表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

巫女子の一日

world:ハッピーエンド

stage:西暦2041年7月 鷹狩学園

personage:鳥井(とりい)巫女子(みここ)

image-bgm:RIGHT LIGHT RISE(分島花音)





 わずかな灯かりしか存在しない暗闇の中で。

 その巫女は、巨大で丸く半透明なグリーンスライムに包まれていた。


 母の胎内で眠るが如く体を丸めながら、巫女服姿の少女がプワプワゆらゆらと粘液の狭間で揺れる。

 おそらく肺までスライムが侵入しているのだろう。普通に呼吸をするかのように、少女の胸が小さく上下に動く様も確認できた。

 客観的には幼気な少女がスライムに捕食されているようにしか見えなかったが、彼女の顔は幸せそうに緩い笑みを浮かべている。


 場所はどこかの神社の拝殿であろうか。


 そこまで大きくないながらも吹き抜けの木造家屋で、無骨な柱が立ち並んでおり床も古びた板敷き。

 おそらく何十年とニス塗りと雑巾がけが繰り返されているのだろう。劣化し日に焼けながらも、独特の色合いと風味を醸し出していた。

 そして、その中央に件の巫女とスライムが鎮座しており、奥には本殿と思われる社が併設されている。


 しかし、小さな階段を見上げ両開きに開かれた扉の奥には、御神体のような物体は何も配されていなかった。


 注連縄が伝い、燈籠が灯され、壁代で囲まれ、神前幕が垂らされ。

 階段の下には供え物として小さいながらも豪勢なお膳が置かれ、御神酒も樽で重ねられていたが、肝心のスペースはがらんと空白のままで。


 ただ巫女とスライムだけが、異様な存在感を放って建物の中央を陣取っていた。


 そんな空間に、少しずつ外から光が射し込んでくる。

 それを待ちかねたように屋根の上から小鳥たちの歌声が聞こえ、外の林が騒めいてカラスが飛び立ち、軒下からはハトが顔を出す。


 そしてスライムに沈んだ巫女も、陽の光を感じて薄っすらとその目を開けた。


「……。……」


 巫女はパクパクとスライムの中で口を動かした。だが、粘液で満たされた肺では言葉になることはなく、微細にスライムを揺らすだけに留まる。


 巫女は丸めていた四肢に力を込め、背伸びの代わりのようにグリグリと腰を動かした。

 それから今度は気持ちよさそうに手足を伸ばすと、彼女の動きに合わせてスライムの境界部分もむにょんと伸縮する。


 完全に覚醒したのか、巫女はしっかりと目を開け粘膜越しに外の様子を覗き見た。

 そのまま水中で捻るように横回転して体の上下を入れ替えると、粘液の中で腕立てをするように腕に力を込める。


「――ぷはぁっ!!」


 とてもそんな硬度があるようには見えなかったが、巫女が腕を伸ばすと、それを支えるようにスライムは少女を体外へと押し出した。


 ざぶんと擬音を発しながら外界に顔を出した巫女――その名も見たまま鳥井(とりい)巫女子(みここ)は、大きく背中を逸らして肺に空気を取り入れる。


 服や肌に残った緑色の液体がドロドロヌルヌルと体を伝い、口からもダラダラと同様の粘液が溢れるが、巫女子は気にせず天井を仰ぎ。

 そしてビクンと体を震わせると、咳嗽反射のままに体内に残っていた粘液を一気に咳き込み吐き出した。


 ヨダレや涙を気にする暇もなくゲホゲホと苦しそうにしばらくムセ込んだ巫女子は、もう一度大きく息を吸い込むと、一転して満面の笑みでスライムを見下ろす。


「おはようございますです、土地神様♪」

「――! ――♪」


 その言葉を受けて、グリーンスライムはプルンプルンと愛嬌良さそうに体を震わせた。

 巫女子はまだ少し咳き込みながらも、湿った袖口で顔や口元を拭う。


「なんだか巫女子、とってもよく眠れました。えへへ、今日は夢の中でも土地神様に会えましたよ~」

「――Σ ――〃」

「ちょ、そんな照れないでくださいよ~。なんか巫女子まで恥ずかしくなっちゃうじゃないですか~」


 スライムは何も音を発しない。

 ただ揺れ方が横揺れから縦揺れに変わっただけだったが、巫女子はボッと顔を赤くして両手で頬を押さえた。

