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匹夫の勇  作者: れんじょう
【イェルハルド篇】
34/37

第五歩

 彼女から離れよう。


 イェルハルドはそう結論を出した。

 当初の目的である「女性と気負いなく話し、好まれる言葉を使う」ことには随分と慣れたと感じるし、もやもやとする感情は今のイェルハルドには必要ない。注意力の散漫は未来を決定づけるこの時期には最も不必要なものだ。それに彼女ともっと密に過ごしたいと願う友人たちがいる。なにもイェルハルドが彼女の憂いを晴らすこともない。

 もともと多忙を極めているイェルハルドだ、昼食の時さえ会わなければそうそう姿を見かけることなどない。

 何かと気にかけ世話を焼いていたせいか、急に会わなくなったことで少しの淋しさと苦さを感じる。けれど彼女の方はそうではないようで、廊下で見かけても相変わらず元役員たちに守られながら楽しそうに歩いている。イェルハルドの姿を見つけると彼女はぱっと花が咲いたように微笑み、周りを引き連れながらもわざわざイェルハルドの前までやってきて話しかけてくるが、他の誰かに話しかけられると意識はすぐにそちらに向いて「ではまた」というありきたりな言葉で去っていく。

 自分がそのように仕向けたとはいえ、あの輪の中にいるはずの自分が「なぜお前はそこにいる」と独りきりで廊下に立つイェルハルドに問いかける。


 知るか、そんなこと。


 両手が資料で塞がっていたことに、イェルハルドは感謝した。

 そうでなければむき出しになりそうな心が悲鳴を上げていただろう。





 警察隊入隊試験も終わり、後は結果だけを待つ日々となったイェルハルドは残り少ない学生生活をどうすごしていいかわからず図書室に籠るようになった。

 物心つくころから自分が果たせなかった夢を息子に託した父親から勉学や剣術を叩きこまれ、子供らしい時間を持てなかったせいだろう、イェルハルドにはこれといった趣味を持っていない。その上、暇を持て余すという事態に陥ったこともない。ひとつの課題を修了すれば次の課題へと進む。それが彼の人生のすべてだったため、いきなりぽっかりと空いた時間を持て余してしまったのだ。

 趣味とまではいかないが、イェルハルドは皆から活字病と揶揄されるくらいいつも何かを読んでいた。読書とは違い、活字病は文字さえ追えていたら問題ない。それがたとえ教科書でも、三文小説でも、誰かの落書きでもなんでもいい、紙に文字さえ書かれていたら何でもよかった。イェルハルドの知識の広さはこの活字病からくるものが多い。彼自身が何かを成し遂げたというわけではないが、無闇矢鱈に文字を追う事である程度の話題にはついていけるほどの知識を無意識に蓄えることができたからだ。ランドル校の図書室はイェルハルドにはうってつけで、堅苦しい書物だけではなく女性が喜ぶような雑誌や胡散臭い三流新聞も置かれている。卒業までかかってもすべてを制覇することなど不可能なほどだ。暇を持て余したイェルハルドがこれ幸いに図書室へやってきたのも道理と言える。それに、


 ここなら彼女もくることはないだろう。


 最終学年である彼女たち(・・)もほとんどが卒業後の進路を決め終え、後は卒業するまでの講義をそつなくこなし落第さえしなければ卒業となる。いわばこれから働きづめとなる人生に踏み出す前の最後の休息期間を与えられたようなもの。羽を伸ばし、友情を確かめ合っている人間が、静謐さただよう図書室にわざわざ連れ立ててくることはない。

 実際図書室に通い出してからは彼女に会うことが極端に少なくなった。

 彼女の周りにはいつも彼女を守るべく友人たちが周りを固めている以上、どうしても賑やかしい。そんな彼女たちが図書室にやってくればその瞬間に司書から厳重注意を受け追い出されるに違いない。

 静かに怒れる司書に必死で謝る彼女たちの姿を想像して、イェルハルドはくすっと笑った。


 

 入隊試験から一か月経ち、イェルハルドは内心焦っていた。

 合否は学校側から知らされるようになっていたが、それにしても遅すぎる。試験当日に一か月以内に判定がくだされるだろうと試験管から説明を受けたのだから、その期間を超えれば不安に思っても仕方がない。同じ試験を受けた者が誰かわかれば問いただしてこの宙ぶらりんな現状を変えることができるかもしれないが、入隊試験は個別に行うためにどのくらいの人数が受けたのか、誰が受けたのかもわからない。いや、一人だけ絶対に受けただろう人を知っているが彼女(・・)にだけは聞きたくない。イェルハルドの自尊心がそれを拒む。最後の手段として合否を知らせる校長に確認と称して聞けばいいが、一学生が私用のために校長を煩わせることも躊躇われる。


 八方ふさがりということだな。


 図書室の窓側に面したいつもの席で、イェルハルドはぱたんと本を閉じた。

 

 しばらく黄昏ていると、珍しく司書がイェルハルドに話しかけてきた。

 その言葉にがたんと荒々しく椅子を引いて立ち上がったイェルハルドは挨拶もそこそこに図書室を飛び出した。

 

