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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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【過去】

 その日はいつもよりも少し改まった服装をして、エーヴァは父親に案内されながらとある屋敷の庭を歩いていた。

 つい先日十歳の誕生日を迎えたばかりだったが、どこに出しても恥ずかしくないと教師に絶賛されたそのままの優美に歩くその姿に、父親は至極満足気だった。

 案内されてたどり着いた先は池の中島に設えた東屋で、すでに何人かの子供がそこに座っているのが遠くからでも見て取れた。

 

「ほら、紹介しよう。これからエーヴァと共に勉学に励むこととなる者たちだよ」


 紹介された子供たちはすべて男子で、一名を除くとほとんどがエーヴァと大差ない年齢に思えた。

 エーヴァは大いに戸惑った。

 なぜなら生まれてから今まで自分と似たような年齢の人間と会ったことがなかったからだ。

 それに男の子となれば、性別も違う。

 それがいきなり何の説明も前触れもなく会されたのだ、戸惑うのも仕方がない。

 だが父親はエーヴァの戸惑いも承知のうちで、ぽんと背に手を当てて勇気づけながら皆の前に押し出した。

 それを合図に、見るからに上流階級の子息たちがかわるがわる丁寧に挨拶をしていく。

 最後に挨拶をしたのが将来婚約することになったイェルハルドだった。


「初めてお目にかかります。イェルハルドと申します。エーヴァ様と席を共にできますこと、とても嬉しく思います」


 銀色の髪を揺らし、夏の空の様な真っ青な瞳を向けられてエーヴァはどぎまぎとした。

 

 綺麗な人――――――。


 それがイェルハルドに持った第一印象だった。




 今まで勉強といえば屋敷に家庭教師を招いて一人で取り組むものだと思っていたエーヴァは、この日より毎日朝早く馬車で揺られて父親に連れていかれた屋敷まで勉強をしに通うこととなった。

 翌日、馬車に揺られて屋敷を訪れると昨日紹介された子息たちがすでにやってきており、エーヴァが部屋に入るとともに入ってきた講師が一同を見回すと軽く頷き、自分のプロフィールと今後の指導方法を話し始めた。

 だが、エーヴァは軽い違和感を覚える。

 昨日会ったばかりでは名前も顔もまだ覚えきってはいないが、席に座っている人数が少ないような気がして仕方がないのだ。

 仕切りに首を傾げていたエーヴァに講師が気づき、質問があるのなら挙手をしてから質問することとと言われると、すぐさま手を上げて問うた。


「昨日紹介された人数よりも少ないと思うのですが」


 講師はエーヴァの問いににっこりとほほ笑んだ。


「ええ、そうですね。確かに昨日、東屋で紹介しあったかと思いますが、その時に東屋にいた人数よりも一名足りません。なぜだかわかりますか?」


 質問者であるエーヴァを除く子息たちを、講師はゆっくりと見渡して誰が答えを得るのかを待っていた。

 子息たちが瞳を揺らす中、唯一まっすぐ講師を見て手を上げたのは銀色の髪を持つ子息だった。

 

「彼はなぜこの会に女が入るのだと呟いていました。そのことに関係あるかと思います」


 はきはきと答えたイェルハルドに講師は満足げに頷いた。 


「その通り! この会に参加するにあたり、規則があることは事前に説明があったかと思います。彼はその規則に反した。ですからこの会に参加することが叶わなくなったということです。わかりましたか」


