手紙
今年の体力測定を終え、明日からゴールデンウィークだというこの日の放課後、教室を出た僕を彼が出迎えてくれた。
「どうしたの?」
思わず瞬きを繰り返して僕は訊く。
何かあった時は勢いよく僕を呼び、勝手に引っ張っていく癖に。
妙に大人しいくせに、出迎えなんてしてくれるから、寧ろ不安になった。
「ちょっとね」
そう言って彼は僕の手を掴んで歩きだそうとする。
だけど、一度立ち止まって直ぐに手を離した。
彼の行動や表情の意味がいまいちよく理解できなくて、僕は彼を見上げてただキョトンとしていた。
帰ろう。そう言って先導する彼について、僕は昇降口を潜った。
そして例の如く、誰もいない駄菓子屋で彼と向き合う事になる。
「十戒…?」
今日の彼は少し変だ。
向き合って尚何も言わない彼に、僕はどうしようもなく落ち付かなかった。
しばらくして、外から女子の声が聞こえる。
駄菓子屋が閉まっていることに不満の声をあげているようだ。
それに急かされたのか、俯いた彼はそろりと口を開く。
「あと二週間ぐらいで、出来そうなんだ」
僕は鞄を強く握った。
何のことかはすぐに解る。
彼は予想通りの言葉を口にした。
「もう少しで、僕はキミを選べる」
指先がほんのり赤い。
僕の頬も、朱に染まっているだろう。
彼は僕の方を見ないまま、感情を殺した声で続けた。
「だから、準備をしておいてくれないかな」
「準備って…」
僕にやれることがあるんだろうか?
彼は何を思ったのか、勢いよく顔を上げた。
今までに見たことのないくらい、彼の頬は赤かった。肌が白いから、尚更。
「準備って…、キミは何にも持たずに家を出るつもりだったの?」
彼は驚いたような、恥じたような表情で僕に言う。
勿論、声は潜めているが。
そして僕は思い至った。
準備って、家を出る準備か。そうか、駆落ちってそういう事だ。
「今更なにゆうてん!?」
彼が目をまん丸に開いて詰る(なじる)ように言う。どうやら考えを読まれたらしい。
僕は目をそむけてポツリと言いわけをする。
「あぁ、えっと…。言い出しっぺのくせに悪いんだけど、ね。スケールが大きすぎて、そこまで頭が回って無かった」
「そんな…」
彼がしぼんだ声を出す。
いったいどうしてそんなに泣き出しそうな声を出すんだ!?
真っ赤になって涙をためる彼が可愛すぎて、僕は思わず俯いた。
先ほどから、彼のこの緊張っぷりが良く解らない。
ただ、
「そっか、ようやくか…」
情けないぐらい、僕の顔は緩んでいたと思う。
彼がコテリと首を傾げる。
久しぶりに見た狐のような愛らしさだ。
僕は彼の胸板に額を触れさせ、小さく呟く。
「ようやく、僕たちは一緒にいけるんだ、と思って…」
そう言ったら、僕まで泣けて来た。
彼の指が小さく僕の肩に触れる。
彼は、僕の耳元でささやく。何時ものように。
「だから、もう少しだけ待っていて。もうすぐ、僕はキミを選ぶから」
「うん」
僕は彼のほほに小さく口付をした。
ゴールデンウィークの予定が決まった。
ゴールデンウィーク明けの朝。僕はベッドの下のバッグを見つめた。
ワイシャツの襟を正し、ネクタイとブレザーを手に持ち、小さく悩む。
「今日から移行期間…。ブレザー、どうしようかな…」
この後僕は、結局冬服で行くことにする。
着替えの途中常に意識にあったのは、ベッド下のバッグ。
中にはゴールデンウィーク中に揃えた家出グッズが詰まっている。
そうしないうちに、僕と彼は一緒にいける。そう思うと頬がにやけた。
部屋の掃除は自分でこまめにしているため、母親はよっぽどの事がないと無断入室しない。ばれる心配は殆どなかった。
実際、あの日が来るまで、このバッグの存在がばれることは無かった。
ほんの少し上機嫌な僕に反し、彼の顔色は優れなかった。
「大丈夫?」
と訊いても。
「うん。もう少しだから」
と返ってくるだけ。
未だに、彼の気持ちは読み取れなかった。
そして、そんな状態の彼を見続けて約一カ月。
ドキドキや期待が、そわそわとした不安に変わった頃。
ある日、彼は突然早退した。授業中だったらしい。
何でも、家に呼び戻されたという。
まさか、駆落ちの事がおうちの人に気付かれたのでは、と杞憂する僕は、不安に駆られながら家に帰った。
しかし、母親は何も言ってこなかった。
駆落ちがばれたのなら、僕の親にも連絡が入って良いだろうに…。
すると、今回の事は関係ないのだろうか?
心配に頭を悩ませながら夜を越えた次の日、彼は家庭の事情で学校を休んだ。
彼の事で頭がいっぱいで、ロクに授業に身が入らなかった僕は、家に帰って直ぐご飯の準備をした。
何かやっていないと、頭が彼で埋まりそうだった。
炊飯器のスイッチを入れ、下準備を終えた僕は、米が炊けるまでの時間、勉強をしようと思い至った。ので、自分の部屋に行ってベッドにダイブする。
ベッドに投げてあったスクールバッグから理科の教科書を取り出して、ぼんやりと内容を読みだした。
そんなとき。
コンコン、コン。
何かが窓をたたいた。
野良猫か何かと思って無視を決め込むと、今度はその音が二重に重なった。さらに何かバサバサ聞こえる。
「な、ななな何!!?」
ベッドから跳ね起きて窓を見る。
そこには黒い塊が二つあった。
赤い光が四つ、こちらを見つめている。
なんだ、アレは。
慄然としていると、その塊の一方が口を開いた。
「ガー、ガー」
からす?
ぱちくりと瞬きをしていると、もう一方の鴉がもう一度窓をつついた。
そのクチバシには紙が挟まっていた。
そろそろと、四つん這いになって這いより、自分を指さして訊ねてみる。
「僕当て?」
答えるはずないのになにやってんだ、僕………って、ん!!??
鴉が、頷いた?
「!!!!!???」
思わず跳ねあがって、後ずさりする。
嘘だろ!?鴉が人間の言葉を理解するなんて、聞いたことないよ!?
しかし、僕当てと来た。
それも、その真っ黒さが、どこぞの黒ずくめを連想させた。
僕は慎重に窓にはいより、手が入るだけの隙間を開けた。
すると、何も持っていない方の鴉は一目散に飛び去り、もう一方の鴉だけが残った。そして、その鴉は静かに跳ねより、くちばしを突きだす。
恐る恐る手を伸ばすと、鴉は僕の手に紙を落として数歩、跳ね下がった。そして、大きな黒い翼を広げて飛び去ってしまう。
しばらく鴉の逝く先を見つめていた僕は、肌寒さに我に帰り、部屋に引っ込んだ。
手の中の紙を慎重に見つめる。
指さ気で恐る恐る触れると、それが質の良い和紙だと気が付いた。
そして、
そこに書いてあるものが、彼の筆跡だという事にも。
慌てて紙を開き、気持ちを高ぶらせながら読む。
そこには、彼らしい丁寧な文字でこう書かれていた。
『明日の放課後、迎えに行きます』






