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五木翔太とデウス様

world:ハッピーエンド

stage:西暦2041年6月 鷹狩学園

personage:五木(いつき)翔太(しょうた) 葉月(はづき)牧奈(まきな)

image-bgm:solitude(angela)





 カタカタ、カタカタと。


 蛍光灯に照らされた室内に、キーボードの音色が鳴り響く。


 部屋を覗いてまず気にするのは、全体的な家具の白さだろうか。壁紙も絨毯もタンスも机もベッドもゴミ箱も、全てが白を基調としたデザインで統一されており、照明の陰影がなければ出口すら見失ってしまいそうな危険な色彩だった。

 よくよく見れば、置かれている家具も部屋の主の年齢を考えるとだいぶ少ない。本当に必要最小限の物品しか置いておらず、むしろ必要最低限の物品すら置かれていないようにも思われた。


 そんな室内に存在するのは二人の少年少女。


 一方。部屋の隅に置かれたセミシングルのベッドの上で、壁にもたれかかるようにしてあぐらを掻いている水色パジャマの少年が、“猿人機関(エンジンエンジン)五木(いつき)翔太(しょうた)で。

 翔太はときどき欠伸を噛み殺しながら、白い部屋の中で一層異質な黒光りを放つ携帯端末WINKを操作し、その表面にディアに関する最新情報のニュースを映し出していた。


 もう一方。部屋の中央に置かれた白いデスクに腰を下ろし、現代の一般家庭では絶滅危惧種と化したデスクトップパソコンを凝視し続けている白色パジャマの少女が、“電気羊の夢(デウスエクス)葉月(はづき)牧奈(まきな)で。

 牧奈は無愛想極まる半眼を瞬きしながら、まるで自分の肉体すらパソコンの一部であるかのように休むことなくキーボードを連打し、そのモニタ上にシステムエンジニアですら理解不能なアルファベットと数字の羅列を生み出し続けていた。


 舞台は茨城県郊外に存在する、葉月家宅、葉月牧奈の私室。

 ここに至るまで二人の間に会話は一切なく、壁の時計を見上げれば午前二時をすぎようとしていた。

 WINKの時計でそれを確認した翔太は、背伸びをしながら牧奈の後姿に顔を向ける。


「牧奈、もう二時をすぎたぞ? そろそろやめにしようぜ」

「わかった。ボクももう少ししたら切り上げるから、翔太は先に休んでて」

「……牧奈?」


 翔太は念を押すように名前を繰り返し、牧奈に負けず劣らない半眼を作って睨んだ。

 その直後、カタタッと怯えるな単音を残してキーボードの演奏が途絶える。そして若干逡巡してから、牧奈の指が震えながら本体の電源ボタンを押し込んだ。

 強制的に電源を落とされたパソコンからファンの音が途絶え、モニタからも『NO_SIGNAL』の文字を残して光が消えると、牧奈は恐る恐る振り返って翔太の顔色を窺う。


「……ごめん、翔太」

「べつに怒ってないってば。いいから早くこっち来い」

「うん」


 翔太が苦笑しながら手招きすると、牧奈は叱られた子犬のように申し訳なさそうにベッドへ駆け寄った。そしてベッドの上に膝を乗せると、翔太と向き合うように女の子座りする。表情は変わらず不愛想な半眼だったが、まだ何かを怖がっているのかオドオドと視線が定まっていなかった。

 翔太はそんな牧奈の頭に手を乗せて、それこそ子犬を可愛がるように頭を撫でまわす。

 突然の愛撫に最初は戸惑っている様子の牧奈だったが、程なくして肩の力が抜けて、小さく――本当に小さく――幸せそうな笑みを口元に浮かべた。

 それを確認した翔太はWINK経由で部屋の照明を落とし、牧奈の体を抱き締めてそのままベッドに寝転がる。


「……おやすみ、牧奈」

「……おやすみ、翔太」


 二人は抱擁したまま小声で挨拶を交わすと、牧奈は翔太の胸に顔を埋めてまぶたを閉じ、翔太は毛布を引っ張り自分たちの体に被せた。





 ◇ ◇ ◇





 ベルのような電子音と共に部屋の蛍光灯が再点灯して、翔太は浅い眠りから目覚めた。

 反射的にWINKを手に取り目覚ましを止めると、時計の表示は6:00ちょうどで。翔太はWINKを持ったまま大きく背伸びを伸ばし、その体に縋り付いてくる感触に気づいて毛布を捲る。

