異世界を救い続けていたら姫騎士と女神と魔神と奴隷エルフが家に住み着いた件
world:ハッピーエンド
stage:西暦2041年6月 鷹狩学園
personage:横塚天鑓
image-bgm:GATEⅡ~世界を超えて~(岸田教団&THE明星ロケット)
「じゃーねー、横塚くん。帰り道には気をつけてねー」
「さよなら、天鑓。ちゃんと明日も学校に来いよな」
「んじゃな、“還って来た英雄”。今日は神隠しに遭うんじゃねぇぞ」
放課を迎えた二年一組の教室。
クラスメイトたちが口々に挨拶を交わしながら去っていく中で、そんな別れ際の言葉が鳴無兄眞の琴線を刺激した。
いつも通り鞄を手に取り帰宅部を開始しようとしていた兄眞は、歩みを止めて声の方へと目を向ける。
そこに立っているのは、当然だが横塚天鑓本人で。
天鑓は苦笑いに近い表情で眉をしかめながら、級友らのあまり聞き慣れない挨拶に返事を返していた。
学園に来てまだ二週間ほどの兄眞だが、天鑓の人となりはそれなりに理解しているつもりだった。
“脳みそ筋肉”ほどの筋肉ムキムキマッチョマンではないが、制服の上からでも分かる程度にはがっしりした体格。
時に毬栗頭と揶揄される天然パーマだが、パサパサと乾燥しているわけではなく、視方によってはワックスでそう整えているかのような散切り頭。
分かりやすい体育会系的言動で誰にでも親しげに関わって来る一方、最後の一線はきっちりと弁えている意外に神経質な人柄。
総合して、学園ドラマに出てくる二枚目になりきれない三枚目の役どころ。
というのが、この二週間天鑓という人間を見てきた兄眞の率直な感想だった。
「どしたのアニマくん、そんな熱烈な視線で天鑓くんを見つめちゃって。とうとうソッチに目覚めちゃった?」
「違うよっ!? ナニにだよっ?!」
驫木明日菜からのあまりにも心外な問いかけを、兄眞は全身全霊を込めて否定した。
“錯乱地図”はどぅえっへっへっと独特でゲスな笑い声を発しながら、二本ある三つ編みの片方を左手でクルクル弄る。
「いやーごめんごめん。拙者ってば、とりあえず目に付いた男子は声をかける前に腐らせとかないと気が済まない性分なんでござるよ」
「それはさすがに笑えないというか、素直にドン引きなんですけど」
「そしてその実、真性のドMだったりもするのじゃ。本当にありがとうございました」
「もう手の施しようがないじゃないですか」
どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。
「フハハハハ、怖かろう」
「いや、正直結構ガチで怖いんスけど」
「しかも脳波コントロールできる!」
駄目だこいつ、早く何とかしないと……
あまりにも素早くかつ強引に己の世界観へ引き摺り込んで来ようとする明日菜の態度に、兄眞の顔が思わず劇画調に変わった。
兄眞の反応にひとしきり満足した明日菜は、「さて」と話を戻して天鑓の方へ目線を移す。
「それでいったいどうしたの? 天鑓くんがどうかした?」
「……いや、別に何がどうしたってわけじゃないんだけど」
いったいどんな精神状態をしていれば、あの大惨事からここまで一瞬で空気を切り替えられるのか。
そっちの方が気になってしまったが、明日菜の真面目な視線にツッコミを封じられた兄眞は仕方なく思考を戻す。
「なんか、横塚くんへの挨拶が皆おかしいなぁって思っただけなんだよ。何がおかしいのか自分でもよく分からないんだけど」
「フムフム」
明日菜は左手で三つ編みを弄ったまま、右手を顎に当ててわざとらしい相槌を挟んだ。
そしてパイプを吹かせた名探偵のように、片目を瞑り勿体ぶった挑発的な笑顔を浮かべる。
「それではワトソンくん、この私がキミに足りない情報を教えてしんぜよう」
「足りないピース?」
疑問符を浮かべながら目を向ければ、方々への挨拶を終えて嘆息した天鑓が、鞄を肩に担いで教室から出ていくところで。
