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咆哮するは我にあり

world:ハッピーエンド

stage:西暦2041年6月 鷹狩学園

personage:久留間(くるま)草宗(くさむね)

image-bgm:もう一度TENDERNESS(KIX-S)





「だから俺は、もっとハンドリングをタイトにした方が良いと思うんだよ」

「言いたいことは分かるけど、皆がみんな久留間(くるま)みたいな繊細な機体制御ができるわけじゃないんだ。多少“遊び”がないと、シフトチェンジでズッコケるどころか取り返しのつかない事故に繋がるぞ」

「どうせこのまま販売するわけじゃない、プロモーション目的のワンオフマシンだろ。理想を追求するのが大事だよ」

「プロモーション目的のワンオフマシンだからこそ、特定のドライバーしか扱えないってんじゃ話にならないんじゃないか。それに安全性を考えても久留間の要求は呑めない」

「大丈夫だって、事故るときは俺一人でコケるからさ」

「技術者倫理に反してるって言ってるんだよ、俺は」


 高校生二人が汗とオイル臭い顔を突き合わせながら舌戦を繰り広げている後ろで、葉月(はづき)牧奈(まきな)は我関せずと言った表情でWINKを操作し続けていた。

 場所は自動二輪車同好会が校舎内に借りているガレージ。

 なにやら見るからに鋭角的で速そうな大型のレーシングバイクを放置して、“一方通行(マイナスドライバー)”久留間草宗(くさむね)と“猿人機関(エンジンエンジン)五木(いつき)翔太(しょうた)は、あーでもないこーでもないと互いの額を押し付け合っていた。

 草宗は特殊部隊の兵士のようなプロテクターだらけのレーシングスーツ。翔太は薄汚れて原色がほとんど残っていない水色のツナギ。一見で操縦士と整備士の不毛な言い争いだと飲み込めてしまう状況の中で、二人はなおも意地を張り交わることのない平行線を引き続けていた。

