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年下の男の子

world:ハッピーエンド

stage:西暦2041年6月 鷹狩学園

personage:葉月(はづき)梳子(すくね) 春元(はるもと)犬也(けんや)

image-bgm:高嶺の花子さん(back number)





 鷹狩学園の東側に位置する商業区画。


 区画の中心部に存在する、幹線道路のロータリーを兼ねた公園広場の中央に、その巨大な噴水は存在していた。

 噴水の周りには私服・制服問わず様々な学生らが行き交い、みな思い思いの笑顔を浮かべながら日曜日の朝を満喫している。


 そんな人ごみに紛れて、薄手のカーディガンにロングスカートを履いた長髪の女性が一人。

 大人しい色合いのハンドバッグを持ち直し、左手首に巻いたファッション代わりの腕時計をチラリと盗み見るその女性は、葉月(はづき)梳子(すくね)という名前だった。


 時計が指しているのは九時半より少し前で。

 さすがに早く来すぎてしまっただろうかと、梳子は目を閉じながら口元に笑みを浮かべる。


「あれ、梳子姉(すくねねえ)じゃん。やっほ~!」


 聴き慣れた声を耳にして、物思いに耽ろうとしていた梳子はまぶたを開いて顔を上げた。


 広場の向こうからは、彼が産まれたときから付き合いのある少年、五木(いつき)翔太(しょうた)が駆け寄って来るところで。ツナギ姿の翔太は直径10センチ長さ2メートルの真鍮製の丸棒を左肩に担いでおり、軍手付きの右手を梳子に向けてブンブン無邪気に振り回していた。

 梳子は翔太が自分の前に到着するのを待ってから、ニコニコと人当たりの良い笑顔を見せる。


「翔太くん、おはよう♪ こっちで会うなんて珍しいこともあるもんだね。こんなところでどうしたの?」

「ロボ研で使う材料が足りなくなっちゃって急遽買い出し係。こればっかりはさすがに学校の売店じゃ置いてなくてさ。ったく、うちのサークルは本当に人遣いが荒いんだから」


 ズシン!と地面を揺らしながら真鍮を突き立てた翔太は、のほほんとした笑顔で質問に答えた。

 人遣いが荒いどころか、本来その金属棒はウエイトリフティングの記録保持者でもなければ到底持ち運ぶことのできない重量があるのだが。翔太はそんな素振りなど微塵も見せず、そして実際の重量を想像すらしていない梳子も「それは大変だったね~♪」などと気楽な返事を返した。


