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僕しか知らない恋の意味  作者: 久野悠花
4/7

準備


 その日、家に帰って布団に倒れ込むまでの間に何が起こったのか良く解らなかった。

 気が付いたらパジャマ姿で湯気を立てていて、髪も湿っていた。

 僕は何をしていたんだろう。


 だから待っていて


 そうだ、彼は待ってほしいといった。

 それに、僕は……

「うぅぅぅうううぁぁああああ~」

ベッドに転がって頭を抱えた。

 僕等はいったいなんて話をしていたんだ。

 弱冠十三歳の青二才、それも付き合って半年もたっていない僕等が、かかかかか…駆落ち、だなんて。

 でも、あの時の彼の表情を思い出すと、どうも過去の僕を叱れない。

 彼が僕を選んでくれた。

 雰囲気に流されたのだとしても、その事実は僕の中に熱いなにかを残した。

 明日彼にあった時、僕は何時もどおりの貌が出来るだろうか。



 昨日と変わらぬ雨。しかし今日は小ぶりで、帰る頃には止むという。

 授業が終わって、僕が帰り支度をしている時だった。

「吏結」

彼が教室の前まで来ていた。

 初めての事だ、彼が僕を迎えに来るなんて。

 他の友達もびっくりしている。

 僕は心の準備も出来ないまま、今日初めての声をかける。

「どうしたの?向かえに来るなんて…」

「ちょっと、早めに帰りたくて」

僕は彼の言葉に逡巡した。

 迎えに来たのだから、嫌われたとかではないのだろうが、良い話しな気がしない。

 僕は早歩きの彼に小走りに追いすがり、どうにかはぐれないで着いて行く。

 早いが故に誰もいない帰り路で、彼は誰もいない駄菓子屋に入った。

 早く帰りたいんじゃないの?

「十戒…?」

何時も売り子をしているおばさんもいないのに、勝手に入って怒られないだろうか。

 彼はレジが直に置いてある敲きに荷物を降ろし、僕に向いた。

「おばさんに少しだけ貸してもらった。早く帰らなくちゃいけないのはホント、だから他の生徒達が帰るのを待つ時間は無い。だけどキミと二人きりで話しがしたかった。だから、此処を少しだけ貸してもらったんだ」

 彼が珍しく早口で言う。

 そうまでしてまで二人きりで話したかった事。

 僕はスクールバッグの取っ手をひどく強く握りしめた。

 彼は落ち着いた顔で語り始めた。

「僕は昨日、キミに待ってほしいといった」

そうだよ、そう言ってくれた。まさか、撤回したりしない、よね?

「今もそれは変わってないよ」

彼はニコリと微笑んだ。すこし、余裕がない。

「だけど、結構時間が掛かるんだ。それに、キミを待たせるだけじゃない」

彼は少し憤った声でそう言った。

 じっと彼を緊張した瞳で見ていた僕に、彼は少し俯いた。

 彼がこんなに余裕をなくすなんて珍しい。

 ぼんやりとそう思っていた僕に、彼は勢いよく顔を上げた。

「吏結、僕を信じてほしいんだ」

へ?

 彼は、泣きそうな顔で言う。

「僕はこれからキミじゃない誰かに触れるかもしれない。熱を共有する事も、きっとある」

僕は、黙って彼を見つめた。

 彼は、震えた声で、それでも真摯にこう言った。

「だけど、僕が愛を持って触れるのはキミだけだから」

彼の指が、僕の力んだ手にそっと触れる。

「僕が愛してるのは、キミだけだから」

冷たい指先だった。

 彼の顔は余裕こそなかれ、赤らむ事は無かった。

 ただ、指先が赤い。耳もだ。

 どうやら彼は先から赤くなる性質らしい。

 僕は彼の手を握って、胸元に引き寄せた。

「言われなくても、信じてるよ。十戒」

彼の黒い瞳が、金色に染まる。

 ああ、キミの瞳はこんな色をするんだね。

「僕がそうであるように、キミも、僕だけを愛してくれるって」

「吏結…」

黄金の瞳を瞬いて、彼は僕の手にもう一方の手も添えた。

 僕は、彼を見上げて、昨日と同じように囁いた。

「待ってる。キミが僕を選んでくれる日を」

「うん、待っていて。僕がキミを選べる日が来るのを」

彼は頭を垂れる様に僕に近づいた。

 ほんの一瞬あった瞳は、もう漆黒に戻っていた。

 彼の手が小さく頬に触れる。

 唇に当たった柔らかな温もりを、僕はしっかりと感じていた。


 その次の日、彼は学校を休んだ。

 先生は家の用事だと言っていたが、僕はどうしても気がかりだった。

 この日ほどに携帯電話を持っていないことを恨めしく思った日は無かった。

 その次の日には彼は何時もどおり学校に来た。

 そう何時もどおり。

 でも、一つだけ、大きく変わっていた。

 

