中編
元脚本を荒っぽく読み物風にしているので読みづらかったらごめんなさい。
賑やかな町からも疾うに人が失せた夜。
豪邸は未だ眠っていない。
今、フィリップの仕事場であるはずの書斎にはそれなりに出来上がったフィリップとアレクがいた。
テーブルには大量の白ワインボトルと多種多様な魚と野菜ばかりの料理が並べられている。
両方共に今宵は無礼講と杯を手に談笑している。
「なるほど、なるほどぉ。では、何故商人になったのかね。」
「それはですねぇ。母も奴隷商人をやっていまして、十二の頃、母が病で床に伏した際に見よう見真似で事業を引き継いだのでございます。」
「ほほぅ。そんな事が。今、母上殿はお幾つなのだね。」
どんな結果であれ、仲を深めるという目的は達成しつつあるとフィリップは感じていた。
しかし、今の何気ない一言でアレクの表情が少し曇る。
「母はその時の病で・・・・」
「お、おお。それはすまない事を訊いた。」
「いえ、構いません。母は奇病を患っていまして、目が悪くなり、歩くのが困難になって更に物忘れが激しくなるという症状でした。」
「何?・・・・・それは珍しい病気だな。」
「医者は理由を母にしか告げず、母も私にも教えてはくれませんでした。」
「それは・・・・・」
「しかし、あの時、母が思い切った英断をしてくださったおかげで今、フィリップ様とこうして酌み交わす事が出来ているのです。母も今頃喜んで下さっているはずです。うっ。」
アレクは酒の酔いもあり、感極まって涙ぐむ。
フィリップは焦るものの自分と酌み交わすのが嬉しいという言葉を聞き、少し安堵する。
そして、ここはカウンターを決められると空かさずフォローを入れる。
「そうか・・・・・しかし、それでも楽しむべき酒の席で辛い記憶を持ってきてしまったのは事実。今日はまだまだ楽しんでいってくれ。饗すぞ!」
フィリップは有言実行とでも言いたげに、若手の杯に酌をする。
アレクは、目礼し酌を受けた後、ふと豪勢な食事が並んだテーブルを見る。
「しかし、海鮮と蔬菜の料理ばかりですが、フィリップ様は食肉の事業に手を出しておられませんでしたか?」
「肉か。昔はしていたが・・・・・・二十年以上前に手放したのだ。」
「それはまたどのようなお考えがあってか訪ねてもよろしいのでしょうか?」
これほどの大商人が一事業を手放すというのはタダ事ではない。
それにフィリップが商売で何か大きな失敗をしたという噂も聞いたことがなかった。
果たしてどのような事情があったのかアレクは純粋に興味を抱いた。
「よいよい。そこまで複雑なものでも無いさ。単純に肉が嫌いになったからだ。」
「嫌いに?」
返答はとても簡素なものだった。
まるで下手言い訳の様な・・・・・・・
あまり聞かれたくない話だったのだろうかとアレクは少し不安になる。
しかし、フィリップは話を続ける。
「アレク君には話してもいいだろう。・・・・・・・私の出自は貧民でね。」
「それは誠ですか!?」
自分になら話してもいいと言われた上に、最初からとんでもない事実を聞いてしまった。
同じく貧しい商人出自の自分からすればとても希望の湧く話だ。
「あぁ・・・・奴隷となんら変わりがなかった。そこから這い上がってこの地位にいるのだが、出が出である故に金持ちの高尚と呼ばれる趣味が全くもって理解できん。」
確かに豪邸で何か贅沢をする訳でも、美術品を買い漁る訳でもないフィリップは一部の商人からケチで成り上がった臆病者と囁かれている。
毎週高額な奴隷を買うフィリップはそれに財を消費しているのかと思ったりもしたがフィリップの財産からすれば微々たる買い物だろう。
しかし、何より・・・・・
「それが肉嫌いとどのような・・・・・・・」