 慌てて駆けつけた場所は校長室だった。

 とうとう待ちに待った合否判定が下されたのだ。

 イェルハルドは校長室の前まで来ると息を整え、己を鼓舞するためにぱしんと両手で頬を叩き、さっと制服を整えると扉をノックした。

 室内に通された時には、すでに数名の学生が椅子に腰かけることなく待っていた。

 その中にはイェルハルドの婚約者であるエーヴァ・ヴァクトマイステルはもちろんのこと、最近彼女の横にいつもいるサーヤという名の珍しい風貌をした学生もいる。警察隊を受験すること即ち成績優秀者と同意語なのだからあのサーヤという学生も随分と優秀なのだろうが、女性が警察隊を受験することはかなり珍しい。エーヴァは家業が家業なだけに受験することは周知の事実だったが、なぜ他に女性が、それも校長室に呼び出された受験生のほとんどが女性であったことに今更ながらに訝しんだ。その女子学生たちはイェルハルドもよく知る者たちで、大半が風紀委員をしていた者たちでもあった。そして風紀委員長であったエーヴァに傾倒していることでも有名だった。

 その彼女たちは入室してきたイェルハルドに一瞥すると明らかに不愉快気に眉を顰めたが、それも一瞬、すぐ無関心を装った。


 いったいなんだというんだ。


 最近往々にしてこのような視線を向けられることがある。それもほとんど接点のない女子学生からだ。

 女子学生といえば転入生をあからさまに無視していたり酷い言葉を投げつけたり、もしくはわれ関せずと無関心を装っていた者たちで彼女たちに対するイェルハルドの心証は悪いが、彼女たちから向けられる負の感情は明らかに逆恨みだろうとイェルハルドは考える。


 だがそれはそれ、これはこれだ。


 向けられた感情はイェルハルドの中に蓄積して、余計に彼女たちに対する心証を悪くする。

 特に今、校長室にいる彼女たちはイェルハルドと同じく入隊試験を受けた者たちだ。清廉潔白を求められる警察隊だというのに噂話に興じて隣人を貶める彼女たちが試験を受けれたこと自体がおかしいとイェルハルドは内心毒づいた。

 

「全員揃ったようだ。では君たちが待ちに待った通知書を渡すことにしようか」


 校長室の隣にある、ランドル校の七不思議のひとつである応接室への続き扉から校長が入室すると、空気が緊張に張りつめた。

 誰もが自分の入隊を信じて疑わないが、通知書を確認するまで安心は得られない。校長が一人一人の名を呼び、手元に置かれた警察隊の封筒に書かれた名を確認しながら手渡していく。ようやくイェルハルドの順番となって校長がいる机の前に行くと、校長はじっとイェルハルドの目を見つめてなかなか渡してくれない。他の学生には行わなかった行動に、イェルハルドはそこはかとない焦りを覚えた。


 まさか、私だけが……?


 嫌は汗が背中に垂れていったが、表面上は取り繕っていた。校長はイェルハルドに思うところがあるようにすっと目を細めたが、結局は何も言わず封筒を差し出した。イェルハルドはそれを震える手で受け取ると、そのまま元の位置まで戻る。そして最後の一人に封筒がいきわたると、校長は改まって口を開いた。


「さて諸君。まずはおめでとうと言わせてもらおう」


 驚くべきことに通知書を確認する必要もなく、校長室に呼び出しを受けた受験生たちは警察隊の内定を受けた者たちだったのだ。

 一瞬の空白の後、歓喜の声が上がる。

 イェルハルドも内側からこみあげてくる喜びにぐっと拳を握りしめて「よしっ」と叫んでしまった。周りにいる者たちも喜びにお互いをたたえ合い、抱きしめあい、涙をみせている。しばし誰もが歓喜に酔いしれていた。

 校長は微笑んでみていたが、歓喜の波が治まるところを知らないと見ると、手を大きく叩いて注意を校長に向けさせた。

 皆あわてて姿勢を正し、わざとらしく咳払いする校長に注目した。


「手にしている封筒に入っているのはわかっているだろうが警察隊の内定通知書だ。それと入隊承諾書が入っている。入隊の心構えという題で冊子が一冊入っているからそれをよく読んでから承諾書を記入して、一週間後に提出すること。

 内定に心弾ませている君たちに水を差すようで申し訳ないが、内定通知書を手に入れたとはいってもまだ正式に入隊しているわけではない。君たちが今日から警察隊に入隊するその日までの行ない一つで内定も取り消されることがある。そのことを十分に踏まえて入隊するまでの日々を過ごすように」


 その後、通り一辺の挨拶を済ませると校長はエーヴァを讃え始めた。

 予想以上に女子学生が受験し採用されたのはエーヴァという存在があってこそなのだと。

 多くの男子学生も受験したがイェルハルド以外のすべての男子学生は落ち、エーヴァを含む女子学生のほとんどが合格、採用となったのはひとえに風紀委員長であったエーヴァが彼女たちを指導育成していたおかげだ、十名もの女子学生が警察隊に入隊することは前例のない快挙なのだと聞いているこちらが戸惑うほどの賛辞の嵐だった。

 エーヴァといえば謙虚に切り返し、始終低姿勢で答えていた。だが周りにいる女子学生たちはきらきらと瞳を輝かし校長の言葉にそうだそうだと頷きあっている。

 イェルハルドは内定した唯一の男子学生だというのに置いてけぼりを喰らったような疎外感を味わったが皆に賛同する気も起らず、退室の挨拶をしてその場を去った。

 もちろん誰もイェルハルドの退室に気が付くことなく、華やかな声が校長室から途切れることはなく、廊下を一人歩くイェルハルドの背中に突き刺さる。

 内定をもらった時の高揚感はいつか、奇妙な虚しさに上塗りされていた。


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