 と、左肩をグルグル回してコリを解していた翔太は、あらためて梳子の恰好を見て疑問符を浮かべる。

 いつもは化粧以前に普段着にすら無頓着な現役女子大生だというのに、今日の梳子はどこに出しても恥ずかしくないほど“おめかし”が行き届いていた。

 さりげなく首から下げている指輪のネックレスに至っては、梳子がそんなものを所持していたことを今初めて知ったくらいである。


「梳子姉はどうしたの、日曜日にわざわざ学園まで来て。誰かと待ち合わせ?」

「ん~っと、まあそんなところなのです」


 顎に手を当てて一瞬言葉を選んだ梳子は、すぐに朗らかな笑顔に戻って小首を傾げて見せた。

 そんな梳子の態度がなおさら不自然さを加速させたが、かと言ってこれ以上はプライベートの領域だろうと翔太は疑問符を引っ込める。


「そうそう。サークルの手伝いが終わったら、今晩泊まりに行ってもいいかな」

「そんなの大歓迎に決まってるじゃない。どうしたの、そんなあらたまって」

「……今日は遊びに行けないって言ったら、牧奈(まきな)のやつがとんでもなくスネちゃって」


 早朝の恋人との電話やり取りを思い出したのか、翔太はガックリと肩を落としてボソボソの掠れ声で説明した。

 梳子はあらあらとわざとらしく目を見開くと、どこか楽しそうに笑いながら前屈みになって翔太の顔を覗き込む。


「ふぁいとふぁいと、ガンバレ男の子♪」

「まあ確かに、これは俺がやんなきゃいけないことだけどさ」

「うんうん。それじゃあ本日の晩御飯は、奮発して翔太くんが大好きなペンギンの唐揚げを作ってあげましょ~♪」

「いや、俺も牧奈もそこまでペンギンが好きなわけじゃねぇよ? ……でもサンキュー、梳子姉」


 翔太は真鍮を担ぎ直すと、「それじゃあまた後で」と手を振りながら校舎のある中央区に向かって駆けて行った。

 その後姿を見送りながら、梳子は両手を背中に回して嬉しそうに微笑む。


 不意に、爽やかなビル風が横に吹いて流れた。

 髪やスカートが静かに揺れて、梳子は反射的にそれらを抑えながら風が来る方角へ目を向ける。


「……あら?」


 そこで初めて、自分のすぐ隣に小柄な少年が立っていることに気がついた。


 直前まで大柄で体格の良い翔太を見ていたこともあるが、それにしてもその少年は背が低く、端的に言って幼い外見をしていた。

 パッと見でまだ中学生。過分に見積もってもせいぜい今春進級したばかりのピカピカの高校一年生といったところか。ジーンズに合皮のジャケットを羽織った姿が、むしろ子供っぽさを加速させている。

 その少年、春元(はるもと)犬也(けんや)は、梳子の顔をジッと見上げながら、でも何もしゃべらずにぐっと口元をしかめていた。


 自分より頭ひとつ以上小さい犬也に対して、梳子は落ち着いて振り返ると小動物に語りかけるように上体を倒し、目線を合わせながらニコニコ微笑む。


「おはよう、春元くん。今日は良い天気になって良かったね」

「……おはよう、先輩」


 犬也は梳子から軽く視線を逸らすと、歯切れ悪く挨拶を返した。

 そんな態度に違和感を覚えはしたものの、梳子はあまり深く考えずに姿勢を戻す。


「ずいぶんと早いご到着だね。待ち合わせまでまだ三十分はあるよ?」

「それはその……先輩だって先に来てるじゃないですか」

「へっへっへ~。私はついつい待ち遠しくって、ちょっと早い電車に乗っちゃいました」

「……」


 照れ笑いを浮かべながら、それでも馬鹿正直に告白してしまう梳子の大人な対応に、犬也は余計に恥ずかしさと自己嫌悪を覚えて言葉を濁した。

 梳子は犬也の内心を見透かすように目を細めると、その隣に素早く回り込んで二人の腕を絡め合う。


「ほらほら。せっかく早く会えたんだから、その分いっぱい“初デート”を満喫しようよ♪」

「あ、あの先輩っ!」

「ん?」


 強引に犬也を引っ張って行こうとしたところで呼び止められて、梳子は顔を戻して首を傾げた。

 若干赤ら顔の犬也は、それでも少し憮然とした表情を作りながらパクパク口を開閉し、


「……なんでもないです」


 最後には拗ねた子犬のように視線を逸らした。





 ◇ ◇ ◇





 時は巻き戻って三月下旬。


 無事に中等部を卒業して高等部へ進学を決めていた犬也は、一足先に校舎を確認しておこうと、春休みを利用して高校を訪れていた。

 ときどき部活の生徒や清掃員が通り過ぎるだけで物静かな校内。省エネのためか照明もかなり薄暗く設定されており、余計に静寂が犬也の周囲を包み込んでいた。

 ブカブカで真新しい制服に袖を通した犬也は、中等部と同じようでまったく違う建物の作りに感心しながらゆっくりと歩を進める。


 特に何事もなく校舎を一周し、それではそろそろ帰ろうかという段になって。階段に差し掛かった犬也の目の前に、地味なワンピース姿の女性が昇ってくるのが見えた。

 女性は巨大なダンボール箱を腕いっぱいに抱えており、えいこらしょっと声を出しながら一段一段慎重に階段を上っている。


 高等部の女教師だろうか?

