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僕しか知らない恋の意味  作者: 久野悠花
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 あっという間に寒空が増え、彼の着物籠りが見られるようになった。

 そして、彼と会えない一カ月がやってくる。

「それじゃあ、吏結。少し早いけど、良いお年を。また来年ね」

「うん、十戒も、良いお年を」

そして僕等は各々の帰路に分かれる。

 僕はその日の帰り路に彼に二つの質問をしていた。

 一つ目は彼に明日から学校を公欠すると伝えられた時、なかなかすんなりと訊くことができた。

「ねぇ、いったい何で学校を休むの?」

「んぅ?家の用事だよ」

「だから何の?どんな用事?」

「んぅぅ…何て言えばいいかねぇ」

かなりしつこく僕は訊ね続けた。

 さすがの彼も呆れを見せ始め、やがて小さくこう答えた。

「正月に向けて忙しくなるから家の手伝い。それ以上は教えようがないよ」

とっても言いたくないようだった。

 しかし、彼と出会って以来、これでもかというほどのヒミツの臭いをかいできた僕は、立て続けにもう一つの質問をした。

「ねぇ、キミの家って、いったいどうなっているのさ」

彼は目を細めた。

 何時もみたいな胡散臭そうな目ではない。

 人でも指し殺せそうな、鋭い視線。

 それでも僕は彼を見上げ続けた。

 彼は僕の方を横目で見て、ゆっくり視線を合わせてくれた。

 そして、

「ごめん、教えてあげられない」

ただし

「普通じゃないことは、確かだよ」

 彼はそれ以外何も言わなかった。

 今年最後の会話ぐらい、大切にすれば良かった。

 後悔していてもしばらく彼に会えないのに変わりはない。胸の中がもやもやしたまま、僕は冬休みを迎えた。


 そして年が開け、再び学校生活が始まる。

 久しぶりに会った彼は、数段と大人びて、無意味にカッコよくなっていた。

 僕の隣を歩いて帰る彼は、落ち着いた様子でこう話した。

「どうやら順調みたい」

何の話かはすぐに解った。

 別れ際、彼は僕の髪を小さく撫でた。本当にこっそりと。

 そして、彼は踵を返し、僕に手を振る。

「またね、吏結」

いつもの羽織を翻して。

 黒い羽織から、慣れない香の匂いがした。


 そして、僕の運命の日とも言えるバレンタインが訪れる。

 去年の事があったからか、男女問わず学年の人が僕の下に訪れた。おかげで彼の下に行けやしない。

「鴻巣!!!チョコよこせ!!!!」

男子がこぞって僕の鞄をひったくる。

「うわぁ、止めて!!!そんなかには…!!」

彼へのチョコも入ってるんだから!!

 彼らに見つかったら、どうなる事か。

 そして、問題児の一人が件の箱を引っ張り出す。

 ヤバい。

 問題児達はゆっくりと僕を見て、低い声でこう問いただした。

「鴻巣ぅ」

「は、はい!!」

深い青の箱を突きつけ、高らかに問いただす。

「これはいったい、誰にもらったァァ!!!!」

へっ?

「てめぇ、この裏切り者がぁ!!」「鴻巣君、誰にもらったのそれ!?」「おい、誰か抜け駆け者がいるぞ!!」

男子も女子も勝手に騒ぎ始める。

 どうやら、僕が誰かからもらった物だと思っているらしかった。

 