 十分に理解した。

 そこにいる全員が何度も首を縦に振る姿に、講師は至極満足をしたようにゆっくりと口端を上げていた。


 たしかに男子の集まりの中、女子であるエーヴァが入ることは異例なことなのだろう。

 エーヴァは一人だけあてがわれた部屋で次の授業に必要な乗馬服に着替えながら考えていた。

 勉強会での授業は多岐にわたり、女子であろうが男子であろうが関係なく行われる。

 歴史、国語、外国語、地理に算数、マナー、音楽、ダンスはもちろんのこと、体力作りのための運動に、乗馬、身を守るための格闘技、剣技などだ。

 一教科一時間の枠を設け、一日四教科と運動をこなしていく。

 どちらかといえば運動系は男子よりになるが、エーヴァも父親の意向により女子でありながら幼少より励んできたことが多く、男子たちの足手まといには決してならなった。

 それが面白くないと感じる子息がいることも事実だが、そのことを口に出してしまえば退会しなければいけないと思うと決して口にはできない。

 そのかわり誰にも気づかないような小さな嫌味をエーヴァに言うことでうっぷんを晴らしている。

 エーヴァにしてみればいい迷惑としか言いようがないが、通りすがりに小声で言われる嫌味に辟易しているのも事実で、どうしようかと思いあぐねている日々が続いていた。


 そしてある日、彼は屋敷にやって来なくなった。


 彼がエーヴァにしていたことは、講師にはわかっていたのだ。

 改善を求めてもしていないの一点張りで改善がみられないと認定されての退会だった。

 勉強会が発足してたった三か月目の出来事だった。


 次に退会したのは年下の子息だった。

 彼は凛としたエーヴァに幼いながら恋心を抱いてしまい、言ってはいけない言葉を全員の前で言ってしまったのだ。

 それは一年目が過ぎて、精神的な余裕がでてきたころだった。

 告白を受けた翌日、彼が部屋に現れないことで退会を理解したエーヴァは、弟の様にも思っていた彼のことを思うと涙するしかできなかった。


 そして二年目の春。

 とうとう、大きな波が屋敷を襲うこととなった。





「あら。イェルハルド様はあちらに行かれないのですか?」


 エーヴァはちらと池の畔にいる彼らを意味ありげに目をやった。

 そこにはつい先日父親が連れてやってきた娘、エディと彼女の取り巻きに化した友人たちがいる。

 エディを中心に輪を作り、皆がエディに少しでも関心を持ってもらおうと必死になる姿は遠目からでも滑稽だった。


「必要性を感じないからな」


 エーヴァの問いに至極どうでもいいことのようにイェルハルドは答えながら歴史書を捲った。

 先ほど歴史の授業が終わり、今は次の授業である地理の講師を待っている最中だ。

 だいたいこの間が十分ほど。

 たったそれだけの間にエディは池のほとりまで足を運び、友人たちが追いかけた。

 後はいつもの通り、自分だけを見てもらおうとエディに他者を蹴落とし自分をアピールする愚者の集団と成り果てた。

 エーヴァにしてみれば彼女の何が彼らの何にそれほど感銘を与えたかさっぱりわからなかったのだが、彼らは口を揃えてエディに自分を認めてもらえたのだと言って彼女のそばを離れることを恐れるようになった。

 もちろん授業などは上の空となり、先日の試験も芳しくない結果となったことは講師直々の叱責で全員が知ることにもなった。


「なるほど。ですが彼らはそうは思わないようですが」


「彼らは彼ら、私は私。だいたい屋敷(ここ)には勉強をしに来ているのであって、あのように遊びに来ているわけではない。彼らもそろそろなぜ屋敷ここに招かれているのか、思い出す頃だと思うが、な」


「……はあ。確かにそうですわね」


「改善がみられなければどうなるか、知らないわけではない彼らだろうに」


 かたん、と右手に持っていたペンが滑り落ち、机の上に転がった。

 ころころと転がり、机の端から落ちようとするペンをエーヴァは掴む気力もわかず、落ちるに任せたままにした。


 そうだ。そうだった。


 初めてこの勉強会に招かれた時は、エーヴァを除いて六人がいた。

 それが翌日には女性蔑視をしたために一人が退会をし、三か月目には表面的には女性蔑視を押し殺しつつも女に後れを取るなどプライドが許さないとばかりに通りすがりにちくちくと嫌味ばかり言っていた狭量者が退場を、そして一年目にはエーヴァに恋慕う年下の子息が家名を名乗ったために退会となったのだ。

 エーヴァはその事実を改めて突きつけられて動けなくなった。 


 この勉強会にはルールが三つある。

 一つは成績。

 講師が最低限必要とするレベルに達すること。

 一つは風紀。

 男女交えての会のため、言葉遣いや態度に節度を持つこと。

 そして最後の一つが身分。

 決して己が身分、家名をあかすことを許さず、共に勉学に励む仲間として振る舞うこと。


 あの時、二歳年下の彼はエーヴァを慕うあまり言ってはいけない家名を告げてしまったのだ。

 それがエーヴァだけがいるときであればよかったというのに、牽制のつもりか全員が揃っているときに告げたのだ、言い逃れはできなかった。

 翌日から彼が屋敷に現れることはなく、しばらく気まずい雰囲気が漂っていたが、次第にさらなる教訓としてエーヴァたちの根っこの部分にしっかりと根付いたことは否めない。


 ルールを守らなければ、参加は許されない。


 たとえそれが善意であっても。

 悪意であるなら、なおさら。


 家名こそ出すことは許されない会だが、その実、この会に参加することが家にとってのメリットとなるとわかっているからこそどの親も子供たちには決して粗相なき様にと念押しをして家を出している。