フィリップはアレクの言葉を聞き無言で1回頷き向き直る。
「そこからよ。そんな私と大層仲がいい奴がおった。そいつはよく私の支えになってくれた。そして、・・・・・・美食家だった。」
「・・・・・はい」
「美食家故にか料理がまた格別に上手かった。そして、ある日私に世界一美味いものを食わせてやると言い、招かれた私が食べたものは肉とトマトの赤ワイン煮込みだったのだよ。」
「肉とトマトの赤ワイン煮込みですか。それはまた美味しそうな料理ですね。」
「うむ。それはそれは美味かったさ。ワインの酸味、トマトの甘み、肉汁の深み。どれもが調和を乱していなかった。何よりも肉。アレほど美味い肉など食った事がなかった。」
おかしい。
今アレクが聞いているのはフィリップが肉嫌いになった理由だ。
それだけじゃない。
フィリップは美味いと言いつつもまるで苦虫を噛み潰したかの様な顔をしている。
聞いてもいいのだろうか?いや、今更になって流れを乱す様な事はできまい。
アレクは意を決して口を開く。
「・・・・・・それで何故肉が。」
フィリップは重そうに口を開く。
どんな事があったにしろ今苦痛を再度味わっているのだろう。
「・・・・美味過ぎたのだよ。美味過ぎてその肉に疑問を覚えた。私は感激に震え即座にこの肉はなんの肉かと訊いた。だが、奴は言った。企業秘密だ、と。」
「企業秘密?その方は料理も上手いというだけあって食堂でも経営しておられたのですか。」
「いや。そんな事はない。奴は料理人並の腕を持ってはいるものの料理人ではなかったからな。」
「しかし、何故秘密なのでしょう。」
「それは後ろめたい事があったからだと気付いてしまったよ。金を使って探らせた後でな・・・・・・」
「後ろめ・・・・何か法を犯す事を明確にしていたと。」
「そう、私は奴を信用し信頼していた。商人など『バレなきゃ犯罪ではない』が基本だ。羊頭狗肉程度なら見逃していたさ。」
「・・・・・・・違っていたので?」
「そうさ。奴はこの私に、パートナーである私に、奴隷の子供の肉を食わせていたのだ。さも褒めてもらうのを期待している子供の様な表情でな。そして私はそれに応えて褒めてしまっていた。間違いなく私は食べたのだ。人を。子供を。」
アレクは絶句する。
酔が飛び、それに意識も付いて行きそうになる。
しかし、ここでの反応が今後の私の人生全てに影響する。
下手な動きどころか喉も鳴らせない。
フィリップもフィリップでまた動揺していた。
自分から出した話だが、今になって早計だったと後悔している。
アレクは隠しているつもりであろうと大商人であるフィリップからすればアレクの動揺など手に取るようにわかるのだ。
今出来る事はその悪夢のような話からどう今の自分の潔白を証明できるかだ。
「あの美味さは罪の味だったのだ。それで私は共犯者。奴を責める気力など湧いてさえこなかった。とった手段は奴との縁切りのみさ。」
そんな意図は汲めないどころか忘れようとしてつい想像してしまう。
ワインとトマトが滴る子供の肉を・・・・・・・・
刹那、咽の奥から熱い嫌悪感が湧き、耐えられずにえづいてしまうアレク。
無礼を働いてしまい、萎縮しかけるがフィリップは自嘲するように話を続ける。
「だろう。私はそれ以来、食肉を見ると吐きそうになる。食肉の事業は手放すしかなかったのさ。」
「・・・・・すみません。」
「私も侘びのつもりで苦い過去を話したつもりが君も傷ついてしまったようだ。これでは対等にならないな。」
「そ、そんなことは。」
寛大な措置と気分の悪さで涙目になってしまうが、まだ会食という仕事は終えていない。
ここで持ち直せるのがアレクが評価される要因なのかもしれない。