 目の前でクスクス笑いを堪える彼に、僕は溜息を吐く。

「本当に大変だったんだよ?」

「吏結、人気だね…プっ」

僕じゃなくてチョコがね。

 僕はチョコを取り返した経緯を彼に話した。

 簡単に言うならば、上級生から彼宛てに預かった、と嘘をついただけだ。

 容姿端麗才色兼備、名前だけでなくその見目の特徴や成績などの噂まで広まっている彼当てだというと、皆悔しそうに納得してくれた。

 実際、彼は小一時間ぐらい上級生下級生のファンに捕まっていた。

 チョコは、一つも受け取らなかったらしい。

 彼はふくれっ面の僕を見て、謝りながらクッキーを口に運ぶ。

 甘さ控えめ低カロリーのそれは、深い青の箱に入った僕の手作りだ。

「やっぱり美味しいね、キミの作るものは」

微笑みと共にさりげなく囁かれた台詞に、僕は顔を赤く染めた。

 去年より温かな冬だった。


 そして、僕は、この日からあの日まで彼の笑顔を一度も見れなくなった。


 明日から始まる春休み。僕は何時もの通り彼の下に行こうとした。

 机から鞄を取り上げ肩にかけて扉に向かう僕に、学級委員の男の子が声をかける。

「鴻巣」

「何?」

僕は足を止め少年と向き合う。

 少年は小走りに近寄ってきて、

「これ見てくれない?」

と二枚の紙を渡す。

 目を通すと、それが春休み中に行う勉強会みたいなものだと解った。『春期復習会』の名付けられたそれが二年生の学級委員四人が主催だという事が記してある。

「教室を借りて皆で一年間の復習をしようって話しになったんだ。勿論、生徒だけで」

「春期、ってことは夏期冬期もあったの?」

そんなことは知らないし、小耳にはさんだ事もない。

「いや、来年の受験に備えて、この春休みから長期休学ごとにやろうと思ってるんだ」

「じゃ、今回が初めて?」

少年は頷いた。

 僕は一枚目にある開催日時と概要を改めて読み返し、それから二枚目を捲る。

「あれ?」

二枚目はまったく同じものだった。

 間違えたのかとその一枚を少年に渡すと、彼は少し目を泳がせて言いづらそうに頭を掻いた。

「それ、烏哭君に渡してくんね?」

「十戒に?」

少年はコクリと頷く。

「あいつ頭いいじゃん?噂だと九十点以下取ったことないって言うし」

僕は頷く。噂じゃない、事実だ。この二年間の定期テスト平均点は九十八点だったらしい。

 僕は悟った。

 おそらく少年たちは教師役として学年主席の彼を呼びたいのだろう。しかし、ここのところ近寄りがたい雰囲気の有る彼に話しかける勇気がなく、唯一一緒に帰っている僕に仲介を任せたいのだ。

 僕だって、最近会話はしていない。ただ隣にいるだけだ。

 少ししょぼくれた僕に気が付いていないのか、少年は柔らかく微笑んだ。

「なんか最近暗い顔多いしさ、烏哭君。男女比率はともかく、大半の生徒が参加してくれるから、楽しいと思うんだ。二人で来てくれよ」

「…うん。一応声掛けてみる」

少年は爽やかに微笑んで去っていった。

 

