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匹夫の勇  作者: れんじょう
【イェルハルド篇】
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第六歩

「イェルハルド様、おめでとうございます!」


 イェルハルドが一人で遅い昼食をとっていると、講義の終わった転入生と友人たちがやってきて口々に祝辞を述べる。

 まだ誰にも警察隊の内定を知らせてなかったイェルハルドは席を勧めるより前に気の置けない友人たちとはいえ祝われたことに驚きを隠せないでいた。


「そりゃあ、わかるだろう。

 君のほかにあの女史や女史の腰巾着共も校長室に呼ばれたんだ。内定されたと想像するに難くない」


「それに校長に呼ばれて席を立つ女史たちをみてがっくりと肩を落とした者もいたからね。見事な明暗だったよ。君の名もその時に呼ばれたけれど、君は相変わらず図書館通いでその場にはいなかった。こういうことは早めに祝わないといけないからね。押しかけてきたというわけさ」


「それにしても、おめでとうございます。最も難関といわれる警察隊に推薦されての内定なんて、友人の一人として誇らしいですわ」


「まさに。我々も君の友人であることが誇らしいよ。イェルハルド、おめでとうと心から言わせてもらうよ」


「おめでとう」


「…………ありがとう、皆」


 友人というものはかくも素晴らしいものか。


 心からの祝辞を受け、昨日から感じる虚しさがゆっくりと霧散してじわじわと喜びがせり上がってきた。

 その中で一人、最近イェルハルドに食って掛かるようになった友人が微かな毒を含ませてイェルハルドを祝福する。


「イェルハルドなら当然だろう?なにせ婚約者が婚約者だ。学内での選考を通ったのも内定も全部、将来の義父の名前が後押ししなかったとは考え難い。婚約者の女史もその腰巾着一団も全員受かったようだし。あれだって警察隊という男性社会に女性の女史が入隊するにあたっての風当たりを少なくするための盾、もしくは将来の側近を現時点で確保するためじゃないのか。内定は初めから決定しているようなものだ」


「おい、口が過ぎる。それに我が校は子の背景で就職先を斡旋してなどいない」


「何を言う。そういう貴様も狡いと思わなかったのか?そのおめでたい頭の隅で少しも考えなかったというのか。昨日席を立った学生の内の女性と男性の比率は? というよりも全員女性だっただろう。男性の名はイェルハルドのみで他に誰一人呼ばれなかったというのに」


「そ、それは」


「口ごもるということは、そういうことだろう。綺麗事をぬかしても結局は貴様もそう考えていたということだ」


 イェルハルドを援護しようとした者は二の句が継げず、一歩下がって押し黙った。

 片やもう一人はどうだと言わんばかりにことの成り行きを見るだけだったイェルハルドに胸を張る。よほど自分の仮説に自身があるのだろう、他の皆にも同意を求め始めた。


 ばかな。そんなわけあるか。


 イェルハルドがどれほど学内選考に残るように力を尽くしてきたか誰もが知っているはずだった。学生会会長という面倒な職も足がかりになるとなれば率先して活動してきたし、勉学にいそしみ、教授や講師たちとの接点も持つように努力した。友人たちはイェルハルドの努力をもっとも間近で見てきたはずだというのに、ただエーヴァの婚約者というだけで選考に残り内定を貰えることは当然なのだ、イェルハルドの努力はフェイクにすぎないと思っていたというのだろうか。


 もしかすると学内では当たり前の事実として見られてでもいるのか。

 だから皆の視線が突き刺さるほど鋭いのか。


 イェルハルドは友人から告げられた明け透けな言葉に胸が苦しくなった。

 

「いくら友人だとはいえ、言ってよいことと悪いことがございます。そのような考えはイェルハルド様を馬鹿にし、また我がランドル校を信頼し在籍する学生すべても侮辱しています。謝って下さいませ」

 

 凛とした声がイェルハルドの、ともすれば闇に落ちていきそうな思考の渦に光を与えた。

 エディエット=マーヤ・クリングヴァル。

 淑女たる彼女が声を張り上げることは随分と勇気がいっただろうに、羞恥を押し殺して堂々と意見を述べ諌める姿に、イェルハルドは目を瞠った。


「な……。エディ。だが、誰もがそう考えるに違いな、」


「誰もが、とは誰のことでしょうか。少なくともわたくしはイェルハルド様が婚約者の親の力で内定されたとは微塵も思っておりませんし、またランドル校がそのような裏工作などするわけもございません。そうでしょう、皆様」


 周りにいる友人たちに賛同を求めれば、彼らもそうだそうだと何度も頷いてイェルハルドを援護する。

そのうち、一人が進み出て、内緒話をするような仕草で件の彼の肩に腕を回して忠告した。

 