 それから「も~~♪」と怒っているようで逆に喜んだ声を上げると、まだぬかるんでいた両足を引き摺り出してスライムから滑り降りる。


「それじゃあ巫女子、沐浴して朝ご飯作ってきますね。土地神様はもっとのんびりしてていいですよ~」

「――q ――ゞ」

「はい、今朝はベーコンエッグに焼きシャケですね! 巫女子、了解しました♪」


 プルプルと震えるスライムに対して、巫女子はシャキンと敬礼しながら新妻のような返事を返した。





「ねーちゃんおはよー」


 リズム良い包丁の音と味噌汁の匂いが満ちた台所に、巫女子と顔の作りの似た少年が入って来た。

 きちんと学生服を着こなし髪も丈長で結わえている巫女子に対して、その少年はパジャマ姿のボサボサ頭で目元を擦っている。


 お新香のナスを刻んでいた巫女子は、エプロンを翻して振り返ると包丁の切っ先を実弟――鳥井稲荷(いなり)へ向けた。


「ちょっとイーくん、だらしないですよ。もうすぐ土地神様もいらっしゃるんですから、ちゃんと顔を洗って着替えて来なさいです」

「えー、食べてからでいいじゃーん。どうせ後で歯をみがくんだしさー」

「ダメです。そんな姿、土地神様に笑われちゃいますよ」

「土地神様だってときどき寝ぼけてバブルスライムになってるときあるじゃん」

「土地神様はいいんですよ。だって土地神様なんですから」


 巫女子が包丁を掲げて胸を張ると、稲荷はちぇーっと舌を鳴らしながら台所から出ていく。

 入れ替わりに、白衣(びゃくえ)に深緑色の袴を履いた二人の両親、鳥井狛犬(こまい)狐猫(きつねこ)がやって来た。


 父親の狛犬は、面倒臭そうに立ち去る稲荷の後姿を振り返りながら首を傾げる。


「いったいどうした。朝から姉弟喧嘩か?」

「イーくんがパジャマでご飯を食べようとしたから叱ってあげたです」


 包丁を置いた巫女子がプンプンしながらフライパンを火にかけると(今時IHですらない)、狛犬はガッハッハと愉快そうな笑い声を上げた。


「べつにいいじゃないか、パジャマでご飯ぐらい。あいつはまだ小学生だぞ」

「来年にはもう中学生です。それに、巫女子は幼稚園に入る前からしっかり着替えて食べてましたよ」

「それはおまえが土地神様に色目を使ってたからだろ?」


 などと答えながら狛犬は食卓に着き、狐猫もクスクス笑いながら緑茶を入れ始める。

 怒りと羞恥心で口元を歪めた巫女子は、お新香盛り合わせを載せた器を乱暴に食卓へ置く。


「お父さんがそんなんだからイーくんが真似しちゃうんです。腐っても宮司なんですからもっとシャンとしてください」

「そうは言っても、おまえが“御巫(みかんなぎ)”になっちゃったおかげで父さんもうお飾りの役職だしな~」

「それでもしきたりはしきたりです。お父さんが死んだらイーくんがこの神社を継ぐんですから、変な怠け癖つけちゃダメですよ」

「……娘に自分の死後の話をされるって結構キツイなぁ」


 ガックシと落ち込む狛犬を無視して、巫女子は熱くなったフライパンでベーコンを焼き始めた。


「お、今朝はサケだけじゃなくて目玉焼きもか。父さん、黄身は半熟にして欲しいな~」

「なに言ってるんですか。これは土地神様の分ですよ」

「え~。作る手間はそんなに変わらんだろ、父さんの分も焼いてくれよ~」

「ナスでも食ってろです」


 カリカリになったベーコンを一度皿に取り分けながら、巫女子は殺気の籠った目で狛犬を睨んだ。

 狛犬は引き攣った笑みを浮かべると、湯飲みを差し出してくれた狐猫に目を向ける。


「我が娘ながら、土地神様が絡むと冗談が通じないよな~」

「それだけ土地神様との仲が円満だということですよ。あなたもそろそろ娘離れしてくださいな」

「おまえまでそんなこと言うのか……」


 狛犬が肩身せまそうにお茶をすすり、パチパチと目玉焼きの焼ける音が鳴り響く。


 そうこうしているうちに、着替えを終えた稲荷が巨大なスライムと共に台所へと戻ってきた。

 いったい如何なる原理によるものか、スライムはスルスルと滑るように床板を進み、ちょっと狭めな入り口を形を変えながらすり抜ける。


「あ、土地神様♪ お待ちしていました~♪」


 巫女子は父親と話すときとは180度異なる猫撫で声を発しながら振り返った。

 そして、ほどよく半熟に焼けた玉子とベーコンを合体させると、お誕生日席に陣取ったスライムの前にその皿を差し出す。