 帰り路、彼にプリントを渡した。

 プリントを読んでいる彼の表情が、久しぶりに色づいていたのが嬉しかった。

 しかし、読み終ってから数拍。すまし顔の彼は僕にプリントを差し出した。

「ごめん、とても魅力的だけど、たぶん行けない」

作り物じゃない、本心だ。

 同級生たちとの勉強会は、彼にも楽しげに映ったのだろう。少なくとも僕はそう感じた。

「一日だけでも無理なの?」

僕はしつこくならないように軽い調子で訊いた。

 彼は少し黙り込んだ後、ポツリと言う。

「…行けたとしても、すぐに帰ることになるね。一時間もいられないと思う」

彼にしては珍しい、アンニュイな声だ。

 彼の差し出したプリントを受け取り、僕はぼんやりとそれを見下ろした。

 少なくとも、僕は彼と休日を過ごしてみたい。

 彼と一緒に、この勉強会に出たい。

 いつもの分かれ道で、彼は何時ものように角を曲がる。

 手を振ろうとして持ちあがった彼の手を、僕はとっさに握っていた。

 彼が驚いたように足を止める。

「吏結…?」

ずいぶん久しぶりに呼ばれた名前。

 僕は彼の胸板に『春期復習会』のプリントを叩きつけた。

「一時間だけでもいいし、たった一回でもいい!僕はキミとこれに参加したい」

驚いたように彼が瞬きをする。

 僕は素早く身を翻して、叫ぶようにこう言った。

「だから少しは予定を開けろよ!!バカ!!」

 僕は逃げる様に走り出す。

 彼の足ならすぐに追いつくだろうに、彼は追いかけてこなかった。


 馬鹿は、理不尽だったかもしれない。

 だけど、これが僕の本心で、何度目かの我儘だ。

 家に帰ってから、僕は彼をバカ呼ばわりした事をわりと本気で後悔した。


 勉強会初日は、春休み二日目の昼から三時間だった。

 私服で教室に入った僕は少し驚いた。

「思ったより人がいる…」

 二年生総勢五十人中三十人近くが集まっていた。

 思わず呆けていると、学級委員の少年が近寄ってきて、

「よっす。適当に席使って。あ、なんだったら俺らんとこ来る?」

そう言って問答無用で僕の手首をつかんだ。

 グループ分けは決まっていないらしく、単純に中の良い同士で集まって机を寄せあって勉強をしていた。

 案外みんなまじめで、しかし休み時間のような気楽さがある。この場にいるだけで楽しくなってきた。

「なんか、皆の私服って新鮮だね」

「うん。普段一緒に遊ばないやつもいるから尚更ね」

少年はそういって自分の教科書を持ちあげた。

 見渡すと、教えている人が大体決まっているらしく、その人はいずれも成績上位者として貼り出されている人たちだった。

 張り出される二十人のうち、いないのは三人だけ。

 彼も、その一人だった。

「あのさ、鴻巣」

少年が控えめに話しかけてくる。

 何のことかはすぐに解った。

 僕は首を振って俯く。

「彼、来ないかもしれない…。忙しいみたいで、来れても一時間もいられないって」

「そっか…」

少年もつられて俯く。

 他の男子が僕の肩をたたく。

「まぁまぁ、落ち込むなよ、鴻巣!」

「そうそう、たまには烏哭以外の連中とも絡んでみろよ!」

僕は小さく微笑んだ。

 確かにいい機会だ。あまり話さないクラスメイト達とも、少しは話してみよう。

 訊くと、みんなやる教科は決まっておらず、やりたい物をやりたいだけやるみたいだ。なので、僕も苦手な数学を開く。

 彼が言っていた。数学は公式があれば解ける、機械じみててなんか嫌い。何でも、皆が同じ答えに辿り着くのが面白くないらしい。

 一時間ほど数学をやり、今度は国語を開く。

 彼はこう言った。国語は人によって考えが違うはずなのに、正解を押し付けられるから嫌い。何でも、自分で考えることに意味があるはずなのに、それを制限されるのが納得いかないらしい。

 それなら何が好きなの?

 僕は理科の教科書を開いた。


 理科。だって、僕達が自分の手で触れて、感じて。学び続ける事が出来るから。決まった答えで終わりじゃない。誰かに何かを押し付けられる事もない。自分で拓き、突き詰めていける。一番自由で、そして無限の学問だ。だから人間は科学を極め続けている。ね、面白いだろ?

 

 僕にはよく解らなかった。

 だって、理科だってこれはああしろ、これはこうだと決まっている。そう教えられるものだ。不明確な事も多いまま、決まっている事を教えられる。数学もそう。だから僕は理系が好きではない。

 だからといって、文系が好きなわけでもないけどね。

 理科の教科書を一通り見終わった時、教室のドアが開いた。

 先ほどから部活やらなんやらで何人かが抜け、遅刻やら気まぐれやらで何人かが加わる。だからそれ自体は特別な意味は無かった。

 だけど、

「や、こんにちは」

僕の肩をたたいたのが聞き覚えのある声だったから、今回は物凄く特別だ。

 後ろには彼がいた。

 学級委員の子が嬉しそうに彼と話している。

 彼は相変わらずのすまし顔だ。

 僕は彼の事をまじまじと見た。

 少し跳ねた黒髪。細切れの三白眼。整った目鼻立ちと、真っ白な肌。長身な細身は黒と赤の和服に包まれていた。

 まさか、来てくれるなんて。

 

 十日間の春休みの内、六日行われた勉強会。

 その内彼は毎回一時間前後、しかし全ての日付に来た。

 学年主席の名に恥じぬ教え方をする彼は、男女問わず引っ張りだこで、いろいろな人にいろいろな教科を教えていた。

 毎回和服で来る彼に幾人もの女子が頬を赤くするのは面白くなかったが、毎回彼に会えたのはとてもうれしかった。

 

 三年生になって三日目、僕等は春休み明けテストという壁に突き当たる。

 四十点を取れなかったものは補習として大量の宿題を出される、長期休学後の恒例行事だ。僕は過去に二回、これに酷い目にあわされた。

 毎回二十人強の生徒が被害に遭うらしい。

 しかし、

「うおぉ!!」「やべぇ、俺神かも!!」「見て!初めて補習回避した!」「私数学苦手なのに!」「今回、何か、簡単だったよね」「見ろよあの先生の顔!」「すっげぇ、悔しそう!」