「しかし、金を持つと皆どこか歪んでしまう。アレク君もいずれそうなってしまうだろうが、足掻く事は怠らないようにな。」
「それはフィリップ様も、という認識でよろしいのでしょうか。」
ある意味賭けとも言える冗談だが、それが本来危険であるという判断も今の状態のアレクには難しかった。
「ああ、そうだ。どこかの哲学者が言っていた。完全な人間にはなれないが、完全な人間を目指す事は可能だと。」
「勉強になります。」
「やめてくれ。ただの請売りだ。」
「それが商人ではありませんか。」
「なるほど。これは一本取られた!あっはっはっ!!しかし、本当に嬉しいよ。アレク君が来てくれて。」
「何をおっしゃいます。フィリップ様は元々仕事以外で人と関わらない事で有名なお方でありますのに、そんな方からまるで仕事の様な直筆の文を頂き、個人的な酒宴に誘われるなど願ってもないことです。」
「ふむ。仕事以外で人と関わらない事で有名か。そんな風に言われておるのか。」
「お気に障られましたか?」
「いや、嬉しいよ。人を信じず3流、人を信じて2流、人と見ないで1流だ。私は1.5流だな。はっはっはっ。」
「人と見ないで1流とは一体どういう・・・・・・・」
「仕事相手を人でなくそういう物としてみるという事だよ。私は基本そうしているが君みたいな人として好きな者は信じ、それ相応に応じる。」
「それは私が1流として接する程では無いということでしょうか。」
「違う。仕事相手以上として見ているという事さ。」
「恐縮で御座います。なんて嬉しい御言葉でしょう。」
「そうか、そうか。そんなに真摯に向き合ってくれるお前に私はなんてことを・・・・・・」
「何かいたしましたか?」
「いや、なんてことはない。忘れてくれ。ほれ。」
「ありがとうございます。」
フィリップに酌をされるアレクは為になりそうな話を頭の中で反芻する。
今日はなんて運の良い日であろうか。
明日からは仕事が更に楽しくなるだろう。
そう浮かれるアレクは警戒心と意識を少しずつ溶かしていく。
それはフィリップにとって願ってもない事だ。
だからこそ思い直した上でフィリップは勝負に出る。
「ところで、だな。」
「はい。」
「今、アレク君に想い人はいるのかね。」
「想い人ですか。今のところございません。」
「・・・・そうかね。今時その年で珍しい。伴侶が欲しいとは思ったりせんのかね。」
「それはそうですね。商人は決して、楽な仕事では、ありません。支えが欲しいと思ったことは、幾度もあります。ですが、支えどころか、重荷になる可能性も、そう考えると、少し・・・・・・・・・」
「若いのだからそこまで物怖じをする必要も無いと思うがね。しかし、そうか、想い人はいないと。」
「・・・・それが何か?」
「いや、いいんだ。」
「・・・それにしても、何故、今日は、書斎で、酒宴を開いたのでしょう。あのお広い、食堂の方は・・・・・・・・」
「あの食堂は二人で飲むには些か広すぎる。でかければいいというものではないさ。場にあった広さというものがあるだろう。狭い方が・・・・密度が・・・・・その。」
フィリップは口篭り、慌てて咳払いをする。
卓越した手腕を持つ商人と言えど人間である。
「・・・はあ。」
「とりあえず二人というのならこの狭さこそ仲を深めてくれるだろうとだな。」
「・・・・はあ。」
「広い空間というのは壁が無いからこそ二人寄り添って淋しさを感じないのであって、壁がある状態で寄り添えば何か、こう、淋しさを感じるではないか。そうであろう。」
「・・・・・はあ。」
アレクの反応の鈍さにフィリップもいい加減気づく。
これは所謂チャンスと呼ばれる機会だが、フィリップの顔には影も曇りもない。