「はい、土地神様の大好きな半熟黄身の目玉焼きですよ~。シャケも塩分ジャッリジャリの荒巻鮭です。ご飯も今すぐよそいますので♪」

「あ、巫女子、ついでに父さんの分も……」

「味噌汁の香りづけは岩海苔ととろろ昆布、どっちがいいですか~?」


 巫女子はもはや父の存在など認識もしていなかった。


 机に突っ伏した狛犬を放置して、狐猫と稲荷も朝食の準備を手伝う。

 その隙にスライムの体からニョキッと触手のように粘液が伸び、お新香のナスを一切れ掴んで体内に引き込んだ。それを目撃した稲荷は、「あーーっ!!」と大袈裟な声を上げる。


「土地神様ずっけぇ、一人で先につまみ食いしてるー!」

「――; ――人」(申し訳なさそうに波打つ)

「謝らなくていいんですよ、土地神様。どうぞ先に召しあがっててください♪ ……ほら、イーくんは早く魚を運んで!」

「ぶー、土地神様びいきだー」


 ころころと態度を変える姉に、稲荷は不満気に頬を膨らませる。

 顔を起こした狛犬とご飯茶碗を運ぶ狐猫は、そんな二人(+一神)を見つめて苦笑いを浮かべた。





 鷹狩学園において、巫女子は“巫女は主神を尻に敷き(ゴッデスゴッドデス)”と呼ばれている。


 その理由が次に描写する通りだ。


「いや~今日は良いお天気ですね、土地神様♪」

「――〇 ――b」(同意するように震えている)


 和やかに話している巫女子は、グリーンスライムの上に女の子座りで乗り上がっていた。


 スライムが祀られている“鳥井神社”から鷹狩学園へは、徒歩三十分の距離。

 学園を離れた北側に存在する小丘に建てられた神社からは、未来的な学園都市のビル群が壮大に見渡せる。


 参拝客らが自転車や乗用車を使用しているその道のりを、一人と一柱はポヨンポヨンと進んでいた。


 前述のようにスライムは謎の原理で地面を滑っており、己の弾性も手伝って動く度にかなり上下に揺れる。

 しかし巫女子は慣れた様子でバランスを取っていて、特に乗り物酔いに陥ることもなく、それこそスライムナイトのように土地神を乗りこなしていた。


 結わえた髪を左右に揺らしながら、巫女子はニコニコと股下のスライムに笑いかける。


「こんなに良い天気だとついついお昼寝したくなっちゃいますよね~」

「――σ ――d」(何かを促がすように跳ねている)

「えっ。学校に着くまでお昼寝だなんて、そんなの土地神様に失礼ですよ~」


 巫女子は恥ずかしそうに笑いながら、スライムの体を両手でバンバン叩いた。

 仮にも神を尻蹴にした上に叩きまくっておいて今更失礼も何もないような気がするが、とにかく巫女子は体を起こして進行方向を見つめる。


 ぽややんな見た目に反して、スライムの移動はそこそこ早い。さすがに車やバイクほどのスピードはないが、電動自転車をのんびり漕ぐ程度には速度が乗っていた。

 そこにサァッと初夏の風が通り過ぎ、巫女子は前髪を押さえながら目を細める。


「今年は梅雨が早く終わって良かったです。農家さんにはちょっぴり申し訳ないですが」

「――ω ――〃」(少し恥ずかしそうに体を揺する)

「……はい。……巫女子も土地神様とこうして一緒に登校できるのを、ずっと待ってました」


 そう答えて、巫女子はスライムを見下ろした。


 その表情はどう見ても恋人と見つめ合う恋する乙女のそれで。


 巫女子は両手をスライムに乗せて極端な前傾になると、そのまま赤ら顔をスライムの表面に近づけ――


『おや。こんなところで奇遇だね、お二人さん』


 そんななんだかHな雰囲気を吹き飛ばして、五メートルを優に超える白銀の龍がニョキッと後方から顔を出した。


 あまりにも予想外の呼びかけに、巫女子はビクン!と体を震わせ飛び上がりながら龍の方を振り返る。

 巫女子のクラスメイトである迷宮(まよいのみや)龍児(りゅうじ)は、二人と歩調を合わせるように高度と速度を落として飛行していた。


 ギョロギョロと瞬膜を動かして敬愛の表情を表現している龍児に、巫女子はあははっと必死に空笑いを浮かべて赤い頬を誤魔化す。


「お、おはようございますです、迷宮くん。朝からその姿で飛んでるなんて珍しいですね」

「――з ――?」(巫女子に同意するように弾んでいる)