 犬也は女性に道を譲りながらそんなことを考えていた。女性は通りすがりに犬也へ会釈を返すと、階段を折り返しさらに上の階を目指して歩を進める。


 あんな大荷物を持って、足を踏み外したら危ないどころ騒ぎではないぞ。

 などと心の中で無意味な警告を放ちながら、犬也は女性の背中から目を離して階段の降り口へ足を向ける。


「ひゃやや?!」


 そんな犬也の頭上から女性の悲鳴が響いた。

 ビクッと体を震わせ顔を上げると、件の女性が階段を踏み外し、そのまま足首を捻って後ろに向かってバランスを崩すところで。


「――っ!!」


 荷物のせいで手すりにも掴まれずに重力に囚われ始めた女性に向かって、犬也は無心で駆け出し両腕でその背中を押し留めた。

 だがしかし、女性とダンボール箱の重量を抑え込むにためには、筋力も体格も何もかもが足りておらず。

 女性の体は一瞬空中に静止しただけで、すぐに二人まとめて仰け反り階段の踊り場まで落下する。


「きゃあ!?」

「ぐえぇ!?」


 女性のお尻に胸部を激しく踏みつぶされる形で、犬也は床へと叩きつけられた。

 放り投げられたダンボール箱が頭上を掠め、廊下中に中身の書類の束をばらまいてしまったのは、むしろ不幸中の幸いと言って良いだろう。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?!」


 犬也の体がクッションになってほとんどダメージを受けなかった女性は、慌てて腰を上げて犬也に寄り添う。しかし、犬也はそれに答えるどころかろくなリアクションを返すこともできず、ただ胸を押さえて床の上で悶え続けていた。

 女性は犬也のダメージの深さを察したのか、数秒だけ右往左往してから、キッと表情を引き締めると犬也の体をお姫様抱っこする。

 犬也も小柄とはいえそこまで軽い方ではなかったが、そこは火事場の何とやら。女性は男らしく仁王立ちして前を見据えると、ダンボール箱を蹴飛ばしながら薄暗い廊下を一直線に走り出した。


