朝
次の日も彼は学校を休んだ。
だけど、その日の僕はそんなこと気にしなかった。
彼が迎えに来る。
それがただ、嬉しかった。
そして迎えた運命の放課後。
何時何処で彼が迎えに来るのか解らないから、僕はいたって普通に下校する。
途中駄菓子屋に目を向けたけど、普通に開店しているから此処ではないだろう。
結局僕は家に着いてしまった。
もやもやしたまま家に入り、自分の部屋に入った。
肩を落とした僕はスクールバッグから荷物をすべて出し、違うものを詰め直す。
筆箱と気に入りの本、そして財布と通帳だ。他にも救急セットの入ったポーチと、日用品。
ベッド下から例のバッグを取り出し、ベッドに倒れ込む。
「来ないじゃないか、馬鹿十戒」
ふてくされたようにバッグを抱きしめる。旅行用のボストンバッグだから、大きくて抱き心地はよかった。
寝転んでいると睡魔が襲ってくる。うつらうつらとしてきたころに、僕は例の音を聞いた。
コツコツ、コツ。
「鴉!!」
僕は慌てて、しかし足音を殺して窓に駆け寄った。
ベランダに出ると、鴉は飛び上がって急降下していく。
柵を越えた鴉を追うように下を見ると、そこには見慣れた彼がいた。
「十戒!」
「やぁ、吏結」
僕の名前を呼んでから、彼は人差し指を口にあてた。
僕は慌てて口を噤む。
彼の肩には二匹の鴉。その内一体が僕のもとに飛んできた。
咥えていた紙を受け取り、中を見る。
『荷物投げて、適当に理由付けて出てきて。
お待たせ』
読みをわるのを見計らって、彼は僕に微笑んだ。
久しぶりの笑顔だった。
僕は大きく頷いて、荷物の入ったバッグを取りに部屋に戻る。そして、彼に向けてバッグを放った。
変な軌道を描いたそれを器用に受け取った彼は、ニッコリほほ笑んで敷地を迂回する。
僕もそれに合わせて部屋に引っ込む。
スクールバッグを持って、それから勉強机に向かう。
そして引き出しの中からレターセットを取り出して、急いでシャープペンを走らせる。
『探さなくて大丈夫です』
それだけ書いて、僕は居間に降りた。
いつものように、軽い調子で母親に言う。
「ちょっと買い出し行ってくる」
「はぁい」
母親は対して気にしないように返事をした。
そして、僕は居間の扉を閉め、玄関で靴を履く。
僕は一言、さりげない口調でこう言った。
「じゃあね」
下駄箱の上には、あの便箋を置いて。
敷地の外で彼は待っていた。
僕のバッグと自分のバッグを持って。
「やあ、吏結」
彼は改めてそう言った。
それに対して僕はろくに挨拶もせず、彼の胸に飛び込んだ。
「お待たせ、吏結」
彼が、僕を強く抱き寄せる。
本当に、長らく待たされたのだ。服を濡らすぐらい許されるだろ。
彼は素早く僕を引きはがし、諭すように言う。
「早く行こう。お母さんに感づかれるよ」
僕は頷いて、彼の手をつかんだ。
彼からバッグを受け取りながら僕は言う。
「今日は洋服なんだ」
そう、彼は黒いワイシャツに紺のカーゴパンツという、いたって普通の服装をしていた。和服でない上に、籠手も着けていない。
「目立つからね、和装」
そう言えばそうだ。
僕は彼に寄り添いながら、彼に歩調を合わせてもらって歩く。
「何処まで行くの?」
「少し遠くまで。遠すぎると僕らでは不利だからね」
そうなんだ。
適当に相槌を討って僕は頬擦りをする。
すぐ隣に彼がいる。もう、ずっと二人でいられる。
それなら、何処に行こうと構わない。
僕等はなかなかの旅をした。
電車を何本か乗り変えて、違う鉄道会社の駅の間を歩いて、途中夜ご飯も食べて、そしてまた電車に乗って、それからバスにも乗った。
そして、僕たちは。
目が覚めると、すぐ隣に温かな温もりがあった。
黒い髪に黒い服。肌だけが真っ白な狐のような少年。
烏哭十戒。僕の大切な恋人。
僕はその少し跳ねた髪をすいた。
見渡すとクリーム色の壁紙。家具は無く、フローリングは真新しかった。
「そっか…僕達……」
僕はうっすらと瞳を開いた。
すぐそばで幸せそうに寝ている愛しい彼の、僕より少し小さな背中をなでる。くすぐったそうに、茶色い髪がすり寄ってきた。
これから僕は、君を不幸にするだろう。
傷つけ苦しめ、闇の淵まで引き寄せるかもしれない。
それでも僕は―――
「君がいれば、それでいい」
これは、虚無を司る漆黒の法師が少年だった頃のお話。