 放課後、いつものように彼を迎えに行くと、彼は何時もどおり自分の席でゆるダルしていた。

「やあ、吏結」

僕を見つけると、彼は細切れの瞳を細めて笑った。

 荷物を持った彼に並んで歩みを進める。

 ポツリポツリと会話をしながら、僕たちは昇降口に向かった。

 空は久しぶりに晴れていた。

 

 あれ以来、彼は僕と二人きりになるのを拒むようだった。

 晴れの日にも屋上には上がらず、曇りの日には駄菓子屋によらず、雨の日だけは変わらず真直ぐ家に帰る。

 隣にいるのに、遠く感じた。

 それに、あの日からずっと、


 彼は、僕に触れてくれない。


 不安になって、寂しくなって彼を見上げるけど、彼は変わらず僕を見つめた。

 愛しむように。焦がれるように。

 とても、寂しそうに。

 幾分も大人びた瞳に、僕は思わず孤独を感じた。

 彼に触れたいんです。

 彼の隣にいるんです。

 彼が愛しいんです。

 彼が、遠いんです。

 一緒にいるのに、手が届かないんです。

 言葉は聞こえるのに、心が見えないんです。

 声は届くのに、想いは通じないんです。

 愛を感じるのに、温もりが伝わらないんです。

 僕は、彼の何なんですか?

 

