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開封:手ーをっ!合わせましょう!いただきまーす!その1

 ここ数日、まともに家に帰っていない。

 原因は言うまでもない。大学院だ。

 近々開かれる学会で発表する為に、今全力で実験データを埋めている真っ只中なのだ。

 カタカタとキーボードを鳴らす音と、カチリカチリと時計の秒針の音だけが誰もいない研究室に響き渡る。

 早く帰りたい、疲れた、帰って布団で休みたい。

 そんな感情だけがぐるぐると頭の中を回り、発表スライドを打つ指を鈍らせる。


 あと少しだ、あとこの文章が書き終えられれば、明日早々に教授に提出できる。

 ギリギリだが、何とか間に合うだろう。

 キュルルと、胃が鳴った気がした。

 空腹なのか、はたまたストレスで胃が痛み出しただけなのか、既に判別するだけの気力すら残っていない。

 データを示すグラフを貼り付け、結果や考察に間違いないかを確認する。


 ……おそらく、明日教授に見せたら赤ペンだらけで返ってくるだろうな。


 目を覆い隠したくなるようなひどい考察だ。

 既に修正する気力も失せていた。


 ギュルギュルとなり続ける腹の音を左手で押さえながら、保存したファイルをバックアップサーバーに無造作に放り込み、乱暴にノートPCを閉じた。


「おわっ、たぁー」


 そう言うと俺は椅子の背もたれに背中を預けながら、うーんと背伸びをした。

 ぽきぽきと小気味よく肩の鳴る音が聞こえた。

 うーむ、体が痛い。


 時計を見る。そろそろ、午前2時になろうとしていた。

 既に研究室には誰もいない。

 夜中の11時頃までは後輩もいた気がしたんだが、どうやら先に帰宅していたようだ。

 げんなりしながらも、俺は書類をかばんに詰めて帰宅の準備をする。

 重い腰を上げ、のろのろと部屋を出る。


「お疲れさまっした―……」


 一応、挨拶をした。当然返事はない。

 そのまま、研究室の鍵をかけて俺は帰宅の途に就いた。

 既に言葉を発する余力もなかったが、静寂に響く腹の音だけは一向に収まる様子がなかった。


 大学の外に出て、一直線に家に向かう。

 腹が減っている、気がする。

 とはいえもう深夜だ。

 開いているのはファストフード店か、コンビニくらいだろう。

 このあたりのファストフードは食い飽きた。

 コンビニ弁当は今食べると明日胃が持たれること請け合いだ。


 いいや、今日はすぐ寝よう。

 腹の音が反論をするが如くキュルルと鳴り響いたが、無視を決め込んだ。


 誰もいない大学裏の路地を一人歩く。

 普段から車通りの少ない裏路地は、夜間ともなると転々と並び立つ街灯だけが目印だ。

 歩道もないため、必然的に車道の脇を歩くことになる。

 この時期だと虫の鳴き声も聞こえてこない。本当に静かだ。

 まるで今この世界に居るのは俺一人だけなのではないかとすら思う。

 不意に我に返る。静寂のせいか、虚無感と不安感が湧き出てくるのが分かった。


 寂しいんだな、と自嘲した。


 仕方ない。生まれてこの方彼女なんていたこともない。

 家族と離れて生活するようになり早5年。

 大学生活はそこそこ楽しいものではあったが、肌寂しさは年々募るばかりであった。

 こういう時、彼女の一人くらい作れればよかったものの、生憎俺は同年代の女友達からはいいひとどまりだった。

 つまるところ全撃沈。枕を涙で濡らすこと十数回。


 ……やめよう、こんな暗いこと考えるのは。

 そうだ、こういう日は寝るに限る。

 今から寝れば研究室が開く9時までの間、なんと6時間も寝られるじゃないか。

 久々のオフトゥン。しかも6時間しっぽりコース。

 なんと甘美な響きだろうか。

 もはや今の俺は睡眠欲の魔物だ。

 全身が睡眠という甘美な本能のままに動いている。


 だからなのだろうか。


 俺は背後から迫りくるトラックの存在に気付けずにいた。

 それほどまでに思考は鈍り切っていた。

 まぶしさに気付いて振り返った時には、両者の距離はすでに10mを切っていた。


 まぶしい。


 よけられそうにもない。


 呆然と突っ立ったまま、運転席を見る。

 猛然と走るトラックの運転手もまた、睡眠を本能のままに貪っていたようだった。



 いいな、俺もあんな風にぐっすり眠りた―――。



 俺の思考は、ここで途絶えた。




◇◇◇◇




 キュルル、と腹の音が鳴ったような気がした。

 あったかい。

 おなかすいた。

 眠くは――ない。


 ふわふわと全身が浮かんでいるように思える。

 暖かい光に包まれているみたいだった。


 俺、死んだのかな?


