1折目:オーク肩ロース肉のパルーナ焼き弁当 その1
駄女神、騒動の元凶、騒がしい妹分……ユーノが神聖なる俺のプライベート空間に転がり込んできてから3日が経った。
同棲(?)生活初日こそ彼女は遠慮がちな面も多少は見せたが、それからわずか3日のうちに我が一室は駄女神空間へと変貌を遂げていた。
原因は俺にもある。何せ天界から授かった疲れ知らずの身体だ。活力に満ち溢れた俺は滞っていた大学の研究に没頭した。教授に怒られるのは何よりも嫌だったのだ。
おかげでこの3日間ほとんど家に帰ることはなかった。部屋に帰るときは、決まって自室のシャワーを使用する時だけであった。そのため、狭い廊下の奥にある唯一のリビング(約6畳)が少しづつこの駄女神によって浸食されている、などということは露ほども予想できなかった。
結果を言おう。俺の部屋がなんかファンシーになってる。
その日はたまたま自宅で昼ご飯を食べようという気になったのだ。
教授は出張中だし、偶にはいいよね。
だが、リビングのドアを開けて目を疑った。
部屋を埋め尽くすイヌ、ネコ、クマをはじめとするぬいぐるみ。
どこから持ってきたのかわからないアラビア風の巨大ベッド。
隣室との壁だったはずの所には、謎の黒い扉が設置されていた。
肝心のユーノと言えば、持参の巨大ベッドの上でクマのぬいぐるみにのしかかりながら俺の私物である漫画を読みふけっていた。
時折「でゅえっへへぇ~」と、なんとも締まりのない声を上げて漫画のページをめくる。
だめだコイツ。
疲労を感じないはずのの俺の身体だったが、この時ばかりはどっと疲れた気がした。この駄女神、他人のやる気を根こそぎ奪うチートを有しているに違いない。きっとそうだ。
俺はうつぶせで漫画を読みふけっているユーノの背後に回り込んだ。ベッドに乗ったあたりで、ギシギシと音を立てる。
その音に気付いたのか、ユーノはようやく漫画から意識を離し、俺の方へと振り返った。
「あっ、コージさん!帰っていらしたんですか――」
ムニィ
俺は無言のまま、ユーノの両頬を思いっきりひっぱった。やわらかい。
「ひょっ!? いひゃいいひゃいいひゃいでふー!ほーひひゃん ひゃえへふひゃひゃいー!!」
現在進行形でムニムニと引っ張られているユーノは、じたばたしながら俺の手から逃れようと必死だ。だが逃れることができない。
フフフ無駄だ。俺は知ってるぞ。
この世界にいる間、お前は見た目相応の力しか発揮できないとな!
そのまま俺は数分間ユーノの頬を弄び続けた。
「コージさん!急にひどいです!いったい私が何をしたっていうんですか!」
散々引っ張られた頬をさすりながら、ユーノは不服そうな顔を隠そうともせず怒ってきた。まさか、まだ気づいてないっていうのか。
「何をした、じゃない。俺の部屋に何持ち込んでいるんだ。特にこの巨大ベッド……邪魔だろ!」
「あー、それはですね……やむにやまれぬ事情がありましてですね、ハイ……」
いつになく歯切れの悪そうなユーノ。どことなくウリエルさんみたいな口調になってるぞ。
「やむにやまれぬ事情?」
「私、どうにもこのベッドじゃなきゃ快眠できないようなのです!」
「今すぐ持って帰れ」
お前転がり込んだ当日ぐっすり寝てたじゃねーか。
「第一、俺の煎餅布団はどこ行ったんだ。あんなボロでも俺のオフトゥン様なんだぞ」
「あれなら、今ベランダで干してます!」
マジで。
俺は部屋のカーテンをさっと開ける。確かにそこにはオフトゥン様がポカポカ陽気の中で、新品さながらふっくらと仕上がっていた。