 牧奈がふとWINKの時計を起動すると、21:00という表示が自身のAR上に浮かび上がる。


 ……いつの間にか草宗以外の同好会メンバーの姿が消えていたと思ったら、そういうことか。


 牧奈はいつも通り不愛想な半眼で嘆息しながら、WINKの電源を落として顔を向ける。


「翔太、そろそろ帰る準備をしないと本気で電車がなくなるよ。……バカ久留間も、いいかげんにボクの翔太から離れろ」

「もうちょい待ってろ、牧奈。今日こそこの“マイナスドライバー”にガツンと言ってやんなきゃ気が済まん」

「そりゃあこっちのセリフだ、“エンジンエンジン”。おまえ口を開けば安全安全って、そんなんじゃ百年経っても技術革新なんて起こせねぇよ」

「自爆装置作ることを技術革新なんて言わないんだ。ったく、あんまり聞き分けがないとそのネジ穴潰れた脳みそにビット挿し込んで回しちまうぞ」

「はは、面白れぇ冗談だ。さすがおサル様は比喩表現の使い方もいちいち野性的でいらっしゃいますなぁ」

「……」


 ようするにこの二人、喧嘩するほど仲がいいのである。


 会話の輪に入れなかった牧奈は、少し寂しそうに溜息を吐き直し――けれど決して関わり合いにはなりたくないとばかりに、二人に背を向け肩を竦めた。


 こうなるともう手の施しようがない。

 翔太は一見すると温和な外面を保っているが、伊達に“猿人機関”などと呼ばれていないのだ。“一方通行”の草宗など言わずもがなである。

 となれば、今夜は学園に泊まる覚悟をしなければならないだろう。


 牧奈はWINKをもう一度取り出し、トトンと表面を薬指でダブルタップして姉の梳子(すくね)へのショートカットを開く。


『はいはーい。こんな時間にどうしたの、牧奈』

「夕食はいらないから片付けていいよ」

『……もしかして、また翔太くんが?』

「今日はバカ久留間に引っ掛かった。……大丈夫、いつもみたいにロボ研の部室に泊まるから」

『了解しました。翔太くんのこと、よろしくね♪』


 面白おかしそうに笑って話す実姉の態度に、牧奈はどこか煮え切らない表情で口元を歪めながら手早く通話を切った。

 視線を戻すと、論点をエンジン出力の話にすり替えた二人が、なおも楽しげにお互いをなじり合っているところで。

 牧奈は他人事のように背伸びをしながらゴキゴキ関節を鳴らすと、手近なパイプ椅子に腰を掛けて再びWINKへのダイブを再開した。





 ◇ ◇ ◇





 俺が“猿人機関(エンジンエンジン)”と“電気羊の夢(デウスエクス)”の二人と出会ったのは、中等部に上がったときだ。


 典型的な鷹狩チルドレン(幼い頃から親元を離れて学園に身を寄せている学生の俗称)だった俺は、外部から転入してきた五木翔太と葉月牧奈と同じクラスとなった。

 勿論、二人にはまだあだ名など存在せず。県外から電車で通っているという事実は、最初の自己紹介の時間で初めて耳にした。


 家の事情だとか生活費の都合だとか、そんな珍しくもない理由で、県外から直通リニアレールを使用して通学している学生自体は結構いる。

 しかし、中学からそれをしている人間はかなりの少数派だった。

 なぜなら、そんな手間をかけるくらいなら普通は鷹狩チルドレンと化すし、そうでなければそもそも近所の中学校へ通うからだ。


 だから俺は、どうして二人が毎日わざわざ片道一時間もかけて学園へ通学して来るのか、単純に興味を惹かれた。


 いや、それ以上に。

 当時の二人が、転入生の中でもかなり異質な存在感を放ってたというのも、食指を動かされた理由だったのは間違いない。


「……大丈夫か、牧奈?」

「……べつに」


 入学式から半月と経たずに。

 休み時間の度に翔太がデウスエクスの机に駆け寄り、心の底から心配そうに声を掛けている姿が、教室ではあたり前の日常と化していた。

 そしてそんな言葉に対して、デウスエクスが冷淡に返答しながら無感情にWINKを操作し続けている姿も。


 デウスエクスが翔太のことを嫌っているわけではないということは、クラスの全員がかなり早い段階で気づいていた。


 移動するときは翔太に手を引かれて歩き、

 昼食では翔太に無理やり食事を食べさせられ、

 排泄の際ですら翔太に連れられて一緒に多目的トイレへ入っていく。


 もはや“介護”と呼んでも遜色ないその行為の全てを、デウスエクスは無表情に無感情にまるで人形のように受け入れていたからだ。

 そんなデウスエクスの姿に、俺も含めて周囲の全員がどこか恐怖を感じていた。

 当然、無心になってそれを実行し続けている翔太のことも。


 クラスメイトとの人間関係の溝だとか性格的な壁だとか、そんな生易しいものではない。

