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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第四話

 もう反論することすら莫迦らしい。

 イェルハルドのひざ上から無理やり視線を外すと、エーヴァは自分の婚約者にこれ見よがしにしなだれかかっているエディエット=マーヤに向き直った。


「エディエット=マーヤ様」


 丁寧な声がけのはずだというのに、驚くほど体を飛び上がらせイェルハルドに縋る姿に哀れを覚える。

 感受性が豊かで喜怒哀楽が激しいと知ってはいるものの、これほどあからさまに怯えられるのは心外だ。

 いや、本当に怯えているだけだというのだろうか。


 そんなわけがあるはずないことなど、わたくしが一番よく知っているのではなくて?

 

 つまりは、そういうことなのだ。

 エディエット=マーヤは劇場の女優もかくやというほどの演技力を備えた狡猾な女狐に他ならない。

 その女狐の思惑通りに動くとなど、道化すら拒むだろう。

 エーヴァもできるなら拒みたいが、してしまったことへの謝罪はしなければいけないと気持ちを鼓舞させる。


「改めてお詫び申し上げます。

 あの時、わたくしの軽率な行動で貴女が驚くことがなければ、足をもつれさせ、階段から落ちることもなかったでしょう。

 驚かせてしまい、大変申し訳ございません」


 胸の前で手を上下に合わせて、腰からきっちりと折り曲げた礼は、立ちあがって行えば最上級の礼となるが、椅子に座ったままの簡略的な礼に鼻白らんだのは横に座っていたイェルハルドだった。


「本心より申し訳ないと思っているのならば、そのような簡略式の礼など取るはずもない。それだけで貴女がエディを軽んじていることが知れるというもの。

 それに軽率な行動? なにを事を小さく取っている。貴女がしたことはエディを階段側に突き飛ばして、踊り場で蹲る彼女を放置して逃げたことだろう。エディにたいした怪我が見受けられなかったからよかったものの、一歩間違えば頭や背を打ちつけ、重傷をおうことくらい子供でも理解していることを、ヴァクトマイステル家のものでありながら、貴女は……!」



「わたくしは今、イェルハルド様に謝罪しているわけではございません」



 エーヴァはエディエット=マーヤから視線を外さずにイェルハルドを突き放した。

 今までエーヴァからは強い言葉を受けたことがないイェルハルドは、思わずたじろいでしまったことに恥入りつつも憤り、顔を赤らめて睨みつけてきたが、エーヴァにはその怒りの熱風は春のそよ風ほどにも感じない。

 なるほど、人というものはなんと面白くできているのか。

 好意を持っている相手からの悪意は小さなものでも大剣となって大きく振りかざされるというのに、無関心な相手からはハンカチを投げつけられたほどの不愉快さしか受け取れない。

 羽虫が顔の周りに飛び跳ねるほどの煩わしさなど、捨て置いても構わない。

 エーヴァは婚約者であるイェルハルドなどすでに眼中になく、ただ、エディエット=マーヤがどうでるのか、それだけが知りたかった。

 

「話を割り込むことも失礼だというのに、そのような嘘をまるで真実の様に突きつけるのはおやめください」


 追い打ちをかけるように冷淡に告げた。

 なにせイェルハルドの立場はもともと第三者なのだ。

 初めからエーヴァとエディエット=マーヤの間に入って来なければよかっただけのこと。

 一方の言い分のみでエーヴァを糾弾しようとするその姿勢は、受け取る必要などみじんもないはずだった。

 

「いいえ、真実ですわ」


 先ほどまでの怯えはどこへやら。

 ふ、と口元に笑みを浮かべながら姿勢を但し、意志の強い眼差しでエーヴァの視線を受け返しながら、その眼差しに相応しくない擦れた声でゆっくりと反論する。


「貴女がわたくしを突き落としたのではありませんか。運がよいことにどこにも怪我を負わず、すぐに意識も取り戻しましたが、そのころには誰も校舎内にはおらず、それどころか鍵までかけられて閉じ込められていました。

 これを故意と言わずして何を故意というのでしょう。

 お詫びというのであれば、今後二度とわたくしの前に現れないでいただければそれだけでわたくしは安心いたします」


「あくまでも、エディエット=マーヤ様はわたくしが貴女を突き落としたと、そうおっしゃるのですか」


「まあ。その言い方ではわたくしが嘘をついているように聞こえます。ですが真実、貴女がわたくしを突き落としたのです。証拠としては落ちたときに破けた制服しかありませんが、それでも十分ではないでしょうか?」