 毛布の中では、牧奈が寝る前とほとんど変わりない姿勢でスヤスヤと寝息を立てていた。

 寝る前と一転して今度は子猫のようにぐでんと弛緩している牧奈の姿に、翔太は眉をハの字にしかめて苦笑する。


「ほら、起きろ牧奈。朝だぞー」

「……んー? ……んー」


 体を揺すられた牧奈は嫌々ながら頑張って薄目を開き、そして肉体に精神を引き摺られてぐったりと目を閉じた。

 この少女。徹夜だけなら二日でも三日でも全然平気だというのに、一度眠ってしまうと低血圧すぎて暖気に恐ろしく時間がかかるオンボロエアコンのような猫なのだ(反対に翔太は高血圧)。


 付き合いが長すぎて気遣いの欠片も失くしてしまった翔太は、そんな牧奈を無理やり引き剥がし、強引に体を起こしてベッドの端に座らせる。


「ほら、さっさと着替えて朝飯食うぞ。パジャマも脱いで脱いで」

「……んぁー」


 まだ意識が眠ったままの牧奈は、それこそ脳が融けたようなだらしない呻き声を伸ばしてカクッと首を傾けた。


 翔太はヤレヤレと肩を竦めると、牧奈の腹部に手を掛けてスポン!と一気に上着を引っこ抜く。それを軽くたたんでベッドに置いてから、次は胸に当てられたスポーツタイプのナイトブラも無遠慮に引き剥がした。

 身長相応に小ぶりで慎ましやかな乳房が露出しても、牧奈は構うことなくうなだれ目を閉じたままで。

 気にせず牧奈の上半身をベッドに寝転がした翔太は、パンツごとズボンをずり下ろして完全に全裸に変える。


「下着はもう何でもいいよな。俺が適当に選ぶぞ?」


 勝手にタンスを開けながら翔太が尋ねるが、仰向けになった牧奈から返事はなかった。

 翔太の場所からはベッドからだらしなく投げ出された牧奈の下半身が開けっ広げに晒されていたが、翔太は一瞥すらせずにタンスの中から手近な下着一式を取り出す。ついでに壁に掛けてあった二人分の制服を手に取ると、牧奈のところに戻って隣に投げた。


 脚に新しいパンツを通して履かせ、腰にスカートを上げてチャックを締め、胸にブラをあてがいホックを閉め、再度上半身を起こして制服を着せる。

 一通りの介護を終えた翔太は、それでも起きる気配のない牧奈に嘆息しながらヘアブラシを手に取った。ベッドに乗り上がって牧奈の背後に回ると、慣れた手つきでショートヘアを梳いていく。


「……」


 途中、つむじの辺りからピョンと一房伸びている寝癖がとても気になった。

 しかし、彼女が生を受けて十数年。その一房髪が跳ねていなかった日など、どういうわけか一日として存在しなかったのだ。

 翔太は一応その髪を何度かブラシで梳かしてみてから、結局はキレイさっぱり諦めて牧奈の肩を揺らす。


「ほら、終わったぞ。おまえもいいかげんに目を覚ませー」

「……んー。……ありがとー、しょうたー」


 まだデバッグが不完全なのか、牧奈は反動でフラフラと頭を揺らしながら魂の抜けた声で答えた。

 普段もまあ大体こんなもんではあるのだが、それにしても今日は起動に時間がかかっているようである。


 翔太はベッドから降りると自身も手早く着替えた。そして部屋のカーテン(もちろん白)を開けると、二人分の鞄を小脇に抱え、もう片方の手で牧奈の小腋を抱えて引っ張り上げる。