 二人は意識的に自分たちと周囲を隔絶しており、周囲もそんな二人の態度を受け入れた――受け容れざるを得なかった。


 だから、俺はあえて二人に声を掛けてみることにした。


 理由の一つは、先に説明したように二人がどんな事情で鷹狩学園へ転入してきたのかに興味が沸いたから。

 そしてもう一つ。周囲が近づくことすら許されないこの二人と仲良くなることが出来れば、それだけで自分の人間としての徳が上がるような気がしたからだ。

 今にして思えば、我ながらなんて子供っぽくて大人げない、人の気持ちなど欠片も考えない最低の行動原理である。


 しかし。ともかく。俺は二人と積極的なコミュニケーションを試み始めた。


「おはよー翔太! 葉月は今日も翔太にべったりだな!」

「……おはよう、久留間くん」

「……」


 翔太に引き気味な社交辞令を返され、デウスエクスからは完全に無視される。

 これを毎日続けることはなかなか精神的に来るものがあったが、それでも俺は意識的に二人に声を掛けて強引に接点を作り続けた。


 最初の転機は中間考査が近づいて来た頃。


 昼食時。普段通りに弁当をデウスエクスの口の中へねじ込み終えた翔太が、暇を持て余して開いたWINKの画面。

 通りすがりに何気なくそれを目にした俺は、特に下心を持つでもなく、ただの条件反射で呟きを漏らした。


「へー。次の禊のバイクって姿勢制御にディアのAIを使うんだ」

「……っ!」


 今までの釣れない反応が嘘のような俊敏さで、翔太はバッと俺の方に顔を向けた。

 まるで、というか真実同好の士を得たかのようにその口元が緩み、そして俺が思わず呆けているうちにハッと我に返って視線を戻してしまう。


 でも、その反応だけで十分だった。


 それから中間考査が終わるまでの間、俺は慎重に情報収集に努めた。

 学園内では常にデウスエクスに付き添っている翔太。その翔太が本当にごく稀にWINKを開いた瞬間にいったい何を見ているのか。本当は何が好きで何をしたいと考えているのか。

 あまりにもそっちに努めすぎて中間考査の結果は散々だったが、それでも俺は確かな達成感を得ていた。


 俺は昔から自動車やバイクなどのヴィークル全般が好きで、大きくなったらそういった乗り物のパイロットになりたいと夢に見ていた。

 一方で翔太は、そういった機械類を作る方面――特にロボット(ディア)関連の技術者に興味を持っている様子だった。

 つまりそれは、俺と翔太の共通の話題になり得るということだ。


 中間考査の結果が出てから数日後。

 教室に日常が戻り、翔太がこの前の自分の反応すら忘れてしまった頃に、俺は作戦を実行に移した。


「あ、それ禊製の新作ディアじゃん。WINK社のより高性能だっていうけど、実際どれだけスペック高いのかな?」

「……っ」


 翔太がWINKを開いたタイミングを見計らって、俺は後ろからその画面を覗き込み、単なる興味本位の発言であるかのように問いかけた。

 翔太は案の定ギョッと目を見開き、そして本心を隠すように他人行儀に眉をしかめる。


「さ、さあ? オレに聞かれても詳しいことはちょっと」

「そっかー。いや、俺そのうちバイク買いたいと思ってるんだけどさ。禊モーターとWINK社の製品、どっちを選んだ方がいいのかなって」

「ディアとバイクじゃ部門が違うし、たぶん参考にはならないと思うよ」

「そんなもん? 軽量化とかバランサーとか、結構技術共有してるとかこないだ何かで読んだけど。まあいっか、どうせ免許取れるのはまだ先の話だしー」


 俺はぷらぷらと適当に手を振りながら翔太から離れた。

 本当はもうちょっと話題を振っておきたいところだったが、かと言っていきなり話をしすぎるのも不自然だと思ったからだ。

 予想通り、翔太は俺の言動をいつもの強引なトークだと思ったようで、すぐにWINKに視線を戻す。……フリをして、チラチラとこちらの様子を盗み見ているのは明白だった。


 やはり、翔太は心の底から周囲との関係を断絶したいと考えているわけではない。

 その機会があるなら自分の趣味について他の誰かと語り合いたいと願っている、俺とどこも変わらない中学生なのだ。


 それが知れただけでも何だかとても嬉しくて。俺は翔太が好みそうな話題について、学校の勉強よりもよほどたくさん勉強した。

 ヴィークルについても、今までのボンヤリとしたイメージ論だけでなく、もっと細かく専門的なことまで調べるようになった。構造や操縦技術に関してだけではなく、成り立ちや歴史、資格の取り方から整備の仕方、マニアックな改造知識まで。

 そうして覚えたことを小出しにしながら翔太と絡み、翔太もそんな俺に少しずつ言葉を発してくれた。それがまた嬉しくて知識を重ね、それを踏まえてまた二人の話題が広がっていく。