 つまりは、子供たちにとってはこの会に参加できなくなるということは家名を傷つけることに他ならない。

 それがどの程度のことかはわからないが、親が成人もしていない子供に念を押すほどだ、はかり知ることは容易い。

 だからこそ家名を出せないものの失態がないようにと努めていたはずだというのに、三名の脱落者からの教訓は得られなかったというのか。


 明日、もしかするとここで会えないかもしれない。


 それはすごく寂しいことだと、エーヴァは池の向こう側にたむろする彼らを見つめながらため息をついた。

 その横でじっとイェルハルドが見ていたことに気づくことはなった。



 翌日。

 いつものように用意された部屋に入っていくと、中でいたのはイェルハルドだけだった。


「エディ様がまだお見えでないなんて、珍しいですわね。エイナル様とマティアス様、トシュテン様、ヴェイセル様もまだみたいですけれど、何かお聞きになりまして?」


 言い知れぬ不安に押しつぶされそうになりながら訊ねると、あっさりとした言葉を返された。


「私も今着たばかりだから、彼らが遅れている理由はわからないが……たしかに普段であればもう集っている時間には違いない。あと五分もすれば講師も来られるだろう。講師に心証が悪くなるのは否めないな」


「そうですわね……。ですが全員が全員遅れるなど今までなかったことですわ。いったいどうしたのでしょうか」


「さあ、どうしてだろうな」


「もう。イェルハルド様は何も思わないのですか」


「何を?いいや、思うことはあるさ。自業自得だろうということはな。

 ところで昨日の授業にあったエルデバルド会戦の解釈について、疑問があるのだが……」


 そうしている間にも時間は過ぎ、講師が部屋に入ってきた。

 姿勢を但し、講師に挨拶をする二人を見ても、講師は挨拶をいつも通り返すだけで、昨日まで七人いたはずの教え子が二人に減っていたことに驚きもせず淡々と授業を進め始めた。


 ああ、やっぱり。


 何事もなかったように授業を受けるイェルハルドに多少の違和感を感じながらも、どんどんと進んでいく内容に集中しなければ落ちこぼれてしまう。

 湧き上がる悲しみを押し殺して、エーヴァは教科書を開いた。


 その後、エディの様に途中で参加した者は誰もなく、勉強会が修了するまで参加し続けることができたのはエーヴァとイェルハルドだけだった。

 簡単な修了式が終わり、屋敷の中にある別室に案内された先にいたのは、エーヴァの父親ともう一人。

 となりにいるイェルハルドが驚く姿を思えば、その人は彼の父親だろう。

 この時初めて、二人はお互いの素性を知らされ、この会がどういう趣旨で行われたかを知ることとなった。


 すべてはヴァクトマイステル家に相応しい子供を見極めるための勉強会という名の選定試験であったこと。


 選ばれた子息たちの成績と行動を年単位で確認する、そのためだけに膨大な費用と時間をかけ屋敷(ばしょ)を用意していたというのだ。

 エーヴァは呆れるとともに、家の家業のことを思えば仕方がないかと割り切るしかなかった。

 それがどれだけ心に傷をつけたかとしても。

 家名を告げただけで会に参加できなくなった彼のことはまだ仕方がないと割り切れるが、その後のエディと他の子息たちには何か打つ手があったのではないか、もう少し自分が介入することで会を去らなければならないという不名誉は避けられなのではないかと思い続けた日々を想うと、遣る瀬無い気持ちにもなる。

 だがそれも我が家のためだったのだといえば、この気持ちを表に出すことは許されず、強制的な蓋をしなければならなかった。


「エーヴァ」


 物思いに沈むエーヴァに、イェルハルドは手を差し出した。

 初めて会った時から変わらない美しい銀色の髪を揺らし、どこまでも青い瞳をエーヴァに向けている。

 その手を取ってしまうと一つの未来しか歩めないとわかっているが、ここまでお膳立てされては取らざるを得ないことくらいエーヴァだとて理解する。


 愛してなどいない、けれど数年にわたり培われた友情と信頼を胸にすることはできる。


 エーヴァとイェルハルドの親が見守る中、二人は未来を共にし歩むことをを宣言した。


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