迷える龍に祝福を
world:ハッピーエンド
stage:西暦2041年6月 鷹狩学園
personage:迷宮龍児
image-bgm:Step(a・chi-a・chi)
昼休みを迎えた鷹狩学園。
その二年一組の教室後方では、男子数名が昼食も取らずに集まっていた。
机に座っているのが迷宮龍児で。
その周りには、鳴無兄眞、言峰緒根、横塚天鑓という、『ザ・珍妙な名前の男子ーズ』が取り囲んでいる(いや、他の級友も大概珍名なのだが)。
机の上にポンと置かれているのは、黒光りする一台のWINK。
周囲の人間には見えていないが、場の四人はそこから投影された強化現実のノートを共有していた。
議題は、先ほど提出された物理のグループ課題(回転するコマが倒れない理由を考察せよ)で。
「……迷宮くんって竜なんだよね?」
だというのに、兄眞はついつい普段の癖でいつも通り他人の詮索を始めてしまっていた。
緒根と役割分担を決めようとしていた龍児は、きょとんと兄眞の顔を見つめてから、その好奇心も然るべきと爽やかな微笑を浮かべる。
「ああ、その通り。私の正体は龍の化身だ」
「あ、ごめん。別に何が変だって言いたいわけじゃなかったんだけど。……ただ、普通だなあって思って」
一度謝っておきながら、それでも兄眞は大概デリカシーに欠けた呟きを漏らした。
しかしまあ、兄眞の発言もそこまで的外れではなかった。
年頃の男子にしてはサラサラした髪質と若干白め肌が目に付きはするものの、龍児自身はどこにでもいるようなごく普通の男の子にしか見えない。翼や尻尾はもちろんのこと、角や鱗の影すら見られなかった。
龍児はそんな兄眞の視線を受け止めながら、落ち着いた大人の雰囲気で返答する。
「この姿は変化ではなく私の一側面だからな。人間と変わりないのは当然のことさ」
「……えっと?」
「私は魔法で変身しているわけじゃないんだ。龍の姿も人の姿も、どちらも正しく私ということさ」
小首を傾げた兄眞に対して龍児は発言を直すが、それでも兄眞の頭上から疑問符が消えることはなかった。
龍児はどう説明したものかと顎に手を当て言葉を考える。
「私はね、超獣というより神としての配分が大きいんだよ。神話でも神様が化身となって野に降りてくることがあるだろう? つまりは、私がそれさ」
「え、迷宮くんはドラゴンなのに神様なの?」
「なるほど、そこからか」
兄眞の反応で合点がいった龍児は、手元のWINKを操作しながら、強化現実上にとある二枚の映像を表示する。
片方がゲームなどでよく見る、鋭い牙と爪を持ち今にも強力なブレスで全てを薙ぎ払いそうな西洋竜のイラスト。
もう片方が、白銀の鱗とフサフサの鬣を持ち蛇のように長い体躯をくねらせた東洋龍の写真。
「おそらく、アニマくんが想像している私の姿は“ドラゴン”なんだろうけど。そうじゃなくて、私の正体はこっちの“龍”の写真の方なんだよ」
「ああそうか、竜は竜でも“龍”の方なのか」
「そういうこと。付け加えるなら、私は人々の信仰が形になって現出した土着神に近い存在だ。大昔からある小さなため池が、長い年月龍神として祭られ続けた結果、神としての顕現を得てこうして実体化したというわけさ」
「日本における龍は古来から雨や水難をもたらす存在として知られているからね。西洋のドラゴンも神に近しいファンタジックな生き物ではあるけれど、こちらの龍はもっと観念的な“人々の心の中に存在する神”とも言える存在だね」
龍児の解説を、話を横聞きしていた緒根が補足した。
そっち方面の知識に疎い兄眞は、フムフムと本当に分かっているのか怪しい相槌を打つ。
「じゃあ迷宮くんも雨を降らせたりすることができるの?」
「あいにくと私の権能はため池程度のものだからね。せいぜい地元の池の水を綺麗にするとか魚が住みやすい環境を整えるとか、それくらいのことしかできないよ」
……その点、“彼”の方がよっぽど神様らしいことをできるんじゃないかな。