いや、オフトゥン様だけではない。まとめて洗濯しようとしていた私服類や下着が、完璧な状態で干されていたのだ。
「これ、ユーノが?」
「そうです!居候なのでこれくらいはと思いまして!私だって家事くらいできるんですよー!」
ほめてほめてーとじゃれついてくるユーノを適当にあしらいながら、俺は素直に感心していた。
マジか。俺はてっきり、こういうヤツ(居候系女神)のお約束で家事も壊滅的なものだとばかり……
「すごいじゃないか、ユーノ」
「えっへぇ!これくらいチョチョイのチョイですよ!」
どや顔で胸を張るユーノ。実際なめていたからここは素直にほめる。
わしゃわしゃと頭をなでてやると、ユーノはさらにふんぞり返る。
……あんまり褒めすぎてもダメだな、コイツ。
「コージさん!私役に立ってますよね!?」
「ああ、立っている立っている」
「じゃあ、ベッド置いてもいいですか!?」
「却下」
「ケチんぼ!」
なんだと。
ムッと来た俺は、なでてた手を頭から話し、再度頬をつまもうとユーノの両頬に手を取ろうとして。
さすがに今度は避けられた。ユーノシュッと後ろに身を捩り、さっきまでもたれ掛かっていたでかいクマのぬいぐるみの後ろに隠れる。
なんかグルルと唸っているが、このままでは埒が明かないので話を進める。
「家に帰らなかった俺も悪いが、さすがにでかい荷物は置かないでくれ。そもそも俺の布団を置く場所がない」
「むううー……分かってはいますよー!でも、やっぱり一人で寝るときはこのベッドじゃないと落ち着かないんです!」
「とはいえなぁ。ユーノ、そもそもここに転がり込んできた日はぐっすり寝ていたじゃないか」
「あれはコージさんがいたからです!誰かと一緒だと安心してよく眠れるんです!」
子供か!
「だったら、自分の家で寝ればいいじゃないか。なんでわざわざ俺の家に持ってきてまで寝るんだ」
「それこそコージさんなら分かるはずです!私はコージさんの転生先を探すためにここにいるんですから!」
そうなのだ。ユーノは俺の転生先を探してくれているらしい。
一見、さぼって漫画を読みふけっているだけのように見えるが、ここ数日のうちに何度か別の世界へと足を運んでいるらしいのである。
本人から聞いたところによると、天界からいちいち各異世界を回るよりも、俺の家をポータルにした方がはるかに距離が短いとのこと。
俺のいる世界から各異世界までの距離を東京―大阪くらいとすると、天界は地球と月のレベルで離れているらしい。規模が違う。
なので、本来女神は各世界に足を運ぶことはせず、書類上できちんと管理しないといけないのだ。ユーノはそれができていなかったばっかりに、リアルタイムで『空き』が出るかどうか、実際に見て回っているのだそうだ。
異世界を回るのは大変そうだが、そもそも彼女の不手際なのだからしっかりやってもらう他ない。
俺の転生に関わることだ。ユーノにはきっちり働いてもらわなければならない、ということで俺も住居を提供しているのだ。
そりゃまあ、“かわいい女の子と同棲”というフレーズに目が眩んだというのが、実際のところ理由の8割方を占めるのだが。
ユーノはさらに畳みかけてくる。
「それにですね!私はコージさんのお部屋じゃないと嫌なんです!コージさんがいいんです!」
「な、なんでだよ……」
ドキリとした。相手は駄女神とはいえ、かわいい女の子に迫られるのは悪くない。
詰め寄ってきたユーノは顔を赤らめていた。
おいおい、これってもしかして、もしかしたり……?