「アンセルム。いくらイェルハルドに嫉妬したからといってもこの冗談は面白くない。警察隊への入隊は君こそが望んでいたと私たちは知っている。残念なことに君は選考に洩れ、警察隊への足がかりを失ってしまったが、君が言うようにイェルハルドのせいでも彼の婚約者のせいでもない。君の内申が至らなかっただけじゃないか」


「随分とはっきりと言うな」


「まあね。でも君と僕の仲だ、このくらいで壊れるとは思っていないし、この程度のことで蟠りを持つとも思っていない。そうだろう?」


 さあ、さっさと謝ってしまえよ。


 勇気づけるようにどんっと背中を叩かれた彼は、戸惑いながらもイェルハルドに食ってかかってきた時とは別人のように羞恥で真っ赤に顔を染めながら「すまない」と謝ってきた。こうなるとどれほど内心傷ついたとしても許すほかない。

 イェルハルドは苦笑して、腰を曲げる友人に気にするなと声をかけた。

張りつめていた糸はその言葉を合図に元にもどる。

あとはいつも通りの通常運転。講師につく補佐が自分たち以上に理論を理解しておらず何のために講義に参加しているのかわからないだとか、卒業する前に新しく出来た文房具店を冷やかしに行きたいだとか、当たり障りのない話で場を持たせていた。





 それにしても彼女はなんとも素晴らしい。


 イェルハルドは目の前で談笑する女性に感嘆する。

 さすが歴史あるランドル校で初の編入生なだけはある。ここぞという時に臆することなく堂々と意見を述べることは、男性と言えど難しいことだというのにそれをいとも簡単に成し遂げることができるとは。普段の『守るべき』彼女からは想像もつかない。いや、そうではない。彼女はそういう人だった。周りから蔑んだ目を向けられ、一人孤立したときも、まっすぐ背を伸ばして前を向いていた。

 彼女は弱くなどない。

 聡明で機知に富み、嫋やかでいて真のある、素晴らしい女性だ。

 婚約者のエーヴァには感じたことのない熱が胸元でいつまでも渦巻いていた。




 その彼女が憂いを帯びるようになったのはいつのことからだったか。

 皆と他愛のないことで笑いあっているときにふと見せる不安そうに揺らぐ瞳が、廊下を歩いているときには物陰に怯える姿が、いつもは男女同席をしていても周りを気にしてある程度の距離を保つというのにその垣根を超えてまでも誰かにすがろうとする姿が、日を追うごとに顕著になる。

 イェルハルドはさりげなく彼女を観察していたが、彼女の揺れる視線の先には必ず誰かがいたような気配が漂っている。だが、誰、とはわからない。彼女の視線を追った時にはすでにそこには誰もいないのだから。

 彼女に問うてみようかとも考えたが、いつも彼女はさっと表情を隠し何気なさを装うので機会を失ってしまう。

 やきもきと過ごす日々の中、とうとう彼女は皆の前で倒れるに至った。

 顔面は蒼白で指先は凍るように冷たい。

 とりあえず医務室に運び、部屋を暖めて様子を見るが、なかなか意識が戻らない。

 イェルハルドは己の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。


 どうしてこうなる前に彼女に問いかけなかったのか。

 意識を失うほど焦燥する前に、なぜ。


 少しでも体温が戻るようにと凍える指先をさすっていると、ぴくと微かな反応があった。


「エディ。大丈夫か」


 イェルハルドが彼女の顔を窺うと、焦点が合わないのかパチパチと何度か瞬きをした後、聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いて目を閉じた。


「エディ?」


 意識の混濁か。

 イェルハルドはため息を一つついた。

 相変わらず戻らない体温に何度も指をさすっていると、彼女の眦から涙がこぼれ、白磁のような頬を流れていく。


 なんと、儚く美しい。


 彼女を心配しながらも、流れる涙の美しさにイェルハルドは魅入られていた。


 

 ほどなくすると彼女は意識を取り戻した。

 傍にいるのがイェルハルドだと分かると大きく目を広げて驚いていたが、次の瞬間には安心したように頬を緩めた。

 イェルハルドは彼女が自分を見て安心したことに妙な優越感を感じたが、今だに顔色が優れない彼女にいったい自分は何を思っているんだと内心叱責する。

 

「よかった、エディ。意識が戻ったようだな」


 彼女の指を温めながら優しく話しかけると、自分の指がイェルハルドの手の中にすっぽりとくるまれていることに驚いて目をみはっていた。


「あの、わたくし、いったい何が」


 珍しく言い吃った彼女はあわてて指を引き抜こうとしたが、イェルハルドはその指を咄嗟に掴み、少しだけ体温を取り戻した指先を丁寧に持ち直して自分の唇をあてがった。

 