「はい!死にました!」


「おわああああっ!?」


 急に耳元で女性の大きな声が聞こえた。

 思わず飛びのこうとして、ふわりと宙に浮かぶ感覚だけが伝わった。


 目を開ける。


 どこだ、ここ。

 真っ白い光に覆われた世界。その果てにはオーロラのような、シルクのカーテンのような光の粒子がたなびいていた。


 死後の世界なんだろうか?


「いいえ!ここは天界の入り口です!」


「……天界」


 声が聞こえた方向に振り向こうとする。


 が、振り向けない。ほわほわと視界が左右に少しぶれただけだ。


「あー、あなたは今魂だけの存在ですから、実体がないんですよね!」


 なんと。

 魂だけの存在なのか俺。スピリチュアルだな俺。


 よっと、と可愛らしい声が聞こえたかと思ったら、視界の左側から少女が回り込んできた。


 透き通った空色の長い髪の、少し小柄な少女。

 顔は端正に整っており、少女から大人へになる中間の危うい美しさと、くりっとした目元から醸し出される子供っぽさが両立した、まさしく美少女だった。

 白いワンピースのような服を着ていて、裾からは白っぽく健康的な足のラインが見える。

 視界を上に戻す。彼女は屈託ないぽわぽわした笑みで俺を見続けていた。



「……君は?」


「はい!女神です!」


 黙っていれば儚げな雰囲気の少女からは大層ミスマッチな、すごくハキハキとした受け答え。

 俺が小学校の先生だったなら花丸をあげていただろう。

 俺は直感で訝しんだ。――失礼だとは思いますが、もしやこの子は“アホの子”なのでは?

 いやいやまさかそんなそんな。仮にも彼女は女神を称しているんだぞ?


「なるほど君が女神か」


「はい!女神です!」


 確信した。アホの子だ。

「繰り返さなくていい。聞きたいのはそういう情報じゃない」


「すいません!名前はユーノって言います!身長は153cm、スリーサイズは82-54-79です!」


 意外とあるな。


「体重は……すいません企業秘密です!」


 企業だったのか。


「それでですね!まことにもーしあげにくいのですが!あなたは残念ながら死んでしまいました!」


 知ってる。全然申し上げにくそうにしていないな、コイツ。


「ので、これから所定の手続きをふんでもらって、それから転生してもらいます!」


「転生……だと……?」


 マジか。

 転生っていうとアレか、記憶持った状態で剣や魔法の世界に飛ばされるっていう、アレのことか。


「それでは!まず名前の確認からですね!」


「え、ちょっと待っ――」


「前世のお名前は、高辻浩二さん。なるほど、コージさんとお呼びさせていただきますね!私のことも遠慮せずユーノとお呼びください!」


「だから待っ――」


「職業は大学院生……ふおお!コージさんは頭良いんですねえ!」


「聞けや」


 俺が転生の内容を把握できていない内から、目の前の自称女神見習いはどんどん話を進めていく。

 きょとんとしながら、首をかしげる女神見習い。子供っぽい仕草でとても愛らしい。


「何でしょう?コージさん」


「なんでしょう?じゃない。ユーノだっけ?キミは転生って言ったな。俺は一体どうなるんだ?」


「おっと!そうでした!では説明させてもらいますねコージさん!あなたの魂は転生に必要な条件を満たしていたので、異世界への転生が可能となります!」


「異世界への転生?それって記憶を引き継ぐのか?」


「もちのロンです!バッチシです!」


 ふんす、と鼻息を鳴らしながらドヤ顔するユーノ。ちくしょう可愛いな。

 それにしても、やはり記憶は引き継がれるのか。

 まあ、記憶を消されたら転生の意味はほぼ失われるからな。


「異世界への転生コースをご選択いただけますとですね!今ならなんと世界乗り換えプランとして、お好きなチート技能を一つ選ぶことができるんですよ!」


 ケータイか!なんだよプランって。


「ちなみに、チート能力ってどんなのがあるの?」


「えっとですねえ……あ、ありました!一番人気のタイプですと、ステータスオールカンスト&魔法無制限使用可能の“魔ホーダイ”サービスですね!すっごいお得です!」


 だからケータイか!D○COMOに訴えられるぞ。


「他には?」


「他ですか!コージさんにお勧めするならばコレ!ステータスオールカンスト+女神の加護+スキル圧縮機能が付いた“英雄スマート割”なんていかがでしょーか!?」


 A○に訴えられろ!何が割なんだよバーカ!