「天鑓くんはね、今まで4回行方不明になったことがあるんだよ」
「……はい?」
天鑓の後ろ姿を見送っていた兄眞は、明日菜の情報に間の抜けた声を上げた。
同じく天鑓の背中を見送りながら、明日菜は含みがありそうに目を細めて微笑む。
「一番最初が小学五年生のときで、これが最も長くて、一年くらい行方不明になってたんだったかな。その後は中一の時と中三の時。……何を隠そう、実はアニマくんが転校してくる直前にも、三ヵ月くらい行方をくらましてたんだよ?」
「そうだったんだ。……全然知らなかった」
「本人があの通りあっけらかんとしてるからねぇ。いくら尋ねてもちっとも何も教えてくれないし、いったいどこで何をしていることやら」
などと話しながらも、明日菜は「おおよそ見当はついてます」と言わんばかりに肩を竦めた。
そこまで聞いた兄眞は、天鑓に関する重要な情報を思い出し、頭の中で豆電球を点す。
「“還って来た英雄”……」
「その通り。いつの間にかにね、彼もそんな“二つ名”で呼ばれるようになっちゃったってわけ」
「……なんでその話を俺に?」
兄眞が瞳を覗き込んで真意を探ると、明日菜は誤魔化すようにそっとまぶたを閉じた。
「どうせいつかはキミも知る話だしね。私も彼との付き合いは長い方だから、いざその瞬間に出くわしたときに、変な色眼鏡で彼を見て欲しくなかったってわけさ」
「……」
「彼が学園に通うようになったのは中学からなんだけど。小学校では神隠しに遭った子供だって気味悪がられてたみたいだよ。……私と彼が初めて会った当時は、まるで世界中の業を自分一人で背負ってますって顔しててね。“裏切り者の名”みたいに荒み切ってたもんさ」
二年一組随一の健康優良不良少年の名を上げながら、明日菜は遠い日の思い出を回想する。
今の天鑓の振る舞いとはあまりにもギャップがありすぎて、兄眞はその姿を想像すら出来ずに困惑していた。
それをチラ見した明日菜は、三つ編みを弄りながらどぅえっへっへっと悪戯っ子のように口元を緩める。
「この学園は本当に良いところでしょ? どんなにつらい過去があったとしても、それを笑い飛ばすことができるくらいにはテキトーに受け入れてくれるんだから」
「……そうだね。……そうかもね」
それが自身に向けられた言葉なのだと気がついて、兄眞は天鑓が消えた扉の先を見つめた。
……もしかしたら自分にも、彼のように己のトラウマを苦笑いで誤魔化してしまえる日が来るのだろうか。
“攻略順路”の自分を受け入れられる日が、本当にいつかは来てしまうのだろうか。
「で、遠宮さんとはどこまで進んだの?」
「――ぶふぅ?!」
耳打ちするように問いかけられて、思考の落差についていけなかった兄眞は反射的に唾を噴き出した。
ゲホゲホと咳き込みつつも周囲を索敵すると、幸いにも件の遠宮美音は、教室の後ろで糸月瀬理奈相手に完成型デンプシーロールを叩き込んでいるところで。
「なんだよイキナリやぶからぼうにっ!?」
「くしししし。“錯乱地図”を甘く見るでないぞよ、少年。拙者は知っているのじゃよ察しているのじゃよ、二人の関係が最近モニョモニョしていることを」
「い、いや、俺は別にそんな……遠宮だって俺の能力を封じるために嫌々付き添ってくれてるだけだし……」
「おやおや~? 『遠宮』だなんて、どうしてこんな短期間で“拳の調停者”を呼び捨てできる仲になったでござるかねぇ?」
「だから違う――誤解なんだってばーっ!!」
「……?」
瀬理奈を1R14秒で血の海に沈めた美音は、なにやら隣の席の男子が赤い顔で叫んでいるのに気づいて、血の付いた拳でメガネを直しながら小首を傾げた。
◇ ◇ ◇
まず前提条件として、横塚天鑓は学園外からリニアレールを使用して通学していた。
そして、今は夕暮れもそろそろ終わろうかという時間帯。