 ……あー、うん。あれって今にして考えれば、付き合い始めのカップルの行動だったわ。


 若干気持ち悪くはあるが、でも当時の俺はその工程が本当に楽しかったのだ。

 翔太もそう思っていたのだろう。夏休みの足音が聞こえてきた頃には、翔太は昼食後にWINKを開いて俺が声を掛けるのをそれとなく待ってくれるようになっていた。





「同好会?」

「そ、自動二輪車同好会。入会は高等部になってからみたいなんだけど、見学は誰でもオーケーなんだって。終業式も終わったんだし、これから一緒に行ってみない?」

「オ、オレはその……」


 俺の提案を聞いた翔太は、すぐ隣にいるデウスエクスの反応を気にするように視線を泳がせた。

 そう来るだろうと思っていた俺は、このまま夏休みに入って(逃がして)なるものかと用意していたセリフを紡ぐ。


「どうせだったら、そのままロボット研究会の方も見させてもらおうぜ。確かあっちも高等部の校舎に部室があるんだろ?」

「……っ」


 文字通り翔太の目の色が変わった。

 しかしそれだけでは踏ん切りがつかないのか、またすぐに視線を彷徨わせ始める。


「なー葉月もいいだろ? 今日なら時間もあるし、俺たちが見学してる間、ちょっと待っててくれるだけでいいからさ」

「……ボクは……べつに」


 『べつに』

 それはクラスメイトに絡まれたときに、デウスエクスが自動的に口にしていた定型文のひとつだった。

 拒絶でも同意でもなく、ただただ無関心であることを表現した短文。

 でも今回、デウスエクスのその発言を心待ちにしていた俺は、ここぞとばかりに翔太に近づき問い詰める。


「ほら、葉月もこう言ってくれてるんだしさ!」

「……ちょっとだけだぞ」


 そして、とうとう翔太は折れた。

 俺の勢いに押されて、自分の欲望に引かれて、デウスエクスの発言を曲解することを暗に認めてしまった。今まで何をするにも『牧奈が』という接頭詞を付けてきた翔太が、言い方は悪いが初めてデウスエクスのことを蔑ろにしたのだ。

 この三ヵ月間の全てが報われたように感じて、俺は心の中でガッツポーズを作る。


「じゃあ遅くなる前にとっとと行こうぜ! 高等部までならオートウェイ使うまでもないかな?」


 このチャンスを逃す手はない。あわよくば今日中に翔太と電話番号を交換して、夏休みは翔太の家まで遊びに行くのだ。

 俺は二人の背後に回り込むと、気が変わらないうちにと強引にその背を押して高等部の校舎の方へと進路を変えた。


 何を隠そう、自動二輪車同好会からは了承を得ていた。

 というか翔太を誘うまでもなく、俺は小等部の頃から同好会に何度も足を運んでおり、もはや顔馴染みとなっていたのだ。だから事の次第はかいつまんで説明してあるし、二人の友情のためにと同好会の先輩たちも快く対応を引き受けてくれていた。


 同好会のガレージに入ると先輩たちはまるで初見であるかのように振る舞い、普通の体験入会のように俺や翔太と接してくれた。

 すでに組み上がったバイクも見事なものだったが、それよりも翔太は目を輝かせながら様々な工具や工作機械を見せてもらっていた。そして本当に楽しそうに先輩たちへ色々な質問を行い、実際にそれを手に取り使わせてもらう。