「ほら、今日は久留間(くるま)との打ち合わせもないからのんびり寝れたはずだろ。あんまりうだうだしてると遅刻するぞ」

「……んー」


 牧奈も何とか足に力を入れてはいるようだったが、操り人形のように末端部に力が入っていなかった。

 翔太はそんな牧奈の体を支えつつ、部屋を出て家の階段を下りていく。


「あれ?」


 と、降りた先のリビングに明かりがついていることに気がついて、翔太は小首を傾げた。

 少し警戒しながら居間の入り口をのぞき込むと、キッチンカウンター越しにテキパキと働いている長髪の女性の姿が目に入る。


「あ、梳子姉(すくねねえ)。おはよう、もう起きてたんだ」

「あら、翔太くんおはよう」


 年齢は二十歳前後といったところだろうか。背中まで伸びる長い髪を一房にまとめ、ワンピースにエプロンを着けて腕を捲っているその女性、葉月家の長女にして牧奈の姉である葉月(はづき)梳子(すくね)は、万人が尊ぶような慈愛の笑みで二人を出迎えた。

 見るとリビングの掃除も終わった後なのか。窓が開き陽の光が射し込む居間には埃もなく、点けっぱなしのテレビから小さく朝のニュースが流れ込んでいた。

 翔太は牧奈を引き摺りテレビ前のソファに座らせると、あらためて梳子の方に体を向ける。


「もしかして朝ごはんの準備もしてくれてた? なんか悪いね」

「いいのいいの。なんだかちょっと早く目が覚めただけだし、今日はどうせ一限目から授業だったしね。翔太くんも、牧奈を起こしてくれてありがとう」

「それこそかまわないって。俺だって好きでやってる……好きだから、やってるんだからさ」


 翔太は照れ臭そうに鼻先を掻きながら、誤魔化すように台所に入って梳子の手伝いを始めた。

 梳子は小鍋の火を止めてそんな翔太を見ると、妹とは真実正反対の感受性溢れる笑顔を浮かべる。


「へっへっへ~。翔太くんが牧奈と付き合ってくれて、お姉ちゃん本当に嬉しいな~。いっそのこと、このままうちの子になっちゃえばいいのに」

「いや、この歳で同棲はさすがに世間体がね……」

「親同士も認めてくれてるんだし、私は当人たちが良ければそれが一番だと思うけどなぁ。それにどうせもう通い婿みたいな状態なんだから、一緒だよ一緒♪」

「……梳子姉って、ときどき真顔で最後の一線を棒高跳びするよね。そういうところは、本当に梳奈(すくな)さんの子供なんだなって思う」


 三人分のご飯茶碗を取り出しながら、翔太は少し呆れた顔で梳子に皮肉を返した。

 それを皮肉と感じなかった梳子は、「そうかしら?」と顎に手を当てて疑問符を浮かべる。


「翔太も姉さんも、朝っぱらからあの女の話するのは止めてよ。ただでさえ寝起きで頭が重いのに、余計イライラしてくる」


 突然のっそりとソファから体を起こした牧奈が、頭を押さえながら不機嫌な声で二人の会話に割り込んで来た。

 それを目にした翔太と梳子は顔を見合わせ、仕方がなさそうに眉をしかめて苦笑する。


「おい牧奈、今まで寝ぼけてたクセに随分な言い草だな。……ほら、起きたんならおまえも食事の準備を手伝えよ」

「うん、わかった」


 牧奈は二つ返事で立ち上がると、パタパタと小走りで台所に入り、取り分けられていたベーコンエッグやおひたしを運び出す。

 翔太と梳子はそんな牧奈の後姿を眺めながら、もう一度顔を見合わせ忍び笑いを漏らした。





 食事を終えて身だしなみを整えた頃には、時刻は七時になろうとしていた。

 ソファでテレビを眺めていた翔太は、WINKでそれを確認するとそれじゃあと腰を上げる。ちょうど洗顔を終えてリビングに戻った牧奈も、それに続いて鞄を手に取った。

 二人の行動に気がついた梳子は、洗い物の手を止めて台所から顔を出す。


「二人ともそろそろ出発する?」

「せっかくのんびり起きたんだし、余裕持って“向こう”に着きたいからね。梳子姉はまだ行かないの?」

「どうせ私の講義は9時からだし、もう少し後のリニアで行くよ」

「そっか。んじゃ、もしも“向こう”で会えたらまた後で」

「……行ってきます、姉さん」

「はい、行ってらっしゃい」


 翔太が手を上げ牧奈が半眼を向けると、梳子もニッコリ微笑んで手を振り返した。