天鑓は地下鉄を昇ると、賑やかな駅前繁華街をすり抜け、自宅への道のりをのんびりと歩いていた。
街の喧騒が遠くに過ぎ去った頃。
住宅地の入り口にひっそりと存在している昔ながらの商店街に入ったところで、天鑓は見知った和服姿の背中を見つけて苦笑する。
「よぉ神楽、夕飯の買い物か?」
「ひゃやっ!?」
天鑓が駆け寄り声を掛けると、頭二つ分ほど小柄なその黒髪少女は肩を震わせ、10センチほど飛び上がった。
結果、両手に抱えていた大きな買い物袋の中身が、盛大に地面にぶちまけられる。
自らの名前のように今から神楽舞でも始めそうな風貌をした少女は、内容量半分になった紙袋、商店街の皆々様、歩行者道路に散らばった根菜類の順に視線を彷徨わせた後で、ようやく背後の天鑓に振り向いた。
「えっ、あっ、天鑓様?! も、申し訳ありません、私ったらトンデモない粗相を……」
「いや、悪い悪い。俺がふざけすぎてたよ」
天鑓は少女より申し訳なさそうに頬を掻くと、しゃがみ込んで逃げ出した食品たちを拾い始める。
幸いにして商店街の皆々様や買い物帰りの通行人たちも生温かい目で手伝ってくれているので、回収作業はすぐに終わることができた。
馴染みの面々にお礼を伝えながら、少女――季秋院神楽の代わりに買い物袋を抱えた天鑓は、自宅への足取りを再開する。
「ったく、神楽はいろいろ一気に買いすぎなんだよ。この量はさすがに俺でも重く感じるぞ」
言いながらも右手一本で買い物袋をがっちりホールドしている天鑓は、愚痴というよりは忠告のように神楽をねめつけた(左手には学生鞄)。
神楽は両手が見えなくなるほど長い裾を顔の前で合わせると、羞恥心で染まった己の照れ笑いを隠す。
「本当に申し訳ございませんでした。ヤオヤ様やオニクヤ様がいっぱいオマケを付けて下さるもので、ついついあれやこれやと手を出してしまいました」
「ターニャたちはどうした? あいつらの方が体力有り余ってんだろうが」
「レイ様は鍛錬をなされている様子でしたので、お邪魔をしてはいけないかと。……ターニャ様はその、新作のげぇむをやらなければいけないと」
「よし、あいつは最終秘奥義でぶっ飛ばす」
神楽はターニャという人物を庇うように恐る恐る切り出していたが、天鑓はそれを微塵も気にせず即座に決意を固めた。
それから嘆息交じりに頭を掻こうとして、両手が塞がっていたことを思い出して仕方なさそうに肩を落とす。
「神楽もあんなやつの言うことをホイホイ聞いてやる必要はないんだぞ?」
「はい。……ですが、これは私が好きでやっていることですので」
おしとやかに微笑む神楽の横顔を眺めて、天鑓はやれやれと困ったように笑いながら赤い空を見上げた。
「ようするに、正妻の座は絶対おまえには渡さないってことだよこの正統派脳筋姫騎士野郎様がよぉーっ!」
「……何を要しているのか全くもって分からん」
豪邸というほどではないが、一般的な庭付き一戸建てにしてはそこそこの敷地を誇る一軒家。
その庭先で黄金の鎧を着込んでいた金髪碧眼の少女レイ・アールステットは、唐突に脈絡なくしかし動機だけは十分に兼ね備えて挑んできた褐色赤目の銀髪少女に対して、冷たい視線で嘆息を返した。
レイの服装は青いドレスの上にチェストプレートを起点とした部位鎧が装着されたもので、防御用というより意匠的な意味合いが大きい格好だった。その一方で、手に持つロングソードとカイトシールドは見るからに実用性一点張りで、申し訳程度に走っている黄金の模様が逆に威圧感を引き立てている。
本来は背中まで届く長い髪も今は三つ編みに束ねられ、頭部に添えられている王冠を模した頭飾りとの相性も抜群に見えた。
そんな、勇猛果敢なヴァイキングすら後光だけで平伏させてしまいそうな王者の威厳を称えたレイに相対している褐色少女の姿は、完全に真逆なもので。
黒地の薄布で胸と腰を隠しただけのターニャは、野性味溢れるボサボサ銀髪を揺らして獣のように牙を剥く。