 廊下を駆け抜け階段を飛び下り、隣の棟の二階までたどり着くと、『保健室』と書かれた引き戸を体当たりするような勢いで強引に蹴り開ける。


「お邪魔します、急患です!」


 保健室のデスクでは、ヨレヨレの白衣をだらしなく着崩したボサボサ髪の女性、“病院知らず(レッドクイーン)病院(びょういん)縫華(ほうか)が座っていて。

 『禁酒・禁煙』と書かれたプレートの下で缶ビールを開け煙草を吹かしていた縫華は、無気力な目を瞬かせながら女性に視線を向ける。


「なんだ葉月姉か。どうした、妹たちなら今日は来ていないぞ」

「だから急患なんですってば。ちょっと診察台をお借りしますよ」


 女性は煩わしそうに言葉を返すと、脇のプライベートカーテンを開けて置かれていたベッドに犬也を寝かせた。

 そして制服のネクタイを緩めてシャツのボタンを外しながら、今度はベッドの脇に備え付けの基盤のボタンを片っ端から立ち上げていく。


「おいおい、資格もないのに勝手に弄るなよなー。養護教諭だったらここにいるんだからさぁ」

「先生に任せたらノリでサイボーグ化手術とか始めちゃうじゃないですか。いいから、そっちで大人しくお酒でも飲んでてください」


 なにそれ怖い。

 意識が朦朧としながらも、犬也は二人のやり取りに無言のツッコミを入れた。

 まだまだちゃんと声を出せるような状態ではなかったが、痛みと呼吸の方は何とか落ち着いてきたようである。


「スキャン結果は……骨は折れてないのかな? 打ち身が少々。内臓に損傷らしい損傷もないし、脳出血の判定も出てない」


 脇のモニタ画面に映る情報を流し読みしながら、女性はとりあえずホッと胸を撫で下ろした。そのまま薬品棚に向かうと、救急箱から痛み止めの湿布を何枚か取り出す。

 犬也はヨロヨロと体を起こすと、開かれていたシャツのボタンを閉め始める。


「……あの……僕ならもう大丈夫ですから」

「すとっぷらいてぃんぐ! 後から異常が出てくるかもしれないんだから、もうちょっとゆっくり寝ててください!」


 最初の英語の意味は何一つ分からなかったが、それでも女性は犬也の動きをピシャリと遮って見せた。起きかけた体も強引にベッドに押し付け、無慈悲に制服の前をはだけて湿布を貼り付ける。


「こんなことになっちゃって本当にごめんね。キミのおかげで私は怪我しないで済んだよ、ありがとう」

「気にしないでください。僕が勝手に先生のところに飛び込んだだけですから」

「……先生?」


 湿布を貼る手を止めて、女性はパチパチ瞬きしながら犬也の顔を覗き込んだ。

 何か悪いことでも言っただろうかと犬也は戸惑い、カーテンの向こうでは縫華がビールを噴き出しながら大笑いを始める。


「あははははっ! 葉月姉が先生だって? こりゃ傑作だ、あははははっ!」

「先生は笑いすぎです! ……そうだよね、今日は私服だったしね」


 女性は物悲しそうに眉をしかめると、胸元からWINKを取り出して犬也に画面をかざす。

 画面には学生証が写されていて。そこには女性の顔写真と一緒に『最高等部一年』の文字が記入されていた。


「私の名前は葉月梳子。この前高等部を卒業したばかりの、大学生一年生です」

「え、先輩? ……あっ、ごめんなさい。僕、今すごく失礼なことを言っちゃったかも」

「気にしなくっていいよ。友達からも良く『梳子ってなんか熟れた肉体してるよね』とか言われてるから」


 女性――梳子は遠い目で一昨日の方角を見つめると、自嘲気味に口元を歪めながら影を落とした。


(……それはたぶん老け顔という意味じゃなくて、そのサキュバスじみたワガママボディに向けられた賛美の言葉なんだろうけどなぁ)


