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放送局より愛を込めて

放送局より愛を込めて 〜 Testamentary letter 〜

作者: かなこ

 私、空木うつぎこずえと九流川くるがわ雅貴先輩は、浅間高校に通う放送局員の先輩後輩で、いわゆるお付き合いをしている間柄だ。

 確か九流川先輩の方から告白されて、嫌いな部分がなかったという消極的な理由でOKした。

 九流川先輩は、頭も顔も良い上に交友関係も広く、私なんかのどこがよかったのか全然わからない。

 おそらくだけど、一人暮らしのくせに全く生活力のない九流川先輩からしたら、家事が得意な私が特別な能力を持っているようにでも見えたのだろう。

 全国模擬試験のいくつかで1位をここ2年ほどキープするような人間の価値観は、私のような凡人にはわからない。

 だからと言って「私のどこが好き?」だなんて恥ずかしいセリフは、死んでも口にできない。

 本心をうやむやにしたまま、一応彼氏彼女の関係である私達は、本日デートとやらに来ていた。

 九流川先輩が私の読書好きを知っていて「古本市やってるらしいぞ」と誘ってくれたからだった。



 古本市はデパートの催事場で行われていた。

 ワゴンに滅茶苦茶にぶちまけられた本もあれば、きっちりガラスケースに入ってる本もある。

 古い本もあれば最近の新刊も出回っており、マンガから学術書までジャンルに至っては説明するのも難しいほど雑多だ。

「あ、『紅楼夢』の原書ですよ、すごい。うわ、こっちは『春と修羅』の初版! 本物でしょうか……」

「相変わらず渋い趣味だな、こずえ」

「そういう九流川先輩だって、手にしてるの何ですか」

「『この人を見よ』。ニーチェって知らねぇ?」

「知ってます、詩人でしょう。高尚な趣味ですね」

「人の事言えねぇだろうが」

 あれこれ言い合いながら、私達は長時間かけて数冊の本を選んだ。こう見えて九流川先輩も結構な読書量を誇る。「わずかな金銭で動かずに知識を得られる」と言っていたのが、ものぐさな先輩らしい。

 相変わらず九流川先輩の読むジャンルは幅広い。と言うよりでたらめだ。難しい本があるかと思えば絵本や写真集まで購入している。

 自分の買った本も確認したかったけど、お互いが手に入れた本も気になって、私達は小さなコーヒーショップに入った。

「わ、スタンダールを買ったんですか、先輩」

「一度読んでみたかったんだよ、『恋愛論』。そういうこずえは『ドン・カルロス』と『アンリ3世とその宮廷』か。例の盗作問題か?」

「先輩も知ってたんですね。“征服し、併合した”と言う内容を知りたくて」

 そんな会話をしながら、私は最後の本を手にした。

「これは何となく買っちゃったんですど、全国にある神社について、場所や神様を説明してる……」

 本を広げた拍子に、何かが落ちた。

 拾い上げると、それは封筒だった。きっちり封がしてあって、中に折った紙が入っているのがわかった。

「……手紙? あ、宛名が書いてあります」

 母上様。達筆な文字でそう書いてあった。

「見せてみろよ」

 九流川先輩は私から封筒を受け取ると、透かしたり封を確認したりしてから返してくれた。

「紙幣じゃねぇな。開封してみるか?」

「宛先があるなら勝手に見る訳にいかないでしょう」

 九流川先輩がほんの少し笑って本の方を見たので、その神社の本を手渡すと、先輩は内容に構わず巻末をめくった。

「やっぱりな。あの古本市は、いくつかの古本屋が合同でやってるんだ」

「それが?」

「レジで巻末の半券を切り取ってただろ」

 そう言えばそんな事をしていた。本の巻末にミシン目の入った紙が貼り付けてあって、会計を済ませた時にそれをちぎっていた。そこには書名と金額が入っていたように思う。

「書店ごとに後でそれをまとめて、売り上げはそこから分けるんだと思う」

「仕組みはわかりましたけど、それが何なんですか?」

「半券には書店名も入ってる」

 そこまで聞いてやっとわかった。

 書店をたどって、そこからこの本を売った人間を捜そうと言う事だろう。

「……できるでしょうか、そんな事」

「やってみないとわからねぇだろ?」

 いたずらっぽく笑う九流川先輩の視線に気押されて、私は手紙の宛先を捜す事を承諾した。



 催事場に戻って事情を話し、開催側が預かると言うのを九流川先輩が断って、書店名と住所を教えてもらった。

 そうしてたどり着いたのは、どんなにたくさんの語彙を駆使したとしてもほめる事は叶わず、代わりに貧相な知識しかなくともぴったりの言葉で表現できそうな古本屋だった。

 つまり、吹けば飛ぶようなオンボロ古本屋だったのだ。

 躊躇せずに入ってゆく九流川先輩に恐る恐る続くと、店内はコンクリートがむき出しになった床にささくれだった板が何枚も渡され、その上に年代物の本棚が喉元まで本を詰め込まれていた。