「くっそー、そうやっていちいちカマトトぶりやがって! あたし様は知ってるんだぞ、おまえが三日前にダーリンとコッソリにゃんにゃんしてたことをよぉ!」
「よし、貴様は最終秘奥義でぶっ飛ばす」
レイはニッコリと年相応の微笑みを浮かべながらも、前場面の天鑓と完全に同じ反応速度で決意を固めた。
王者のオーラになにやらドス黒い殺気が混じるのを感じてターニャは若干怯んだが、それでも負けじと、妙に挑戦的な目をしたカピバラの幽波紋を背後に浮かべる。
「くっ、なにがディバインだよチューニビョーが好んで使いそうな単語をフィーチャーしやがって! こちとらかつて世界を恐怖と混沌の渦に叩き落した破壊神様だぞぉ!」
「その力を無様にも三下に奪われた挙句世界からも追放されたということはテンヤから聞いてるぞ」
「ぐうぅっ!? あ、あれはちょーっと油断しちゃっただけで……って、それはおまえも似たようなもんだろうがぁーっ!」
「私は内に封じた邪龍が世界を害さぬよう、自らの意志でこちらの世界へ渡って来たのだ。貴様と一緒に扱わないで欲しい」
左手のカイトシールドを地面に突き刺したレイは、余裕を示すようにロングソードを立ててそこへ両手を重ねた。
しかし、それを聞いたターニャは語るに落ちたと鼻を鳴らす。
「そんな格好つけたこと言って、どーせおまえもダーリンと別れるのが嫌だっただけだろーが」
「……どう捉えてもらっても結構だ」
「おまえのそういうところがカマトトぶってるって言うんだよぉ!」
ターニャが叫ぶと、交差した両手の爪が刃のように長く鋭く伸びた。
ついでに体中に呪文のような文様が浮かび、それまで綺麗だった夕焼け空に局所的な暗雲が立ち込め始める。
「いくら魔力を失ったと言っても、それはチート性能なダーリンと比較したらの話。ダーリンに内緒でおまえ一人消し炭にするくらいわけないんだからなぁ!」
「ほう、それは怖いな」
ターニャの体にバチバチと赤い稲妻が走るのを見ながらも、レイは微塵も怯む様子を見せなかった。
どころか余裕綽々にターニャから視線を逸らすと、やれやれと嘆息交じりに目を細める。
「ところで、その『ダーリンに内緒で』という目論見にはもう失敗しているようなのだが?」
「へっ……?」
今にも極大魔法を放たんとしていたターニャから、魔力の放出がピタリと収まった。
そして明後日の方角に目を向けているレイの顔を眺めつつ、その額からサアッと音を立てて血の気が引いていく。
「ち、違うのダーリンっ!? これは愛妻同士の大奥的淑女の嗜みってやつであって、別にあたしはレイと喧嘩しようとしてたわけじゃ……」
「ニャ~?」
光の速さで振り向いた先では、庭柵の上を綱渡りしていた子猫が小首を傾げて鳴き声を返していた。
天鑓どころか人の影すら見つけられず、ターニャはあれ?っと疑問符を浮かべる。
「……世界を恐怖と混沌の渦に叩き落した破壊神殿も、自分が陥れられることには慣れていないご様子だな?」
「ハッ?!」
真後ろからささやかれて、ようやく己が置かれた状況を察したターニャは硬直した。
ギギギッと錆びた音を立てながら肩越しに振り返ると、物凄くいい笑顔をしたレイが神に誓うように両手でロングソードを掲げているところで。
「ほ、誇り高い姫騎士様がこんな手段使うなんて、騎士道精神に反してるんじゃないかな~ってあたしは思うんですけど……」
「なに、心配する必要はないぞ」
ターニャの言葉に対して頷きを返したレイは、クワッと目を見開いて両手の剣を天へとかざす。
「騎士の誓いの問文に“嘘をついてはいけない”などという言葉は存在しないからな!」
「いや、そりゃそーなんだけどさぁーっ?!」
「――アクティブ・シークレット、〈ディバインストーム〉!」
断末魔のようなターニャの絶叫は、レイが放った〈ディバインストーム〉に掻き消された。