 二人はそのまま玄関に移動し、靴を履いて外に出る。


 最寄りの駅まで歩いて10分。

 鷹狩学園行きの地下鉄が存在するターミナル駅まで約20分。

 そこからさらに130キロほど西方に存在する鷹狩学園までは、乗り継ぎやリニアレールの加減速を考慮してもおおよそ30分。


『禊交通をご利用いただきまして、ありがとうございました。当リニアはまもなく鷹狩学園・外周・商業区Bに到着します。お忘れ物、お足元、減速時の衝撃にご注意ください。……それでは皆様、本日も一日、精一杯学園生活をエンジョイしてくださいね♪』


 鳴り響くいつもの車内アナウンスを耳にしながら、翔太は隣の牧奈に目を落とす。

 牧奈は吊り革に掴まることもせず、両手でWINKを横持ちにしてタタタタッと親指を高速移動させていた(鞄は翔太が抱えていた)。画面を網膜投射式のARモードにしているのか、彼女がいったい何を見て何をしているか、周囲からは窺い知ることができない。

 そうしているうちにリニアが予告通り減速し、バランスを崩した牧奈は気にすることなく翔太の腹部に身を預けた。それでも気にせずタイピングを続けている牧奈に、翔太は困ったような嬉しいような微妙な笑みを浮かべる。


「ほら牧奈、もう到着するってよ」

「うん」


 翔太に頭を揺さぶられた牧奈は、ようやくタイピングの手を止めてWINKの電源を落とした。それをポケットにしまって何気なく翔太を見上げると、頭頂部の一房髪がぴょこんと揺れる。

 思わずその頬を撫でまわしてあげたくなりながらも、翔太は自制し鞄を牧奈に返した。視線を前に戻すと、ちょうど駅の明かりが飛び込み電車がブレーキ音を立てて停止する。


 電車を降りてしまえば、後は学校まで一直線だ。

 改札を潜って地下鉄の一つ上のフロアに移動し、そこを流れている動く歩道(オートウェイ)に横から飛び乗る。


 片側だけでも幅15m。学園都市の地下に縦横斜めに走っている幹線歩道であり、世界的に見ても最大規模の歩道なのだと、何かのニュースで見たことがあった。

 なんでも、古典的なベルト式の機構に慣性制御技術と魔術的保護を組み込むことで、三種類の速度帯と乗り降り時の安全の確保、そして歩行者同士の衝突回避を実現しているのだとかなんとか。

 昔資料を読んだときにおおよその機械的な構造は理解できたのだが、なにぶん「魔法」については、翔太にとってまだまだ未知の不可思議領域だった。

 たぶん今現在自分の手の甲に浮かんでいる魔法陣こそが、加減速や衝突時の衝撃から利用者(じぶん)を守ってくれている「魔術的保護」というものなのだろうが。


「……翔太?」


 先に右側中央部の高速レーンへ移動しようとしていた牧奈は、立ち止まって自分の手の甲を眺めている翔太に振り返ると不思議そうに小首を傾げる。

 翔太は何でもないと首を振ると、牧奈に続いて隣のレーンに足を移した。


 さすがに八時をすぎるとこの歩道も学生の姿が多くなる。

 歩道内でところどころ目にする小休止用の背もたれやベンチも、今は軒並み男子集団や女学生らに占拠され、人々はみなWINKを手に思い思いの雑談を繰り広げていた。翔太はその中で、仲睦まじげに互いの手を握りながら談笑している、カップルと思わしき男女ペアの姿を見つける。


 ……まあ、あと10分もすれば学校前に到着するのだし、電車でも立ちっぱなしだったのだから今更座りたいとは思っていなかったのだが。


 グイっと。翔太は何となく衝動的に牧奈に手を伸ばし、その左手を握りしめた。

 早速WINKを取り出して先ほどの作業の続きをしようかと考えていた牧奈は、何をされたのか理解できずにキョトンと左手を見つめ、


「あわ、あわわわわわわ。な、ななな、なに? 急にどうしたの翔太?」


 何をされているのか理解して、珍しく半眼を見開いてボッと耳まで顔を赤らめた。

 牧奈は嬉しさと羞恥心から今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。が、かと言って翔太に掴まれた左手を無下に払うこともできずに、精一杯の抵抗として頭頂部の一房髪をちょこちょこと動かした。