 高い本棚の上には横倒しになった本がこちらを見下ろしており、いくつも並んで床に積まれた段ボールの一番上だけが、半ば投げやり気味にフタを開けて中身を見せている。

 古本特有のホコリっぽい匂いが鼻につく。店内は随分と薄暗かった。

「すみません、お伺いしたい事があるのですが」

 九流川先輩の声に顔を上げた店主は、年の頃なら60を少し越えたあたりだろうか。頭頂部は地肌が見えるほど髪が薄い。

「あんた方みたいな若い人が好むような本は、うちにはないよ」

「本を捜しに来た訳じゃありません。こちらの本の出所についてお伺いしたい事があります」

 九流川先輩がそう言って私を見たので、私は『日本の神社の所在と神様のすべて 全国編』の本を差し出した。

「本当にうちの本?」

「今デパートでやってる古本市で買って来たんです」

 店主はぱらぱらと本をめくった。

「この本が何か?」

「問題はこの本じゃなくて、これに挟まっていた手紙です。誰から買い上げたかわかりませんか」

 九流川先輩の説明する横から、私はさっきの手紙を店主に見せた。

 その途端、店主の顔色が変わった。

「……兄の字だ。その本は兄の本だったかもしれん」

「お兄さんのですか? では、この手紙の文字は店主さんのお兄さんのものですか?」

 私が尋ねると、店主はしばらく黙り込んだ後、使い込んでツヤの出た木製の椅子から立ち上がった。

「今日はもう店じまいにするから、奥へいらっしゃい」




 九流川先輩に続いて奥へ進むと、すぐに狭い和室へ出た。

 まだボックス形態じゃなかった頃の煙草のパッケージをたくさん集めて作った人形や、陽に褪せて古ぼけた張り子の虎、煙草の焦げ目のたくさんついたちゃぶ台が目に飛び込んで来る。

