第四歩
食堂での出来事以降、イェルハルドは転入生と昼食をとるようになった。もちろんそれは彼女の孤独を知ってしまったイェルハルドの心配りに他ならない。彼の時間が合わないときは他の役員たちがその位置に立ち、彼女は独りきりで食べることがなくなった。
今までであれば役員たちと彼女の会話を聞いているだけでほとんど会話に参加しなかったイェルハルドだったが、ここにきて積極的に彼女に話しかけ、笑いを得、時々諭されることもあった。
彼女は学生会役員ではないので学生会室に入ることは叶わないがそれ以外のほとんどを役員たちと過ごすようになり、一般学生との交流はほとんどといっていいほど無くなってしまったようだったが彼女は気にしなかった。それどころか役に立てることを喜んでいる風でもある。役員でもない彼女はどれほど仕事を手伝ったとしても内申に反映されないとわかっているはずだというのに、なんとボランティア精神豊かなことだろうとイェルハルドは感心した。
そうして選出選挙の事前審査を終え、以後、選挙後に役員が新任されるまでは学生会として選挙にかかわることはなくなった。
後は代々引き継がれてきた書類に追加事項を加え、日々の業務を終えて交代までを過ごすのみ。
イェルハルドは選挙戦を戦う立候補者たちの街頭演説を聞きながらほっと息を継いだ。
「お疲れさまでした。お茶をどうぞ」
かたんと小さな音を立てて執務机の上に置かれた薄い陶器のカップには、淵に金の輪が輝く紅茶が入れられていた。ソーサーには一つまみ分だけのクッキーも添えられている。
「ありがとう、エディ。相変わらず気がきく」
「どういたしまして。でもこのくらいはできて当然のことですから」
事前審査を終えた後、学生会会室では忙しそうに動き回る転入生の姿を見るようになった。
これは公ではないものの学生会の手伝いをしているのだ、当然といえよう。他の役員からの文句もない。
イェルハルドははにかむ彼女に再度礼を述べつつ、湯気立つ紅茶を一口飲んだ。何度飲んでも貴族の息女が入れたとは思えないほど丁寧な味わいに驚くが、彼女に言わせれば下級貴族であれば将来上級貴族の侍女になる為に必要な要素のうちのひとつにすぎないらしい。婚約者のエーヴァからは一度も茶を淹れられたことなどないイェルハルドは、将来を約束されているエーヴァにはなるほど、必要ない特技なのだろうと思い至った。
だが、満たされない。
転入生を知るにつれ、ついエーヴァと比較してしまうことをやめられない。
もしエーヴァが学生会室にいたとしても彼女は手ずから茶を淹れるとは思えないし、また他人に茶を振る舞うにしても誰かに頼んで用意するに違いない。
それがエーヴァという人であり彼女の置かれた立場とは理解しているが、転入生のように微笑みを見せながら淹れられるお茶の何とも言えない美味しさは一生彼女から味わうことはないだろう。
「どうかされましたか?イェルハルド様」
思いつめたような顔をされて、と心配そうに眉を曇らした転入生が呟くまで、イェルハルドは自分がじっと彼女の顔を睨むように見つめていたことに気付かなかった。
「ああ、すまない。……どうやったらこんなに美味しい紅茶を淹れることができるのかと考えていた」
「まあ。お口がお上手ですこと。ですがとても簡単なことですのよ?まずはポットを温めて……」
褒められたことが余程嬉しかったのか、彼女はつらつらと美味しい紅茶の淹れ方をいいはじめ、最後に「大切なことは相手を思って丁寧に淹れることなのですわ」と締めくくった。その時イェルハルドの目を見て微笑んだことで、まるで彼女が自分を大切な人だと言っているようでとても心地よい気分を味わった。
「では貴女は私を大切だと思っている、ということかな。
本当に素晴らしく美味しい紅茶を味わっているのだから。」
「当然ですわ。イェルハルド様を大切と思わなくてどなたを大切と思えとおっしゃるの?」
可愛らしくも顔を赤らめながら彼女は軽口を返してくる。
気が付いて、気が利いて、気の置けない大切な友人となるまでには日にちはかからなかった。
選挙戦が終わり、次の役員との引継ぎも終わった頃から、彼女が気鬱にふさぎ込む姿が見られるようになった。
前学生会会長となったイェルハルドは、役を終えた後でも学生会から依頼を受けて仕事を手伝うことがある。その上、卒業後の進路のこともある。女性である彼女の将来はほとんど決まっているようなものだが、男子学生、特に他の学生より進路相談に乗り遅れた元役員たちは今からが正念場といえる。就職に有利に働くランドル校学生会元役員という称号はそれなりの威力を発揮してくれるが、イェルハルドには野望があるため、その足掛かりとなる職に絶対に就かなければならなかった。とすれば普段以上に勉学に力がはいるし、根回しも怠らない。なりふり構わないとは言わないが、それに近しい日々を送って忙しい。そのためか以前より彼女と過ごす時間が少なくなったことは否めない。まさかそのことで彼女が気鬱に陥るなどありえない。だがそうだと分かっていてもそうであってほしいと我知らず願っていたことに、彼女の放った軽口が意外なほど深くイェルハルドの胸に染み込んでいたのかと驚いた。
今も昼食を元役員たちと一緒にとっているというのに不安そうにちらちらと柱の向こうに視線をやり、何かを見つけたのか一気に落ち込む彼女に同情の言葉をかけつつも、自分のことで落ち込んでいるわけではない彼女にさほどの問題ではないだろうと言いたくなるのをこらえることに必死だった。
なんて、あさましい。
無視やあからさまな嘲笑にすら彼女は負けず、一人で戦っていたではないか。
その彼女が明らかに弱っているというのに、その原因が自分のことでないことで大したことではないなどと、どうしてそんな酷いことを思えるのか。
だいたい彼女は一友人であってそれ以上でもそれ以下でもないというのに、そんなことを考えることが間違っている。
イェルハルドは己に芽吹いたものが何かわからないまま、彼女を慰めるのだった。