とても穏やかな表情である。
「・・・・おや。アレク君。随分と酔いが回ってきたようだね。」
「はい。・・・・・・恥ずかしながら、そのようで。」
「いいのだよ。酔ったということはそれだけ私の饗しを受け取ってくれたという証だ。」
「・・・今宵の、このような饗し。心から感謝を、申し上げます。」
「私の気まぐれと君の人の良さが重なったのだ。何故か君といると懐かしさを感じる。昔の自分を思い出すのだろうか。と言っても私は君ほど真面目でもなかったがね。」
「私といるとですか。・・・・それは光栄です。・・・・・私もいずれフィリップ様のような、大商人になれると、期待して、よろしいのでしょうか。」
「それは勿論だ。私だって協力する。」
「ありがとうございます。そのお言葉を、聞けただけで、今日まで頑張ってきた、甲斐があります。これからも、御昵懇でありますよう、よろしくお願いします。」
「こちらからもよろしく頼むよ。では、そろそろお開きにしようか。」
「・・・・・・・・はい。」
「チャールズ、マリア。お客様のお帰りだ。」
フィリップのその声を受けて執事とメイドが部屋に入ってくる。
「二人共、アレク君を馬車で家まで送って差し上げろ。少し心配なのでな。」
執事は普段通り無表情であるが、メイドは少し不機嫌そうである。
しかし、洗練された動作で一礼をする。
「・・・・・御心遣い、恐れ入ります。」
「気にすることはない。では、また次回の取引でな。」
「・・・・・・はい。次回もご期待に・・・・・・」
アレクはまたここで、就寝という失態をしてしまうが、フィリップはそんなアレクを見て頷き、部屋を出て行ってしまう。
メイドは忌々しげに出て行った方向を睨みつけ、ため息を吐く。
メイドは知っているのだ。執事が馬車の用意をしに部屋を出て行くため、この男を1人で運びださなきゃいけない事を。
「・・・・・・はあ。寝てるじゃないの。マザコンチキンにはやはり無理があったかしら。」
同い年程の若手とは言え働き盛りの男が軽いはずがない。
しかし、それでもまずはやってから諦めるのがその少女の性格でもあった。
高そうなソファーに潰れているアレクを起こし、脇を広げ担ぐ形で腰に力を入れる。
するとどうだろう。
「童顔、童顔とは思っていたけれど。男にしては軽いわね。・・・・・でも重いわ。」
出来なくはない。
寧ろそれほど困難ではない。
そして改善も出来る。
まずはアレクを慎重に一度降ろす。
「服が重いのかしら?全部とはいかないけれど、薄着くらいまでなら脱がせても構わないでしょう。アイツもいない訳だし。・・・・・・いた方がいいかしら。まあいいわ。」
人がいない事を良いことに服を脱がし始めるが、直後異常な事に気付く。
すぐには何枚着重ねているのかわからない程に着こんでいるのだ。
「こいつ何枚着重ねてるのよ。暑くないのかしら。下も着重ねしてる。これは重いはずよ・・・・・・・」
なんとかアレクを薄着にし終えたメイドは剥いだ布の山を見て一息吐く。
「これでまずこいつを馬車まで運んで、もう一度来て服も積めばいいわね。いや、チャールズを使いましょう。そしてこんだけヒョロガリなら私でも余裕ね。」
意気込み、今度は先程と違ってソファーを利用してアレクを背負う。
すると、メイドは訝しげな顔をする。
「こいつ・・・・・・。はあ。」
私の口から溜息が消える事はないのかもしれない。
そんな事を思いつつ馬車が手配してあるはずの玄関へ向かう。
どうやら執事も手配を終えたのか、こちらへ向かってきていた。
「部屋にこいつの服があるから持ってきて。」
顎で執事を使う少女は本当に先程まで完璧な接客を演じていた彼女なのであろうか?
