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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第六話

 咲綾はスマフォに手をかざすと指を躍らせる。

 するとどうだろう、薄い板からは信じられないほどの大きな音が流れ出て、その場にいた者全員が板に釘付けとなった。

 つるんとした表面には光をキラキラと弾きながら見慣れた場所が映し出されている。

 そこは不浄場前の廊下だった。

 その場所に背中を向けたエーヴァとエーヴァに不用意に近づきすぎているエディエット=マーヤがいた。

 エディエット=マーヤは他に誰もいないと確信しているのか、意中の男性の前では決して出すことのない嘲りを含んだ声でエーヴァに突っかっていた。

 


『…………ぁまは今まで上の階で何をなさっていたのですか?』


『まあ、わたくしがどこで何をしようが貴女には全く関係のないことだと思いますが』


『ええ、たしにそうでしょう。ですが貴女はわたくしにイェルハルド様を開放しろとおっしゃる。まるでわたくしがイェルハルド様を束縛し、苦しみを与えているように言われるのは心外です』


『まさにその通りではないですか』


『何を根拠にそのようなことをおっしゃるのかわかりかねますが、一つだけ思い当たることがございます』


『あら。やっとお認めになられるのですね。ご自身がイェルハルド様の苦悩を作っていらっしゃると』


『いいえ、そのことではございません。わたくしが思い当たると言ったのは貴女が随分といろいろな男性に色目を使っていらっしゃる、そのことですわ』


『失礼な! まるでわたくしが色情狂の様に聞こえますわ』



「違います。イェルハルド様。これは違うのです」


 エディエット=マーヤがスマフォを取り上げようと咲綾の手首を掴もうとしたが、その手を止めたのはエディエット=マーヤがこの事実を隠しておきたい唯一の人、イェルハルドだった。

 無言のままゆっくりと首を振ってエディエット=マーヤに牽制を掛ける。

 ざぁと血の気が落ちていく彼女を労わろうとするものは誰もいなかった。



『さあ、そのような言葉を私は決して使ってはいなことを申し上げておきますわ。

 ですが貴女は風紀委員会より注意をされていますでしょう?

 それだというのに貴女という人は一体何人の方とご一緒されておりますの?』


『先ほどから論点がずれているのではなくて? それにいったい何のことをおっしゃっているのかさっぱりわかりませんわ』


『匂いですわ』


『は?匂い……?』


『ええ。匂いです。わたくしはかなり鼻が利きますのよ? 衣服に焚き染める香は人によって違う事はもちろんご存じでしょうが、ご実家に帰られれば使用人がする仕事もこのランドル校ではご自身がされる方がほとんど。香を炊くことが不慣れなせいか、それとも匂い慣れしすぎて炊きすぎていることに気づかないかたが多いのです。

 今、あなたが階段から下りてこられた時に、数種類の香の匂いが降りてきました。

 まさかそれがどういう意味かわからない貴女ではないでしょう』


『わ、わたくしは上の階にある会議室で数人の方とお話をしていただけですわ。その時に匂いが移ったのでしょう。言いがかりを付けないでくださいませんか?』


『言いがかり? まさか。

 人の匂いが移るにいたるにはそれ相応の行為が必要でしてよ?

 近くにいるだけでは決してここまで匂いが移ることはありません。

 移るとすれば……最低限、抱き合うくらいのことはされているかと思いますが。

 それも何種類もの香が香るなど、その香の数だけ短期間に抱き合ったとしか考えられないということですわ。

 ――――――エディエット=マーヤ様。

 イェルハルド様をお慕いしていると言いいながら貴女はいったい何人の男性とそのような仲になられているのですか?』


『匂いなどっ! 匂いなど移ってなどいませんわ!

 そうやって嘘を並べてわたくしを貶めるつもりでしょうが、その手には乗りません』


『嘘……? わたくしが嘘をつくとでも?』


『ええ、ええ! わかっていますわよ。近頃のエーヴァ様は以前に比べてイェルハルド様からのお声がかかりが少ないと、誰もがエーヴァ様とイェルハルド様の不和を知っておりましてよ』


『イェルハルド様とわたくしの関係が皆様にどう映ろうが、今この場では全く関係のないことですわね。

 エディエット=マーヤ様。

 貴女はわたくしに虚言ありとおっしゃいましたが、わたくしはヴァクトマイステル家の者としてそのような行為は恥ずべきものとして身についております。

 ですが貴女が匂いがしないとおっしゃる理由はわかりますわ。

 なぜなら常日頃から同じ匂いを嗅ぎ続けますとその匂いがわずかであった場合に匂いを感じなくなるのです。

 わたくしはわたくしの衣服に香を焚き染めません。

 嗜みとして必要とは存じておりますが、わたくしの家では当然のことです。

 おかげさまで本当に鼻がききますの。

 ―――――ええ、本当に』


 たん、と軽やかな音が聞こえそうなほど、画面に映るエーヴァの行動は早かった。

 真実を知られてなるまいと慌てるエディエット=マーヤの懐に入り込み、顔を近づけて匂いを嗅ごうとしたのだ。

 そうすれば香の種類を特定しやすいと判断したからだったが、その行動が仇となるとは思わなかっただろう。


『っ、寄らないでくだ、』


 急に近づいてきたエーヴァに形勢不利を悟ったエディエット=マーヤは慌てて足を後ろに下げたが、下げた場所が悪かった。

 下げた足は階段の淵を踏み損ねた上に、もう片方の足では支えきれないほどの力がかかっていた。


『エディエット=マーヤ様?』


 エーヴァはこの時、エディエット=マーヤの胸のあたりで匂いをよりよく嗅ごうと目を閉じて鼻を制服につけるばかりの勢いだったため、エディエット=マーヤが足を踏み外したところを見てはいない。

 それはスマフォの画面からもはっきりと見て取れた。

 エディエット=マーヤが、階段に舞った。

 何かを掴もうとしてか両手を前に突き出して、綺麗な弧を描いていく。

 エーヴァは必然、助けようとしたが、すでに落ちていくエディエット=マーヤを助けることは叶わなかった。

 画面からも人が強く何かに打ち付ける音が何回も続けて聞こえてくる。

 スマフォには映し出されていないものの、その音の主はエディエット=マーヤに間違いない。


『……まーヤ様? エディエット=マーヤ様っ!!』


 映像は階段を駆け下りるエーヴァの姿を追いかけていく。

 すると鬼気迫る声で詠唱が始まった。


『エーヴァ! 何をしているの!』


 この時、スマフォは初めて咲綾の声を捕えている。


 ヴォン、と画像がブレ、光が地面から立ち上がってエーヴァとエディエット=マーヤを浮き立たせる。

 上って行った光がきらきらと二人を包み込み、一瞬、辺り一面を白に塗り替えた。

 

『エーヴァ、エーヴァ!』


 悲痛な声を上げて階段を駆け下りる咲綾の足元が映っている。

 そして、カメラは捕えていた。

 数か所裂けた制服を着て倒れているエディエット=マーヤと同じく破けた制服を着て倒れているエーヴァの二人を。

 ただ決定的に違ったのは、エディエット=マーヤは傷一つ負っていないが、隣に横たわるエーヴァの足は大腿骨の途中であらぬ方向に折れ、片手も橈骨とうこつが制服を突き破り、もう片方は指が何本か折れ曲がっていた。


『いやぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!』



 

 それを最後に、映像は唐突に終わる。


 沈黙が応接室を支配した。

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