 その翔太を見て、ここに連れて来て本当に良かったと俺は思った。


 ――そんな俺の視界の隅を、ふらりと影が横切った。


 なんだろうと目を向けると、それはデウスエクスの後姿で。

 デウスエクスは賑やかに話している翔太たちに背を向け、地面に落ちている工具を一つ手に取った。


 特に専門家でなくても一目で分かる。

 それはマイナスドライバーと呼ばれるごくごく一般的でどこにでもあるネジ回しの一種で。

 デウスエクスは興味なさそうな半眼でそれを見下ろすと、その切っ先を何気なく己の顔に向け、一切の躊躇なく自身の右目に突き立てた。





 怒声。

 衝撃。

 悲鳴。

 土煙。

 血液。


 何が起こったのかよく分からなかった。

 眼球が捉えた視覚情報に脳の処理が追い付かない。


 俺の目の前では、五木翔太が葉月牧奈を後ろから羽交い絞めにしていた。

 デウスエクスの顔を守るように被された左前腕にはマイナスドライバーが突き刺さり、その右手は彼女の右手首を捻り上げている。


 翔太の顔は、この三ヵ月の間で一度も見たことがないような、鬼神のような般若のような必死の形相をしていて。


「……どうしたの、翔太?」


 だというのに、デウスエクスは普段と何も変わらない無表情で無感情な半眼を崩さなかった。

 翔太はギリッという音がこちらにまで聞こえるほど奥歯を噛み締めると、それでもいつもデウスエクスに話しかけるときと変わらない、心の底から心配そうな声で答える。


「……何でもないよ。……おまえの方こそ、急にどうした?」

「……べつに。……自殺しようと思っただけ」

「……ぉ! ……そっか」


 翔太は一瞬だけ何かを叫ぼうとしたが、結局それは言葉にならずに飲み込まれた。そしてゆっくりとデウスエクスを解放すると、全ての苛立ちをぶつけるように左腕のドライバーを引き抜く。

 いったい何ミリ食い込んでいたのか、ドライバーが抜けると同時に腕からドクドクと血が溢れ出した。そこで正気に戻った同好会の先輩たちが慌てて二人の下へ駆け寄るが、翔太は素手で傷口を押さえて力なく笑う。


「大丈夫です、何でもないですから。お騒がせしてすみませんでした。……オレたち、今日はもう帰ります」


 投げかけられたあらゆる言葉をその一文で断ち切ると、翔太は血が流れるのもかまわずにデウスエクスの手を取って歩き始めた。

 まだ正気に戻れない俺は、単なる本能でその後ろ姿に手を伸ばす。


「しょ、翔太……」

「……さようなら、久留間くん」





 ◇ ◇ ◇





「依頼の五木翔太くん。調べてみたけど、葉月さんとは親同士の親交が深い、いわゆる幼馴染みの関係なんだって。そして、彼は小学校の卒業前に葉月さんのクラスメイトを全員……担任も含めて全員、一人残らず半殺しにしたみたいだね。たぶん鷹狩学園に通うことになったのもそれが原因なんじゃないかな」

「半殺しって……」


 当時から探偵として並々ならぬ才能を発揮していた“錯乱地図(ジグソーバズル)”の情報を聞いて、俺は絶句した。

 ジグソーパズルは左手で自分の三つ編みを弄りながら、右手でWINKの情報を操作する。


「詳しい経緯は省くけど。葉月さん、クラス全員からずいぶんと陰湿なイジメを受けていたみたい。手に入れられた情報だけでも結構ヒドイ仕打ちをされてる。そしておそらくは、そのイジメに生徒の保護者や学校の教職員らも多数関わっていたんだと思う。……担任だった男性教諭は、いまだに遠方の精神病院に引き籠って退院を拒んでるって噂」

「そんな大事なら大々的にニュースになるんじゃ」

「あまりにも大事すぎて大々的に規制がかかったんじゃないかな。舞台背景もそうだけど、イジメとは直接関係のない第三者が、しかも一介の小学生が数十人の同級生と大の大人を報復として血祭りにあげるだなんて。嘘でもマコトでも話題にできないでしょ、こんな話。もしかしたら裏で“教育の権化(グレートオールドワン)”の手が回ってるのかもしれない」

「……」


 俺が黙っていると、ジグソーパズルもやり切れなさそうに溜息を吐いた。


「物的証拠は一切なし。学校関係者どころか当の被害者すら皆で仲良く口をつぐんでるし、病院のカルテまでもが入念に抹消・改竄されてた。『ソレに触れたら今度こそ皆殺しにされる』ってね。この話だって現地の聞き取り調査でようやくこぼれ出たものを拾い集めてなんとか形にした、ほとんどがあたしの推論。……きっと葉月さんは余程の事をされて、五木くんは余程の事をしてしまったんだね」