「漫画のような、高度な娯楽物を紙媒体で読めるのはここだけなんです!」
ハイ。
まあそうだよね。
顔が赤いのはあれか、漫画文化に触れて興奮していただけか。
あー、まあ、そうなるよな。うん。
「今すぐ持って帰れ」
「ドケチ!」
俺の室内に、ユーノの叫び声が木霊した。
ご近所さん。ごめん。
◇◇◇◇
結局、再三にわたる協議の末、何とかベッドを持ち帰らせることに成功した。
そのかわり、ぬいぐるみは5~6体好きなものを置いてもいいこと。夜はきちんと帰ってきてお家で寝ること。この2点が互いの導き出した妥協ラインだ。
仕方がない、部屋のスペースの3分の2を巨大ベッドで埋められるよりははるかにマシだ。
それに研究の山も越えた。これ以上頑張ったところで、別件の仕事がどんどん舞い込んでくるだけだ。
頑張りすぎ、よくない。
とはいうものの、昼飯を食べたら一度大学に戻らなければならない。教授がいない今、院生の俺がだらけている様では学部生の後輩たちに示しがつかないのだ。
先ほどまでユーノと論戦をおこなっていたせいで、相当時間を食ってしまった。
ちなみに当の本人は現在ベッドの帰還作業中である。別に移設作業くらいならご飯食べた後でもいいといったのだが、ユーノ曰く「ついでに取りに行きたいものがありますので!」との事なので好きにさせてやった。
しかしあと30分で大学に戻らないとなあ。
部屋の時計は12:30を示していた。
今からだと、ロクに飯も作れそうもない。ありあわせのもので我慢するか。
何か冷食はないかと思い冷凍庫を開けた。が、空っぽ。
ならば冷蔵庫はと思って開けてみたが、こちらもめぼしい物は無い。
ううむ。こりゃあコンビニ飯かなあ、結局。
仕方なく家を出ようと思ったちょうどその時、リビングの奥にある黒い扉がガチャリと開いた。
お察しの通り、そこは天界含む各異世界と通じているのである。
ただし通過するだけでも結構なエネルギーを消費するらしく、特に天界に行くときは大量にマナを必要とするらしい。
そのため、決して自分一人で入ってはいけないと言われている。
必要性が生じたら、ユーノが直接送り届けてくれるらしい。
その扉から、いつにも増してテンションが高いユーノが飛び出してきた。
天界との往復で結構なマナを消費しただろうに、それを差し引いてもえらく上機嫌である。
「ただいま戻りましたあ!コージさんコージさん!まだいますか!?」
「ああ、いるよ。と言ってもこれからお昼ご飯買いに行くトコロ」
「それはそれはちょうどよかったです!一緒にお昼ご飯を食べましょう!」
そう言って、ユーノは手に持っていたビニル袋をガサリとかざした。
「ん?何か買ってきてくれたの?ってゆーか、天界帰りだよね?」
まさか、吉○家に繋がってたとかじゃあないよね?
「いえ!ウリエルぶちょーがタイミングよく出張帰りだったようでして!それならこれをお土産に持って行きなさいと渡してくれたんです!」
天界にも出張土産って文化があるんかい。
また一つどうでもいい知識が増えた。
「……ねえユーノ。それって俺が口に含んでも大丈夫なものなの?」
俺は袋の中に入っているであろう、それを指さして質問する。
一応中でガサゴソ動いている、ということはなさそうだ。
とはいえ天界の食べ物だ。何が出てくるか分かったものじゃあない。
「大丈夫ですよ!ぶちょーが出張してきたのは“アルデビラーヌ”ですから!」
「アルデ…なんだって?」
「“アルデビラーヌ”です!ほら、以前お見せしたじゃないですか!コージさんが中世風ファンタジーと仰ってた世界の事ですよ!」
あー、なるほど。あの世界、そんな名前だったのか。
ということは、本来転生先になったかもしれない世界の名産品が入っているってことか、ソレ。
ガサガサとレジ袋から白い紙のような包みで覆われたものを取り出すユーノ。包みはどうやらひもで縛られているようで、笹の葉包みのような外見をしている。
ちなみに聞いたところによるとこのレジ袋はマイバッグ代わりのもので、別に中世風ファンタジー異世界のものではないらしい。そりゃそうか。
「ちょうど二ついただいてきました!というわけでコージさんもおひとつどうぞ!ここのお弁当、すっごく美味しくてですねえ!天界でも評判なんですよお!」
そういうと、ユーノは目をキラキラさせながら、二つあった包みのうちの一つを俺に差し出してきた。受け取ったそれはまだ作られてそんなに時間が経っていないらしく、ホカホカと温かい。