 教室には悲観した顔がほとんどなかった。

 二十五名中、補習は二人だけ。平均点は七十四点。

 過去最高の成績だ。

 かく言う僕も、自分の答案両手にわなわなしている。

 右から順に八十八・八十五・九十二・七十六・七十八。国語・社会・英語・数学・理科の順だ。

 どうやら隣のクラスも同じようなものだったらしく。補習は三人、平均点は八十一。

 四人の学級委員は大げさにハイタッチを交わしていた。

 帰り路、僕は彼にテストを見せる。

「凄くない!?この僕が理数で七十越え!!」

彼はまじまじと僕の答案を見つめ、

「どうも、補習だった人は全員勉強会に参加しなかった人みたいだよ」

と呟く。僕への称賛は無いようだ。

 やはり、あの『春期復習会』が功を着したのだ。

 彼は上機嫌な僕に五枚の答案用紙を出す。

 五枚全てが三桁だった。

「す、ごい…」

何時見ても、彼の秀才さには目がくらむ。

 二組が平均点で勝った理由はどう考えてもこの五枚のおかげだ。

 何時もなら一方的にうらやむばかりだが、今日は少し違う。

「キミのおかげだね」

彼は僕を見つめる。

「キミが皆に教えてくれたから、これだけの成果があったんだ」

彼は静かに瞬く。

 僕はクラスの人たちからの伝言を囁く。

「烏哭先生に万歳!!」

本当に、皆がそう言っていた。

 本当は単純な感謝の気持ちとかが多かったけど、やっぱり、補習常連組の心底うれしそうなこの音頭を彼に伝えたかった。

 彼が目をまん丸にして足を止める。

 そしてふいと俯き、小さく口を動かした。

「ウチの教室まで聞こえとったわ、馬鹿」

かすれそうな声だったけど、僕にはしっかり聞こえていた。

 指先が真っ赤だったことにも、しっかりと気付いていたしね。


それは久しぶりに見た、少年らしい彼だった。


 『春期復習会』がもたらしたのは成績向上だけではなく、僕の幸せだった。

 バレンタイン以降まともな会話が無かった僕は、これに誘うために彼と話しが出来たし、勉強会の間もくだらない会話が出来た。そして、今、テストの結果の事で話しは盛り上がっている。

 相変わらず前とは違うすまし顔。

 だけど、どこか表情は軽く、最近纏っていた話し難い雰囲気はなりを顰めていた。

 勉強会の時もそう。皆に囲まれて教師役に徹する彼は、僕等と変わらぬ中学生だった。

 彼は壊れてしまったんじゃない。

 その事が、僕に深い安心感を与えた。

 ずっと、彼の心が壊れてしまったんじゃないかと不安だったから。

 胡散臭くも豊かだった表情や飄々とした言動が姿を消し、今みたいな硬いすまし顔ばかりになってしまった時、僕はひどく困惑した。

 だから、今、軽い調子で言葉を紡ぎ表情を和らげる彼に、僕はひどく安堵していた。

「ねぇ、十戒」

駄菓子屋さんの前で、僕は彼の手を握った。

 少し驚いた顔の彼は、少し俯いて僕の手を握り返す。

「何?」

真っ赤な指を握ったまま、僕は何時も彼がするように、彼の耳に口元を寄せる。

 そして僕は囁いた。

「大好きだよ」

 彼の表情を確かめる間もなく、僕は手を離して駆けだす。

 そして田圃を越しに大きく手を振った。

「じゃあ、また明日ね!十戒!!」

 彼はいったいどんな表情をしているだろう。どんなこと思ったのだろう。

 そんなことは一つも解らないけど、僕はやりきった感でいっぱいで。

 少し、にやけていたかもしれない。


 それから、僕たちはまた、傍に居続けるだけの関係を続けた。

 ただ少し違うのは、お互いに心が軽くなった事だ。

 僕は、彼が中学生としての一面を持ち続けていることに、ひどい安堵と喜びを見出したから。

 彼の事はよく解らないけど、アレ以来、身に纏う雰囲気が和らいでいた。

 そのおかげか、クラスメイトとあいさつを交わし合う彼の姿をよく見かける様になった。

 彼が、同級生たちと溶け合えている。

 それが、僕にも心地よかった。



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