剣から放たれた軍船すら粉砕する龍を模した高圧水流の波が、ターニャの体を飲み込み暗雲を吹き飛ばしながら天空高くへと押し流す。
「……ふぅ」
星になったターニャが「コレデカッタトオモウナヨー!」と叫ぶ中で、レイは残身を解いて満足気な吐息を吐いた。
その一部始終を神楽と一緒に眺めていた天鑓は、心の底から呆れ果てた表情で門扉を開ける。
「……なにやってんだ、おまえら」
「おお、テンヤ帰ったか。カグラ殿もお帰りなさい」
「ったく、ずいぶん懐かしい格好をしてると思ったらご近所迷惑に騒ぎやがって」
買い物袋を持ち直しながら、天鑓は籠手で爽やかに額の汗を拭っているレイを半眼で睨んだ。
レイは気にせずカイトシールドを拾い、裏手に備え付けの鞘へ剣を収める。
「スキルも肉体も使わなければ錆びついてしまうからな。いやー、久しぶりに秘奥義をブッパ出来て私は至極満足だ」
「おまえって定期的に海水出さなきゃ破裂でもする体質なの?」
「海洋世界出身故、痛し痒し」
「……ああ。……思わずボケを挟みたくなるくらい爽快だったのな」
両手を腰に回して年齢不相応に豊満な胸を張っているレイを、天鑓はなんだかなぁと言った表情で眺めた。
そんな二人の脇を、神楽がクスクス笑いながら通り過ぎる。
「レイ様、よろしければ夕餉までに湯浴みされてはいかがでしょうか? 浴槽はもうキュウトウぼたんを押すだけとなっておりますので」
「ん。確かに少し磯臭くなってしまったし、その方がいいかもしれないな。それではお言葉に甘えるとしようか」
そう答えながら、レイも神楽の後を追いかけ玄関へと足を運んだ。
ガシャガシャと金属が擦れる音を鳴らしつつ、右手を三つ編みの先に延ばして留め金を外す。
「パッシブ・オールリリース」
レイがそう呟くと同時に、身にまとっていた装備が淡い光を発した。そして光が胞子のように拡散すると、剣も鎧もドレスも消失し、内側からスポーツブラにスパッツといった本来の服装が顔を出す。
汗で張り付くブラや肌に食い込むスパッツの様相に、殿を歩く天鑓はおいおいと眉をしかめた。
「……おまえなぁ。お互いもう良い歳なんだから、少しは周りの目も気にした格好をしろ」
「もう何年を供に過ごしていると思ってるんだ。今更おまえに肌を見られたところで恥ずかしくなどないさ」
「おまえの露出癖がご近所様に知られることの方が恥ずかしいって言ってるんだよ」
「露出癖とは失礼な。これは我が国に伝わる由緒正しき戦装束だぞ。それにちゃんと隠すべきところは隠しているから問題などどこにもない」
「おまえってなんでいつもそんな自信満々でいられんの?」
そういうパッシブスキルでも習得してんの?
胸を張ってムフーッと鼻息を漏らすレイに、真顔の天鑓はむしろ羨ましそうに尋ねた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
玄関を開けると、長い耳を震わせたエルフの少女が三つ指を突いて出迎えていた。
レイよりもっと淡い色彩でスラリと伸びる金髪に、長いまつげと深緑色の瞳。病的なまでに白々しい絹のような肌に、特徴的な細長く尖った耳。
鼻が高く西洋風の顔立ちは、機械で線を引いたかのように対称性と黄金律を保っていた。
一方で、来ている服はぞんざいに縫い合わせられた麻の服で。
型紙も取らずに適当に断たれ組み上げられたのだろう。全体的に歪みや解れが見られるボロ服は、レイの恰好と同程度にしか少女の体を隠していなかった。
そのエルフ、オーファンは礼の角度を崩さず目線のみで天鑓を見上げた。
思わず後退りまでしてたじろいだ天鑓は、とりあえず買い物袋を神楽に返却した上で、オーファンの顔を覗き込む。
「……一応聞くけど、何してんのおまえ?」
「マスターのお帰りをお待ちしておりました」
「いや、それも聞きたいことだけどさ。それよりなんでまたそのボロ布を引っ張り出してるんだよ。この前レイたちと買いに行かせた洋服があるだろうが」