 茶渋のこびり着いた湯飲みと注ぎ口の欠けた急須、ひびの入った湯冷まし、変色した湯こぼし、電気を使わない保温用の大きなポット。

 古い映画を見るような気分で、私は促されるまま毛羽立った畳に敷かれた擦り切れそうな座布団の上に腰を下ろした。

 差し出された濃い緑茶を一口すすると、九流川先輩は店主におもむろに切り出した。

「もういないのですね、その手紙の宛名の人は」

「いない。もうとっくの昔にいない」

 店主はくしゃくしゃになった箱から煙草を1本抜いた。

「母は疎開先で死んだ。兄は、まぁ、多分その前に死んだ」

「多分?」

「戦争だよ。遺骨の一部が戻って来たのは戦争が終わってからだがね」

 吐かれた煙は、ちょっとびっくりするくらい3次元的に漂った。

「できた兄だったよ。親孝行者でね。俺と違って出来がよかったから、海軍なんかに徴兵されて、そのまんまだ」

 戦争と言うものの意味を知識としてしか知らない私には、店主にかける言葉など捜し出せなかった。

「出兵する前日に、大事にしてた硯やら文鎮やらをくれてね。大事に使った記憶がある」

 しかし、と言って、店主は長くなった煙草の灰を灰皿へ弾いた。

「あれだけ捜して見つからなかった遺書が、こんな時期にこんな所から見つかるなんてな」

「時期的に何か問題でも?」

「母の命日なんだよ、明日が。まぁ、とっくに弔い上げも済んでるんだがね」

 続きになっている隣の部屋は仏間のようで、薄暗い気配の奥に仏壇が見えた。

 何だかすごく不吉な気がしたけど、すぐにその思考を振り払った。余所様のお仏壇が不吉だなんて失礼だろう。

 店主が奇妙に顔をゆがめた。笑ったのだとわかるのに少しかかった。

「手紙の中身を確認させてもらっていいだろうか」

 言われて慌てて手紙を差し出そうとした私を、九流川先輩がやんわりと制した。

「失礼ですが、この手紙がそちらのお兄さんのものだと言う証拠を見せて戴けませんか」

 ちょっとびっくりして、私は九流川先輩を見上げた。そういえば、この人が嘘をついている可能性がないとは言い切れない。嘘を付く理由があるとも思えないけど。

 店主はまたちょっと顔をゆがませて笑うと、一旦仏間へと姿を消し、手に薄汚れた色紙のようなものを持って戻って来た。

「これは、兄の出立前の句だ」

 差し出された色紙には、手紙の宛名と同じくらい達筆な文字で短歌が綴ってあった。


 めぐり逢ふ 寂のおはりに 天命の 想ひ包みし 風のうたごゑ


 上手いか下手か以前に意味が判らない。判らないけど、辞世の句だと言う気がした。

「色紙の左下に兄の名前があるだろう。手紙を開けて、署名と比べてごらん」

「開けてしまっても?」

 黙って頷く店主に目礼して、九流川先輩は手紙の上部をちぎった。

 丁寧に3つ折りにされてあった2枚の便せんは、九流川先輩の手であっけないほどさらさらと広げられた。

 文章には目をくれず、九流川先輩は2枚目の便せんの下をちらりと見て、ほんの少しだけ目を細めた。

「間違いありません。お兄さんの名前の署名です」

 九流川先輩はそう言って店主に手紙を返した。

 いったい何十年ぶりに、身内の手にたどり着いたのだろう。

 店主はその手紙を読まずにたたんで封筒にしまい込み、立ち上がった。

「やはり最初に母に見てもらいたい。こちらで待っていてもらえるかな」

 仏間へ足を向ける店主に九流川先輩が黙って頭を下げたので、私も慌てて頭を下げた。

 店主が仏間へのふすまを閉めてから、線香の香りと共に仏壇のりんを鳴らす音が聞こえ、それきり音が途絶えた。

 冷めてしまった緑茶をすすりながら、私は和室の中をもう一度見渡した。

 何もかも歴史を感じる古いものばかりだ。灰皿の置かれたお盆も、もとはきっと漆塗りのきれいな代物だったと思われる花の柄がうっすら見えた。

 戦争を知る人の、ここがたどり着いた平和の果てなんだろうか。


 ……ちょっと待て。何だかおかしい。


「九流川先輩」

「どうした? こずえ」

「なんか変です」

 九流川先輩は不思議そうに私の方を見た。

「何が」

「あの店主、いくつに見えました?」

「は?」

「敗戦したのは昭和20年でしょう? 西暦で言うなら1945年。今から80年くらい前ですよね」

「……だな。それが?」

「あの人、お兄さんの記憶があるって言ってましたよね。少なくとも当時硯や文鎮を使える年齢だったはずですよ」

「そうなんだろうな。覚えてるって言ってたし」

「当時の識字平均が何歳だったかは詳しく知りませんけど、最低でも小学校1年生だったとして6歳。敗戦時に6つだとすれば、今85歳くらいのはずでしょう?」

 そこまで言うと、ようやく九流川先輩は弾かれたように仏間の方を見た。

 あの店主はどう見ても60歳前後にしか見えない。

 そして、この部屋にあるもののあまりにも時代錯誤的な違和感。

「それにね、九流川先輩」

 私は自分達のいる和室の、私達からちょうど店主が座っていたせいで死角になっていた場所を視線で指した。

「あのテレビ、見てください」

 ブラウン管が盛り上がった、アナログ放送用の奥行きのあるもの。そんなもの、今はもう何も映さないはずだ。なのに、まるでつい最近まで使っていたかのように埃がない。

 九流川先輩は素早く立ち上がるとふすまに手をかけ「失礼」と言い放ちながらすらりと開けた。私もそれにならって部屋を覗こうとした時、突然乱暴に九流川先輩の胸に抱き込まれた。