 翔太も(牧奈ほどではないが)顔を赤くして、それでもまったく何も気にしてない風を装いながらそっぽを向く。


「……はぐれたら……なんか嫌じゃん」

「え、あっ、そそそうだね。はぐれたらなんか嫌だよね。どうせ教室でまた会うじゃんとか考えたらダメだよね」


 混乱の極みに達した牧奈は、グルグル眼でとりあえず脳裏に思いついた言葉をそのまま口にした。


 こいつら、普段二人っきりのときにはこんなの屁でもないような濃密なスキンシップを行っているというのに、人前ではまだまだ恥ずかしがり屋なバカップルなのだ。

 むしろ二人ぼっちのコミュニケーションに慣れ過ぎてて、グローバル化がなされていないとも言う。


 ともかく、そんな二人の姿を見せつけられた周囲の学生たちは、心を一つに束ねて一斉にこう念じた。


 ――今すぐ爆ぜればいいのにっ!!





「お、エンジンエンジンにデウスエクス。二人とも今日は遅刻しなかったんだな、おっはよー」

「朝からずいぶんとご挨拶だな。おはよう、人守(ひともり)

「んだよ、事実じゃんか」

「ちゃんと毎日時間前に学園には来てるんだよ。……なんかホームルーム前に色々と事件が起こるだけでさ」

「それでも遅刻は遅刻だろ、この隠れ不良が~」


 人守と呼ばれたクラスメイトの男子は、うりうりと翔太の肩に肘打ちしながら「それじゃ!」と手を上げて他の学友のところへ駆けて行く。

 翔太は呆れ顔で嘆息し、背後では牧奈が我関せずと自分の席へ歩みを進めていた。直前まで繋いでいた左手も、いつの間にか自然な所作で離されていて。


 きっと人守に、というかクラスメイトらに、手を繋いでいるところを見られたくなかったのだろう。

 翔太は少し残念に感じたが、かと言って教室内でまで堂々とイチャつける自信はなく、まあ妥当な判断だろうと牧奈の背中を見守る(今すぐ爆ぜればいいのに)。


「うわーん! “電気羊の夢(デウスエクス)”、お願い助けてーっ!」


 ドンガラガッシャンと机や椅子に足を取られながら。

 そんな二人の前に、今度は“教戒なき境界(メビウスクライン)八柳(やつなぎ)双葉(ふたは)が転がり込んできた。


 ポカポカを通り越してそろそろジメジメし始めたこの六月上旬に、それでも長でのマフラーを二枚も首に巻き付けている双葉は、神に祈るように両手を握りしめると、実際まるで神様のように牧奈を崇め奉る。


「お願いします! 今日提出の現代史のレポート、手伝ってください! どうかこの通り!」

「嫌」

「神様仏様デウス様ぁーっ!」


 牧奈が無慈悲に即答して脇を通り抜けようとすると、双葉はそのスカートをフン掴んで追いすがった。

 ちなみに現代史の担当教諭は、二年一組の担任でもある“氷の女(フリージング)水鳥(みずとり)吹雪(ふぶき)で――つまりそれは、双葉にとって今日が命日となるということと同義だ。