「それじゃあ!いただきましょうかコージさん!」
「お、おう。そうだねユーノ」
ユーノは待ってられないとばかりに、包みのひもを外した。
俺もユーノを習って紐をほどく。
開かれた包みの中からは、まだあったかい、3枚ほどの調理された肉と、一緒にソテーされたらしき野菜が添えられていた。肉には、非常に粘性の高い醤油ベースのような茶色いソースがてらてらと塗られ、実に胃を刺激する良い香りが俺の部屋の中に充満する。
それにしても、肉の一枚一枚が結構分厚い。上質なポークステーキを思わせる肉厚だ。それが3枚もある。これはなかなか、お昼にしては腹に溜まりそうな一品だ。
「へえ。異世界のお弁当というからどんなものが出てくるかと思ってたけど、美味しそうなステーキじゃないか。」
「そうなんです!ここのお肉は柔らかくてとてもジューシーなんですよ!アルデビラーヌでもこれほどの調理技術を持ってるのは、おそらくこのお弁当屋さんくらいです!」
「へええ、しかし驚いたなあ。そのアルデ何たらってところでも豚が食べられていたとは」
「コージさん何言っているんですか!豚じゃないですよこのお肉!アルデビラーヌに豚さんはいないです!」
「ん?じゃあイノシシ肉だったりするのコレ?まさか牛肉には見えないし」
「オークです」
えっ。
「えっ」
思わず思考と口に出た言葉がリンクした。
「オークです!オークの肩ロース肉です!」
えっ。
マジかー。
オークの肉かー。
そりゃあ食べたことないなー。
「返す」
スイ、と俺は包みごとオーク肉をユーノに返却した。
「ちょっ!何なんですかコージさん!?せっかくのオーク肉なんですよ!?いつもすごい行列でめったに食べられないんですよ!?」
「いやいやいや。だってオークなんですよね?ユーノさん」
「はい!オークです!」
「ムリムリムリムリ!オークって!あのオークでしょ!?あの2足歩行する緑肌が特徴のモンスターでしょ!?」
「そーですよ?」
キョトンとした様子でユーノは首をかしげる。
無邪気な顔してなんて子なんだ。
異世界の食べ物と聞いて、食べたことのない何かが出てくるかもしれないとは思ってはいたが。実際、オーク肉がお出しされたことは俺の予想を超えていた。
だってあのRPGでおなじみのオークがだよ?薄い本でも竿役としてお世話になっているあのオークが、実際に異世界に転生してお会いする前に変わり果てた姿で出てくるとは思いもよらなかった。というか、被食文化あったんだ。オークさん。
「あー!もしかして、コージさんゲテモノだって思ってませんか!?」
「いや、だって……オークなんでしょ?」
「オーク肉はアルデビラーヌで最もポピュラーな獣肉の一つです!これが食べられないよーですと、コージさんにファンタジー世界への転生なんて到底無理です!ムリムリムリムリカタツムリです!」
「むぅ……」
何も言い返せない。
そりゃそうだ。異世界に転生するとなると、今までの文化が全く通用しないのは目に見えているじゃあないか。
ジビエ感覚でオークを食べているのならまだ理解はできたが、よりにもよって主要タンパク源のようである。そもそもタンパク質という概念が共通なのかすら分からないが。
食文化一つとっても大きく理解に差があるとすれば、文化、マナー、言語、知識にわたって今までの常識が通用するとは思えない。
やれ天界だ、やれ女神だ、やれチートだ、ときたものだから、すっかりラノベ主人公感覚に染まってしまっていた。
現実はそんなに甘くはないようだ。
「いいから一度食べてみてもらえば分かります!アルデビラーヌの皆さんは食べるものが無くてオークを食べているんじゃないんです!美味しいから食べているんです!」
「……わかった、俺の中でどうにもゲテモノ感覚ってのがあったみたいだ」
「わかっていただけましたか!私もさすがにオークのお肉6枚は食べきれませんでしたので!」
そう言って、ユーノは再び俺の前に包みを戻してきた。
ステーキから立ちのぼる湯気からは、食欲をそそる芳ばしい香りが漂ってくる。
思わず、のどが鳴ってしまう。
旨そうだ。
だが、同時にファンタジー創作物で散見されるオークの醜悪な風貌が頭をよぎる。姫騎士やエルフを取り囲む下卑た表情のオークの姿が浮かんでくる。ああ、オークさん……変わり果てた姿になってしまって……。
ええい、ままよ。俺はマイ箸でオークのお肉を一切れ掴み、豪快に齧り付いた。
良い切りドコロが無かったので遠慮なくぶった切ります。