しかし、何も言わずに一瞥して執事は書斎に服を取りに行く。
「その服はアレク君の忘れ物かね。」
突然の主人の登場に動じず執事は、頷く。
「ふ、服か。」
フィリップは挙動不審に近づきアレクの服を手に取る。
そして、服の物入れに入っている物を物色しはじめる。
虫眼鏡、小銭入れ、フルーツナイフ、葉巻入れ、スキットル等々色々な物がどんどん見つかっていく。
「随分多い服だな。アレク君は葉巻を吸うのか。その上携帯用の洋酒とは本当に酒好きだな。」
フィリップの暴走は止まらず徐ろに匂いを嗅ぎ、頷く。
そして、大きい深呼吸で堪能し、頷きながら服を執事に返す。
執事は服を受け取ると部屋を出て行ってしまう。
フィリップはその後も余韻を味わっているのか、頷きながらウロウロしていたが、そこにメイドが肩を怒らせて戻ってきた。
フィリップ自身は彼女が怒っている理由くらいわかる。しかし、反抗せずにはいられなかった。
「・・・・なんだ。」
「なんだ、ではありません。寝ていましたわ。」
「・・・・・・それでなんだ。」
「何故何もしなかったの。」
信用で成り立つ商人という仕事をしているフィリップは一度決めた事を曲げた後ろめたさを強く感じていた。
故に強くも言い返せない。
「薬は。」
「使った。」
「・・・・だったら!」
「いい!もういいのだ!やはり私は間違っていた。」
「急にどうしたの?あの人が来る前はあんなにやる気だったのに。」
「どうしたもこうしたもない。商売でも無いのに人を騙すなど、傷つけるなどやはり御免だ!」
「ご立派ね。つまりモノにする気は無いと。」
「それはない。今回話して、より彼を魅力的に感じた。身も心も是非虜にしたい。だが無理やりなど駄目だ!それで輝きを失われては溜まったもんじゃない。」
メイドの目的はただ一つである。
それは自由になるということ。
しかし、その為にはまずこのフィリップという男が障害であった。
親の借金を返済しきるという解決手段もあるがそれは不可能に近いとお互いよくわかっていた。
ならば命を狙うべきだが、これほどの男を狙って無事でいられるはずがない。
そして逃亡生活が決して自由でないこともよく知っているのだ。
もう一度言うが彼女の目的は自由である。
「彼ねえ・・・・一つ訊いていいかしら。」
「何をだ。」
「あなたが惚れているのは、男あっての彼なのかしら、それとも彼という人間なのかしら。」
「どういう事だ。比較になっていないだろう。男であるという要素も含めてこそ彼という人間なのだ。」
「つまり、男でない彼に用はないと。」
「それは・・・・・・そうなるな。」
「その程度ってこと。」
「彼は素晴らしいさ。彼が彼女であろうと私が感じた素晴らしさは事実だ。しかし、無理だ。私はもう女という生き物を信用できない。それ程騙されてきたのだ。私は人間が好きだ。しかし、女が嫌いとなれば残るは男だけであろう。」
「私は女だけど。」
「否、お前は女などという穢らわしいモノでは無い。お前は、母さんだ。」
「女と母は重複できないモノと言いたいの。」
「当たり前だろう。でなければ疾うに処分している。」
まるで日常の一部のように口にするが彼は実際に人を処分する事が可能である。
私がこの男の母を演じる事を拒否したら自由を求めることすら叶わないのだろう。
「・・・・はいはい。」
「それで結局。アレク様が女だったとしたらどうするの。」
「意図が読めないな。そんな不快な質問など。」
「いいから答えなさい。」
「・・・・・縁を切るだろう。」
「わかったわ・・・・・性別ごときでそんな。」
「私は三回離婚をしている。」
それは、どうしようもない事実である。
その三回の離婚は今少女が行っている謀が以下に難しいかを意味している。
「そう、私もアレク君ぐらいの年では女好きだったよ。一人目は最高の女だった。外も内も関係もな。アレほど信頼した人間もいないさ。しかし、完璧だと思っていた物の歪みに気付いた時の衝撃と落胆は酷いものさ。」
「それでも再婚したのでしょう?」
「そうだ。二人目の顔はピカイチだったな。絶世の美女とは正にアイツの事を言うのだろう。だが、出る分が大きいほど凹む部分もでかい。奴は所詮金目当てだった。財産の殆どを持っていかれたよ。」
「馬鹿ね。」