「エディ。近頃の貴女は深刻な心配事でもあるのか、皆と語らってるときも楽しくしているようで憂いている。

 よければその憂いを晴らさせてくれないか」


 真摯に話しかけると彼女の細い体がわずかに揺れた。

 イェルハルドは彼女が真実を話すまで辛抱強く待つつもりだった。気絶するほどの苦しみの中でもイェルハルドを見て安堵する彼女であるならば、いつかその重荷をイェルハルドの前では下してくれるだろう。

 彼女の潤んだ瞳には戸惑いが見受けられたが、しばらくするとゆっくりと起き上がり、ベッドヘッドに背中を預けた。そして意を決したようにイェルハルドの瞳を見つめたが、それでも言いづらそうに顔を歪めながら話し出した。


「……最近、わたくしを柱の陰からじぃと見ている方がいるのです」


 ああ、確かにそのようだ。

 

 友人たちと一緒に過ごしている間も、不審な影を追っていた彼女の姿が思い出された。

 実際のところイェルハルドは一度としてその影を追えたことはなかったが、彼女が不安は見て取れた。

 

「初めは気のせいかとも思ったのですが、わたくしが目をそちらにやりますとあわてて柱の陰に隠れるのです。そんなことを何度か繰り返しておりますので、皆さまと談笑させていただいていたとしてもどこからか見られているのではないかと気になってしまって……。

 先程も木の陰からこちらを覗いていた方がいらっしゃって……それを見つけてしまったために、どうしても気持ちが落ち着かなくなってしまいました。

 イェルハルド様には御心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません」


「いったい誰がそのようなことを」


「……どなたが、といえば実は心当たりがあるのですが、お忙しい身でありながらわたくしごときのことにかまっていられるとは到底思えない方なのです」


「誰だ、それは」


 心当たりがあるのなら、どうして教えない。

 

 イェルハルドは苛立ちを募らせて声を少し荒げてしまった。

 途端に怯えを見せて彼女は口ごもる。しまったとは思ったがもう遅い。彼女は再び殻に閉じこもろうとした。


「あの……え。い、いいえ。いいのです。

 わたくしのことですから、イェルハルド様の手を煩わすことなどできませんわ。

 わたくしが解決しなければ……!」


「ああ、なんて貴女は健気なのか。

 だが私は学生会会長の身分もある。そのような輩がいるとなれば、見つけ出して問わなければならない。

 だからどうか教えてほしい。

 その不届き者の名を」


 そうすれば貴女の憂いを簡単に晴らして差し上げよう。


 イェルハルドは本気だった。

 エディエット=マーヤは特別な存在だ。栄えあるランドル校で初の編入を成し遂げた傑物なのだ。そもそも『初めて』というものは必要以上に注目され、また重要視される。『次』に繋ぐことができるかどうかは『初』の価値で決まるからだ。それを学内の人間が貶めようとするなどとあってはならないことだ。彼女の強さが仇となって表面に出なかったために今まで放置されていたに違いない。だが彼女は耐え切れず倒れてしまった。こうなるとぼんくらな講師共も動かざるを得なくなる。その先陣として自分が動き、彼女の憂いを晴らしてみせようと、イェルハルドは誓った。


「え……ですが、多分この名を告げれば、きっとその方がこのようなことはされないとイェルハルド様はおっしゃいますわ。

 わたくしだって、このようなことがわたくしの身に起こらなければ到底信じられないことですもの。

 彼女と関係が深いイェルハルド様ならば、余計に信じられないと思いますわ。

 もちろん公平なイェルハルド様のことですから、彼女の名を伝えればわたくしの言葉を信じられなくてもお調べになられるでしょう。ですがその代償がわたくしへの不信感であれば、わたくしは彼女の名を口にすることができないのです」


 はらはらと涙が青白い頬を伝っていく。

 エディエット=マーヤの脆く儚げななりに、さしものイェルハルドもおろおろとまごつくことしかできない。

 ぎしりとベッドを軋ませて端に腰を掛けると、恐る恐る華奢な肩に腕を回して引き寄せることがイェルハルドにできる精いっぱいだった。


「イェルハルド様……わたくし、」


「貴女の言葉を信じなくなるなどありえないが、言いたくないのなら今は聞かないでおこう。

 その代り辛くなったらいつでも私を頼ってほしい。

 ……待っている」


 彼女の心に響くようにと深く低い声色で優しく話すと、彼女は潤んだ瞳をイェルハルドに向けてゆっくりと瞼を閉じた。彼女の眦から零れ落ちる涙に温かさを感じたのは気のせいではないだろう。イェルハルドは彼女を守ることに一層の決意を固めて彼女を抱きしめた。

 守るべき彼女が腕の中で嗤っていることに気付くことはなかった。




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