 日に日に彼が遠くなる。

 知らないうちに梅雨は明けていて、時折降る雨に僕は苦しくなった。

 彼が僕を見る目は変わらないのに、僕達の距離だけが着実に開いて行った。

 そしていつの間にか、一学期が終わろうとしていた。


 式が終わった後、僕は屋上に出た。

 暑い日差しと開けた視界。

 久しぶりに見た景色は、僕の知らないものだった。

 塔屋に上って、僕はだんまりと空を仰いだ。

 どれほど時間が経ったのか、扉が開く音がして、効き慣れた声がする。

「吏結、一緒に帰ろう」

 キミは何気ない顔で、微笑んで名前を呼ぶ。

 一人で何かを抱え込んでも、僕には何も言ってくれないんだ。

 だから、僕は…

「うん、帰ろう」

 何でもない顔でキミの隣に立つんだ。


 昼なのに誰もいない帰り路を、たった二人で歩く。

 何時もどおりの声で、日に日に少なくなる会話をする。

 ほんのり近づいた温もりを、そのまま掴みたいのに。

 駄菓子屋を過ぎれば、待っているのは何時もの分かれ道。

 ほんの少し立ち止まって、彼を見上げる。 

 時間が止まったように感じた。

 彼が柔らかに微笑む。

「じゃあ、また明日ね。吏結」

ひらりと降られた手、返す身体。

 ギリギリまで僕を見て、彼は背中を向けた。

 キミが、遠く離れていく。

 すぐ傍にいるのに、ほんの少しの距離が遠すぎて、僕はキミを見失いそうになるんだ。

 話したくて、触れたくて、切なくて。

 僕は一滴の想いを地面に零した。

 彼の背中が見えなくなるまで、僕はぼんやりと道を見つめていた。

 もう会えない気がした。

 そんなはずはないのに。

 夏が開ければきっとまた、キミは僕の名前を呼ぶんだ。

 大人びた笑みと静かな声で、キミは僕に笑いかけるんだ。

 キミがその笑顔を見せれば見せるほど、僕は辛く悲しくなった。


 僕は、キミを苦しめているだけなんだ。


 僕のたったひとつの願いがキミを苦しめるのなら、僕はキミといれなくても構わない、

 だから、

「もう一度、本当の笑顔を見せてよ」

 僕は何も出来ずに、ただ、泣き続けていた。



 空虚で空っぽの夏休みは明け、僕はやる気もなく学校に足を運んだ。

 式を聞き流し、あっという間に放課後になる。

 僕は、彼に笑えるかな。

 フルフルと首を振って、気を引き締める。

 彼に心配かけたくないから。

「よし…!!」

僕は鞄を掴んだ。

 そして、

「吏結!!」

彼が迎えにきた。

 明るい笑顔で。

 思わず呆然としてしまった僕に、彼は早足で歩み寄り、その白い手で僕の細腕をつかんだ。

「えっ!?じ、十戒!!?」

「かえろ!ほら、急いで急いで!!」

何が何だかさっぱりだが、彼は興奮したように僕を引っ張っていく。

 久しぶりに彼に触れられ、僕の心臓は情けないぐらい騒がしかった。

 どうにか鞄を掴み、転びかけながらも彼に着いて行く。

「ねぇ、どうしたの!!何でそんなに急いでるのさ!」

何度もそう訊ねる僕に、彼は黙ったまま―――でも最高級の笑顔で―――帰り路を急かした。

 そして、彼は僕の腕をつかんだまま、分かれ道の駄菓子屋に入っていく。

 何時かのように誰もいない駄菓子屋に、僕等は二人きりだった。

 曇りガラスの戸から少し離れて、外からでは誰がいるか判別できない場所まで行って、彼はようやく立ち止まった。

 そして、僕を精一杯抱きしめる。

「ああ、吏結!吏結!!」

彼は興奮した声で僕の名を呼ぶ。

 僕は熱くなる体に鞭を打って、精一杯彼の胸板を押した。

 息が苦しい。

「どうしたの、十戒?どうしてそんなに嬉しそうなのさ」

そう言うと、彼は勢いよく僕の肩を押し、慌てたように手を離した。

 彼の温もりが遠ざかる。

 だけど、

「吏結、ようやく出来たんだ」

その一言で、スッと頭が鎮まった。

 冷めたんじゃない、ただ、思考回路が止まりかけただけだ。

 次の台詞で、彼は僕を殺しにかかる。

「キミを選ぶ準備が、ようやく、出来たんだ」

彼は眉根を寄せて、泣きそうな笑みを見せた。

 準備が出来た、それは、つまり…。

 僕の考えを読むように、彼は首を横に振った。

「まだ、キミを選べるわけじゃない。ただ、それに向けて、一段落がついたんだ。このまま順調にいけば、次の六月ごろには…」

彼が優しく微笑む。

 僕は、知らずのうちに泣いていたらしい。

 彼が慌てたように僕の顔を覗き込む。

「どうしたの、吏結?」

 彼に申し訳なかった。

 ずっと、もう嫌われた物だと思っていたから。いつか、別れを言われるんじゃないかと思ったから。まさか、僕を選ぶために頑張っていたなんて、思いもしなかったから。

 嬉しいんだ。

 そう呟いた僕に、彼は微笑んだ。

「僕も、キミがそう言ってくれるなら嬉しい」

そして、彼は自分の手を掴んで言う。

「ごめんね」

「何が」

彼は少し俯いた。

「今キミが泣いているのに、僕はキミの髪をすいてやれない。キミの手を握ってあげられない」

どうして?

 僕は困惑気味に彼を見上げた。

 彼は穏やかに微笑む。

「どうしても、キミに触れちゃいけんの」

その手を、何度も握り直しながら。

「今の僕は、キミに触れる資格を持たないから」

どうして?

 僕は今、キミの温もりが何よりも欲しい。

 今、キミに触れたいのに。触れられたいのに。

 彼はもう一度、泣きそうに微笑んだ。

「ごめん吏結。だけど、まだ、待っていてくれるかい?」

僕は、黙って頷いた。

 触れられることは出来なくても、傍にいることはできるんでしょ?

 キミは僕を選んでくれるんだろう?

 なら、僕にはそれ以外の選択肢は無い。


 それ以来、僕等の距離は徐々に元に戻り始めた。それはあくまで物理的なものだけど。

 心の距離は、ただひたすらに近づいていた。重なってしまったんじゃないかという位、近かった。

 隣同士の帰り道、彼は定期的にこう呟く。

「どうやら、順調みたいなんだ」

ほんのりと、柔らかな笑みで。

 まるで第三者の視点で言うものだから、誰かにやらせているのかとも思って、秋も深まるある日、僕は訊いた。

「人に準備させているの?」

だとしたら少し感心しないし、すこし興醒めだ。

 しかし、彼は曖昧に微笑んで首を横に振る。

「僕も干渉した。いや、むしろ僕なしでは出来ないことかな」

そして彼は苦い顔でこう続けた。

「本当に、大変だったんだ。もう二度とやりたくないから、この一回で成功してもらいたいんだけどね…」

彼にしては珍しい、疲れた口調だった。

 そうして、もう一度微笑み、彼は手の甲を僕にぶつける。

 まるで不慮の事故を装ったかのような小さな接触でも、僕は胸が高鳴った。

 少し口元を緩めた僕に、彼は前を見て小さく言う。

「あとは、じっくり慎重に見守っているだけなんだ」

どこか遠い場所を見て、彼はゆったりと瞳を閉じる。

 そして、今度はしっかりと、僕の手を撫でた。


 彼からの定期的な経過報告は続く。だけど、僕はいまだに彼が何をしたのか、何を待っているのか、まったくもって理解していない。見当もつかないし、訊ねればはぐらかされるものだからヒントもない。

 ただ、彼が言った六月を待つだけだった。



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