「言い返せんな。そして、三人目。奴は最早意味がわからん。私が心身疲れ果てていたからこそ騙されたのだろう。名前、職、出身、歳、性別、全てが嘘だった。虚偽で出来た何かと私は結婚していたのだ。」
「性別?」
「そう。奴は清らかな身体で初夜を迎えたいと言い私はそれに従った。であるのに、いざその時が来れば何かが違う。何かが違ったのだよ。」
「騙される方が悪いし、女じゃ無いじゃない。」
「そう思うだろう。だが、私はそやつらの共通点は女性であった事に気付いた。性別でなく、記号としてのな。」
「それってつまり男性として生きている女性は許せるって事になるけど。」
「それは、少し違う。主観として私がそいつを男性として見れているかだな。」
「自分勝手ね。つまり肉体関係を持つような間柄は無理って事。」
「そういう事だ。ついでだが、男であろうが女であろうが結婚はもういい。人が好きだからこそ嫌いになりたくない。嫌いになりたくないからこそ無理に近付かない方がいい。」
「でもアレクに近付こうとしているじゃない。」
「それは母さんが。」
「私を言い訳に使わないで。結果的にあなたがあの人に近付いたって事は今あなたが語ったどこかが偽りである証拠でしょう。」
痛い所を突かれたのか、フィリップは顔を少し歪めて踵を返してしまう。
「・・・・・・・・私はもう寝る。」
だが、好機でもあるのだ。
フィリップは自分の矛盾に気づきつつある。
「待ちなさい!また逃げるの?あなたはいつもそうね!そんな中途半端さでよくここまで成り上がったものだわ。」
「母さんは、私にどうしろと言うのだ。」
「あなたは人好きと人嫌いを上手く両立させてるけどそれは私から見て決していいとは思えない。あなたは人とどうありたいの?。それが見えないわ。」
「私こそ見えていたなら伝えている。」
「私を閨に呼ぶものの伽と言えば子守唄や枕代わり。あなたに女を求められていないのはよくわかったけど。母役、いえ、母というものをあなたから見てどの位置に置いているのかしら。」
母役という言葉が癪に障ったのだろう。
フィリップは露骨に不機嫌になった。
「知らん。」
「あなたにとって一番近しい人。そうでしょ?」
「やめてくれ!」
「フィリップ。これは命令よ。よく聞きなさい。私は思うの、あなたは哀しい人だと。」
「哀しいだと?」
「ええ、そうよ。刃を捨てなさい。触れるもの皆傷つけられる人などいないわ。」
「はっ、何を・・・・・・・」
「私とフィリップ。フィリップとチャールズ。フィリップとアレク様。どれも商売では無いのよ。」
「そんな、そんな事は解っている!それでも、騙しに商売も何も無い!私はそれを身を持って知っている。」
「だから誰も信用ならない。」
「そうだ。」
「ならあなたは毎週買っている高い奴隷を好待遇で雇っているけれども、それは信用して貰うためではないの?」
「何を言っている。私は信用をしないと言っただけで。信用を買う事を否定などしていない。」
「わかってるわ。でも信用しなくては信用などしてもらえないじゃない。」
「そんな事はない。一方的に信用を買う事など容易い。」
「どうだか。奴隷を選んでいるのは信用する為だという説明にはならないって事かしら。」
「・・・・・」
「あなたは粗暴な黒と卑しい黄色はお断りだと言ったそうね。それはあなたの中で白はまだマシだという思いがあるわけだけれども。それは・・・・・・・・」
「ええい!もういい!!寝る前に何故このような陰鬱な気持ちを抱えなければならんのだ!」
「それはあなたに後ろめたさがあるからよ。」
「後ろめたさ?それがなんだ。悪いのか?人間なら誰だって持つであろう悩みだ。好きは消えん、怖いは消えん、ならどうすればいいか。・・・・・・・見ない事にすればいい。」
「残念ながらそれは瞼の裏の出来事よ。癇癪を起こす前に向き合いなさい。でなければ幸せになれないわ。」
「そんな事を言われた所で・・・・・・。」
「あなたが幸せになる事は母親の願いなのよ。それじゃ駄目なのかしら。」
「・・・・・・。」
「不快にさせた事に関しては私が悪かったわ。お詫びに今日は絵本を読みながら優しく寝かせつけてあげる。準備して閨で待っているわ。」
「・・・・・わかった。・・・・・・・・・絶対だぞ。」
何はあれども夜は更ける。
得る者得ずとも夜は更ける
得る物得ずとも夜は更ける。
経る月日故減る心。
満たされるのは如何な望みか。