龍児がそう呟くと、三人は同時に視線を脇の方へズラした。
教室の後ろのスペースでは、人間を飲み込めるほど巨大な半透明のグリーンスライムと、長い髪を丈長(和紙の髪留め)で結わえた小柄な女子がくつろいでいて。
「土地神様~、今度は玉子焼きですよ~!」
「――♪ ――♪」
その女子、“巫女は主神を尻に敷き”鳥井巫女子は幸せそうな表情で弁当箱の玉子焼きを摘まみ投げ、それを胴体でキャッチしたスライムは嬉しそうに粘液をプルンプルンと揺らす。
「えへへ~、そんなに美味しいですか? それ、実は巫女子の自信作なんですよ~」
「――☆ ――b」
「やだも~土地神様ったら~。そんなこと言われたら巫女子照れちゃいますよ~」
スライムが玉子焼きを消化しながら震えると、巫女子は箸を持ったまま頬を押さえて身悶えた。
ちなみに、“土地神様”と呼ばれたグリーンスライムは、プルプルと震えているだけで一言も擬音を発してなどいない。
「……アレの方が神様らしいとか言われる方が、俺的にはショックなんですけど」
「見た目に惑わされてはいけないよ。ああ見えて彼には本当にショゴス的な能力が備わっているんだ。伊達にこの地で何千年と讃えられていないというわけさ」
「実際、彼女の神社で祝福を受けた結果、テストの点が良くなったとか早起きしたら三文得をしたとか理想の山脈ができましたという話はよく聞くね」
「それってもう本物のショゴスなのでは?」
兄眞が思わず本音を漏らすが、それを認めることを恐れた龍児と緒根はハッハッハッと和やかな笑いで聞き流す。
「話が逸れたが。私の本体は池であって、今ここにいる私も龍となった私も、そこから投影されている“実体のある幻”にすぎない。だから私は神であり龍であり人であるというわけなのさ」
「なんか分かったような、分からないような……」
龍児のまとめの言葉に、兄眞はう~んと唸り声を返した。
と、そこでふとどうでもいいことに感づいてしまい、龍児へと顔を戻す。
「その池の神様が、どうしてこんなところで今更高校生をやってるんだ?」
「……っ」
ピシッと派手な音を立てて龍児の体が凍り付いた。
そのまま顔色だけ青ざめると、冷や汗を垂らしながらガタガタと体を震わせ始める。
「おいおいそれを聞いちゃうのか、“攻略順路”」
龍児が口を閉ざしていると、それまでだんまりだった天鑓がニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら兄眞の首に腕を回した。
思わずバランスを崩しながらも、いったいどういうことかと兄眞は瞬きを繰り返す。
「このムッツリ白龍様はな、惚れた女を追いかけてわざわざ学園に入学して来たんだぜ?」
「……天鑓!」
「いいじゃんいいじゃん、どうせすぐにバレることなんだしさ」
龍児が制止するように声を上げたが、天鑓は気にせず悪い顔で耳打ちする。
「こいつが奉られてる祠にな、子供の頃から通い続けてくれてた女がいて。そいつと一緒に学園に通うって約束しちまったんだとよ」
「……私は普段から御社の掃除をしてくれているその礼をしたかっただけで、他意などない。……まさかこんな願い事をされるとは思わなかったのだ」
「だったら無理だって断れば良かったじゃん」
「実現可能な願いを断るのは、その、神としての権能に関わることだからして……」
青かった顔を今度は赤く染めながら、龍児はしどろもどろに言い訳を続けた。
これはあまり触れてはいけない系の質問だったかと、兄眞は今更ながら心の中で謝罪する。
「――すみませーん、リュウ君はいますかー?」
教室の後ろの扉がガラッと開いた。
顔を出したのは、肩くらいのまでの髪を一房に結わえた同年代の女子高生で。
見覚えのない容姿に兄眞が首を傾げていると、龍児がバッと素早く立ち上がって顔を綻ばせる。
「渉! どうしたんだ急に、メールしてくれれば私の方から会いに行ったのに」