 翔太は心の中で十字を切ると、養豚場の豚を見送るような目で双葉を見下ろす。


「よりにもよって、なんでフリージングの宿題を忘れるかねえ」

「てっきり来週締め切りだと思ってたんだもーん! だから土日に頑張ればなんとかなるかなーってさぁ!」

「いや、そんな『誰も私のことを責められないでしょ?』みたいな顔で泣かれても」

「お願い、“電気羊の夢(デウスエクス)”! レポートを手伝ってくれたら私、何でもするからさぁ!」

「1万円」


 双葉がセリフを叫び終えると同時に、牧奈はズバッと言い切った。

 思わず呆けていた双葉は、そっと牧奈から手を放してその場に正座する。


「……えっ、お金取るの?」

「キミが得られるメリットとボクが負わされるリスクを考えば、十分な報酬だと思うけど」

「いやぁー、でも私、これでも一応苦学生っていう設定だから……」

「知ってる。そうじゃなければ5万円は要求してる。……命の対価だと思えば格安なんじゃないかな?」


 牧奈は無愛想な半眼のまま、興味薄そうに双葉を見下ろした。


 宿題を提出しなければ死が待っている。吹雪はレポートのコピーや改変、ネット情報の丸写しなど絶対に認めないし、バレた場合はパクリ元も同罪として容赦なく滅せられる。だから写すことは勿論、参考程度に読ませてくれる友達すら存在しないのだ。

 牧奈の主張はごもっともなのだが、いくつものバイトを掛け持ちし、その日のお小遣いにも事欠く双葉にとっては悪魔の囁きでしかなかった。

 でも、それでも“電気羊の夢(デウスエクス)”なら。

 電子の狂犬とか電脳の魔王とか機械語の暗殺者とか、果ては「なんかレベルを上げて二進数で殴って来るヤベェ奴」とか巷で呼ばれている、この人心を解さない真の天才であればもしかしたら!


 牧奈の巷での呼ばれ方が随分と不穏当であるという事実からは目を逸らしつつ、双葉は心の中でグッと拳を握りしめる。


「ぶ、分割払いでならなんとか!」

「ボクは信用販売(クレジット)はしない。今すぐ払えないなら他を当たって」

「せ、せめて月末の給料日が来てから!」

「一括即金。それ以外は認めない」

「おいこら、牧奈。もうその辺にしてやれ」


 冷淡に交渉を続けていた牧奈の一房髪を、翔太が嘆息しながらむんずと捕まえた。


「ひぇっ……しょ、翔太……?」

「まったく、おまえって奴は。クラスメイトからまでナチュラルに金を毟ろうとするな」

「……そんな……ボクは少しでも翔太の手伝いができればって思って」

「こんな手段で稼いだ金を貢いでもらっても嬉しかないよ。……八柳も、牧奈を頼るのはこれっきりだからな?」

「え、それって……」


 涙目でWINKを取り出して電子マネーの移譲を行おうとしていた双葉は、震える目で翔太と牧奈の顔を見比べた。

 翔太は促すように牧奈へ目を向け、納得のいってない表情の牧奈は、それでも仕方なさそうに肩を落とす。


「本当に今回だけだよ、ボクがロハで仕事するなんて」

「翔太様ぁーっ! デウス様ぁーっ!」


 ありがとうございます!と、双葉は大岡裁きを受けた領民のようにその場に平伏した。

 牧奈はそんな双葉を見下ろして眉をしかめ、その頭をよくやったと言わんばかりに翔太が撫でまわす。


「それじゃー私、お昼休みになったらデウスエクスのところに行くから、そのときに一緒にレポートを――」

「なんで? べつに今でもいいけど」


 ホッと胸を撫で下ろした双葉が時計を合わせようとすると、牧奈は瞬きしながらいつの間にか手にしていた自分のWINKを差し出した。そして言葉を遮られた双葉がキョトンとしているうちに、双葉の持つWINKにデータを送信する。

 ピピッと受信完了の通知が届き、同時に現代史のレポートが写真や図解入りでズラリと双葉のWINKに表示された。


「へ? え、ええぇーっ!?」

「これでこの仕事は終了だね。それじゃあボクは行くよ」


 驚愕しながら画面をスワイプしている双葉を尻目に、牧奈はスタスタと自分の席に辿り着き、机の上でリニアでの作業の続きを再開する。

 我に返った双葉はフラフラと立ち上がり、牧奈の半眼を眺めながら翔太の制服の袖をクイクイ引っ張った。


 「いったいどうやって」とか「いつの間に」とか、そんな疑問はいっぱいあるけれど。

 とりあえず最初にこれだけは伝えておきたい。


「……また今度、デウス様を頼ってもいーっスか?」

「だーめ」





/五木翔太とデウス様 完

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