 思わず頭を押さえた。実際はただの光なので押さえた気になっただけだ。


「……他には?」


「他聞いちゃいますか!そんなコージさんにはとっておきのを!ステータスオールカンスト+完全催眠能力+調教スキル一式の“ギガア○メ割”!むふぅ、えっちですなあコージどの!」


「ソフト○ンクー!訴えるならコイツだーっ!」


「ふふふ無駄なのですよ!奴さんも天界までは手出しできないんです!ユーノは負けません!」


 なにそれひっどい。

 というか、ステータスオールカンストはデフォなのな。


「それで!?いかがいたしますか!コージさんがどうしてもというならこの“ギガアク○割”に」


「やめて」


「まあ、チートは後でいくらでも設定可能で問題ありません!それより!それよりもです!」


「な、なに?」

 ずずずいとユーノは俺に顔を近づけてきた。

 近いって。いや、今の俺ただの光だけどさ。


「どんな世界に行きたいですか!?今なら好きな異世界選び放題ですよー!!」


 そういってユーノはぱあっと両手を広げた。

 すると俺とユーノの間にはずらっと異世界と思われる世界が表示されたディスプレイらしきものが浮かび上がった。それぞれ、簡単に世界が紹介されている。


 なんとなんと。

 転生する異世界って選べたのか。ここの女神親切すぎやしないか。


 俺は一つ一つ選べる世界を眺めてみた。

 ファンタジー、超古代文明、中世風、スぺオペ、空想科学、スチームパンク、サイバーパンクetcetc……様々なジャンルの世界が映し出されている。

 ううむ、これは迷うなあ。

 とりあえず、ぱっと目についたファンタジー学園世界を選択しようとする。

 ファンタジー+学園の響き。盤石だ。間違いがない。

 飲みの席での“とりあえずビール”クラスの安定感。学園というお通しを添えてお得感すらある。


「じゃあユーノ、このファンタジー学園世界ってのをお願いするよ」


「ハイ!りょーかいです!」


 俺が選択するや否や、ユーノはファンタジー学園世界への“カギ”のようなものを取り出した。


「ちょっとくすぐったいかもしれませんが、我慢してくださいね!」


 おもむろに、ユーノはそのカギの先端を俺の光の玉の中に差し込んできた。

 すごく勢いよく。


 おっふぅ……。


 実際に当たったわけでもないのに、鳩尾にボディーブローを食らったような感覚をうける。


 何か起こったのかと思い、周囲を見渡すが何も変わった様子はない。


 当のユーノといえば、俺にカギを差し込んだままの態勢で、へにゃっとバツの悪そうな顔をしていた。


 しばし静寂。


「ねえユーノ。何も起こんないんだけど」


「……申し訳ないですコージさん!どうやらファンタジー学園世界は“満員”のようです!」


「満員?転生にも満員とかの概念あるワケ?」


「分かりません!」


「いやそんな自信満々に言われても」


「今までにはなかったことですので!」


 マニュアル人間かよ!


「えーと、つまり……ここには転生できないってコト?」


「はい!行けません!」


 ガーンだな。出鼻をくじかれた。


 ……仕方ない、この駄女神にいちいち突っかかっていたら決まるものも決まらなくなる。

 別の世界にしよう。


「……それじゃあ、この中世風ファンタジーを」


「りょーかいです!」


 ユーノは別のカギを取り出し再度俺に向かってカギを突き立ててきた。

 めっちゃ勢いよく。


 なにもおこらない。


「満員です!ごめんなさい!」


 ……おーけいおーけい。

 コレパターン読めたよ。どうせ不人気世界だけ余っててそこに飛ばされるパターンだろう?

 そうはいくもんかよ。

 俺だって好き好んでホラー満載の世界になんて行きたくなんてない。


「じゃあ……まずどこなら空いてるか、全部教えてくれ」


「分かりました!」


 とりあえず空いているところから一番まともそうなのを選ぼう。

 ロクでもない世界しかないようだったら、内容にかかわらず猛抗議だ。

 

 しばらく大量のディスプレイと格闘していたユーノだったが、どうやら一通り確認し終えたのかこちらに戻ってきた。

 相変わらず緊張感のかけらもない笑顔で「えへへぇ」とか言いながら向かってくる。

 コイツ、自称見習いとはいえ本当に女神なのか今更怪しくなってきた。


「ユーノ。それで今行くことができる転生先は何種類あるワケ?」


 俺が尋ねると、ユーノは満面の笑みを返してきた。

 よかった、大丈夫そうだ。

 そう安心した俺の思いもむなしく、ユーノはどえらい真実を伝えてきた。


「はい!全部満員でした!コージさんがいけるところ無いです!どーしましょう!!」


「上司呼んで来いや!!」


 一面真っ白の世界の中心で、俺はそう叫ぶ他なかった。


 ……転生のご利用は計画的に。


 俺、死にたくて死んだわけじゃねーけどな。


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