 翔太がデウスエクスに行っていたのが“介護”ではなく“監視”だったのだと、俺はそのとき初めて理解した。


 デウスエクスが衝動的な行為に走った際に迅速にそれを阻止する。

 翔太のデウスエクスに対する過敏すぎる距離感は、そのためにあったのだと。

 そしてあの日あの瞬間、俺は知らず知らずのうちに、その距離感より一歩遠い間合いへ二人を引き離してしまっていたのだと――


 気づいたときには全てが遅く。





 夏休みが終わり再会した時には、俺たちはまた元通りの疎遠な関係に戻っていた。





 ◇ ◇ ◇





 あのとき、俺は本当に後悔したのだ。


 もし、もう一度やり直せるのなら、絶対に同じ間違えは繰り返さないと。

 もし、もう一度やり直しができるのなら、絶対にデウスエクスのことを疎かにしないのだと。

 もし、もう一度やり直させてくれるのなら、絶対に翔太もデウスエクスも二人まとめて幸せにしてあげるのだと。


 どんなに願っても。

 どれだけ祈っても。

 どれほど絶望しても。


 所詮俺は“一方通行(マイナスドライバー)”で。失ってしまった時間は結局何一つ取り戻せなかったのだけれど。


 ああ、でも、神様。

 今の俺にはあいつらがいる。

 今更になってしまったけど、あいつらは俺なんかを友人として、また傍に置いてくれているのだと。


 感謝で泣き崩れたあの日から、もう一年以上が経過してしまっていた。


「……たぶん、ここだよな」


 ロボット研究会の部室を前にして、俺はひとりごちた。


 空は深夜も遅く、日付など当の昔に過ぎ去ってしまった時間。

 俺の手にはコンビニで買った夜食やジュース、ショートケーキの詰め合わせ(ああ見えてデウスエクスは甘い物に目がないのだ)。

 つい一時間ほど前まで翔太とバカみたいな言い争いを続けていた俺は、一旦自分のアパートに帰ろうとして、長い回想の末に買い物を終えてこの場所に立っていた。


 ……どうしてそうなったのか、俺は本当に理由を知らない。


 しかし、中学三年生になって。

 翔太とデウスエクスが正式に付き合うと公言し始めたあのときから、二人を取り巻くあらゆる状況は大きく変化した。


 それは翔太の変化であり。

 それはデウスエクスの変化であり。

 それは二人をずっと遠巻きに見ていた俺自身の変化でもあり。


 そして高等部に進学して。二人とまた同じクラスになった俺は、再び翔太たちと話をする権利を得ることができた。


 他人から見たらどこかぎこちない、喧嘩別れした元恋人に話しかけるようなたどたどしいものだったかもしれないけど。

 一年以上がすぎたところで、デウスエクスとって俺はいまだに「昔翔太を困らせていた自称友人モドキ」としか認識してもらえていないのだけれど。


 ああ、でも、神様。

 こう見えても俺は、本当に感謝しているんです。

 こうしてもう一度、あいつらとやり直すためのチャンスを与えてくれたことを。

 どれだけ泣いて後悔しても取り戻せなかった時間を、こうしてもう一度積み重ねられていることを。


「……もう寝ちまったかなぁ」


 コンビニの袋を持て余しながら、俺は少し尻込みした。


 さっきはちょっと翔太に色々と言いすぎただろうか。

 さっきはさすがにデウスエクスを邪険に扱いすぎてしまっただろうか。


 そんないつもの後悔をしばし繰り返してから、えぇいママよと顔を上げる。

 ロボ研の扉を開けると、室内は照明が落とされ真っ暗な状態で。


 いや、確かロボ研には奥に仮眠室代わりの資材置き場があったはずだ。

 俺は薄暗い室内を自分の夜目と直感を頼りに進んでいく。

 部屋を進むと、資材置き場の扉から薄っすらと明かりが漏れており、どことなく人がいる気配も感じて。


 これからあの二人はどんな道を歩んでいくのだろうか。