天鑓が頭を掻きながら訪ねると、オーファンはキリッとした表情で誇らしげに顔を上げた。
「ご安心を。先日マスターからいただいたお仕着せは、決して汚すことのないよう厳重に“封印”しておきましたので」
「なんてことしてくれてんの!? っつーかお仕着せじゃねえし! せっかく買ったんだからちゃんと日常的に着ろ!」
「いいえ。私が着る物などこの程度の品物で十分です。こんなブヨブヨと浅ましい肉体さえしていなければ、むしろ隠す布すら勿体無いというのに」
「おまえら異世界人ってなんで隙あらば肌を晒そうとしてくんの?! なんかもうそういう宗教でも存在するのか!?」
こちらのセリフは、他人事のように立ち去ろうとしているレイと神楽に向けて発せられた。
二人は我関せずと廊下の奥に姿を消し、回答を得られなかった天鑓は燻った唸り声を上げながら、しゃがみ込んでオーファンと目線を合わせる。
「なぁオーファン。何度でも説明してやるけど、おまえはもう“奴隷”じゃないんだ。住んでる世界すら変わっちまったんだから、俺のことを“ご主人様”なんて呼ぶ必要はもうないんだよ。そもそも実年齢だっておまえの方が何倍も上のはずだろ?」
「それでもマスターは私のマスターです」
天鑓の長文を、オーファンはたったの一言でズバッと切って捨てた。
そして床から手を離しきちんと正座の姿勢を取ると、次に天鑓から告げられるであろうセリフを期待してピクピクと長い耳を震わせる。
「……命令だ、俺のことを“マスター”って呼ぶのはホント止めろ」
「はい、天鑓さん♪」
天鑓が降参したように呟くと、オーファンはようやく頬を緩めて見た目に相応しい優しい笑みを作った。
その笑顔に思わず頭痛を感じながら、天鑓は立ち上がって頭を押さえる。
「服の“封印”もちゃんと解いて着替えとけよ。ただでさえおまえは新顔なのに、そんな格好させてるなんて知れたらさすがに社会的に死ぬ」
「ご安心を。先ほど掃き掃除中に遭遇した三軒隣の御夫人には、私が天鑓さんの所有物であり、他の皆様と同じく忠実なる雌奴隷の一員であるという事実を懇切丁寧に説明しておきましたので」
「本当になんてことをしてくれてんの!?」
自分がいつの間にか社会的に死んでいたことを知り、天鑓は思わず身を乗り出して声を荒げた。
というか、主人に忠実な奴隷を自称しておいて、その実淡々と既成事実を積み重ねようとしてくるそのアクティブさはいったい何なのだろう。
もしかすると、先ほど天に召された魔神様なんかより、このエルフ少女の方がよっぽど悪どい性格をしているのではないだろうか。
前の世界で出会った当時から薄々感じていた天鑓の危惧が、ここに来てようやく現実味を帯びた瞬間だった。
そんな天鑓の内心を知ってか知らずか、オーファンはスッと立ち上がって学生鞄に手を伸ばす。
「それでは天鑓さん、お着替えのお手伝いをさせていただきますね」
「いらんわ。……もうおまえに“命令権”を行使するつもりはないからな? これ以上絡んで来ても時間の無駄だぞ」
「そんなぁ……」
オーファンが心の底から残念そうに耳を垂れ下げていたが、天鑓は一切気にせず靴を脱いで家の中へと上がり込んだ。
◇ ◇ ◇
『よぉ。元気にしてたか、俺の遺伝子の半分』
「急に電話して来たと思ったら随分な挨拶だな、オヤジ」
『んだよ、可愛げのねぇガキだな。事実は事実だろうが』
「できれば事実であって欲しくなかったけどな。……んでいったい何の用だよ、俺の遺伝子の半分」
『おーおー冷たいねぇ。おまえここ何か月も電話に出なかっただろ。たまには他愛のない親子の会話に花を咲かせようとは思わないのか?』
「親子の会話の前に夫婦の会話をまず優先しろよ。……オフクロはどうしたんだ?」
『俺より良さそうな男を見つけたから2・3日品定めしてみるとよ。ったく、あいつもスキモノだよなぁ?』