『うむ、今日は久しぶりの快晴だからね。鱗干しがてら、自分の祠の様子を見に行っていたのだよ』


 龍児は巫女子の挙動に気づくことなく、巨大な顎を動かしながら見た目にそぐわない少年の声で答えた。

 そしてハッハッハッと爽やかに笑うと、当人は社交辞令的ジョークのつもりで会話を続ける。


『おっと失敬、もしかしたら二人の逢引きを邪魔してしまったかい?』

「そ、そんなことないですよ~。も~迷宮くんったら、朝からイヤらしいな~」

「――; ――×」(何かを誤魔化すように潰れている)

『ふふふ、すまんすまん。私だってたまには下世話な冗談を言いたくなるときも……ちょっと失礼』


 鬣の中からピピピピピッと電子音が鳴って、龍児は会話を中断した。ヒゲを器用に動かして鬣からWINKを取り出すと、もう一本のヒゲで通話ボタンをタッチする。


『もしもし。おはよう(わたる)、こんな朝からいったいどうしたんだい? ……晴れたから一緒に登校っ?! 無論だ、今すぐそちらに向かうぞ! 韋駄天よりも速く辿り着くから寮の前で待っているがいい!!』


 畳み掛けるように声を張り上げた龍児は、通話を切るが早いか巫女子たちに目配せした。

 巫女子は何を告げるでもなく、ただ愛想笑いを浮かべながら手を振り返すだけで。


 龍児はお辞儀代わりに顎を上下すると、一気に高度を揚げ、それこそ韋駄天のようにあっという間に学園へと飛び去っていった。


 残された巫女子とスライムは、気まずい沈黙と共にプルンプルンと振動していて。


「……学校、早く行くですか」

「――∵ ――∩」


 取り繕った巫女子の発言に、スライムは真顔で了承するように大きく一回体を跳ね上げた。





「……というわけで、御入り用の際は我が土地神様にぜひ帰依してください! 絶対に損はさせませんですよ!」

「なんかもう誘い文句が悪質なネズミ講の勧誘みたいになってるんですけど」


 お昼休みの二年一組。

 相席の遠宮(とおみや)美音(みおと)がトイレに離れた隙に巨大なグリーンスライムとその巫女に詰め寄られ、鳴無(おとなし)兄眞(あにま)は目を線にしてツッコミを入れた。

 巫女子は微塵も気にせず胸を張ると、隣のスライムを誇らしげに差し出す。


「悪質な勧誘だなんてとんでもない。当(やしろ)の土地神様は拝めば必ずご利益を下さると学園内でも大変評判なのです。おまけに低金利高利率で学生のお財布にも優しく、入会費も退会金も不要。今ならなんと土地神様の一部を瓶詰めにして無料プレゼントするという一大キャンペーンを実施中で、料理に洗濯に部屋のインテリアにとお役立ちになること間違いなしですよ」

「ああ、概要がますます混迷を深めていく……」


 というか、スライムの体液をどうやって料理と洗濯に活かせというのか。


「料理に混ぜれば魚介系のお出汁の代わりになりますし、洗濯機に入れればしつこい黄ばみや黒ずみをスッキリ落としてくれますよ?」

「思ってたより実用的な効能があるじゃん!?」


 むしろそれを切り売りした方が儲かるのでは?

 いやそれ以前に、自分が仕えている神様の体を商品にするのは、巫女として以前に人間としてどうなのか?


 兄眞が至極当然の疑問を浮かべる中で、巫女子はスライムに全身で抱きつき頬ずりして見せる。


「そこが土地神様のスゴイところなんですよ~。自らの信仰のためなら文字通り身を切る覚悟も辞さない。こんな身近で素晴らしい神様、他にどこを探しても見つかりませんよ~」

「――〃 ――′」(よせやい照れるじゃねぇかキリッと体を伸ばす)

「……っ」


 窓の外を白銀の龍が面白カッコよく飛んでいたり、兄眞のすぐ後ろで“神か(ブラック)悪魔か(アンドホワイト)”が気軽に天地創造(シヴィライゼーション)したりしていたのだが、兄眞は下唇を強く噛んでツッコミを堪えた。