 縫華は裏でそんなことを考えていたが、なんか面白い展開になりそうなので黙ることにした。

 実は脱ぐとメチャクチャ凄いタイプの梳子は、気を取り直して湿布を貼り終えると、シャツのボタンを留めてあげながら犬也に視線を戻す。


「キミは今度の入学生? 学校見学してたところだったのかな」

「あ、はい。学校が始まる前にどんな場所なのか見ておこうと思いまして」

「うんうん、やる気に満ち満ちてて関心関心♪」


 梳子は人当たりの良い笑みを浮かべながら何度も頷く。


 失礼なのは重々承知しているのだが、そんな保母さんのような優しい反応が、やっぱり教師のソレとしてしか犬也の目には映らなかった。

 犬也の内心に気づかないまま、梳子はそうだ!と体を起こして手を合わせる。


「なんだったらこれから私が高校内を案内してあげよっか。隠れ人気スポットとか、学食までのショートカットとか、色々なことを教えてあげられると思うんだ」

「え、そんなのいいですよ。わざわざそこまでしてもらわなくても……」

「すとっぷらいてぃんぐ! これも痛い思いさせちゃったお詫びだから。センパイ、お昼ごはんぐらいならおごっちゃうぞ~?」


 犬也の拒絶を強引な英語でねじ伏せると、梳子はニコニコしながら話を進めてしまう。


「そうと決まればちょっと待っててね? 先生からの頼まれ事を先に片づけて来ちゃうから――」


 そう言って踵を返した梳子は、ふと自分の手元を見下ろして空の両手をワキワキと動かした。そしてポカンと中空を見上げ、事の次第を思い出して大きく目を見開く。


「あああぁぁーっ!! 頼まれてた資料、廊下に投げっぱなしだったぁーっ!?」


 大人っぽさの欠片もなく、急にわたわたと動揺しだした梳子はところどころズッコケながら出口の扉に駆け寄った。

 そのまま外に飛び出そうとしたところで、念を押すように犬也の方へと振り返る。


「すぐに戻るから! 本当にすぐに帰って来るから! それまでキミはゆっくり休んでて! 約束だからねー!」


 ドップラー気味に語尾を落としながら、梳子はバタバタと賑やかに保健室から去っていった。

 取り残された犬也はどうしたものかと体を起こし、そこに煙草を吹かした縫華が入って来る。


「愉快な女だろ。あいつは一見しっかり者のように見えて、あれでなかなか重度のドジっ子なのさ」

「なるほど、わかります」


 面白おかしそうに頬を歪めている縫華に、犬也は至極合点がいった表情で頷き返した。





 ◇ ◇ ◇





 それから互いのアドレスを交換し、ちょくちょく二人で食事や放課を共にして。

 一大決心した犬也が梳子に告白を行うまでに、三ヵ月と時間を要さなかった。


 そうして迎えた初デートだったというのに。

 ウィンドウショッピングを終えても、その後に入った喫茶店でも、ついでに寄り道したアミューズメントパークでも。犬也の表情はどこか不機嫌に曇ったままで、心ここにあらずといった状態が一日中続いていた。


 梳子もその様子に気づいてはいたのだが、何が原因なのか思い当たる節がまったくない。

 昨夜確認の電話をしたときも、犬也は顔を真っ赤にしながら嬉し恥ずかしに今日のデートが楽しみだと話していたのだけれども。


 そうこうしているうちに、いつの間にか時刻は午後三時すぎ。

 そろそろ地元に帰って買い出しをしないと、夕食の準備が間に合わなくなる時間だ。


 困り顔で先を歩いていた梳子は、後ろ髪を引かれる想いで犬也の方に振り返る。


「ごめんね、春元くん。妹にご飯を作ってあげなきゃいけないから、私そろそろ帰らないと」

「……」

「今日はありがとね。すっごく楽しかったよ」


 そう言って梳子が笑いかけても、犬也は硬い表情を崩さなかった。

 むしろもっと表情が暗くなってしまったように思えて、梳子は気まずい雰囲気に言葉を失ってしまう。


「……僕も、行っちゃダメですか?」

「え?」

「僕も先輩の家に遊びに行っちゃ、ダメですか?」


 犬也は梳子から視線を逸らしながら、消えてしまいそうな声で呟いた。

 梳子は最初言われている言葉の意味が分からなくて瞬きするだけだったが、それを理解すると思わず眉をしかめて苦笑する。


「私の家なんかに来たって面白くないよ? だいたい、行くだけで片道一時間以上かかっちゃうんだから」

「……」

「それに家族はみんな無愛想でさ。妹も母親も二人して仏頂面だし毒舌だし、春元くんに何か失礼なことしちゃうかも」

「……僕じゃダメなの?」


 犬也の闇がさらに一層深まったのを感じて、何か地雷を踏んでしまったかと梳子は苦笑した顔を凍らせた。

 しかしこのまま黙り込むわけにもいかず、何か起死回生の一手はないかととにかく話を繋げる。


「ダメなんてことはまったくないんだけど。ほら、せめて春元くんがもうちょっと大人になって、“朝帰り”できるくらいになってからの方がいいんじゃないかなーって」

「僕がまだ子供だからダメなの?」

「えっと。そういうわけじゃないと言うべきか、むしろズバリその通りと言っちゃうべきか……」


 もう何を口にしても逆効果にしかならない気がし始めて、梳子は四面楚歌の境地で自分でも訳の分からない言い訳を続けていた。

 そしてふと犬也に顔を戻すと。


 深く俯いた犬也が激しく両肩を震わせ、大粒の涙をボロボロとこぼし始めていた。


 梳子はギョッと飛び上がると、ハンカチを取り出して犬也の顔を覗き込む。


「どうしたの、春元くん?! 私ってば、そんなに泣くほどヒドイこと言っちゃってたかな!?」

「……僕はまだ背も低いし子供っぽいかもしれないけどさ。……あいつみたいに体がガッチリしてるわけでもないけどさ。……でもだったら、こんな希望持たせることしないでくれよぉ!」