「いや止めろよ」
『あいにくと、俺は今新しい女とイチャイチャするので忙しくってな。おうそうだった。天鑓、オーストラリアの女はいいぞ?』
「こないだはフィンランドの女は最高だって言ってなかったか?」
『どっちも最高なんだよ、それくらい察しろ』
「知ったことか。ただ女自慢がしたいだけならもう切るぞ」
『そんなさみしいこと言うなよ。わざわざ電話した用件ならちゃんと用意してあるんだからよぉ』
「それじゃあとっとと本題に移ってくれよ。俺だってそんなに暇なわけじゃ――」
『おまえさんも、もうそろそろ女が増えてる頃じゃないかと思ってな。その分仕送りも増やさなきゃいけないだろう?』
「……増え……てねぇよ」
『んなバカな。俺の遺伝子を半分も受け継いでおいて、女房の遺伝子を半分も受け継いでおいて、それは物理的にありえねぇよ』
「……」
『べつにおまえが何人女を囲もうが俺の知ったこっちゃねぇさ。親子のよしみだ、必要なら社会人になるまでの生活費も工面してやる。……だがな、そいつらを幸せにしてやるって責任だけは一生おまえが背負うんだ。それだけは絶対に忘れんじゃねぇぞ』
◇ ◇ ◇
「どうしたテンヤ、御父上はいったい何と?」
夜も更けた天鑓の自室。
普段通り天鑓のベッドに寝転がり、タブレット内で漫画を広げてくつろいでいたレイ(やっぱりほぼ下着姿)は、電話を終えてWINKを下ろした天鑓に目を向けた。
天鑓は曖昧な笑みを浮かべて話を誤魔化すと、WINKを学習机の上に投げる。
それからレイを追いやるようにベッドの端に腰を下ろし、カードホルダーを引っ張って中から薄い石製のカードを取り出した。
自分が今まで見たことがなかったアイテムに、レイは漫画を読む手を止めて体を起こす。
「なんだそれは?」
「この前のオーファンの世界で手に入れたカード。この中にいろんなアイテムや魔法が“封印”されてて、使うと場に召喚することができるんだ」
「つまり、私にとっての〈スキル〉の概念と似たようなものということか?」
「そーゆーこった。〈スキル〉と違って使い魔を召喚したりもできるけどな」
何を隠そうあのオーファンも、本来は天鑓が具現化させているただ一枚の“カード”なのだ。
という事実は伏せながら、天鑓は四つ足の魔獣の絵が彫り込まれたカードをレイに向かって掲げて見せた。
己が知らない未知の技術に、レイは目をキラキラさせながら食い入るようにイラストを見つめる。
「なんか〈スキル〉より便利そうな技だな。私には使えないのか?」
「あー、たぶん無理じゃないか。カードを扱うためには“コスト”っていうあの世界独自の才能が必要みたいだし。それに召喚酔いだのクールタイムだのカード相性だのいろいろ管理しなきゃいけない要素が多いから、とにかく最大火力でブッパすることしか考えてないおまえには向いてないと思うぞ」
「おまえまで私のことを脳筋と言うのか……」
ニヤニヤと意味ありげに苦笑する天鑓に、レイはブスッと不貞腐れた視線を返した。
しかし。とすぐに表情を戻して再び広げられたカードに魅入る。
「テンヤはできることがどんどん増えていくな。私の世界でスキルを鍛え、カグヤ殿の世界で聖剣を手に入れ、あの破壊神の世界で魔法を覚えて。……もう二つ三つも世界を巡れば、本気でおまえに勝てる存在などいなくなるのではないかな?」
「それは冗談でも笑えないからやめてくれ」
もう異世界転移などコリゴリな天鑓は、レイの半分冗談半分本気な言葉に心の底から嘆息する。
それを見たレイは上手く仕返ししてやったと満足気に口角を吊り上げた。
と、天鑓の表情がふと真顔に戻り、真剣な目で手の中のカードを見下ろす。
「もしも……もしも今の俺がおまえの世界に召喚されていれば、おまえの国を守ってやることができたのかな……?」
「……」
「もし俺がもっと上手く世界を救ってやれていれば。おまえの両親が犠牲になることもなく、おまえだって一人こんな異世界に追い出されずに済んだのかもしれない」