 それに気づかない巫女子は、最終手段とばかりにあくどい笑顔で耳打ちしてくる。


「ここだけの話、うちの土地神様って恋愛成就にも超特効なんですよ~。どうです、美音ちゃんとの仲を進展させるためにもぜひ帰依されては?」

「……ここのところ俺と遠宮をくっ付けたい勢が暗躍してくるのはホント何なんだよ」

「ま~噂の発信源はだいたい言峰(ことみね)くんなんですけどね♪」

「あいつ、本気でフラグを捻じ切ってやろうか……!」


 兄眞は珍しく怒りを露わにすると、生まれて初めて己が“攻略順路(のうりょく)”を能動的に使ってやりたいという衝動に駆られた。

 冗談はさておきと咳払いした巫女子は、体を起こしてスライムへ手をかざす。


「困ったときの神頼みとも申しますし、そのときはどうぞ遠慮なく土地神様を頼ってくださいです。そのために当社は存在しているのですから」

「……」


 巫女子のセリフに、学園転入時に理事長から告げられた言葉を思い出して兄眞は沈黙した。

 それを無言の了承と捉えた巫女子は、満足気な笑みを浮かべながらポケットから親指サイズの小瓶を取り出す。


「どうぞ、これはお近づきの印です♪」

「これって……」


 それを受け取った兄眞がいったい何かと掲げてみれば、瓶の中にはすごく見慣れた緑色の粘液が封入されていて。


「なに、あんたら今度はアニマに布教してんの? いつもいつもご苦労なことね」


 ちょうどそのタイミングで、遠宮美音がハンカチで手を拭きながら教室に帰って来た。

 もはや見慣れた光景なのか、美音はやれやれと嘆息しつつも、それ以上口を挟むこともなく自分の席へ戻る。


「……飲み物とかにこっそり混ぜると効果テキメンですよ?」

「いや使わないよ?」


 もう一度耳打ちしてくる巫女子に即答しながらも、兄眞はその小瓶をこっそりポケットの中へと忍ばせていた。





 夜も更けた鳥井神社の薄暗い拝殿の中央。


 早朝と同じく御神体不在の本殿を前にして、スライムはぷよぷよと体を揺らしてしている。


 そんなスライムの前に、荘厳な巫女装束へと着替えた巫女子が姿を現わした。

 千早を羽織り裳を引き摺り、頭飾りを付けて両手に剣鈴と五色布を携えた巫女子は、入浴直後で火照り上気した顔でスライムに笑いかける。


「……ごめんなさい、土地神様。……おまたせしましたです」


 普段の快活な彼女と違って躊躇いながら、巫女子は伏し目がちに言葉を繋いでスライムへと近づいた。


 スライムは震えない。

 というかまるで巫女装束の巫女子に魅入っているかのように、硬化し硬直しきっていた。


 手を伸ばせば触れ合える距離にまで近づいてから、巫女子は耳まで赤く染まった顔で上目遣いにスライムを見つめる。


「……どうぞ、今日も巫女子のことを愛してくださいです」


 ボソボソと消え去りそうな声で呟きながら、巫女子はスライムに向かって首を垂れた。


 ブチッと大切な何かが千切れる音が聞こえて。

 スライムは津波が如く形を崩しながら、文字通り捕食するように食指を伸ばして巫女子へと飛び掛かった。


 剣鈴や頭飾りが転がり音を立て、邪魔な装飾もスライムの体液で即座に消化されて消えていく。


 そんな、一般人なら不定の狂気に陥ってもおかしくない状況の中でも巫女子は微笑を崩すことなく、無遠慮に体内へと侵入して来る粘液をあるがままに受け入れていた。

 どころかむしろ嬉しそうに口元を綻ばせながら、これから起こる出来事を期待して目を閉じる。


「ああ、土地神様……巫女子は本当に幸せ者です……」

「――! ――!」


 グジュルグジュルとおぞましい粘着音を響かせながら、グリーンスライムは自らと一体化させるように巫女子を飲み込み取り込んでいった。





 ◇ ◇ ◇





「ねぇ母さん」

「ん~? どしたの稲荷?」

「ねーちゃんたちが毎晩やってる“お勤め”って結局何のなの? “御巫”以外は御社に近づいちゃダメって、二人で何してんのかすっげー気になるんだけど」

「……あんたにゃまだ早いわよ」


 ピコピコと携帯ゲームで遊んでいる稲荷に、狐猫は煎餅をかじりながら冷たい返事を返した。





/巫女子の一日 完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