 大きな瞳にはうっすらと涙を讃え、頼れるものはイェルハルドだけと言いたげに彼の真っ白な袖を震える手で握り締める。

 仕上げは高ぶる感情を抑えたために薄い唇から漏れた、熱い吐息だ。


 大した役者だこと。


 その本性を知らなければ、誰もがエディエット=マーヤが恐ろしい魔女に立ち向かう儚げな王女であると思うだろう。

 かくゆう、エーヴァの婚約者もその誰ものうちの一人と成り下がっていたが。


「イェルハルド様もエディエット=マーヤ様と同意見でしょうか」


「もちろんだ。校舎から体を抱きしめながら駆けてくるエディを保護したのは私だからな。言い逃れはできまい」

 

 恐ろしさに震える手に己が手を添えてエディエット=マーヤを力づけるイェルハルドは、エーヴァの中ではすでに道化師として存在するになった。



「言質を取らせていただきました」



「は?何を言っている?」


「聞こえませんでしたか? 言質を取らせていただいた、と言ったのです」


 淡々と告げた言葉に、イェルハルドは眉を顰めた。


「……どういうことだ」


「わたくしは初めに軽率な行動と言いましたが、まさか、その行動がエディエット=マーヤ様を階段から突き落とす行為だとでもお思いですか?

 それにエディエット=マーヤ様が驚かなければ……いいえ、彼女が逃げようとしなければ階段に足をもつれさせて階段から落ちることもなかったでしょう。

 まあ、それは今さらいっても仕方がないことでしょうが。

 ですが、私が言う軽率な行為とは、階段近くでエディエット=マーヤ様の制服に染みついた匂いを嗅ごうとした、その行為にほかなりません」


「は?匂いを嗅ぐ……?いったい何をいっているのだ」


「あの事故のあった階段横には不浄場があったことはご存じだと思いますが、わたくしはその不浄場にいる友人をあの場所で待っておりました。ちょうどその時、エディエット=マーヤさまが三階から降りてこられ、わたくしを見つけると話しかけられてこられたのです。

 内容としては……まあ、いつもの言いがかりですわね。ここで述べるにもつまらないことすぎて口が汚れてしまいそうですからはしょるとして、階段から降りてこられたときに風を運んでこられ、その風が彼女についた匂いをわたくしに届けたのです。その匂いを確かめるために、彼女の懐近くに顔を近づけてしまいまして、それに驚いたエディエット=マーヤ様が二、三歩下がられた時に足をもつれさせてしまわれたようで、階段を落ちていかれたのです。

 もちろん、助けようと手を伸ばしましたが、彼女はその時笑っていたのです。

 階段から落ちるというのに笑うなど、普通ならありえないことでしょう?

 ですから情けないことに一瞬頭が回らなくなり、手を差し出すこともできませんでした。

 その間に彼女は重い音をたてながら階段を落ちていかれました。

 踊り場で倒れられていたエディエット=マーヤ様の頭からは血が、足もあらぬ方向に曲がり、一見して重傷だと分かりました。

 ……ええ、エディエット=マーヤ様のお話と随分と食い違いますわね。

 ところでイェルハルド様はご存知ですが、わたくしの手は癒しの手です。多少の怪我であれば治すこともできます。が、これはイェルハルド様はご存じないことですが、わたくしは治療対象者の怪我を自身に請け負うことができるのです。この能力は我が一族特有のもので、滅多に発動させません。なぜなら、請け負うときにどういう作用かはわかりませんが、怪我が倍となって術者が負ってしまうからです。

 ですが、あの時は不慮の事故ではあるものの、わたくしの行動が引き金になったことは間違いがなく、わたくしは慌てて階段を駆け下り、意識のない彼女に術を施し、恐るべき痛みに意識を失いました。

 わたくしの記憶が正しければ、その時エディエット=マーヤ様はまだ意識がなく、踊り場で倒れていたはずなのですが、わたくしを按じた友人が教員を呼びに行き、戻ってきた頃にはわたくししか倒れていなかったと聞いております。

 エディエット=マーヤ様がおっしゃることとは、随分話が違いますでしょう?」



 エーヴァはにっこりとほほ笑んだ。

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