「でもそうはならなかったんだよ、テンヤ」
自問自答のように呟かれた天鑓の言葉を、レイはスッパリと断ち切った。
天鑓が振り返ると、レイは体育座りになりながら微笑みを返す。
「そりゃあ私だって、そんな妄想をしなかったわけでもないさ。でも私は、あれが最良の選択肢だったと今でも信じているし、国が滅びたことも避けられない運命だったと思っている。この世界での生活も結構気に入っているんだ。まあ、たまにしか海に行けない環境なのは不満だがな」
「……レイ」
「それに、もし最初からおまえが強かったとしたら、私と共に鍛え戦ったあの一年間も存在しないということではないか」
話しながら両膝に顔を隠したレイは、耳を赤くしながらチラリと天鑓を盗み見た。
「……おまえが隣にいない世界というのは、たとえ妄想でも少し寂しいぞ」
真実愛の告白のように呟くと、レイはプシューと頭から湯気を噴き出し沈黙する。
一瞬硬直した天鑓は若干頬を赤らめ、膝からカードをポロポロ落としながらレイに向かって手を伸ばした。
「あーっ! 教育的指導ぅーっ!」
ガッシャーン!!と。
何の前触れもなく窓ガラスが突き破られたかと思うと、ターニャがゴロゴロと部屋のど真ん中に転がり込んできた。
天鑓とレイが驚く暇もなく、ターニャは胸の布の隙間から拉げた紙を取り出して二人の前に突き付ける。
「おい姫騎士様よぉ、ダーリンとのにゃんにゃんはローテーション制だってみんなで署名しただろうがぁ!? それ以上のピンクの栞はこのターニャ様が死刑に処するぞよっ!!」
「……アストラルバインド」
天鑓がカードを投げながら呟くと、床から無数の鎖が出現してターニャの体や四肢を拘束し、それと共に魔法陣が浮かんで雷のエフェクトがターニャを包んだ。
『四世界同盟』と書かれた紙切れを手放したターニャは、ビリビリと痺れながらも震える目で天鑓を仰ぐ。
「……うにゃ? ……ダ、ダーリン?」
「そういえばおまえをぶっ飛ばすって誓いはまだ果たしてなかったなぁ、このごく潰しが」
天鑓は時の破壊神よりよっぽど破壊神らしい表情でそう告げながら、足元に魔法陣を構築しつつ周囲に無数のカードを浮かべた。
その右手には虚空から伝説の聖剣が降臨し、同時進行でパッシブ・アクティブを問わず可能な限りの〈スキル〉が実行されていく。
「え、あれ、もしかしてダーリン、ここぞとばかりにこれまで真ボスを葬ってきた一撃必殺技を全部あたしに叩き込もうとしてない? いくらあたし様でもそれはさすがに分子分解しちゃうんですけど……」
「確かおまえは塵からでも再生できるんだろ? だったら平気平気」
「いやそれはあくまで全盛期だった頃のあたしの話ですから! というか全盛期のあたしでもそんなの喰らったら死んじゃうからぁーっ?!」
「光になれええぇぇぇぇーっ!!」
ターニャの懇願を完全に無視して、天鑓は感情のままに聖剣を振りかざした。
それに合わせて足元の魔法陣が終末魔法を解放し、周囲に浮かんだカードが開いて眩い光を放つ。
「――アクティブ・シークレット、〈グランドザッパー・リバース〉!!」
天鑓がもはや全世界最強となったそのひと振りを薙ぎ払うと、あらゆるエネルギーが極太レーザーと化して夜空に光の柱を突き立てた。
後に残ったものは、半分以上が消失した横塚家の家屋と、肩で激しく呼吸を繰り返す赤い顔の天鑓と、呆然とベッドに体育座りしているレイと、何事かと部屋に駆け付けた神楽及びオーファンと、大空に笑顔でキメしているターニャの幻影と。
そんな感じで。
ごくごく一般的な一軒家を舞台にした異世界の英雄と異世界の姫騎士と異世界の女神と異世界の魔神と異世界の奴隷エルフの一日は、ただ事でもなくすぎていくのであった。
/異世界を救い続けていたら姫騎士と女神と魔神と奴隷エルフが家に住み着いた件 完