 “一方通行(マイナスドライバー)”な俺には到底想像も出来ないことだけど。


 でも、今度は。

 しかし、今度こそは。


 何があっても二人を傷つけないと。

 どこまでも二人を見守り続けて行こうと。


 そんな覚悟を胸に抱いて、俺はその扉を開いた。





「……えっ?」

「……はい?」


 資材置き場の名に恥じない、大量の鉄骨や工具が散乱している狭い部屋の中央。

 古びた白色電球の光に照らされて、翔太とデウスエクスが座っていた。


 より正確に描写するなら、安っぽいパイプ椅子に翔太が腰かけ、その上に跨るようにしてスカートを捲り上げたデウスエクスが抱きつき、二人はすっかり上気しきった顔でギョッと目を見開いて俺の方を向けていて。

 デウスエクスの左足首には、あまりにも見慣れないなんかピンク色の布の塊のようなものがくっ付いていた。


「え、久留間? え、あ、えっと、これは……」


 翔太はヒクヒクと頬を引き攣らせながら言葉をどもらせ、デウスエクスを庇うように彼女を抱く腕にギュッと力を込めた。

 俺もいつかのあの日のような思考停止をしていると、汗ばんだ額に前髪を張り付けたデウスエクスがいつもの半眼で――それでも少し頬が赤かったが――口を開く。


「……おい、バカ久留間」

「へっ、は、ひゃい?!」

「翔太とボクは現在取り込み中だ。用があるなら37分後に出直して来い」

「わ、分かりましたっ! すみません、大変失礼いたしましたぁーっ!?」


 殺気の籠った視線に突き刺されて、俺は慌てて資材置き場の扉を閉めた。

 そのままの勢いでロボ研からも飛び出すと、全力疾走で高等部の校舎の外まで駆け抜ける。


 そうして5分ほど走り続けてから、普通に息切れした俺はぜぇぜぇと呼吸を乱しながら足を止めた。

 とりあえず肺に酸素を取り込もうと夜空を見上げ、そこには満天の星々が眩いばかりに輝いていて。


「あれ、久留間くん。こんな時間に奇遇だね」


 女性の声で振り返ると、そこにはクラスメイトであり中等部時代からの友人でもある、“錯乱地図(ジグソーパズル)驫木(とどろき)明日菜(あすな)が立っていた。

 呼吸が整っていない俺は息も絶え絶えに手を振り上げ、ジグソーパズルはパチパチ瞬きしながら左手で自身の三つ編みを弄る。


「もしかして久留間くんもサークル帰り? お互いに精が出ますねぇ(意味深)(かっこいみしん)、なんちゃって」

「……なぁジグソーバズル、偶然ついでにちょっと推理してもらってもいいかな?」


 どぅえっへっへっと、どう見てもオタクとしか思えない独特で下世話な笑い声を漏らすジグソーパズルに対して、俺は渡りに船と問いかけた。

 “推理”と聞いて自分の領分だと悟ったのか、ジグソーパズルは背筋を正して俺の顔を見つめる。


「いいよ、久留間くん。それがあたしに繋げられるピースであれば、なんであろうとキミを導いてみせるから」

「椅子に座ってる男子の上に女の子が抱きつくように跨っていて、正味30分くらいで終了する営みがこの世の中に存在するとしたら、それって一体どういうことだと思う?」

「……それはきっと久留間くんがエロ漫画の読みすぎなんだと思うよ」


 ジグソーパズルは本当に、夜闇の中でもはっきりと分かってしまうほど本当に失望しきったハイライトの消えた瞳で、俺を見据えて蔑んだ。

 俺は乾いた笑いを漏らしながら、最後の力を振り絞ってジグソーバズルに手を振る。

 そうして夜空を見上げると、そこにはやっぱり満天の星空が瞬いていて。


「――仲睦まじいにも限度ってものがあるんだよ、あのバカップルがああぁぁぁーっ!」


 コンビニ袋を投げ捨てながら放った俺の絶叫は、学園の闇の中に儚く溶けて消えていった。





/咆哮するは我にあり 完

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