「あれ、もしかして友達とお話し中だった? ごめんね」
「そんなことはない。そんなことは全くないぞ。気にするな」
机のWINKを手に取った龍児は、スキップしそうな足取りで渉と呼ばれた女子のところに駆け寄った。
兄眞がもしかしてと思い目配せすると、案の定、天鑓が満足げな表情で頷いて見せる。
「あのね、私今日お弁当を作ったんだ。少しは自炊して生活費節約したいなーって思って。で、試作品を作ってみたからお昼まだだったら食べてみてくれる?」
「なんだ、仕送りが足りないのなら私がいくらでも都合をつけるぞ」
「違う違う。ちょっとでもお小遣いを増やせれば、リュウ君と遊びに行ける回数も増やせるかなってね。ほら、この前もお金がないからって近場ですませちゃったでしょ」
「渉……」
龍児は「じーん」という擬音が聞こえてきそうなほど感動に目を潤ませると、お弁当の包みごと渉の両手を握りしめた。
「私の鬣に賭けて、おまえの料理修行、いくらでも付き合おう! ニガイ目玉焼きだろうとアマイ味噌汁だろうと、私は全てを飲み込んでみせるぞ!」
「さりげなく私のトラウマに釘を刺してくるのは止めて欲しいかなー」
「そんなことはない。あれはあれで渉らしい個性的な味だった。でも渉がそれ以上を望むのであれば私はどんな協力も惜しまない」
「ありがとう。でも今回は一応味見して来たから安心してね」
「まかせろ。……それと私も食べさせてもらうのだ、材料費は折半にしよう」
「えー、そこまでしてもらうのはさすがにリュウ君に悪いよー」
「気にするな。私はむしろ全額払ってでも食べたいくらいなのだ」
そんなことを言い合いながら、二人はテコテコと教室から出て行った。
最後にチラリと覗いた龍児の横顔は、普段の彼からは考えられないほどデレデレとだらしなく歪んでいて。
「……あいのちからってすげー」
「ちなみにアレでも二人はまだ付き合ってないそうだぞ」
「なんでっ?!」
緒根から告げられたあまりにも衝撃的すぎる事実に、兄眞は声を大にして叫んだ。
その反応が予想通りすぎたのか、緒根はクスクス笑いながら龍児が消えた廊下を眺める。
「あの彼女、漣渉くんと言うのだが。……超ド級の鈍感娘らしくてな」
「龍児が毎度あんな感じで舞い上がってるってのに、あいつの気持ちにこれっぽっちも気づいてないみたいだぜ」
「えっ、でも今二人で普通にデートしてるっぽい会話してたけど?」
「当人は幼馴染みの神様と仲良く遊んでいるだけのつもりのようだぞ」
「ええぇ……」
蛇の生殺しならぬ、龍の生殺しと言ったところか。
わざわざ高校生までやってくれている、仮にも龍神様になんという仕打ちを。
「夕方に空を飛ぶ面白カッコいい龍を見かけたら、それはきっと彼らの下校風景だ」
「仮にも龍神様になんという仕打ちをっ!?」
兄眞は思ったし叫んだ。
……でもたぶん、その面白カッコいい白銀の龍は、想い人を頭に乗せてメチャクチャ良い笑顔をしながら飛んでいるに違いない。
その情景を想像すると、別に何も羨ましくはないのに、何故か妬ましい気持ちになってしまう。
兄眞の反応にひとしきり笑い転げた天鑓は、目尻に浮かんだ涙を拭う。
「その様子だと、アニマはあいつの“二つ名”をまだ知らないみたいだな」
「迷宮くんのあだ名?」
「“迷える龍に祝福を”」
「……」
とっととくっ付いて欲しいけど、くっ付いた後のバカップルっぷりを考えると今からもうツライ。
そんな、応援したいけれど出来れば出来る限り放っておきたいという、彼を見ている周囲の人間の総意が滲み出たあだ名だった。
いやまあ、当人たちが満足しているなら、外野がわざわざ口を挟む問題でないのも確かなのだけれど。
「人間に勝手にやってろされる神様ってのも、なんなんだかなあ……」
主が居なくなった机を見下ろしながら、兄眞は腰に手を当てて嘆息した。
――なお、寮に帰った兄眞が復習を始めるその瞬間まで、グループ課題の存在は忘れられたままだった。
/迷える龍に祝福を 完