「……えっと……えっと……はい?」


 犬也の言わんとしていることがあまりにも理解不能すぎて、梳子は日常では決して見られないようなレアな表情で首を傾げた。

 そうしている間にも犬也は嗚咽を漏らし、自分の手で涙を拭いながら慟哭する。周囲の視線が一気に二人へと集まるが、そんなものを気にしている暇はなかった。


 こういうときこそ、焦らず5W1Hの基本に帰るのだ。


 梳子の専攻は理数系だったが、だからこそ論文をまとめるのにこの大原則が必要なのだと、ゼミの教授に叩き込まれていた。

 梳子は犬也の肩に手を置いて深呼吸すると、思考をクリアに戻してその目を見据える。


「ねえ、春元くん。先に聞いておきたいんだけど、“あいつ”って誰のこと?」

「僕と会う前に話してた男のことだよぉ!」


 犬也は捨て鉢のように叫んで泣いた。


 犬也と会う前に話していた男。

 おそらくは昨夜から今朝にかけて自分が出会った男。

 そして犬也がここまで取り乱してしまう原因となるような男。


「――あっ」


 梳子の脳内で、今朝の出来事と現在の状況に至るまでの伏線が完璧に合致した。


 困惑の表情をいつもの余裕のある笑みに戻した梳子は、いまだ泣きじゃくっている犬也の体を引き寄せる。そして周りも気にせず力いっぱい抱擁すると、その額へおまじないでもかけるように柔らかく唇を当てた。

 思わず泣くのを忘れた犬也は赤い目を見上げ、梳子はそんな犬也を優しく見下ろす。


「へっへっへ~、泣いたカラスがもう笑っちゃったね♪」

「な、なんだよ。こんなことで誤魔化さなくたって、先輩にその気がないのなら僕はもう……」

「うんうん。そもそも誤魔化す必要なんてこれっぽっちもないからねぇ」

「へ?」

「キミが誤解している男の子、“五木翔太くん”って言うんだけど。あの子、私の家の近所に住んでる幼馴染みなんだ」


 ぽかんと口を開けて犬也が固まった。しかしそれでもかぶりを振ると、騙されないぞと精一杯の虚勢を張る。


「でも、今晩泊まりに行くとか言ってたじゃないか! ご飯を作るとか……あいつの好物を作るとか言ってたの、聞いたんだからな!」


 そして、翔太がボソボソと小声で呟いていた「牧奈のご機嫌取りをしなければ」という一文は聞き逃してしまったのだろう。

 梳子はクスクスと笑い声を漏らすと、そんな犬也を慈しむように優しく頬ずりする。


「翔太くんはねぇ、今は私の妹の彼氏さんなの」

「……ぇ」

「妹の、彼氏さん」

「……。……。……。……っ!?」


 脳内回路が連結した途端、犬也の全身が赤く染まった。まったく逆の意味で泣きそうになりながら、犬也は大慌てで梳子から逃げ出そうとする。

 だがしかし、事前にしっかりと犬也を抱き締めていた梳子は一切の抵抗を許さなかった。犬也は声にならない悲鳴を上げて力の限り梳子の体を押し返すが、圧倒的な体格差から繰り出されるベアハッグに耐え切れず、とうとう精根尽き果て脱力してしまう。


