってきた。果たしてこれをゲームと呼んでよいものかは微妙ではあるが。
「分岐もないノベルはゲームと呼べるのか」なんて哲学的な意見はしばしば目にする。その気持ちも分かる。自分もゲーム作ってなければ似たような主張をしたと思う。自分だってかつてはエロゲーなんてゲームじゃねえよなんてトンガッてた時代があった。それが今、分岐もないエロゲ作ってる。これを堕落と見るか、成長ととるかは人それぞれであろう。
あのカテゴリ分けになんの意味があったのか、今の自分にはよく分からない。官能小説なんて小説じゃねえよ、と言ってるようなもんである。自分もさんざんエロゲ系官能ノベルのお世話になっておきながら。これもエスカレートすれば「漫画は低俗で小説は高尚」とかいう意味不明な差別へとつながっていく。
「ゲームはスポーツじゃない」と主張して譲らない、体や精神を酷使するのが尊いと思い込んでる人たちと同じような主張になってしまう。
そこには多分見下す気持ちがあるからなのだろう。エロ目的のゲームなんかゲームと認めたくない。ただのサブカルだったゲームなんかスポーツと認めたくない。いつの時代にもこういう主張は常について回るということなのだろう。
自分だってフリーゲームやエロゲー作る立場になかったら、どんな主張をしていたかは分からない。上から目線で偉そうなことが言えるのは弱者の立場が理解できない人だけだ。
分岐もないノベルがゲームでないと言われるなら受け入れてしまおう。
「自分は今、官能ヴィジュアルノベルを作ってます」……なんだか、ものすごく意識の高い嫌な奴のように思えるのは気のせいであろうか? やっぱりゲームって言った方が、そこそこ低俗で親しみ持てるんじゃない?