「せ、先輩、苦し」

「見るな」

 緊張した九流川先輩の声に、一瞬身体が強張る。

「こずえは見るな」

 何故。どうして。そう思って暴れたけど、九流川先輩は私をしっかりと抱き締めたまま部屋の外へ引きずり出した。

「また警察沙汰になったな。久しぶりのデートだってのに」

「何? いったいどうしたんです?」

「死んでる。ひからびてやがる」

 ぞっとした。何が、とはもう聞けない。

「何で今まで見つからなかったんだ? 死後ひと月とかのレベルじゃねぇぞ」

「そんなはずありません、古本市に参加してたんですから」

「同感だ。警察に連絡するから、こずえは動くなよ」

 頼まれたって覗いたりするものか。




 それからの警察の捜査は困難を極めたらしい。

 私と九流川先輩のアリバイは、当たり前だけどきちんと成立したので疑われる事はなかったが、不可思議な事件だったので何度も警察に足を運んだ。

 最近ちょっと不本意にも警察と関わる事が多かったので、親しくなった刑事の人から聞いた話では、あの店主は死後1年ほど経っていたらしい。でも古本市に参加していただろうと尋ねれば、開催者の所にはあの古本屋の参加書類が見当たらず、どうやって協賛したのか主催者の記憶もおぼろげだそうで、これもまた迷宮入りに拍車をかけそうだった。

 水道光熱費は貯蓄も兼ねた口座からの引き落としだったので不審扱いされる事もなく、近所では何故か店の開け閉めも目撃されている。郵便物もきれいに処理されていたそうだが、親族は皆遠方だそうで、誰がやったのかわからないそうだ。

 死亡推定日が間違っているのかとも思ったけど、現在の鑑識がそんなミスをするとは思えない。

 九流川先輩とこの事件について何度か話し合ったけど、結局得られるものはなかった。何せ、私達自身が1年前に死んだはずの人間にお茶でもてなしを受け、それがどういう事なのか説明できないのだから。

 九流川先輩と一緒に何度目かの警察署の来訪をした時だった。やっと私達にもあの手紙の内容を教えてくれると言うので尋ねてみると、それは普通に遺書だった。自分亡き後もどうか強く生きて欲しい、お国の礎になれるなら本望だと、そう書いてあった。

 しんみりしながら手紙を置いたその横に、知らない老人男性の写真があった。もう相当のおじいさんで、ごましお頭に柔和そうな雰囲気を漂わせている。

 きっとこれが店主のお兄さんなんだろうなと思って、はたと気付いた。

 そんな訳がない。戦死したお兄さんはもっと若いはずじゃないか。じゃあこの人は誰だ?

「あの、刑事さん。この写真」

「ああ、それね。被害者の写真だよ」

「は?」

「だから、君達が会ったとされる古本屋の店主だろう。2年ほど前の写真だけどね」

 違う。この人じゃない。

 そう言おうと思ったら、九流川先輩にやんわりと止められた。

「刑事さん。訊いてもいいか?」

「答えられる事なら」

「店主の兄が出兵したのは22歳の時って言ってたよな」

「記録ではそうなってるね」

「その兄の遺体の一部が遺族のもとへ戻ったのって、今から40年ほど前じゃねぇか?」

 どうしてそんな事を思ったんだろう。この写真は店主じゃないと言う事より大事な事なんだろうか。

「どうだったかな……。ああ、確かにそうだね。満州で奇跡的に見つかったそうだよ」

 刑事さんは書類をめくって確認してから不思議そうに九流川先輩を見たが、九流川先輩はどうもとお礼を言ってそれきり黙ってしまった。



 帰り道、やっぱり気になったので九流川先輩に写真の事を尋ねると、先輩は苦笑した。

「いいかこずえ。これは俺の憶測だが」

「はい」

「俺らが会ったのは、きっと店主の兄の方だ」

「え? だってとっくに亡くなってるんですよ?」

「出兵したのが22才。遺骨が帰って来たのが40年前。足したら62才でちょうど俺達が会った店主の年齢だろ」

 そんなばかな。

「信じたくねぇならそれでもいいが、俺はこう思う。母親の命日までに弟の遺体と自分の遺書を見つけて欲しかったんじゃねぇかな。俺らはたまたま選ばれたんだよ。店主の兄に」

 そうなんだろうか。

「だから、この事は2人だけの秘密だ。今更警察に、俺らが会ったのは店主じゃないと言うのも気の毒な話だろ」

「うー…ん、うん」

 珍しく優しく見下ろして来る九流川先輩に抵抗出来ずに、私は頷いてしまった。

「じゃあ、これからいつかのデートの続きでもしようか」

「古本市はもういやですよ」

「世界のチョコレート展やってるぞ」

「行きます」

 もうこの事は忘れた方がいいのかもしれない。そう思いながら、九流川先輩の横を並んで歩いた。


 でも私、九流川先輩に1つだけ言っていない事がある。


『日本の神社の所在と神様のすべて 全国編』の本が、警察から返してもらったはずなのに家中のどこを捜しても見つからなかった事。

 どこに行ったんだろう。まだ読んでないのに。

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