「……先輩、すみませんでした。……僕って奴は本当に、なんてお子様なんだろう」


 崖に追い詰められ観念した犯人の口調で呟くと、犬也は梳子の視線から隠れるようにその胸へ顔を埋めた。

 拘束の手を緩めた梳子は、そんな犬也を見下ろして嬉しそうに目を細める。


「そんなことないよ。今日は本当にありがとね」

「……え?」

「私なんかにヤキモチを妬いてくれて、本当にありがとう♪」


 梳子は満面の笑みを浮かべると、呆ける犬也の唇に先ほどよりも強くしっかりと口づけを交わした。





 ◇ ◇ ◇





 ――その胸元では、小さな指輪のネックレスが銀色の輝きを放っていて。





 ◇ ◇ ◇





 五木翔太が葉月家の玄関を開けると、目の前に葉月牧奈が仁王立ちしていた。


 いったいどうしたことかと翔太が瞬きしていると、牧奈はシッと唇に人差し指を当てて翔太を手招きする。

 首を傾げる間に案内されたのは、普段と変わりないリビングで。台所では梳子がパチパチ音を立てる油鍋と格闘していた。


「……牧奈?」

「なんか姉さんがさっきから気持ち悪いんだ」

「梳子姉が?」


 もう一度台所の梳子の姿を確認するが、鼻歌を歌いながら菜箸で唐揚げを取り出していること以外、特に不審な点は見られなかった。

 牧奈が言わんとしていることが理解できず、翔太は再度視線を牧奈に向ける。


「べつにいつもと変わりないように見えるんですけど」

「いーや、絶対変だ。姉さんが鼻歌歌ってるところなんて、ボクは今まで一度として見た覚えがない」


 普段ツッケンドンな受け答えばかりしているが、これはこれで実姉のことをしっかりと“視て”いる、家族想いな半眼娘なのだ。

 梳子の話よりも、そんな牧奈の発言の方が嬉しくて、翔太は思わず顔を綻ばせる。


「……もういいっ」


 翔太の心の内を察したのか、牧奈は顔を赤らめながら階段を上って自室に向かった。

 いけないけないと舌を出しつつ、ここに来た本来の目的を思い出した翔太は、牧奈を追いかけ階段に足を向ける。


 その前に一応もう一度だけ梳子を覗き見たが、なにやら幸せそうに思い出し笑いをしていること以外、これといって不審な点は見当たらなかった。





「ねえねえ。春元くん、休みの間に何かあったの?」


 月曜日を迎えた高等部一年の教室で。

 転校一週間にしてすっかりクラスに馴染みきっていた“攻略経路(フラグキュレーター)鳴無(おとなし)歩眞(あるま)は、視界の隅に映る男子へ親指を向けながら近くの学友に問いかけた。

 問われた“公然の機密(イーブルイーター)英詩(えいし)(みつ)は無言で肩を竦め、代わりに隣の“絶対栄和(ハンドレッドデス)東間原(あずまはら)咲紗(さきさ)へ視線を投げる。咲紗も咲紗で首を振ると、三人は仲良く憐みの瞳で歩眞が指した男子に焦点を合わせた。


「……えへへ」


 三人から数メートル離れた距離。

 窓辺の机に座っていた春元犬也は、頬杖を突きながらだらしない笑みを浮かべており。

 ときどきその口元に人差し指を当てては、より一層気持ち悪く笑っていた。


「よし、咲紗。あんたの読心術を有効活用する時間よ」

「意味が分からない」

「フフフ、お賢いお妹様にお難しいお願いをしたようね。ならばアルマ、あんたが視て来なさい」

「嫌よ、きっとろくでもないフラグが乱立してるに決まってるもん。っていうか自分で調べればいいじゃない。ミツってそういうスニーキングミッションが得意なんでしょ?」

「絶対にノゥ!!!」


「……梳子先輩……うぇへへへ~」


 少女三人が不毛な能力の押し付け合いをしているのを遠くに、犬也はなにやら幸せそうな思い出し笑いを継続し続けていた。





/年下の男の子 完

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